なぜ反戦か ?
2003年4月28日
藤永康政
まず、わかりやすさを優先し、わたしが反戦の根拠を箇条書きに明示する。
(1)まずは何より、テロを支援する「無法者国家」に対する「先制攻撃」、いわゆるブッシュ・ドクトリンは、ウェストファリア条約以後、数世紀にわたって存在した国際社会の秩序を破壊するものである。
(2)アメリカは、フセイン政権がアメリカにとって脅威であることを証明できなかった。4月27日現在、「大量殺戮兵器」は見つかっていない。
(3)「テロとの戦争」に勝とうと思えば、「戦争」は比喩として捉えなくてはならない。軍事力の行使は、将来のテロリズムの頻発の可能性を高めることにしかならない。この事情は、パレスティナのイスラエル占領地のことを考えれば、国際法や心理学の知識は必要ない、誰にでもわかる。
ここで断っておきたいことがある。わたしは、いかなる場合においても戦争はいけないものだ、というナイーヴな平和主義を信奉するものではない。戦争が必要とされるときはある。しかし何だ、これだけか、これならもうテレビでずいぶん他のひとが「解説」した、と思われる方も多いだろう。わたし自身、以上の理由が、同じ理由を語っていたものたちのそれと、内実が大きく異なるのかというと、そうではないと思う。ならば、以下では、「バグダッド陥落」後、米英の「勝利宣言」なし、という情況下において、それでも反戦を主張することの意義を示したい。
第2次世界大戦直後、アメリカに亡命したドイツ系ユダヤ人のハナ・アレントは、世界がひとつの統一国家に近い形態になるのを断乎として反対した。そのときのアレントの議論を紹介しよう。自分が国家の方針をどうしても支持できないという場面を想定して頂きたい。そして、現在のアメリカ合州国がそうであるように、政府の方針に異論を持つものは、「テロリスト」と呼ばれ弾圧される、という情況をつけくわえてみよう。こうした場合、敵対国家が存在すれば、そこに「亡命」することで、自分の生命への危険性は消える。しかし、統一国家ならずとも、世界中を監視し、国家主権の原則も全く無視する警察国家が出現したとしよう。この国家はどこまでも思想犯を追いつめる。そうすると、「良心の自由」は、この地球上から消え去る!。
もうお気づきの方はいらっしゃるであろう。現在、アメリカの警察行動により、「良心の自由」は危機的状態にある。アメリカはフセイン政権幹部、アル=カイーダのメンバーを、国境も何もお構いなしに、世界の果てまで追いかけている。アレントの天才が見据えた情況は、ここに現実のものとなった。
国際社会がそうであれば、アメリカ国内においても事情は同じである。一般的に近代国家においては暴力装置は国家が独占し、国外に対し暴力的装置を駆動させるのが「軍隊」であれば、国内においてそうするのは「警察」である。両者は、国益、公共秩序の美名のもとに、その力を行使する。そして「先制攻撃」の論理は、アメリカ市民に対しても適用されている。実際の行為ではなく、「犯罪」の可能性、「テロ」の可能性、すべてこの可能性の存在だけで、連邦政府は市民を逮捕できるし、そうしているのだ。[注]4月26日付け『ニューヨーク・タイムス』電子版の報道によると、「テロリストと関係」している「可能性」があるだけで、告訴せずとも、そのような「移民」は、「無期限に拘束できる」、これが連邦司法省の立場らしい。問題の「テロリストとの関連」は、「パキスタン出身」というだけで、その「可能性」があるらしい。さらには、国内の治安が混乱状態にあるハイチからの移民も、「混乱状態のハイチでは、テロリスト組織が暗躍する可能性があるため」、「無期限に拘束」できるのだそうだ。二枚舌も甚だしい。こう言うアッシュクロフト司法長官は、キューバからの移民ならば良いらしい。ハイチは合州国に敵対している国家ではない。その国家からの移民の身体の自由は否定されるのに、過去40年間敵対関係にあるキューバからの移民は、スパイである可能性が否定できないのにもかかわらず、ハイチ人とは異なった処遇に値するというのだから。アレントが見据えた世界、さらにはジョージ・オーウェルが『1984』で描いた世界は、現実のものになった。だからわたしは、バグダッド陥落後も、反戦の姿勢をとり続けざるをえないのだ。
