「連邦裁判所、州裁判所、そんなところに俺は上訴しろと言っているじゃねぇ、
人間性に訴えろと言っているんだ」
ルービン・“ハリケーン”・カーター(デンゼル・ワシントン)
7月14日、映画『ハリケーン』をみた。パンフレットにあるデンゼル・ワシントンのプロフィールをみると、今や彼は黒人の英雄のひとりになったと言っても過言ではないかも知れない。私が彼をはじめてみたのは、南アフリカのアパルトヘイトと闘い、獄中で死んだ黒人青年、スティーヴ・ビコの役を映画『遠い夜明け』のなかで彼が演じたときである。その後、周知のとおり『マルコムX』では、主人公マルコムの役を見事に演じた。当時のドキュメンタリーに現れるマルコムと、映画のキャラクターのマルコムとにはほとんど差がない。今度は、20年以上にわたる訴訟闘争の結果、冤罪が晴れて自由の身となった黒人ボクサー、ルービン・“ハリケーン”・カーターの役。これら3名は多様なアーティストによって歌詞の題材となってさえいる。マルコムXが現在のラッパーたちの英雄になっていることは言わずと知れたことであろうが、ビコにかんしてはピーター・ゲイブリエルが、ハリケーンにかんしてはボブ・ディランが、それぞれ「ビコ」「ハリケーン」と題した曲でとりあげている。
さて今回の「ハリケーン」、ひとつだけワシントンがこれまで演じた役のなかでは異なるところがあった。それは、ビコやマルコムが自由を求める闘争の半ばで命を終えなければならなかったのにたいし、カーターの場合は冤罪晴れて、自由の身となったところである。よって、『遠い夜明け』『マルコムX』の双方が暗い終わり方をしているのにたいし、『ハリケーン』を見終わったあとの感覚は「すっきりとした」感じを受ける。「本法廷はルービン・カーターにたいし無罪を宣告する」。この判決で映画は終わる。
映画のプログラムをみるとこう書いてある。「真実は負けるはずがない」。これは、黒人の冤罪訴訟をテーマにした法廷映画の古典『アラバマ物語』(原題、To Kill a Mockingbird)と正反対のメッセージだ。『アラバマ物語』では弁護士役を務めたグレゴリー・ペックが白人だけの陪審員に向かい、「私は本法廷のもとでこの件が正当に裁かれるとも思っていないし、正義は必ず勝つというナイーヴな信条を持つものでもない、だが絶望的なところからあなたたちに話したい」と語っている。私は、ペックの言葉を借りると、『ハリケーン』のナイーヴなトーンがどうしても気になった。この映画は「正義は必ず勝つ」と言っているのだ。その〈メッセージ〉を映画半ばで感じ始めたころ、私にはある人物の顔が浮かんで仕方がなかった。そして最後の判決を聞き、涙がとまらなかった。自分の非力が悔しかった。なぜか?
左の男性の顔をじっとみてほしい。カメラを直視している彼と目をあわせてほしい。この男性は、1970年代初頭、17歳のときに連続強盗、殺人の容疑で死刑判決を受け、その後数度の控訴審でも有罪は覆らず、この6月22日に処刑された。公に記録された名前はゲイリー・グラハム。本人は獄中でムスリムになり、シャカ・サフォアと改名した。このサフォアの顔が、『ハリケーン』を見る私のこころのなかに浮かんできたのだった。
彼の殺人罪が明白なものならばそうならなかっただろう。そう、グラハムのケースも「冤罪」である可能性があり、死刑の執行は、黒人指導者ジェシー・ジャクソン、アル・シャープトン(元ジェイムス・ブラウンの牧師)、さらにはアムネスティ・インターナショナル、ミック・ジャガー元夫人のビアンカ・ジャガーらの猛烈な抗議にも関わらず行われたのだった。6月中旬、彼の再審を要求する声は高まった。ここで強調したいのは、抗議者は彼が無罪であると主張したのではない。証拠を吟味したならば、当時の裁判手続きに大きな問題ーーサフォアは弁護士費用を持ってなく、“官選”弁護人が彼を代理した。この弁護士は唯一の目撃証人すら法廷で尋問していないとんでもない「弁護」士だったーーがあり、死刑執行の延期と再審を要求したのである。左の写真は死刑延期を求める運動に対し、テキサス州当局が使った暴力を伝えている。
簡単に事実関係を紹介しよう。テキサス州ヒューストン郊外のショッピング・モールの駐車場でボビー・ランバートと言う名の白人が銃殺された。このとき、他の車のなかにいた女性が犯行現場を目撃していた。サフォアは。これと同じ時期、別件の強盗で逮捕されていた。そして警察署での面談の結果、目撃者であった女性は、サフォアが犯人だと断言したのである。
しかし、犯行現場から彼女が乗っていた車までの距離は約200メートル離れていた。そして強盗のときに彼が使用した拳銃とランバートの死体から摘出された弾丸の弾痕は一致していなかった。彼の死刑判決は、物的証拠をまったく欠いたまま、ひとりの女性の証言だけを根拠に言い渡されたものだったのだ。そして20年以上のあいだ、彼は獄中から無罪を主張し続けたのである。
死刑執行の日、私はアムネスティ・インターナショナル(この大組織を突き動かしたのはビアンカ・ジャガーである)などの指示にしたがい、ブッシュ知事のメールアドレスに10分間に1通のメールを送りつづけた。ところがすべてが返ってきた。彼のメールサーバーを抗議のメールがパンクさせたに違いない。CNNのサービスによってサフォアの経緯は30分おきにメールで受けとることができた。少なからず「正義が勝つ」ことを信じたが、結末、死刑執行。
