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司法・判決 アーカイブ

2000年01月13日

大統領選挙で何が起きたのか?!

みなさんも2000年の大統領選挙での大騒ぎのことはご存じだろう。あの騒ぎが起きている最中、なんとアメリカはユーゴスラヴィアに「選挙監視団」を送っていたから大変である。これは一見笑える事態だが、実のところ笑える話ではない。なぜならそこに賭されているのは人権だからだ。

この騒動は、結局、事実上大統領選挙当選者を連邦最高裁が選ぶというとんでもないことになった。ここで法理論・憲法理論をこね回す必要はない。はっきりしていることは一つ。アメリカの主権は人民にあるのではなく、連邦最高裁にある、ということだ。民主主義とは何も難しいものではない。フェアな手続き、これこそが根幹であり、すべてはこれを基礎に判断されねばならない。ならば、投じられた票が、機械が古くて数えられない、そのうえなお2度目のカウントは行ってはならない、これがフェアな手続きを踏んでいると言えるのか。ユーゴスラヴィアに「監視団」なるものを送る余裕があるのならば、フロリダに「監視団」を送るべきだ。ミロシェビッチの首を狙って爆弾を落とし、その結果、セルビア人の虐殺に は何の関係もない市民を巻き添えにするというまずい軍事作戦をとるくらいならば、フェアな手続きを保証しようとしないフロリダ州知事、ジェブ・ブッシュの首をはねろ。(ちなみに、はっきりしておく、ジェブ・ブッシュは、今回の選挙の「勝者」、ジョージ・ブッシュ・ジュニアの弟である)。

連邦最高裁はこれまでもとんでもない判決を何度も出してきた。その多くが、そう、〈人種〉が関係した問題である。その過去のアホな判決に興味のある人は、ここをクリックしてもらいたい。ここでは今回の判決がどれだけアホなのかを簡単に纏める。

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2000年04月24日

Free, Al-Amin, Free!?

1.「60年代の黒人過激派逮捕」

1960年4月、ノース・カロライナ州グリーンズボロで黒人学生の4名が人種隔離されていたランチカウンターの白人専用席に坐り込んだ。この運動はすぐさま南部各地に飛び火し、同月中旬には南部だけで5万人が参加する大規模な黒人学生の自発的運動に成長していった。この学生たちの運動を一時だけの興奮に終わらぬようにと考えた黒人女性活動家のエラ・ベイカーは、同州の州都ラリーにある黒人大学、ショー大学で坐り込みに参加したもの、さらには将来運動に参加するのあるものを集めた集会を開いた。その集会の中から学生非暴力調整委員会(The Student Nonviolent Coordinating Committee, SNCCと略し"Snick"と発音する)が結成される。同団体は1965年の投票権法制定までは南部を拠点とした非暴力直接行動に従事し、その後1966年のロサンゼルス、ワッツ地区の大暴動が発生すると、運動の焦点を北部都市に移動、その過程で黒人のその後の運動にとてつもない影響を与えたスローガン、「ブラック・パワー」を唱えた。つねに公民権諸団体のもっともラディカルな声を代弁していたSNCCはよく「公民権運動の突撃隊」と呼ばれる。

しかしながら60年代中葉から黒人の運動は深刻な分裂状態に陥っていった。その理由には、(1)公民権法ならびに投票権法制定後の運動の明確な目標の欠如、(2)「ブラック・パワー」のスローガンをめぐる公民権諸団体の意見の食い違いが原因であった。この分裂状況をさらに悪化させたのが、連邦捜査局(FBI)による反政府団体の弾圧作戦、COINTELPROである。

COINTELPROによる弾圧の結果、SNCCは結局破壊されることになった。SNCCは「ブラック・パワー」の路線を明確にする一方、第3世界との連帯を訴えた。第3世界、その中には当時アメリカと壮絶な戦争を繰り広げていた北ベトナム、および南ベトナム解放戦線が含まれる。1971年5月10日、SNCCにスパイを送り込み、厳しい監視の下においていたFBIは、その報告書のなかで「過去一年間、SNCCはいかなる破壊活動にも従事していない」と判断する。しかしこれはSNCCが「反体制団体ではなくなった」とFBIが認めたのではなく、「もはや運動を組織する能力はない」と判断したことを意味していた。

