5-1 グリーンズボロ・コーヒー・パーティ事件

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20031月20日脱稿

さてこれから時代は狭義でいう「公民権運動」の時代に入っていきます[注1]。この時代を境にアメリカの人種関係は根底から変化しました。その社会の変化と歌とは、この時代はとくに、きわめて密接な関係にあります。うしろで流れている曲は、その運動から生まれた名曲のひとつ"We Shall Not Be Moved"、そのヒップ・ホップ版リメイクです。

繰り返しになりますが、この当時の南部の情況を整理します。(1)黒人の市民権はほぼ完全に剥奪され、(2)公共の施設を含むあらゆるものが人種によって区別され、黒人は劣等で汚い施設ーー人種隔離された施設ーーを使わさせられていた。この2点を特徴とするアメリカ南部独特の制度を〈ジム・クロウ〉といいます。ところが前章で指摘したとおり、黒人の経済環境の改善は当然として将来に対する期待感を高めます。特にその「期待感」は、理想主義的ロマンに惹きつけられやすい若者ほど強い。そして経済成長の結果、黒人の学生の数はかつてないほどに増えていました。

ところでこの章で述べる運動はある賢明な「指導者」たちが集って計画をたて、そして始まったわけではありませんでした。ノース・カロライナ州立農工大学ーー黒人だけが通わされていた大学ーーの学生、エゼル・ブレア(Ezell Blair)、ジョセフ・マックニール(Joseph McNeil)、フランク・マッケイン(Franklin McCain)、デイヴィッド・リッチモンド(David Richmond)の4名が、先のことなど何も考えずに行動を起こしたのが引き金となり、巨大な学生の運動に発展していったのです。その標的は、座席を人種隔離していたウールワースの簡易食堂。そこにこの4名が、サム・クックの"Wonderful World"がチャート入りしようとしていた2月1日、突然、白人専用のカウンター席に座り、コーヒーを注文、これが運動開始の号砲となったのです。その時の経緯をフランクリン・マッケインはこう述べています。

いや、さ、前の晩のことだけど、俺たち野郎4人が寮で世間話をしていて、その勢いで行動に移ったんだ。単純なことさ。

この行動に対し、コーヒーを注文された白人のウェイトレスは、虚をつかれ、当初どうしていいやらわかりませんでした。そこで支配人と相談した結果、こう言いました。「ごめんね、あんたたちニグロにはここでコーヒーは出せないの、よそに行ってくれる」。

坐り込みを開始した4名この言葉を聞き、4名の黒人は、黙って教科書を広げ、そこの席に坐り込みました。4名の前には水すら運んでこられず、それでも彼らは黙って坐り込み続けました。そうこうしている内にこの騒動を聞きつけ野次馬が集まり始めます。その中にいた年配の黒人女性は4名にこう言いました。「あんたのような人間がいるからニグロはいつまでたってもろくな扱いを受けないんだよ、危ないことはさっさとやめなさい」。他面、40代の白人女性はこう耳うちしました。「ジム・クロウなんてなくなればいいのよ、あんたたちがしていることは10年前に起きていて当然だったことなの、がんばるのよ!」。

こうすると、この運動が誰から支持されることになるのかわからなくなります。しかし、ここで黒人女性の言葉を文字通りに取るととんだ解釈違いをします。この時期の南部では、「一番人気のあるスポーツはニグロのリンチ」と呼ばれているほどでした。これは、ノース・カロライナ州のような北部よりの南部ではなく、ジョージア、アラバマ、ミシシッピといった深南部でのことですが、それでも4人の黒人青年が危険を冒していることにはそう相違はありません。したがって、この女性の言葉は、同じ〈人種〉に属する年長者が処世術を教えている、と解釈できます。次のエメット・ティルを見るのがいやだったのです。何はともあれ、彼らはティル少年と同じ世代なのですから。

その伺候されなかった4名の黒人が大学の寮に帰ってみると、何と何と、彼らの勇敢な行動はすでに学生みなにとってのビッグ・ニュース、4名は大学のヒーローになっていたのでした。その結果、次の日には、この4名に加えて21名が参加し、運動は拡大する方向をとります。そして、その次の日には65名が簡易食堂の席に坐り込み、小さな町の小さな食堂の席全部を占拠することになります。それだからこそ、ジョセフ・マックニールはこう感じたのです:

そのときわたしは自然と体のなかからパワーがわき上がってくるのを感じました。何かははっきりとわからなかったのですが、人知を超越したパワーを強く感じたのです。…(略)…かくしてわたしのなかには使命感のようなものが生まれてきました。そう、このとき何かがはっきりと始まったのです。

