5-6 ブッカーT主義再考ーーKags Music, Motown, マーカス・ガーヴィ、ブラック・ナショナリズム、Part 1
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2003年6月30日脱稿
さて、前節でいささか唐突にわたしはこう指摘しました
黒人史上意味深いのはこの雑貨店の名称、「ブッカー・T・ワシントン雑貨屋」です。このエッセイの既発表項をお読みの方はおわかりになると思いますが、この店の名は、黒人の自助努力を訴えた教育者に因んでいます。サム・クックを音楽出版、事業のトータルな管理に向けて鼓舞したのが、このブッカー・T・ワシントンの教えであるならば、なんとゴーディもそうだったのです。
ブッカーT主義に関しては、4章3節で簡単に触れました。これはあまり日本のR&B愛好者のあいだで知られていることではないので、今回と次回は、4章3節が学説史の解説だったのに対し、ブッカーT主義を黒人の抵抗思想のなかに改めて位置づけ、もっと深く論じてみたいと思います。薄い解説を重ねることで深みを出す、その点において、いってみればこれはフィル・スペクター・サウンドのようなものです。
繰り返しになりますが、ブッカー・T・ワシントンという人物は、黒人の人権剥奪、リンチを介したテロ支配が猛威を振るっていた1896年にこう語りました。
わたしたちの指は分かれ立っています。しかし、分かれ立ちながら、それぞれの役割を果たすことで、手となることができるのです。
こう語る一方、(1)完全なる市民権を要求する政治運動を慎み、(2)高等学問ではなく産業技能の習得を目的とした教育の重要性を強調します。これは黒人のあいだで大論争を呼びました。とくに(1)の主張がそうであり、これはこの当時アメリカ社会に拡がりつつあったアメリカ版アパルトヘイト、ジム・クロウ制度を容認するものだ、と批判されました。
その批判の急先鋒に立った人物が、ハーヴァード大学で黒人として初の博士号を取るW・E・B・デュボイスという人物です。彼は今よりちょうど1世期前に著した「ブッカー・T・ワシントン氏そのほかの人びと」という論考で極めて明確に黒人の運動の進むべき方向をこう示唆します。
ワシントン氏が、「節約」と「忍耐」と「大衆の職業訓練」を説いているかぎりでは、われわれは、彼を両手をさしあげて支持し、彼とともに奮闘し、彼の名誉をよろこび、指導者なき群を導くようにと神と人に呼び招かれたこのヨシュアの力を誇りとしなければならない。しかし、ワシントン氏が、北部は南部の不正義を言い繕い、投票の権利と義務を正当に評価せず、人間を虚勢するような差別の力を過小評価し、われわれの聡明な知力の持ち主たちに高等教育をほどこしその待望を呼び起こすことに反対するならば、いや、彼が、南部が、このようなことをするならば、たえまなく断乎としてこれらのことに反対しなくてはならない。あらゆる洗練された平和的な方法によって、われわれは、世界が人間に与える諸権利を求めて奮闘し、「建国の父祖たち」の息子たちが忘れがちなあの偉大な言葉を固く守らなければならない。「われわれは次のことを自明の真理と考えるーーすべての人間は平等に創造されたものだり、創造主たる神によって譲り渡せるはずがない諸権利を与えられており、この諸権利には、生命、自由、幸福の追求の権利が含まれている」。
このようなデュボイスの政治観をひとつの軸にして結成された団体が全米黒人向上協会(National Association for the Advancement of Colored People, NAACP)です。
さてこのデュボイスの名文句のなかには、その後の黒人の抵抗思想に継承されていくいくつかの点がみられます。
・「あらゆる洗練された平和的な方法によって」
この論考が収められているSouls of Black Folkはいつ読んでも何か新しいことを気づかせてくれる名著です[注1]。このフレーズ、原典では"By every civilized and peaceful method"となっています。ここで彼は人種のヒエラルキーの転覆を行っています。暴力的含意をもたせず、peaceとcivilizationを対句にすること、これによって「未開人」に転落したものがいます。南部で黒人をリンチしてた白人たちがそうです。さらに「すべての…」というアジテーション、これは後のマルコムXの名文句、「あらゆる手段をもってしても By any means neccessary 」を予見させます。つまりマルコムに繋がる黒人急進主義の思潮のひとつであると考えられるのです。
・「われわれは次のことを自明の真理と考える…」
これはトマス・ジェファソンが書いた「独立宣言」からの引用です。しかし今日、黒人がこのフレーズを引用するとなると、「独立宣言」だけが典拠であるとみなすことはできません。この箇所こそ、のちにマーティン・ルーサー・キング博士が、有名な「わたしには夢がある I Have a Dream 」のなかで引用するところでもあります。つまり、国是に訴えかける黒人流の愛国心、マーティン・ルーサー・キング博士の思想に引き継がれていく理想主義がここに見ることができるのです。