1960年に誕生し、1971年に消え去る。この点においてSNCCは60年代プロパーな運動を表象するものである。概して歴史家は「ブラック・パワー」以前のSNCCに好意的な評価をし、「ブラック・パワー」以後のそれに対しては曖昧な、または否定的な評価を下している。

そのSNCCが2000年4月16日、結成の場所ショー大学で結成40年を記念し、SNCCの正と負の遺産を再評価、今後の黒人の運動の進むべき方向を語り合う非公式のセッションを開催すると発表した。しかしそのセッションには、アトランタで起きた事件が強い影を落としていた。

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2000年07月23日

正義の“ハリケーン”は吹かなかった:シャカ・サフォアに捧げる

「連邦裁判所、州裁判所、そんなところに俺は上訴しろと言っているじゃねぇ、

人間性に訴えろと言っているんだ」

ルービン・“ハリケーン”・カーター(デンゼル・ワシントン)

7月14日、映画『ハリケーン』をみた。パンフレットにあるデンゼル・ワシントンのプロフィールをみると、今や彼は黒人の英雄のひとりになったと言っても過言ではないかも知れない。私が彼をはじめてみたのは、南アフリカのアパルトヘイトと闘い、獄中で死んだ黒人青年、スティーヴ・ビコの役を映画『遠い夜明け』のなかで彼が演じたときである。その後、周知のとおり『マルコムX』では、主人公マルコムの役を見事に演じた。当時のドキュメンタリーに現れるマルコムと、映画のキャラクターのマルコムとにはほとんど差がない。今度は、20年以上にわたる訴訟闘争の結果、冤罪が晴れて自由の身となった黒人ボクサー、ルービン・“ハリケーン”・カーターの役。これら3名は多様なアーティストによって歌詞の題材となってさえいる。マルコムXが現在のラッパーたちの英雄になっていることは言わずと知れたことであろうが、ビコにかんしてはピーター・ゲイブリエルが、ハリケーンにかんしてはボブ・ディランが、それぞれ「ビコ」「ハリケーン」と題した曲でとりあげている。

さて今回の「ハリケーン」、ひとつだけワシントンがこれまで演じた役のなかでは異なるところがあった。それは、ビコやマルコムが自由を求める闘争の半ばで命を終えなければならなかったのにたいし、カーターの場合は冤罪晴れて、自由の身となったところである。よって、『遠い夜明け』『マルコムX』の双方が暗い終わり方をしているのにたいし、『ハリケーン』を見終わったあとの感覚は「すっきりとした」感じを受ける。「本法廷はルービン・カーターにたいし無罪を宣告する」。この判決で映画は終わる。

映画のプログラムをみるとこう書いてある。「真実は負けるはずがない」。これは、黒人の冤罪訴訟をテーマにした法廷映画の古典『アラバマ物語』(原題、To Kill a Mockingbird)と正反対のメッセージだ。『アラバマ物語』では弁護士役を務めたグレゴリー・ペックが白人だけの陪審員に向かい、「私は本法廷のもとでこの件が正当に裁かれるとも思っていないし、正義は必ず勝つというナイーヴな信条を持つものでもない、だが絶望的なところからあなたたちに話したい」と語っている。私は、ペックの言葉を借りると、『ハリケーン』のナイーヴなトーンがどうしても気になった。この映画は「正義は必ず勝つ」と言っているのだ。その〈メッセージ〉を映画半ばで感じ始めたころ、私にはある人物の顔が浮かんで仕方がなかった。そして最後の判決を聞き、涙がとまらなかった。自分の非力が悔しかった。なぜか?