さらにフランクリン・マッケインはこう述べています:

そのときの気分といったら、それまでの人生のなかで最高のものでした。(ジム・クロウに従うことでそれを暗々裏に支持するといった)罪障感がまったくなくなっていった感じとでもいいましょうか。いってみれば、これでやっと一人前の男になれた気がしたのです。また、そのように感じただけでなく、その感覚に敬意を抱くようになったのです。

政治社会運動への参加者は、運動への参加を通じ、新たなアイデンティティを獲得するとよく言われています。これを60年代研究者は「運動が人を変えてしまう力」transformative power of the movementと呼んでいます。[注2]スミソニアン博物館入り繰りの展示

2月4日、この黒人学生の運動は大転換点に入っていきます。この日、何と、地元の白人学生が加勢してきたのです。ここでウールワースの食堂の中は、あのアラン・フリードの「ムーン・ドッグ・ロックン・ロール・パーティ」のフロアと同じ光景を呈することになったのですーー違うのは、ロックン・ロールは聞こえず、ダンスをするものはいなっただけ、人種が入り交じったこと、つまり南部の白人優越主義者が一番おそれていたことが現実となったこと、それはまったく同じ。こうなった時点でこの坐り込み運動には新たな名称がつけれれましたーー「シット・イン」がそれです。なお、動詞で漢字表記する際に、わたしは「座り込み」ではなく「坐り込み」と記しています。というのも、このシット・インは、次章で詳述しますが、屋根のあるところだけで行われたわけではないから、部首「まだれ」があってはならないのです)。

この黒人学生が火ぶたを切った大衆運動に最初に反応したのは、しかし、ヒット曲を生まなくてはならないポップアーティスト、リズム・アンド・ブルーズ・アーテ ィストではなく、このときにはすでに芸術とみなされていたジャズメン・ジャズウィメンでした。このシット・インを最も明確な形で支持したのは、マックス・ローチやアビー・リンカンといった、個性と自己主張が強いビバッパーです[注3]。上のシット・インの現場写真と右のマックス・ローチのアルバムWe InsistAbbey Lincoln & Max Roach - We Insist!: Freedom Now Suite - EP - Tears for Johannesburgを見較べてみれば、いかに彼らのアイデアが運動から影響を受けていたのかがわかります。このアルバムにおいて、リンカンは絶叫を繰り返し、そうすることでジム・クロウへの全面的抵抗を訴えています。そしてやがてこのような動きがリズム・アンド・ブルーズの世界へ波及することになるのです。

その翌日、たった4名が始めた運動は、「大衆運動」へとはっきりと変化します。この日にシット・インに参加した人数は300名。もちろん300名が全員小さな食堂に押しかけたわけではありません。学生たちが運動を調整する組織を結成し、ローテーションを組んだのです。それに対し大学当局は学生の行動を支持する決議を行い、簡易食堂での人種隔離が撤廃されるまでは休校にするという措置を講じ、運動はグリーンズボロのブラック・コミュニティ全体を含むものになります。そうした結果、ほぼ営業が不可能ーーサービスをすることが法律で禁止されているので、黒人にコーヒーを出し、代金とチップを頂戴するわけにはいかない、それはいかに人倫に反していようとも犯罪になるーーになったウールワースは、食堂を閉鎖することになりました。

この「グリーンズボロ・コーヒー・パーティ事件」は、アメリカ史の画期の一つになっています。今現在、スミソニアン博物館アメリカ歴史館を訪れると、真っ先に目に入ってくる陳列は、このときの食堂の席なのです。つまりグリーンズボロのウールワースの簡易食堂は現代の多文化社会アメリカの出発点とみなされているのです。

【注】
[1] 本格的歴史議論のなかでは、ニューディール連合の一角を公民権団体が担った時期、1936年あたりが広義の公民権運動の始まりだとされています。その詳細については、拙稿があります。拙稿は、ここ、をクリック。[本文に戻る]

[2]さてマッケインの言葉にある「一人前の男」、これは極めてマッチョな表現です。この黒人を主体とする公民権運動のマッチョな性格は、transformative power of the movementを通じフェミニズム運動の興隆を促します。60年代後半のことですが、そのときにはアレサ・フランクリンとジェイムス・ブラウンとの交感を通じ説明したいと思っています。[本文に戻る]

[3] アビー・リンカンは、その後、公民権運動の重大局面において、ある重要人物を介しサム・クックに出会います。その後をお楽しみに![本文に戻る

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