2-1:プレスリーはNAACPの差し金だ〜
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2000年10月8日執筆・脱稿2012年12月改稿
1950年代アメリカ、黒人と白人は別々の学校に通っていました。なかでも21の州では法律が黒人・白人の共学を禁止していました。このような政策の法的根拠となったのが、1890年代に下された『プレッシー』判決です。この判決では、実に奇妙な法理論で、人種別に「分離」した政策は、民主的手続きと黒人の市民権を保証した憲法修正14条に抵触でず、それだから合憲だ、という判断が下されたのです。英米法の伝統では、判例がとても強い影響力を持ちます。この当時、南部においては、黒人をさまざまな社会的政治的活動から排除することが、開始されていました。この『プレッシー』判決は、このような人種差別的政策へのゴー・サインを出したのです。黒人を排斥しても連邦政府は口出しはしない、と。このとき確立された判例を「分離すれども平等」という言葉で表します。
ところが、第2次世界大戦が終わると、公民権団体では最大の組織、全米黒人向上協会(the National Association for the Advancement of Colored People, NAACP)は、まずは高等教育の分野から差別撤廃に向けた行動を開始します。「分離すれども平等」とはいえ、ほとんどの場合、平等どころではない。たとえば、深南部では、白人の生徒児童には通学バスがあるのに、黒人にはない、といったところもありました。そこで、NAACPは、当初、「分離すれども平等」の範囲内、つまり人種隔離そのものを攻撃するのではなく、分離したままで教育予算の人種格差を是正する方向で動きます。ところが、その戦術では一向に突破口が開かない。なぜなら、アメリカの教育行政は地方分権化されていて、通常は自治体の教育委員会が教育行政のほぼすべてを決定していました。だから、予算上の均衡を求めるならば、21州全部の教育委員会 を訴えないといけない。
そこでNAACPは戦略を転換し、「分離すれども平等」の判例自体への攻撃に移ることを決定します。そして、1954年5月17日、連邦最高裁は判事全員一致の意見として、「公の予算を使った教育の場において『分離すれども平等』の原則には立脚する根拠がない。分離された教育は、そもそもはじめから、不平等なのである」という画期的な判決を下しました。これは昨年実施されたタイム・ワーナー社の世論調査で、アメリカ人が20世紀に起きた重大事件として、第12位のランクに収まった大事件です。これを『ブラウン』判決と呼びます。
すると、この判決に対し、南部選出の議員が猛反発しました。アメリカ合州国は、連邦を構成する政治体で、州政府にきわめて大きな権限を認めています。この州政府の権限のことを〈州の主権〉と呼びます。南部議員は、「『ブラウン』判決は州の主権を蹂躙している」と、表向きは反対の意志表示をしました。もちろん本音は、黒人との共学を何としても阻止してやろう、という人種差別的現状の維持にあったのです。そして、19名の上院議員と82名の下院議員を集めた通称〈南部宣言〉(Southern Manifest -- Declaration of Constitutional Principle) が発表されます。
このような政治家たちの行動は、他方で南部の一般白人市民にあるメッセージを送りました。黒人へ人種的憎悪、つまり、劣等な人種である黒人は〈身の程をわきまえ〉白人の学校に行こうなどとつけあがってことを考えるな、と考えることは義にかなったことであり、法的にも認められているのだ、というメッセージを。これによって、極右のテロ団体、キュー・クラックス・クランが主に白人低所得者層を中心に勢力を拡大します。しかし、これよりももっと重要なことは、白い奇妙な頭巾を被ることには抵抗を覚えるが、自分の娘が黒人男性の隣に座らなければならないと考えるとぞっとする、と感じていた中・上流の白人を集め、〈白人市民会議〉という団体が組織されたことです。1956年1月には、アラバマ州の州都モントゴメリーで、白人市民会議は1万5000人を動員した大集会を開催することに成功しました。そして、1958年には「NAACPを殺せ」という公約を掲げたジョン・パタソンがアラバマ州知事選挙で勝利を収め、同じくアラバマ州のセルマという町では白人優越主義者として悪名高いジム・クラークが保安官に選出されます。つまり、南部は『ブラウン』判決に対し、断乎とした反対姿勢をとり、それにしたがって、黒人と白人の間の境界線ははっきりとひかれることになったのです。人種差別を是正しようとした判決が返って南部における反動的勢力に力を貸す結果になったのです。
しかし、その裏では大きな文化的変化が待っていました。テネシー州(南部ですが、深南部に対してここは〈境界州〉と呼ばれます)メンフィスの黒人居住区から約2マイルほど離れた、古ぼけたビル、サン・スタジオから、黒く色っぽい声が全米を席巻し、白・黒の境界のあいだにひとつの決定不可能性を持ち込みます。
2012年12月の改稿について
ブラウン判決の日付が間違っているという訪問者の方からの指摘を受け、正しいものに訂正させてもらいました。
【注】
NAACP。これは通例、エヌ・ダブルエー・シー・ピーと発音します。[本文に戻る]
深南部。通例、ジョージア、アラバマ、ミシシッピ、フロリダ、サウス・カロライナを指します。(たまにテキサスが入る場合もあります)。[本文に戻る]