事件を複雑にすることに、サフォアの死刑執行には〈政治〉が絡んでいた。共和党から大統領候補として選出されることがほぼ確実なジョージ・ブッシュ・ジュニアが現在のテキサス州知事であり、サフォア恩赦、さらには人身保護令状発布の権限は彼にあった。ところがブッシュは断乎とした死刑肯定派であり、1980年代に一度サフォアの死刑が延期されていることから、知事の権限を行使することを拒否した。ジェシー・ジャクソンは、「もしグラハムが有罪だ、そして死刑が妥当なのだと信じているならば、私と一緒に死刑執行の現場に立ち会ってほしい」という要求を出していたが、ブッシュはそれすらしなかった。上の写真の目を見るのが、冤罪で死刑を待つものの目をみるのが怖かったからだとしか解釈のしようがない。
ときは遡り 1988年大統領選挙、ブッシュ知事の父親は「黒人=犯罪者」というイメージを巧みに選挙戦に取り入れた。この年、マサチューセッツ州で仮釈放されたウィリー・ホートンと言う名の黒人が、メリーランド州で白人家庭の家に押し入り、レイプ・強盗・傷害の罪で逮捕された。このホートンの仮釈放に署名をしたのがマイケル・デュカキス、ブッシュの対抗馬である。この関係性をブッシュは巧みに攻撃し、犯罪者への重罰をひとつの選挙公約にした。共和党のテレビコマーシャルは、ホートンの顔とデュカキスの顔を重ね、「白人女性をレイプした男(ここで暗に黒人男性というメッセージが取り込まれている)を保釈したのは民主党大統領候補デュカキスだ」というメッセージを流した。その結果、白人の団結票を掘り起こし、投票の1か月前の世論調査で示された5ポイント以上差を逆転したのである。そして、今回、その息子も今回の選挙で〈人種カード〉を切ったのだ。有罪が確定している黒人のために動きはしない、と。
サフォアの場合、正義の“ハリケーン”は吹かなかった。物証なきまま言い渡された死刑判決。しかも17歳のときの犯行。テキサスでも「少年法」はある。しかし、彼には適用されなかった。そうはならなかった。
もうこの世界にシャカ・サフォアはいない。それを考えると、映画『ハリケーン』のメッセージはうつろにしか響かない。
現在アメリカで無罪を主張し闘っている人物は多くいる。このコーナーのエッセイは、そもそもアトランタでのアル=アミンの逮捕がとても怪しいものであることのリポートからはじまったのだが、ある調査によると死刑判決の3分の2が上訴審で覆されているらしい。この事情をつきつけられ、イリノイ州ではライアン州知事が死刑執行の無期延期の命令を下している。多くの法学者が言うところでは、テキサス州知事ブッシュにも同様の権限があるらしい。つまりブッシュは、自らの意志によって、その権限を行使しないことを選んだのだ。
アメリカの囚人の数は1990年代に入り急増した。現在のところ、世界の総人口に占めるアメリカの人口の割合が約8%にしかないのにたいし、囚人人口のなかに占めるアメリカでの囚人の割合は25%に達しようとしている。現在、私は、『ハリケーン』の舞台となったフィラデルフィアーー誰も解説を加えていないが、ルービン・カーターが逮捕された当時のフィラデルフィアでは、警察権力と黒人コミュニティとのあいだの緊張が高まっていた。なぜならブラック・パンサー党が同地で全米大会を開催する予定だったからであるーーで、同じく殺人の容疑で有罪が言い渡された元ブラック・パンサー党員のケースを追いかけている。その囚人の名は、フィラデルフィアで人気を博したトークラジオのDJでブラック・パンサー党員、ムミア・アブ=ジャマル。もうたくさんだ。サフォアの後を追うような人物が現れてはならない。
ここで筆者がとてもいらだたしく思うのが、黒人の団体としては最古の歴史と最大の会員数を持っている全米黒人向上協会(NAACP)の運動方針である。NAACPは現在サウス・カロライナ州製造の物品、同地を観光目的で訪れることのボイコット運動を行っている。理由はサウス・カロライナ州議会議事党の前に南軍旗が掲揚されているから。問題はそれどころではない。私は、個人として、人間性の名の下に、テキサス州産品のボイコットを訴える。そしてブッシュが大統領になった暁にはアメリカ産品のボイコットを訴える。彼が死刑執行の停止を命令する大統領行政命令を発布しないかぎり。
他方で、筆者の考えでは、黒人指導者の第一人者ジェシー・ジャクソンの言動は、ここ数年のあいだに変化した、と筆者は感じている。以前は根強い人種差別を糾弾し、黒人の黒人としての窮状を救おうとしていたのに、現在はより広い人類の問題として黒人の直面している問題を解釈し、〈人間性〉にアピールするようになったのだ。これは、マルコムX、マーティン・ルーサー・キングが最後に立った地平と同じである。これは奇しくも『ハリケーン』のなかでワシントンが語った台詞と同じであった。英語のappealという言葉には、「上告する・控訴する」という意味と「訴えかける」という意味がある。冒頭に掲げたルービン・カーターの言葉は、このappealという言葉の原義を巧みに使った名台詞だ。
最後に以下にシャカ・サフォアが死刑執行の前に書いた手紙を翻訳掲載する。これを読んでくださっている方々の人間性に訴え、〈第2のグラハム〉が現れることのないように。