3-5:「ロックン・ロールは非アメリカ的だ」:ペイオラスキャンダル
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2001年6月11日脱稿
さて今回は話をもとに戻します。一回ほど史的議論を挟み、さらにアップデートを一ヶ月さぼったので、少し前のところをおさらいしておきましょう。オハイオ州クリーヴランドを中心に活動していた白人DJ、アラン・フリードが、それまで「リズム・アンド・ブルース」と呼ばれていた黒人音楽を「ロックンロール」と命名し、彼の番組は異常な人気を博した。そして彼が主宰したダンスパーティの場には、黒人と白人双方からなる青少年総勢約3万人が動員された。このイベントはすぐさま保守的な実力者たちの顰蹙を買うことになった。しかし、このときまでに過去にアメリカにおいては非白人の差別、その他の場所では植民地支配を正当化していたイデオロギー、白人優越主義のヘゲモニーが各地で挑戦を受けるようになっていた。今回の小節が焦点を当てるのは、そのヘゲモニー争いの具体的事例です。
それは、レコード会社が音楽番組のDJに対して当時は慣例のように支払っていた一種の賄賂(このときにレコード会社からDJに支払われる金銭的・物質的な「見返り」のことを「ペイオラ」と呼びます、音楽著作権管理人さんの指摘のとおり、本当は作曲に関与していないのにも関わらず、著作権者のひとりにしてもらうこともペイオラの一部です)が政治問題になることによって可視的なものになりました。通例、公職にあるものが金銭の授受によってある利益を他者に提供した場合、「受託収賄」という罪科が課せられます。ところが、放送局のDJは、公職にあるものでもなければ、公務員でもない。しかし、電波という〈公共の財産〉を使用しているがゆえに、受託収賄の嫌疑がかけられたのです。
ここで非常に重要なポイントをひとつ指摘しておきます。それは、社会的であれ、政治的であれ、法的であれ、はたまた個人的であれ、公的であれ、あらゆる〈問題〉というものは、厳密にいえばつねに存在していて、〈問題〉が〈問題〉となるには、ある種の火種を必要とする、ということです。ここで、わたしが提唱したいのは、〈問題〉が生まれるのは〈原因〉があるからではない、それはある〈目に見える事象〉を経由してわたしたちの目に見えるようになる=可視的になる、ということです。ここで卑近な例で説明しましょう。ある男女のあいだに〈問題〉が生じ、わかれるかわかれないかの、すったもんだの話になってしまったとします。このとき、その〈問題〉はおそらく最初から存在していたのだと考えられます。それがある事実が契機で「もう切れた!」ということになる。このように〈問題〉なるものを定義するならば、〈問題〉を語り、論じる焦点も変わってきます。もはや〈原因〉は「問題」ではありません。「問題」とされるべきものは、〈問題〉がいかなる契機で浮上し、可視的になり、そしてひとびとがいかなることばで論じたのか、ということです。ここを見極めるのが重要なのは、〈問題〉は、通例、〈問題〉をそのものを語る言葉がなく、ひとびとはその〈問題〉を論じるのに遠回り=回折的なことばを用いること、そしてその回折した転回点に注目し、ほんとうの〈問題〉とは何かを問うということです。ことばで語られる世界の有り様=言説を問いかける、ということです。
抽象論が先行しましたが、ここでペイオラの話に戻すと、ペイオラスキャンダルもまた回折的回路を通り〈問題〉となってきました。当初、連邦通信委員会(Federal Communication Commmission, FCC)が問題としたのは、DJに対するペイオラではありませんでした。問題となったのは、テレビのクイズ番組でした。ある勝ち抜きクイズ番組が勝者をあらかじめ選考していたことが問題となったのです。この番組は「21」という番組で、その勝ち抜きクイズの勝者はクイズ王として『タイム』や『ライフ』といった大衆誌の表紙を飾りました。ところがこれが「やらせ」であり、しかもそこにはスポンサーとクイズ王の事務所、そしてネットワークテレビをめぐる金銭関係が問題となり、連邦議会が調査にのりだしたのでした[1]。
ここでひとつのイメージがマスメディアに対してつくられてしまいます。マスメディアは、ひとの目に見えないところで工作を行っている、だからそれが作り出すスターなるものには、どこか根本的にいかさまっぽいところがある、と。ここでは裏での工作というイメージが問題を語ることばとしてまず〈問題〉となります。周知の通り、アメリカ合衆国は民主社会であることを国是としています。時は冷戦の盛り、このような〈公開の討論〉に付すことができないものは〈非アメリカ的〉である、と考えられたのです。つまり単なる贈収賄が、イデオロギー戦争の一部となったのでした。
このようなまなざしはすぐさまラジオの音楽番組を見つめはじめます。そのラジオの世界では、事態の都合が悪いことに、ペイオラはもはやレコード産業の営業活動の一部になっていたのでした。1959年より開始された連邦議会の調査委員会は、アラン・フリードを召還します。フリードは、1959年11月に行われた最後の尋問で、「以後特定のレコードのプロモートをする代わりに金銭的・物質的便宜をはかってもらうことの拒否」を規定した宣誓書への署名を拒否します。その結果、自局のイメージが悪化することを恐れたABCはフリードを解雇することになります。わたしは、このようなフリードの姿勢は、何も貪欲さに駆られたものではなかった、と考えています。彼は1961年に正式に3万ドル(それほど大きな金額ではありません)の収賄で起訴され、その後、国税庁から脱税の容疑でも起訴されます。1965年に彼は若くして世を去りますが、彼の遺産として残された資産はなく、死自体、彼のアルコール中毒が引き起こしたものでした。このような彼の決して幸せではなかった生涯を考えると、ペイオラはフリーのDJの収入の大きな部分であり、それがなくては彼のような冒険的事業などできなかったと考えざるをえません。(著作権管理人さま、いかがでしょうか、音楽業界の細部には疎いのが弱点ですが、このようなわたしの見方はフリードを美化しすぎていますでしょうか、みなさんもどう思います?)
