5-4 学生非暴力調整委員会(SNCC)結成

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20034月28日脱稿

さて、これまで述べてきた経緯を経て、1960年4月15日から17日までの3日間、エラ・ベイカーの母校で黒人大学、ノース・カロライナ州ラリーにあるショウ大学に、300名の学生を集めシット・イン参加者の大会が開催されることになりました。しかし、いきなりここで300名が集合し、雑談したわけではありません。この大会が新たな組織の結成への準備の開始を告げるものであること、これはベイカーの指針に従い決定されていましたし、その準備のため、議論を引っ張るものたちの事前の会合も持たれていました。

これより先立つ4月1日から3日までの3日間、前項で解説しましたナッシュヴィル・グループを中心に、19州からから82名の活動家を集め、予備集会が開催されていました。場所はハイランダー・フォーク・スクール(Highllander Folk School)、アメリカ社会党の党員でもあり労働運動家でもあったマイルス・ホートンという白人が創設した学校で、社会運動の活動家を養成を行っていました。実は、モントゴメリー・バス・ボイコットの火ぶたをきったミセス・ローザ・パークスは、事件がおきる以前に、ここでトレーニングを受けていたという経緯があります。なぜならば、モントゴメリーのNAACP会長、E・D・ニクソンは、アメリカ社会党員で黒人指導者のA・フィリップ・ランドルフが結成した団体、寝台車ポーター労働組合モントゴメリー支部の会長でもあったからです。この学校は、労働運動のなかでももっとも先進的/開明的な翼に属し、人種対立が労働者の団結を阻害するという問題にも意識的に対処してきました。したがって、この場に集まった82名も黒人ばかりではなく、白人の参加者も82名中35名に達していたのです。このように白人と黒人が手を携え闘っていくこと、これは初期の公民権運動の特徴でもあります。

このようにして開催された大会は、シット・インの経験、さらには非暴力直接行動の理念や方法論を熟知しているナッシュヴィル・グループが議論をひっぱるかたちになりました。歴史は実に奇妙なものです。シット・インの大波をつくりだしたグリーンズボロの4名は、学業に専念するため、その後の運動へは関与しない人生を歩みます。この大会にはまた、マーティン・ルーサー・キングも出席していたのですが、大会に招待された演説者のなかで、もっとも人気があったのは、ジェイムス・ローソンでした。これもナッシュヴィル・グループが議論の先導をした経緯を考えると納得がいく話です。

300名の学生は3日間の親睦や討議ののち、次のような組織の声明を起草し、10月に「学生非暴力調整委員会(Student Nonviolent Coodinating Committee, SNCC 「スニック」と発音)の結成大会を開催するということを最終的に決定します。その後、SNCCは、このときの規約から大きく変貌を遂げていきます。その変貌を理解するためにも、発足当初のSNCCを導いていた理念を踏まえておくことは肝腎です。その変化は、アメリカ黒人の文化的(心理的ではありません)アイデンティティの変化と、きわめて強い関係をもちます。

 われわれは、われわれの行動様式、われわれの信念の前提となるもの、この組織の基盤となるものとして、思想的にも宗教心からしても、非暴力の理念を断乎として支持する。ユダヤ=キリスト教的伝統から生まれた非暴力の追求する社会は、愛によって満たされた正義が秩序の礎となっているものである。黒人と白人とが人種統合されたかたちで一致協力して働くこと、これこそかかる社会を建設するに際しての最初の一歩である。
  非暴力に徹することで、勇気が恐怖を克服し、愛が憎悪を変化させる。互いを尊重する精神が、偏見をなくす。希望が絶望にとってかわる。戦争より平和が優先される。信念が疑念を追い払う。互いを尊重する精神が、それまでの敵対関係を終わらせる。いま現在道義心が朽ち果てている社会が、そのような情況から解放されることになるのだ。
 愛、これこそ非暴力の精神の中心にある。 愛とは、全能なる神と人類とを結びつけるものであり、人間同士を結びつけるものである。そのような愛は極限状況にも存在するーー人びとがお互いに反目し合っているといにでも、愛と赦しの精神は存在しているのだ。人を苦しめる邪悪な力をみくびることはできないものの、愛にはそのような力を無力にしてしまう力があるのだ。
 良心に訴え、そして人間の実存の道義的基礎に立脚し、非暴力は、和解と正義が実現され得る環境を生み出すのである。

「愛が憎悪を変化させる」、このフレーズ、マーヴィン・ゲイの名曲、 What's Going On?Marvin Gaye - What's Going On - What's Going Onのフレーズ、Ooh, Only Love Can Conquer Hate"を思わせますね。でも、理想主義的に過ぎる?。たしかにそうです。だからその後、SNCCのメンバーは、理想と現実との相克で苦しむことになります。

ところがしかし、この当時、SNCCの発足やシット・インの精神を「理想主義的」だとする意見は、それほど多くはありませんでした。事態はその逆でした。

シット・インは、何はともあれ、既存の秩序に揺さぶりをかけます。ですから権力の座にあるものにとって、それは脅威にほかなりません。ですから、トルーマン元大統領など、シット・インの運動はソヴィエトや共産党に指導されている、などと荒唐無稽のことを堂々と言っていました。ハイランダー・フォーク・スクールのリンクにもあるとおり、この学校も共産党の影響を受けているとして、連邦政府から監視されていました。この当時、アメリカで「共産党」「共産主義」というのは、今日の「テロ」と同じほど、人びとの恐怖を必要以上に掻き立て、反動的政治活動が行われる環境を生み出していたものです。

そこでこの声明には実に奇妙な表現があります。「伝統」というにも必ず起源があります。今日の歴史家は「伝統」を「発明物」と考えています。ここでも新たな伝統が発明されています。「ユダヤ=キリスト教的伝統」というのが、それです。ナチはキリスト教徒だった、この単純な事実ひとつでこの「伝統」は、第2次世界大戦後の「発明」されたのがわかります。一般に非暴力と言えば、マハトマ・ガンディに遡りますが、SNCCはそれを「ユダヤ=キリスト教的伝統」という新たな「発明物」に依拠させることで、自分たちの運動が愛国的運動である、と暗に、そして強く主張したのです。

さて、この理想主義的声明が発表されたころ、デトロイト発のリズム&ブルーズが、きわめて現実的なメッセージを発し、ポップチャートを急上昇していました。「おれが欲しいもの、そりゃ金だぜ」と。今回は画像なしの地味なものになりましたが、次回は、この曲の強烈なサウンドとともに始めます。


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公民権運動の話が展開される場合、団体名略称が頻繁に出てきます。以下にこれまででてきたものをまとめておきます。(なお、どの章・項を読まれてもご理解頂けるように、これ以後、項の末尾には必ず団体略称とその特徴を記すことにします)。

NAACP(全米黒人向上協会、National Association for the Advancement of Colored People)

50年代以後は弁護士を中心とし、法廷闘争を運動の中心にしていた団体。最大の会員数を持ち、それゆえ最大の運動資金を持つ。

SCLC(南部キリスト教指導者会議、Southern Christian Leadership Conference)

マーティン・ルーサー・キング牧師というカリスマを中心に牧師を集めた団体。

SNCC(学生非暴力調整委員会、Student Nonviolent Coordinating Committee、「スニック」と発音)

1960年春のシット・インの波から生まれた学生を中心とする団体。