20000723garygraham.jpg左の男性の顔をじっとみてほしい。カメラを直視している彼と目をあわせてほしい。この男性は、1970年代初頭、17歳のときに連続強盗、殺人の容疑で死刑判決を受け、その後数度の控訴審でも有罪は覆らず、この6月22日に処刑された。公に記録された名前はゲイリー・グラハム。本人は獄中でムスリムになり、シャカ・サフォアと改名した。このサフォアの顔が、『ハリケーン』を見る私のこころのなかに浮かんできたのだった。

彼の殺人罪が明白なものならばそうならなかっただろう。そう、グラハムのケースも「冤罪」である可能性があり、死刑の執行は、黒人指導者ジェシー・ジャクソン、アル・シャープトン(元ジェイムス・ブラウンの牧師)、さらにはアムネスティ・インターナショナル、ミック・ジャガー元夫人のビアンカ・ジャガーらの猛烈な抗議にも関わらず行われたのだった。6月中旬、彼の再審を要求する声は高まった。ここで強調したいのは、抗議者は彼が無罪であると主張したのではない。証拠を吟味したならば、当時の裁判手続きに大きな問題ーーサフォアは弁護士費用を持ってなく、“官選”弁護人が彼を代理した。この弁護士は唯一の目撃証人すら法廷で尋問していないとんでもない「弁護」士だったーーがあり、死刑執行の延期と再審を要求したのである。左の写真は死刑延期を求める運動に対し、テキサス州当局が使った暴力を伝えている。

20000723protesters_for_amne.jpg簡単に事実関係を紹介しよう。テキサス州ヒューストン郊外のショッピング・モールの駐車場でボビー・ランバートと言う名の白人が銃殺された。このとき、他の車のなかにいた女性が犯行現場を目撃していた。サフォアは。これと同じ時期、別件の強盗で逮捕されていた。そして警察署での面談の結果、目撃者であった女性は、サフォアが犯人だと断言したのである。

しかし、犯行現場から彼女が乗っていた車までの距離は約200メートル離れていた。そして強盗のときに彼が使用した拳銃とランバートの死体から摘出された弾丸の弾痕は一致していなかった。彼の死刑判決は、物的証拠をまったく欠いたまま、ひとりの女性の証言だけを根拠に言い渡されたものだったのだ。そして20年以上のあいだ、彼は獄中から無罪を主張し続けたのである。

死刑執行の日、私はアムネスティ・インターナショナル(この大組織を突き動かしたのはビアンカ・ジャガーである)などの指示にしたがい、ブッシュ知事のメールアドレスに10分間に1通のメールを送りつづけた。ところがすべてが返ってきた。彼のメールサーバーを抗議のメールがパンクさせたに違いない。CNNのサービスによってサフォアの経緯は30分おきにメールで受けとることができた。少なからず「正義が勝つ」ことを信じたが、結末、死刑執行。

事件を複雑にすることに、サフォアの死刑執行には〈政治〉が絡んでいた。共和党から大統領候補として選出されることがほぼ確実なジョージ・ブッシュ・ジュニアが現在のテキサス州知事であり、サフォア恩赦、さらには人身保護令状発布の権限は彼にあった。ところがブッシュは断乎とした死刑肯定派であり、1980年代に一度サフォアの死刑が延期されていることから、知事の権限を行使することを拒否した。ジェシー・ジャクソンは、「もしグラハムが有罪だ、そして死刑が妥当なのだと信じているならば、私と一緒に死刑執行の現場に立ち会ってほしい」という要求を出していたが、ブッシュはそれすらしなかった。上の写真の目を見るのが、冤罪で死刑を待つものの目をみるのが怖かったからだとしか解釈のしようがない。

ときは遡り 1988年大統領選挙、ブッシュ知事の父親は「黒人=犯罪者」というイメージを巧みに選挙戦に取り入れた。この年、マサチューセッツ州で仮釈放されたウィリー・ホートンと言う名の黒人が、メリーランド州で白人家庭の家に押し入り、レイプ・強盗・傷害の罪で逮捕された。このホートンの仮釈放に署名をしたのがマイケル・デュカキス、ブッシュの対抗馬である。この関係性をブッシュは巧みに攻撃し、犯罪者への重罰をひとつの選挙公約にした。共和党のテレビコマーシャルは、ホートンの顔とデュカキスの顔を重ね、「白人女性をレイプした男(ここで暗に黒人男性というメッセージが取り込まれている)を保釈したのは民主党大統領候補デュカキスだ」というメッセージを流した。その結果、白人の団結票を掘り起こし、投票の1か月前の世論調査で示された5ポイント以上差を逆転したのである。そして、今回、その息子も今回の選挙で〈人種カード〉を切ったのだ。有罪が確定している黒人のために動きはしない、と。