一方、ここでこの事態の顛末だけに終始していては実は〈問題〉の〈問題〉たるところを見落とします。ここでわたしが強調したいのは、冷戦という時代情況のもと、ペイオラということばがアンフェアな行為=非アメリカ的という等式を喚起したことです。そしてその等式は、ロックンロールも一部に組み込みました。フリードを召還した連邦議会には、音楽業界の内情を知るものとして多数の人間を呼んでいます。そこで、白人の青年の人気をさらい、つまり自らのマーケットを荒らされた人物が証言に立ち、この等式を完成させるのです。その人物はフランク・シナトラ。フリードのプロモートしたスターたち、さらにはプレスリーなどがローカルなスターとして地盤をまずは築き、その後全米に人気を拡大していったのに対し、彼はハリウッドの純正スターでした。その彼は議会でこう証言しています。
「ロックンロールは、きわめて淫らで、残虐で、醜悪、さらには堕落して俗悪な表現形式でありまして、わたしはまったくもってしてこれを聞くに堪えることができません。この音楽こそが、今日の成年に見られるネガティヴで破壊的な反応を喚起しているものなのです。この音楽はまったくのインチキであり、そもそも音楽の調子が外れてしまっています。これを歌い、演奏し、作曲しているものと言えば、白痴のチンピラたちばかりです。歌詞といったら、汚い言葉の羅列で、淫乱でいてしかも狡猾な言葉を繰り返すばかりです。」
ちなみに「はくち」と入力してもATOKは変換してくれませんでした。これはcretinの訳語ですが、このときのシナトラは、ロックンロールに対し、ありったけの罵詈雑言、今日の感受性ではその言葉を発することさえはばかれることばを使っているのです。cretin, この人物のひとりに、クレジットの上、つまり実質ではなく名義上だけとはいえ、アラン・フリードはいたのでした。その他面で、思い出して頂きたいのが、プレスリーの音楽が南部の白人優越主義者に何と呼ばれたかです。ロックンロールという音楽、そしてその人気が作り出したある種の〈社会現象〉を、何ものかによる邪険な陰謀、非アメリカ的行為と考えるひとは決して多くはなかったのです。
それゆえ、このような合州国連邦議会の行為は、ある別のもののイメージを喚起します。当時の人々にとっては、おそらく〈アメリカ的なるもの〉を守るための同じ行為に思えたでしょう。下院非米活動委員会(House Un-American Actitivies Committee, HUAC)による共産主義者の弾圧です。時代は決して、社会変革を望むひとびとにとって有利な情況にはありませんでした。ところが、それを逆手にとって社会変革を求める声が上がり始めます。そうです、南部の黒人が公然と抑圧的体制に向かって立ち上がり、公民権運動が開始されたのでした。この抑圧的社会環境下における運動の開始、これについては次回現在のわたしがたどりついている史的理解の点から考察します。しかし、現在のわたしは将来のわたしとは異なるかもしれません。前回の小節を書くこと過程がわたしの考えをさらに精緻にしてくれたのと同様、このシリーズを続けていく最後には変わっているかも?。
【注】
[1] お気づきの方はいらしゃると思いますが、1994年にロバート・レッドフォードが監督した映画『クイズショー』はこの実話に基づいたものです。[本文に戻る]