わたしは、「人の盾」となってイラクに行くことではなく、まずはブッシュ政権、そして次には国連へのアピールを通じ、反戦を主張してきた。それはアメリカ研究者であるわたしは、実はアメリカを愛している「愛国者=パトリオット」であるからであり、アメリカ、わけても合州国憲法に刻まれた理念を尊んでいるからである。マーヴィン・ゲイがNBAチャンピオンシップ決勝で歌った、アメリカ国歌、そして脱税での告訴を逃れ、ベルギーに身を隠していた当時の彼が、故国を思いうたった"Distant Lover" が好きなわたしは、いまのようなアメリカを見るに忍びない。オーウェルの『1984』は、スターリン治下のソヴィエトをモデルにした小説であり、まったく架空の近未来小説ではない。だがいまやその世界が、アメリカで、現実となった、これをわたしはとても悲しく思う。
さて、EUの歴史検定教科書は、凄惨で大規模な戦争がおきた20世紀を「ヨーロッパ凋落の世紀」と規定している。そのような欧州においては、「一国の絶対的国家安全保障は、他国にとっての脅威となる」という外交理念が存在する。「先制攻撃」が正当化される可能性は、したがって、著しく低い。低くしたのは、フランス国連大使の今回の名演説のことばを引用すれば、「度重なる戦争を経験」したからである。
「国家安全保障のための軍事行動には国連の許可はいらない」「サダム・フセインとその家族に命令する、いまから48時間以内に自分の国から外に出よ」、この二つの破廉恥なブッシュの言葉によって、国際社会を律する原則がまったくなくなってしまった。「イラク戦争」での敗者はフセイン政権だけではない。アメリカの脅しによって国連査察団がイラクから退去するとともに、国連も敗者になってしまったのだ。国連安保理が今後北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国の核の問題を討議しても、今回の米英の単独行動を抑止できなかった安保理の「威信」など、どこにも存在しない。現在、北朝鮮が、国連ではなくアメリカとの直接交渉を求めているのは、この国際情勢の変化を鋭敏に察知してのことである。
国際連合には規約がある。それを認めるものが国連に加盟できる。したがって、国連という存在は、「社会契約」の理念をそのまま実行したものである。「契約」とは双務的関係であり、国連にも加盟国にも遵守しなくてはならない規則、踏まねばならない正当なる手続きが存在する。そしてこの機関は、「社会契約論」を論じるときには必ず言及されるホッブスのことばの一部を改変すれば、「万国による万国の戦争」を回避するために設立された。合州国は、この契約を、反古にしたのだ。だから、現在の世界秩序は、「万国による万国の戦争」へ突き戻されたのである。だから、わたしは反戦をいまだからこそ主張する。
以上が、いま反戦の理由だが、最後にひとつ、上記の理由(3)に関連したことを付記する。「独裁国家」は、戦争によらずとも、崩壊させることができる。ソヴィエトを中心とする「東側国家」に向けて、アメリカは巡航ミサイルなど撃ち込まなかった。だが、周知のとおり、東側ブロックは、1989年に崩壊した。ブッシュ政権は、イラクがアル=カイーダに訓練施設を提供していると主張し、その主張の立証責任を果たさなかったが、もしこれが事実だとすれば、それは9・11テロ以後のアメリカ外交の破綻を意味する。最近のニュースで報道されているとおり、フセイン政権はイスラーム原理主義、とくにシーア派を「弾圧」し続けた、近代的「独裁政権」である。したがって、アル=カイーダのような原理主義組織にとって、フセイン政権のようなイスラーム国家こそ、「イスラームの信仰を冒涜する」存在になる。だから、アル=カイーダとフセイン政権とのあいだに何らかの関係があるとすれば、それはアメリカの外交方針が、逆にテロリストを養成する環境を生じさせてしまったことを意味する。
アメリカ外交は、したがって、即刻ブッシュ・ドクトリンを放棄すべきである。そして国際秩序を維持するために、ふたたび国連合意のもとでの行動に復帰すべきである。だからわたしはバグダッド陥落後も、否、バクダットが陥落したからこそ、反戦を訴える!。
まだ反戦運動は続いています。
「反戦」を支持される方、ここ、をクリックしてください。
アメリカで活動している反戦NPOが署名を集めています、そこへのリンクです。
[注]ナット・ヘントフ著、藤永康政訳『アメリカ、その自由の名のもとに』(岩波書店、5月刊行予定)で、この件は詳述している。ヘントフとわたしの「イラク戦争」やそのほか外交に関する立場は若干の相違があるが、アメリカ国内での市民権蹂躙に関する姿勢はまったく同じである。[本文に戻る]