サフォアの場合、正義の“ハリケーン”は吹かなかった。物証なきまま言い渡された死刑判決。しかも17歳のときの犯行。テキサスでも「少年法」はある。しかし、彼には適用されなかった。そうはならなかった。

もうこの世界にシャカ・サフォアはいない。それを考えると、映画『ハリケーン』のメッセージはうつろにしか響かない。

現在アメリカで無罪を主張し闘っている人物は多くいる。このコーナーのエッセイは、そもそもアトランタでのアル=アミンの逮捕がとても怪しいものであることのリポートからはじまったのだが、ある調査によると死刑判決の3分の2が上訴審で覆されているらしい。この事情をつきつけられ、イリノイ州ではライアン州知事が死刑執行の無期延期の命令を下している。多くの法学者が言うところでは、テキサス州知事ブッシュにも同様の権限があるらしい。つまりブッシュは、自らの意志によって、その権限を行使しないことを選んだのだ。

アメリカの囚人の数は1990年代に入り急増した。現在のところ、世界の総人口に占めるアメリカの人口の割合が約8%にしかないのにたいし、囚人人口のなかに占めるアメリカでの囚人の割合は25%に達しようとしている。現在、私は、『ハリケーン』の舞台となったフィラデルフィアーー誰も解説を加えていないが、ルービン・カーターが逮捕された当時のフィラデルフィアでは、警察権力と黒人コミュニティとのあいだの緊張が高まっていた。なぜならブラック・パンサー党が同地で全米大会を開催する予定だったからであるーーで、同じく殺人の容疑で有罪が言い渡された元ブラック・パンサー党員のケースを追いかけている。その囚人の名は、フィラデルフィアで人気を博したトークラジオのDJでブラック・パンサー党員、ムミア・アブ=ジャマル。もうたくさんだ。サフォアの後を追うような人物が現れてはならない。

ここで筆者がとてもいらだたしく思うのが、黒人の団体としては最古の歴史と最大の会員数を持っている全米黒人向上協会(NAACP)の運動方針である。NAACPは現在サウス・カロライナ州製造の物品、同地を観光目的で訪れることのボイコット運動を行っている。理由はサウス・カロライナ州議会議事党の前に南軍旗が掲揚されているから。問題はそれどころではない。私は、個人として、人間性の名の下に、テキサス州産品のボイコットを訴える。そしてブッシュが大統領になった暁にはアメリカ産品のボイコットを訴える。彼が死刑執行の停止を命令する大統領行政命令を発布しないかぎり。

他方で、筆者の考えでは、黒人指導者の第一人者ジェシー・ジャクソンの言動は、ここ数年のあいだに変化した、と筆者は感じている。以前は根強い人種差別を糾弾し、黒人の黒人としての窮状を救おうとしていたのに、現在はより広い人類の問題として黒人の直面している問題を解釈し、〈人間性〉にアピールするようになったのだ。これは、マルコムX、マーティン・ルーサー・キングが最後に立った地平と同じである。これは奇しくも『ハリケーン』のなかでワシントンが語った台詞と同じであった。英語のappealという言葉には、「上告する・控訴する」という意味と「訴えかける」という意味がある。冒頭に掲げたルービン・カーターの言葉は、このappealという言葉の原義を巧みに使った名台詞だ。

最後に以下にシャカ・サフォアが死刑執行の前に書いた手紙を翻訳掲載する。これを読んでくださっている方々の人間性に訴え、〈第2のグラハム〉が現れることのないように。

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2002年05月01日

アル=アミン事件(灰色の警官殺人事件)続報

20020421alamin1
アル=アミン導師の警官殺害の廉での裁判は、ジョージア州司法省が死刑の求刑を決定したため、現在陪審員の決定が慎重になされている時点にある。ジョージア州法は、死刑求刑裁判には陪審員の決定に際し、とくに厳しい審査を要求しているからだ。

