4-5 You Send Me (Part 2)

赤字は重要ポイント、青字はリンク
2002623日脱稿

今回は話の内容柄、英語の講義のようになりますが、ちょっと我慢してみてください。最後に「解釈すること」のおもしろさが感じられたならば、とても嬉しく思います。

さて、その解釈のもととなるテクストはこうでした。

You Send MeAretha Franklin - Aretha's Gold - You Send Me

Darling, you send me
I know you send me
Darling, you send me
Honest you do, honest you do, honest you

Darling, you thrill me
I Know you you you you thrill me
Dariling, you you you you thirill me
Honest you do

At first, I thought it was infatuation
But ooh, it's lasted so long
Now I find myself wanting
To marry you and take you home

Oh, you you you you send me
I know you send me
I know you send me
Honest you do

Oh, whenever I'm with you
I know, I know, I know
When I'm near you, mm, hm, mm, hm
Honest you do, honest you do
Oh oh I know
I know, I know, I know
When you hold me
Oh whenever you kiss me
Mm hm mm hm honst you do

(1)"send"をどうとるか
これはたいていの場合、目的語を二つとる動詞の特殊例として、次のような例文をまずは暗記させられた経験をもっている方が多いのではないでしょうか(大学院生時代のわたしは学習塾講師でもありました)。

You send me a doctor →「医者を呼んでくれ」

そして

Send me an ambulance は「救急車を(ここに)呼んでくれ」であり、「わたしを救急車のところに送ってくれ」ではない、と。

ここでのsendはこの用法とは違います。リーダーズ英和辞典にとてもいい例文が出ていたので、それを参考にします。

Satchmo really sent me. サッチモにぼくはすっかり酔ってしまった.

したがって、この歌での意味は、サム・クックの場合は「オレはお前に夢中なんだ」、アレサ・フランクリンの場合は、「わたしはあなたに夢中なの」、といった意味になるでしょう。ここにおいて二つのヴァージョンに意味の相違は生じないと思います。問題はhomeです。

(2)"home"をどうとるか
こちらは大きな問題が生まれてきます。まず最初に理解して頂きたいことがあります。それは、アメリカ社会全体が、空間的流動性の高いお国柄であること。日本の場合、東京が文化・政治・経済の中心地としてデンと存在し、そこに集まっていくことが「流れ」なのですが、アメリカにそのような地域は存在しません。それは、ハリウッド映画が多種多様な場を舞台に創られているのにはっきりと現れています。ところが日本映画だと、東京以外をシーンに選ぶと、「○○を舞台にした」という宣伝文句がつく、つまり特徴あるものになってしまいます。

そこで問題は黒人、もっと精確にいうと、アフリカン・アメリカンにとってのhomeとはどこかということ。これを「失った母国」ということにとりますと、西・中央アフリカということになります。が、そのような考え(これを汎アフリカニズムといいいます)が出てくるのは至極稀なことであり、たいていの場合、たとえば簡単に読者のみなさまに読んでいただけるもの、トニ・モリソンの小説などをみますと、それは「南部」を指します。

ここまで述べてきたように、この時期の「南部」は、公民権運動の第一波の直撃をうけたばかりでした。北部に住む、アフリカン・アメリカンたちにしてみれば、それは自分のhomeで展開されている重大事だったのです。つまり、50年代の文脈でみた場合、このhomeは南部を指し、そうすることで南部への関心に火を点け、アフリカン・アメリカンたちの「郷愁」を誘ったのでした。サム・クックが、南部/北部の分類でいうと北部にあたるロサンゼルスで、この曲を録音したのも重要なポイントです。

ところが、1967年のアレサ・フランクリンの曲になると、これが変化します。67年は、ベトナムに展開するアメリカ軍が50万人にのぼり、アメリカのベトナム内戦への軍事干渉が最大規模に達したときでした。そこで想像してください。東南アジアの密林での米軍駐屯地のラジオからこの曲が流れてくる。するとhomeは「アメリカ」を意味するようになります。そして「結婚marry」という行く末を暗示することで、「戦死せず無事に戻って!」という願いが込められることになるのです。

これは何も在ベトナム米軍兵のみに訴求したポイントではありません。ベトナム戦争のニュースをラジオで聴き、その後にリスナーからのリクエストとしてこの歌が流れてくると、なんとこれが〈反戦ソング〉にすらなるのです。infatuationとは、loveを難しくいった言葉ですが、loveを訴えることは死を否定することであり、そこにラブ・ソングの究極的政治メッセージが込められることになるのです。

つまりテクストはそれが依存する文脈=コンテクストによって規定され、テクストそれ自体に意味など存在しないのです。このテクストとコンテクストの関係は、これからこのシリーズで注視していくことのひとつになります。そして1957年という時代においてみると、サム・クックの歌のポイントは、この当時の南部を直截語らずにいて、南部との対話の回路を切り開いたところにあります。さて、この67年的特殊情況に関しては、議論がそのときに達したときに改めて論じます。来週は、クックが歌ったhome、南部がいかなる変容を遂げようとしていたのか、これを北部との関係をみることでみていきます。

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