4-10 ア・チェインジ・イズ・ゴナ・カム Part 2: 黒人の経済的環境
赤字は重要ポイント、青字はリンク
2002年12月23日脱稿
さて、今回はかねてからのびのびになっていたお堅い話になります。というのも、これから先、アメリカ社会は、黒人たちによる市民権を要求する運動や大規模な抗議運動、いわゆる「公民権運動」の時期に入っていくからです。もっとも、このコーナーは、堅い話を軽く考えてもらうのを意図してつくっていますのでつべこべ長く話はしません。専門家・同業者の方々、以下はいくぶん「思い切った」私的判断を披露することになりますが、この道に入ってちょうど10年目が終わろうとしている今の時点で、わたしがもっている黒人史理解と考えていただいて結構です。
ではくどくなりますが、もう一度、この時代の人の流れを確認しておきます。アーバン・ブルーズやデルタ・ブルーズ、さらにはルイ・アームストロングによるデキシーランド・ジャズの革新といった黒人文化の中心地であったシカゴでは、1910年代より継続して黒人が移り住みました。この流れは80年代まで継続し、このシリーズの終わりにと考えているフィラデルフィア・インターナショナル・レコードが隆盛を極めた70年代初頭、ついにフィラデルフィアでの黒人人口は白人人口を超えることになります。というのも白人が郊外へ移り住んだのです。この白人の「都市からの脱出」に関しては、それが現象として本格化する60年代後半に稿を改めて論じます。ここでは基本的な大きな流れだけを把握してください。再び、シカゴを例にとります。人口移動は以下のグラフのような流れをたどっていました。
しかしここで北部都市にやってきた黒人はそこで「貧民街=スラム」をつくったと早合点してはなりません。黒人は白人が住む住宅地には住めなかったこと、これは事実です。しかし、60年代後半には、典型例をあげるとブラック・コミュニティの存在を称揚したダニー・ハサウェイの"The Ghetto"になりますが、黒人たちは「ゲトー」と呼ばれる人種隔離された住宅地・商業地で、独自の経済圏を形成していたのです。
それはどうしてか?。ズバリ言いきります、60年代後半まで、アメリカ黒人は、アメリカの持続的経済成長の受益者だったのです。そして、白人と黒人との経済格差は、持続的経済成長が地盤を押し上げることになったので、漸次縮小する傾向にあったのです!。それを視覚的に確認しましょう。(おや?!、3チャンネルのような口調ですね、どうしてこうなるのでしょう???)。
戦後の「平時」の経済が始まった1947年から1960年まで人種別所得中央値は次のように変化していきます。
これを見て、なんじゃお前、白人と黒人の所得格差は実数値にして拡大しているのじゃないか!、と怒鳴りたくなられた方がいらっしゃるかもしれません。たしかにこのグラフはそう「読めます」。しかし、統計上出現する実数にしての違いは果たして、実際にひとが感じることができるものでしょうか。アメリカ黒人は自分たちの経済的境遇を常に白人を比較、つまり白人を参照系にしながら計るのでしょうか?と、いささか誘導尋問をおこなってしまいました。そうです、わたしは「ノー」と考えています。上の数字の格差は何も統計をとらなくてもわかる。さらにいえば、1500ドルの差が1750ドルになっても、格差があるという漠然とした認識しかされず、それは自分たちの境遇が悪くなっているという実感とは異なる。
では何を参照系にすればいいのか?。わたしは世代による変化、つまり、自分にもっとも身近な存在のひとつである親たちの代に較べて、自分たちがいかなる境遇におかれているのか、これが生活世界での経済的浮沈を「感じる」もっとも重要な参照系になる、と考えています。ではその模様を、1947年の所得を白人・黒人ともに100とした場合、相対的にみてどちらが戦後浮揚したのかを見てみましょう。それが下のグラフです。
さあいかがでしょう!。同じ数字でも見方を変えればこうなります。黒人はわずか17年の間に所得を倍増したのです。その成長率は白人よりも高かったのです。「親より立派になる」、これは白人よりも黒人においてより真実だったのです。つまり、ここまでの話で言うと、デイル・クックからサム・クックへの変化は、この相対的経済成長の高さを映し出していたのです。つまり、彼ら彼女らこそ、世の中は変わるぞ!=A Change Is Gonna Comeと言っていたものたちにほかなりません。
ではこの持続的経済成長の渦中に青年から成人へ移ろうとしていたものがどれだけいるでしょうか。下のグラフは1960年の時点での黒人と白人の年齢別比率です。
煩雑さをさけるために、すべての年齢層のパーセンテージは割愛しました。数字が出ている部分がいわゆる「ベビー・ブーマー」、アメリカ版「団塊の世代」です。わけても薄い黄色の部分が青年から成人へ移ろうとしているものたちになります。
さて、これをこれまでの議論に接続しましょう。エルヴィス・プレスリーに魅せられ、夜遅くラジオから流れてくるアラン・フリードの声に耳を傾けた世代、これが黄色い部分のひとたちだったのです。そしてサム・クックが歌ったティーン・ロマンス、 「ワンダフル・ワールド」を「感じていた」世代こそ、この世代なのです。
問題は青年特有の理想主義を現実社会にいかに折り合わせていくか、そこで当然この世代は個人の内面での葛藤と社会政治的摩擦や衝突を繰り返すことになります。やがて時が60年代に入っていくと、この世代がアメリカを震撼させます。その激震の第一発は、ノース・カロライナ州グリーンズボロであがりました。その事件の中心人物は、20歳になったばかりの黒人学生4名。この事件は60年代のさまざまな社会運動の触媒となります。そういった経緯からこの事件のことを、アメリカ独立革命の火ぶたを切ったボストン・ティー・パーティ事件にひっかけ、グリーンズボロ・コーヒー・パーティ事件と呼ぶものもいます。次回からいよいよ章を変え、1960年代に突入!、と号令をかけると、偶然、BGMとして流していたストリーミング放送からはサム・クックが1964年に発表した名曲が…、詳細はそのときに!
《注》
「所得中央値」:統計上の概念。たとえば極端な例で100点と0点のものの「平均値」は50点、つまり実際には存在しないひとの得点になります。「中央値」とは平均値の概念のこのような問題点を是正する計算法で、詳しい計算式は省略しますが、この値の特徴は、実際のその数値に近い人間が最大になるように計算される点にあります。所得などの比較では一般に「平均」ではなく「中央値」を用います。受験のときに、「平均点」ではなく「偏差値」を用いるのと同じようなものです。[本文へもどる]