これまでアル=アミン導師の弁護団は、わたしが最初のエッセイにて指摘した警察発表の矛盾点に加え、銃弾で負傷した警官が犯人の目の色は青色だったと証言していることを、アル=アミン無罪の根拠としている。なぜならば、アル=アミン導師の目の色はブラウンだからだ。弁護団はあくまでもアル=アミンの無罪を主張し、司法当局との法廷外交渉を拒否、裁判で闘争う意志を表明している。実際の公判が始まれば(今年春の予定)、そのつどこのサイトで報道していきたい…。

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2005年09月16日

フランセズ・ニュートンは処刑されました

20050916frances_newton.jpg抗議の署名をお願いしていましたフランシス・ニュートン処刑の件、残念ながら、抗議運動実らず、現地時間14日午前10時頃に刑が執行されてしまいました。彼女の冥福を祈ります。

裁判所の判断というのは絶対的なものではありません。法律が複雑になり、多くの市民がその細部を熟知できない現代社会にあっては有能な、もっと的確に言えば、自分の利益になる弁護士をいかに捜すかが、極めて重要な意味をもってきます。

別にこれにたいそうな知識はいらないはずです。テレビ番組『行列のできる法律事務所』を一回でも見ればわかる通り、弁護士の見解、法律のエキスパートの見解でも、かならず違っている。とすれば、いかにして、自分の立場で考えてくれる弁護士を捜す「方法」を知っているか、が、現代社会を生きるにあたっては極めて重要になってきます。

デンゼル・ワシントン主演の映画『ハリケーン』をご覧にならればわかる通り、多くの黒人は、刑事裁判の初期段階で、この「方法」の知識を持っていません。それで、官選弁護人のおざなりの「弁護」で刑を言い渡されています。

それで極刑に処せられたのは今回が最初ではないのです。詳しくは、http://www.fujinaga.org/ でエッセイで書いておりますが、死刑は間違っているとして死刑囚を全部恩赦した州知事だっているのです。

ただ、テキサス州は違う。この州は死刑囚執行の数で群を抜いています。(多くはジョージ・W・ブッシュ知事時代の執行)。

こんな野蛮なことはやめさせましょう。

フランシスの最後のことばは"No"。

わたしはまた在りし日のゲイリー・グラハムの姿を思い出してしまいました。今夜は眠れそうにありません。

2007年05月24日

遅く成された正義は正義とは言わないーーキング博士

1964年のミシシッピ、3人の公民権運動家(黒人のジェイムス・チェイニー、白人のマイケル・シュウェルナー、アンドリュー・グッドマン)が行方不明になり、軍隊を動員した捜査の結果、死体で発見された。彼らを殺害したのは、地元の保安官補を含むKKKのメンバーたち、このショッキングな事件は公民権運動の大きな転換点のひとつとなる政治社会的激震を引き起こすとともに、そのストーリーの衝撃から映画やドラマのテーマになってもいる。そのなかで最も有名なのは、アラン・パーカー監督、ジーン・ハックマン主演で、FBIが大活躍しKKKを追い詰める様を描いたアカデミー賞受賞作『ミシシッピー・バーニング』であろう。

しかし、この映画は、公民権活動家のあいだでひじょうに評判が悪かった。なぜならば、大活躍するFBIは実際には存在せず(否、KKKと結託してたケースすらある)、3人の活動家の死自体、身の危険があるとFBIに何度も連絡をしたのにもかかわらず、必要な保護措置がとられなかったから起きたものであった。この「史実の改竄」に対し、活動家のなかには映画のボイコットを訴えたものもいる。(右の著作は、この「事件」の研究書の中でもっとも優れた「決定版」である。そこにはFBIの「ていたらくぶり」が詳述されている)。

本日の『ニューヨーク・タイムズ』は、このときに殺害されたジェイムス・チェイニーの母親、ファニー・リー・チェイニーが5月22日に逝去したと伝えている。享年84。驚いたのは、その年齢にもかかわらず、パン工場の労働者として、何と週給28ドルの労働を強いられていたということである。さて、アラン・パーカー監督は、ジェイムス・チェイニーの死にインスピレーションを得た映画で、いくらの収入を得ただろうか?

