リズム&ブルーズの政治学

3-1:クロスオーヴァー

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2001116日脱稿

さて、2章まででプレスリーの登場が意味するもの、その人種的意味をみてきました。プレスリー登場の当初、彼の音楽は周知のとおり「ロカビリー」と呼ばれてました。今日では、ロックンロールということばが一般的に使われますが、50年代当時では違っていたのです。

それはアラバマ農村部の白人のカントリー音楽、「ヒルビリー」と「ロック」を組み合わせた造語した。そして、「ロックンロール」という言葉の命名者は一般的にアラン・フリードという名のフィラデルフィアのDJだったとされています。

つまり名前の典拠からして、プレスリーの音楽は〈人種〉の境界に立つもの、黒人の側からも白人の側からも見えない〈人種〉の境界を侵犯するものだったのです。そのようになったのには、プレスリーの魅力もさることながら、当時すでに黒人の音楽が一般大衆の耳に馴染みはじめていた、という時代の重層的情況の方の影響が強いのです。

1949年、『ビルボード』誌は、黒人の音楽に対しそれまで使われていた〈レイス・レコード〉というジャンルを〈リズム・アンド・ブルーズ、R&B〉に変更しました。この変更の決定をしたのは、後にアトランティック・レコードを創設し、1960年代にはモータウンと並ぶ大ヒット製造会社になるジェリー・ウェクスラーという人物です。この決定にあたってはナチズムの人種主義との戦争であった第2次世界大戦にアメリカが「平等・自由」を戦争の大義として掲げ参戦したという〈国民的経験〉が影響を与えています。もはや「平等」は、言辞上のものだけでなく、アメリカでは現実となっていなくてはならなくなったのです。ところが、〈レイス・レコード〉というジャンルは黒人の音楽を隔離し、蔑むものでした。当然、ジャンルの名称変更が必要とされたのです。

プレスリーがサン・レコードから発売したデビュー曲、 "That's All Rihgt"エルヴィス・プレスリー - Elvis at Sun - That's All Rightがヒットチャートの1位に立つのは1954年の7月5日。それでサン・レコードがあったメンフィスでは、人たちと街をぶらつき歩くことやつが、いちばんヒップなことの証、である情況がすでに生まれていた。そうです、この頃、ラジオから黒人の音楽が流れるのはもはや珍しい情況ではなく、白人の中でも〈マニア〉がやっていることではなくなっていたのです。

ファッツ・ドミノの写真リズム・アンド・ブルーズの草創期にもっとも多くのヒット曲を作りだしたのは、ファッツ・ドミノという名の、ピアノ弾き語りスタイルのシンガーです。(このスタイルは〈ロカビリー〉全盛期、彼と同じ出身地、ニューオリンズ生まれの白人、ジェリー・リー・ルイスの登場によってさらにポピュラーなものになります)。〈リズム・アンド・ブルーズ〉ということばが生まれて間もない1950年2月、ドミノのシングル、"The Fat Man"がリリースされます。これはある特徴的なチャート動向を示しました。プレスリーの楽曲のなかでは、ポップチャートより〈リズム・アンド・ブルーズ〉チャートの方が成績がいいものがあるという事情には前回に触れましたが、〈人種〉の境界の反対側から生まれたこの曲もそれと同様の動きをするのです。〈リズム・アンド・ブルーズ〉チャートでは2位が最高位、とこがジュークボックスでのリクエストでも2位、そしてポップチャートでは6位に入るのです。ポップチャート6位。これはこの当時の黒人の音楽では考えられないような成功でした。なぜなら、レコード会社は「黒人音楽は黒人だけが聴くもの」と見なしていたからです。

当然のことながら、まだ厳しい人種差別が公然とみられた1950年代、黒人の購買力はそれほど大きくなく、それゆえ黒人のレコード市場の規模も小さくならざるを得ない。そのような市場に向けて、レコード会社は宣伝のコストを負うことはしません。つまり黒人のアーティストによる音楽は、ヒットのために宣伝されることがなかったのです。しかし、結局ミリオンセラーになった"The Fat Man"が立証したことは、白人のティーンのあいだでは黒人の音楽が売れる、ということでした。これにより、黒人アーティストが、より利得の大きい白人市場を狙って、ヒット曲の量産に入ります。この〈人種〉の境界を侵犯し、白人市場でヒットした黒人の音楽をクロスオーヴァーと言います。(「フュージョン」ということばが生まれるまえ、インストゥルメンタルのロック風ジャズのことを「クロスオーヴァー」と呼んでいたことがありますが、歴史的に言うと、この定義の方が優先します)。結果、ファッツ・ドミノは50年代でもっとも売れた黒人アーティストになりますが、クロスオーヴァーしたのは彼だけではありません。白人の耳にはまったく馴染んでいないディープなゴスペル、ブルーズ調の音楽、そしてプレスリーの楽曲のムードと識別できないようなロックンロール、が黒人の手によって生み出され白人市場でヒットしていくことになるのです。そして50年後半は、ポピュラー音楽史上、「クロスオーヴァーの時代」と語られることになったのです。

次号はそのほかのクロスオーヴァーしたアーティストにまつわる重層的情況に関し論考を行います。

[侵犯]これは英語ではtransgressionということばがしばしばつかわれているものです。〈人種〉や〈性〉には因習的にある種の想像上の境界が存在しています。その境界に仕切られた領野を、地政学(地図を書くという行為)の概念を隠喩として用い、日本語では(領界侵犯)と定訳されているものです。[本文にもどる]

[重層的情況]。ものごとが起きる理由や原因はけっしてひとつではない、数々の情況がひとつに交差したときに起きるということを示す概念。何ともないことのようですが、実は旧来の歴史学者は何かの「原因」を特定しようと躍起になっていたのでえありまして、それを考えるこの概念は歴史研究の問題設定自体に変更を迫るとても重い意味をもつものでした。なお英語ではconjunctureと書きます。語尾のjunctureの意には関節といった意味もあり、交差という意味もあります。交差点は英語でjunctionです。つまり複数の道が一緒になる時と場、それがconjunctureです。[本文に戻る]

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