このようにワシントンとデュボイスを比較した場合、その後の公民権運動・黒人解放運動につながる諸要素はデュボイスの方に多く見られ、研究者もデュボイスの方を好意的に評価してきました。これには次のような理由があると思われます。
(1)デュボイスの文章はとにかく能弁で美しい。その実、デュボイスは、20世紀の黒人だけでなく全世界の知性の最先端に立つ人物であるといったとしても、それは決して過大評価であるとは言われない。その知性に、知識人たる研究者は否応なしに惹きつけられてしまう。(デュボイスとワシントンの写真をご参照ください、どちらが「知的」に見えるでしょうか?)。
(2)運動による「対決」よりも、裏での「政治」を好んだワシントンの手法は、公民権法が存在する今から考えると、きわめて宥和主義的であるように聞こえ、白人の暴挙に及び腰であるような悪い印象すら与える。
(3)さらに、あくまでも私見ですが、世間一般のイメージと異なり、不安定な薄給での苦しい生活を送っている研究者のひとびとは、自らのラディカルな思想を固持し、その思想のために殉じたデュボイスにある種の「親近感」を感じてしまう。
4章3節では、わたしは簡単にこのように指摘しました。
…ワシントンの思想は近年大きく見直されています。彼の主張は後の世代に意外な影響力を与えることになったのです。1950年代-1960年代公民権運動の前半期の目標は、アメリカ社会のなかに入っていくことでした。白人と肩を並べて同じ仕事をすることでした。ところが、ワシントンの主張の論理をある方向に極端に押しすすめると、「分かれ立つ」ことにこそ意義があるのだから、黒人は白人と一緒に働く必要はないし、白人社会に「受け容れれられる」ことを、嫌がる白人に乞うような蔑むべき行為をするべきではない、という分離主義に帰結していきます。
(1)「人種隔離」「ジム・クロウ」とは、白人優越主義者による黒人の社会からの排除、隔離のことをいいます。
(2)「人種統合」とは、ジム・クロウ体制成立後、再度アメリカ社会からの認知、公民権の保護を求める黒人運動の方針を意味します。シット・インなどが目指したものがこの「人種統合」です。
(3)「分離主義」とは、白人からの強制ではなく、黒人自らが多人種社会から身を引き離し、別個の生活空間を作ることを意味します。60年代でいうと、「分離主義」の代表は、ネイション・オヴ・イスラームと同組織破門前のマルコムXです。しかし、ブッカー・T主義に暗に含まれる分離主義的要素は、彼の死後、強烈なカリスマをもった人物によって大規模な運動に発展していきました。ネイション・オヴ・イスラームの思想の一部は、その運動から直接的影響を受けたものであり、マルコムXの父親はその運動の熱心な支持者でした。
今回のBGM、歌っているのは、レゲエシンガー、マキシ・プリーストですーーローリン・ヒルの次のレコード・セールスを記録しているレゲエ・シンガーといってもいいでしょうか?。さて、リフの歌詞に注目してください。彼はこう歌っています。
Marcus, Marcus, We Love You
このMarcusこそ、マーカス・ガーヴィMarcus Garvey、ブッカーT主義を直接継承し、「ブラック・ナショナリズム」を政治プログラムとして打ち出し、超大規模な大衆運動を率いる人物なのです。彼が活躍したのは1920年代。それが今日のメジャーなシンガーが賛歌を歌っている、この人物の影響力の強力さを物語っています。
今回はいささか固い話で長くなりました。次回はマーカス・ガーヴィについて詳述し、それをモータウン分析に結びつけたいと思います。次回も長くなりすぎるようでしたら、3部に分けるかも知れません。実験的エッセイなので、何卒ご寛恕を!
[注1]今回改めてSouls of Black Foldの邦語訳を開いてみました。それで気がついたのですが、訳者のなかには木島始氏がいらっしゃるようです。彼はナット・ヘントフの『ジャズ・カントリー』の訳者でもあります。5月、わたしもナット・ヘントフの訳書(『アメリカ、自由の名のもとに』)を公刊したのですが、この偶然にまずはハッとしました。とても光栄に思っている次第です。[本文に戻る]
公民権運動の話が展開される場合、団体名略称が頻繁に出てきます。以下にこれまででてきたものをまとめておきます。(なお、どの章・項を読まれてもご理解頂けるように、これ以後、項の末尾には必ず団体略称とその特徴を記すことにします)。
NAACP(全米黒人向上協会、National Association for the Advancement of Colored People)
50年代以後は弁護士を中心とし、法廷闘争を運動の中心にしていた団体。最大の会員数を持ち、それゆえ最大の運動資金を持つ。
SCLC(南部キリスト教指導者会議、Southern Christian Leadership Conference)
マーティン・ルーサー・キング牧師というカリスマを中心に牧師を集めた団体。
SNCC(学生非暴力調整委員会、Student Nonviolent Coordinating Committee、「スニック」と発音)
1960年春のシット・インの波から生まれた学生を中心とする団体。