今日では「歴史の転換点」と言われる事件の登場人物のひとり、ファニー・リー・チェイニーは、ミシシッピ州に住み続けることはできなかった。なぜならば白人優越主義者の脅迫が続き、遂には家が爆破されたこともあったからである。その後、ニューヨーク、ニュージャージと移り住まざるを得ず、その生活は裕福どころか楽でさえなかった。

3人の殺害が起きたとき、検察は、殺人や故殺では起訴できず、公民権侵害の廉でしか有罪に持ち込めなかった。その結果、最大の量刑は懲役6年であった。ファニー・リー・チェイニーはさぞかし口惜しかっただろう。

ところが2005年、この事件の捜査を再開した連邦司法省は、生存する殺害者のひとりエドガー・レイ・キレンを起訴し、懲役60年の有罪判決を勝ち取った。キレンの年齢を考えると、無期懲役に等しい。(死刑に反対している私にとっては、これが「極刑」である)。

この裁判の過程で、ファニー・リー・チェイニーが再び証言台に立つことがあった。量刑が言い渡され裁判が終わったとき、彼女はこう言ったらしい。「うんと昔のこと、あの頃いた人たち、もうみんな死んじまっているでしょう」。彼女のこころの寂しさは、この判決では埋められなかった。

かつて、マーティン・ルーサー・キング博士がこう言ったことがある。「遅く成された正義は正義とは言わない」。この「事件」の訴追はあまりにも遅すぎた。したがって「正義とは言われない」のかもしれない。

(現在、連邦司法省は、60年代に訴追できなかった白人優越主義者の極悪犯罪の訴追を次々に行っている。その嚆矢となったメドガー・エヴァース殺人事件の訴追、有罪に持ち込む過程については、全米図書館賞を受賞したノンフィクションをもとに、ウーピー・ゴールドバーグ、アレック・ボールドウィン、ジェイムス・ウッズといった錚々たる顔ぶれでGhost of Mississippi という映画になっている。)

2007年06月12日

ニューワーク前市長のその後

このブログで以前にも紹介したことのある黒人政治家、ニューアーク市政を約20年にわたって握っていた「ボス政治家」、シャープ・ジェイムスが、近々、起訴されることになった。罪状は、ブラジルやカリブへの旅行に際して、税金をつかったということと、市保有の所有地を不当にやすい価格で友人に販売する便宜をはかったという、「政治腐敗」のなかでもきわめて「ありきたり」のものである。なかでも後者は、現市長のコーリー・ブッカーが選挙戦の焦点にしたものであった。

都市のインフラの疲弊に経済的衰退と、シャープ前市長が格闘した問題は巨大なものであった。しかし、それとて、彼の行為を免罪できるいいわけには決してならない。裏切られたのは、彼に票を投じ続けてきた支持層、つまりニューアーク市の黒人市民である。

2007年06月13日

KKKのメンバーがまた訴追ーー遅すぎた正義2

『ワシントン・ポスト』が報じるところによると、1960年代の南部で黒人を殺害した白人優越主義者がまた起訴されたらしい。今度のケースは、1964年5月2日(ミシシッピで最大級の公民権運動が開始される夏の直前)に起きた黒人2名の拉致殺害事件であり、当時は、起訴されなかったものである。

この殺害に関与したものはミシシッピ州メドヴィル近辺で活動していたKKKのメンバーたちであり、1966年に下院非米活動委員会に召喚されて証言を求められたのであるが、そのときには「自己に不利益な証言の強制」を禁じた憲法修正第5条に則り証言を拒否していた(同時代のミシシッピ州における極右組織の活動については、右の日本人研究者による著作が詳しい)。

しかし今度の証言は、殺人事件を裁く法廷で行われることになった。そして、このときのKKKのひとりのメンバーが法廷取引を行い検察側の証人として、実際に殺害を行ったものに対して証言することになった。この証言を行ったものは、KKKには「闘うクリスチャンの誓い」というのがあり、それは外部のいかなるものに対しても、組織のことを漏らさないということであった。

snitchということばで警察の捜査に協力することを拒むヒップホップのサブカルチャーが批判されることがある(日本語に翻訳するとsnitchは「ちくる」だろうか?)。また国際テロリスト組織やマフィアの「掟」も悪名高い。どうやら、しかし、そのような文化は、ある特定の文化に固有のものではなく、普遍的にみられるものだと考えた方が良いであろう。

ちなみに、被告人はすでに71歳。有罪が確定すると、最大で終身刑に服さねばならなくなる。

このところ、同様な事件での連邦司法省の「活躍」には目を見張るものがある。しかしながら、それを別の視点から見ると、60年代の訴追がいかに「おざなり」のものであったのかもわかるのである。なぜならば起訴し有罪を勝ち取る十分な証拠があったのだから。いまの司法省の活躍をみるにつけ、私には、何故、この1964年を境に黒人青年たちが急進化していったのか、アメリカン・リベラリズムに「幻滅」を感じたのかが改めてわかってきた。ここでの正義もあまりにも訪れるのが遅すぎた。そういうとあまりにも斜に構えすぎだろうか…。

2007年06月29日

ポスト・ブラウン判決の時代が始まった

たった今『ニューヨーク・タイムズ』電子版が報じたところによると、ケンタッキー州ジェファソン郡(ルイヴィルを含む都市圏)で行われていた、学校の人種統合を目的とした児童・生徒の割り当て政策に違憲判決がくだった。これは連邦巡回控訴裁判所の判決を覆すものであり、最高裁でその政策に反対していた側が逆転勝利を収めたことになる。

ケンタッキー州は、公立学校における人種隔離を「その政策の本来の性格からして不平等である」と断じたブラウン判決(1954年)年の際に、そのような政策を行っていたところのひとつであり、その後、隔離撤廃 desegregation 政策を実施することを法廷から命じられていた。そこでは、当然、児童・生徒の学校割り当てにあたっては人種を考慮せざるを得なくなる。

そしてその後高まった公民権運動などの影響(キング牧師の実弟はルイヴィルで牧師をしていたし、ここは何よりもモハメド・アリの故郷として有名である)の結果、過去の人種隔離政策が導いた人種間格差を解消することに積極的に乗り出していた。最初は裁判所に命令されたものであったが、裁判所の監視下から離れても、その政策を継続してきた。なぜならば、人種間格差がまだ残っていたからであり、そのようななかで人種を考慮しない政策を実施すると、再び公立学校が人種隔離されてしまうからである。

しかし、この政策は、「より良い教育」を目指すものに負担を強いることになる。過去の悪政の精算を求められる謂われはない、という反撥が当然でてくる。その結果、同地の白人は教育委員会を相手取り、その政策が「逆差別」にあたるという訴訟を起こした。

そして、原告が勝った…

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2007年07月06日

ブラウン判決の時代が過ぎ去ったを嘆くのはやめよう

ブラウン判決を破棄したともとれる判決がくだったことについて、ついこのあいだ言及した公民権運動を綴った名作ドキュメンタリー Eyes on the Prize の監修をつとめた JJuan Williams『ニューヨーク・タイムズ』紙にエッセイを書いている。

ウィリアムズは冒頭でこう述べている

「ブラウン判決を讃えよう、だが今やその判決を葬り去るときがきた」。そして、それを嘆くのは止めようと主張している。

この記事のなかで、ウィリアムズは、ブラウン訴訟の原告弁護団長を務め、その後連邦最高裁判事になるサーグッド・マーシャルにインタビューをしたときの興味深いエピソードを伝えている。

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2007年07月15日

全国黒人向上協会全国大会にて──その1

20070715julian_bond.jpg先週末より、デトロイトで、全国黒人向上協会 (NAACP) の全国大会が開催されている。トルーマン大統領よりはじまり、かつては大統領やその特使が参加するのが恒例であったが、それも2001年にブッシュ大統領が拒否して以来、今年もホワイト・ハウス関係者の存在はなかった。

その2001年、現会長で元学生非暴力調整委員会の運動家だったジュリアン・ボンドは、「ブッシュ政権は共和党のタリバン派(キリスト教原理主義者たち、狂信的右派の意味)と名指しで批判した。ところが、9・11直後のアメリカ社会の右傾化と、2004年大統領選挙の結果や国税庁による特別捜査の開始などを受け、公民権運動との関係のない実業界から執行委員長を選ぶなど、一時期はブッシュの方針に妥協するかのような姿勢をみせた同団体も、昨年の民主党の躍進、そしてブッシュへの支持率の低迷を受け、再度ボンドは、現職大統領への猛烈な批判を開始した。

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2007年07月25日

2Pac 遺産管財団体が差し止め請求を行う

デス・ローのCEO、シュグ・ナイトの財産が競売に付されているのは先に報じたとおりだ。この事実が物語っているように、デス・ローの資産は、破産宣告にともなって処分される過程に入っている。

問題はその資産のなかにはまだ未公開の2Pacの録音があるということ。彼の作品は、死後も次から次へと発売されている。そのなかには、音源も悪く、質も決して高くないものがある。つまり、彼が生きていたならば、発売されることを望まないはずのものが、既に市場に出回っているのだ。

そこで、7月20日、彼の母で、元ブラック・パンサー党の活動家、アフェニ・シャクールを長とするTupac Shakur Estateが、2Pacの録音の競売ーーつまり安価な切り売りーーをストップさせるため、彼の録音をデス・ローのカタログから除外することをもとめて、裁判所に差し止め請求を行った。

彼のファンとしては、新しいものがもはや聴けなくなるのは寂しいことだ。しかし、差し止め請求が下されれば、それが彼を弔う最善の方法かもしれない。

2007年09月04日

デトロイトより ── ブラック・アメリカの危機

20070904_pan_african_orthodox_church_small.jpg1967年3月のデトロイト、アルバート・クラーグという名の牧師が、聖母マリアやアフリカ人、イエスを革命家と説く特異なキリスト教の一派を立ち上げた。クラーグ師は、その後、デトロイトのローカルな政治で大きな影響力を持つようになる。

実は、このアメリカではレイバー・デイの3連休になった週末、67年の暴動の中心地からわずか数ブロックのところ、旧モータウン本社から通りを4つ隔てたところにある彼の教会の礼拝に参加してきた。右の写真は、その教会の入り口の看板である(拡大写真はここ)

クラーグ師は既に鬼籍に入っており、今はその後継者が牧師を務めている。教会のディーコンの人びとに、近年の活動を伺ってみると、サウス・カロライナで農場を運営し始めるなど、それはネイション・オヴ・イスラームのものに酷似していた(ネイション・オヴ・イスラームもデトロイトが発祥の地である)。

説教は、それでも旧約聖書のなかの寓話の引用から始まる。かなりのあいだ、正直言ってつまらなかったのだが、90分くらいにのぼるその説教の3分の1が過ぎた頃だろうか、牧師はブラック・アメリカの現状を語り始めた

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2008年03月05日

「カーナー委員会」が「予備結果」を発表

ここのところ、当然のことではあるが、アメリカから伝わってくる「人種」や「黒人」に関連したニュースのほとんどがオバマの大統領選挙運動のことになっている。そこで、否、その文脈のなかで考えてみると、きわめて興味深いリポートのことを伝えたい。

下の11月12日のエントリーでも記しているが、昨年、40年前に全米の都市暴動に関して調査を行った「都市騒擾に関する大統領諮問委員会」、通称カーナー委員会が、今度は財団の支援を得て調査活動を行った。その調査の予備結果によると、この40年間の黒人の進歩、人種関係改善に関する成績はD+、つまり「合格最低点(日本でいう「可」)の上の方」というものになった。

オバマの華々しい活躍を脇に、NAACPデトロイト支部の前会長アーサー・ジョンソンは、「今日の経験から言いますと、昔と較べて顕著に良くなったと言えるところはほとんどありません」と述べている。

では、どこが特に成績評価を悪くすることに繋がったのか?。新カーナー委員会はわけても5つの点を指摘している(これは予備報告の結果であり、正式なリポートは今年中に公開される予定になっている)。

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