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統計 アーカイブ

2004年06月17日

大統領選挙世論調査

『ワシントン・ポスト』紙とABC放送の合同世論調査によると、黒人のあいだでのジョージ・W・ブッシュの支持率は、6%という低水準。この数値は、共和党大統領候補として史上最低の支持しか黒人から得られなかった2000年大統領選挙での8%よりさらに下。

なお、民主党から大統領候補として指名されるのが確実なジョン・ケリー上院議員に対する黒人の支持率は、79%。

この民主・共和2大政党候補に対するこのようなトレンドは大体予測できたが、ここで気になるのは、黒人でも増えている「無党派層」。(2002年にJoint Center for Political and Economis Studiesが行った調査では、24%に達し、その率は年齢が若ければ若いほど高まる)。

2004年06月25日

ハーヴァードの黒人学生

ヘンリ・ルイス・ゲイツ・ジュニアとラニ・ギニアという現代のアメリカ黒人の知識人たちのインタビューによると、現在ハーヴァード大学に通っている黒人は全体の8%、実数にして530人になった。

ハーヴァードの位置する場所を考えると、8%という比率は決して低いと断言できるものではない。

しかし、問題を複雑にしているのが、黒人内部での差異、特にエスニシティによる相違である。近年、カリブ系移民やアフリカ系移民の研究書の刊行が相次いでいるが、それらはこの黒人内部の差異に焦点を当てたいがためである。

さて、ハーヴァードでは、黒人学生のなかで、祖父母の代から合州国に居住しているものは、黒人学生全体の3分の1にしかならないらしい。

スパイク・リー監督の『ドゥー・ザ・ライト・シング』を思わせる実態だ。

2004年11月22日

アッシュクロフト司法長官への「通知簿」

司法省の公式統計によると、2003年の公民権侵害に対し司法省が起訴を決定した案件は、わずかの84件であることが判明。

クリントン政権最後の年が159件であったことを考えると、なんとこれは47%の減少にあたる。

この数値は「市民的自由を尊重し、、その方面における成績は前政権より良い」とするアッシュクロフト司法長官の主張を見事に否定している。彼は、愛国者法によって市民的自由に制限をかけることに一所懸命なあまり、アメリカが豪語する「自由」の礎となるもの、すなわち公民権・市民権・市民的自由にはわずかばかりの関心しかなかったことが、これで明らかになった。

2005年03月11日

黒人兵の率が急低下

20050311black_soldier.jpg
2000年度には23.5%に達していた軍隊新兵のなかのアフリカン・アメリカンの比率が、今年度は14%までに低下した。

全人口に占めるアフリカン・アメリカンの比率が12.3%だから、ほぼアメリカの人口構成と等しいまでに下がったことになる。

しかし、80%に近い減少率、これは重大なことを物語っている。

この数値を報道した『ワシントン・ポスト』紙は、アフリカン・アメリカンのイラク戦争支持率が白人に比すと著しく低いことを、その理由のひとつとして指摘している。事実、ブッシュ再選に投票した黒人は11%しかいない。

イラク戦争がここまで長引くことで、アメリカ史上初の事態が起きることになった。徴兵制がひかれずに長期の戦争に突入するのは、この戦争が初めてなのである。

そう考えると、コンドリーザ・ライス、ブッシュ双方が欧州との関係回復をまず最初に目指したのには、「この戦争はアメリカ一国では勝てない」という認識が強まったことを表しているのかもしれない。

いずれにせよ、黒人兵の減少は、黒人がイラク戦争を支持していないことを表す、これはまちがいないだろう。

2005年10月05日

監獄社会の顔ーーその1

現在わたしが強い関心をもって追っているアメリカの社会問題のひとつに、巨大な監獄社会というものがある。いま『ニューヨーク・タイムス』が、その問題について連載記事を掲載している。

3日版に掲載された記事が取り扱ったのは、いろいろな側面をもつこの問題のなかでも、未成年(つまりアメリカでは18歳以下)で犯罪を犯しながら、仮釈放なしの終身刑に服している青年の問題。

このような厳罰を行っている州は、50州中48州。アムネスティインターナショナルの調査によると、同様の罰を実施している国は、イスラエル、南ア、タンザニアしかない。しかしアメリカは、この罰で服役している人間の数でずば抜けている。イスラエル7人、南ア4人、タンザニア1人、アメリカ約2200人。そのうち、350名はいまだ15歳以下だ。

そしてその51%が黒人である。

これは黒人の犯罪性を物語っているのではなく、アメリカの刑罰が80年代以後保守化したために厳格になったことの結果である。その詳細はわたしのサイトのエッセイのコーナー、ならびに学会報告を参照。いずれこのブログでも、最新の情報を掲載するにあわせ、この事情や背景、歴史を説明していく。

2007年06月07日

ニューオリンズの復興ニュース(久々です…)

ニューオリンズの復興に関して久しぶりに書き記しておこう。

ハリケーンの被害自体が人種的に不均等な結果をもたらしたということは現在では広く知られた事実だが、復興後の状況も人種間格差が存在しているようだ。5月初頭に世論調査機関 Kaiser Family Foundation が明らかにしたデータによると、ハリケーンの被害から丸1年が経過した時点での調査で、「生活が破壊されている」と答えた白人が29%であるのに対し、黒人のそれは59%にのぼる。

白人の率が約3割に達しようとしているのも、通常のいわゆる「先進国」での災害を考えるとたいへんな高率だ。そしてこの調査対象のなかには、既にニューオーリンズを「見棄て」てしまい、そのほかの土地に移住したものは含まれてはいない。そのようななか、堤防が決壊したのは政府の責任であるとして損害賠償を求める動きが活性化している。『ワシントン・ポスト』紙によると、政府を訴えた人びとの人数は25万人に達し、請求総額は2780億ドルに達する。(政府がメキシコ湾岸地域の災害復興に充てた予算は1250億ドルであり、それをはるかに上回る)。

自然災害にあたり政府に責任を問うこと、それには多大な法的障害があり、原告が勝訴する確率は決して高くはない。あるものによっては、これは「訴訟社会アメリカの悪の側面だ」と指摘する向きもあるだろうし、私自身、それが「アメリカ的特質」であることに同意はしなくても、方法的・法論的妥当性には疑問を強く感じる。

そこで、とても心が温まるエピソードを紹介することにしよう。

「復興開発」による建築労働者の需要が高まるなか、同地には数多くのメキシコ人労働者がやってくることになった。ところが季節性と循環性が高い建築労働の質上、労働期間は決して長くない。建築事業が終われば、「飯場」もなくなる。そうすると、廃屋となった住宅に「居座る」squwatしかなくなってしまう。当然、ニューオーリンズに在住の人びととの軋轢は増え、対立は高まるし、そもそも「スクワッター」は法律を犯しているために逮捕されてしまうことすらある。

20070606old_curtis.jpgこの2月、ニューオーリンズ市郊外のグレトナで、そのような事件が起き、17人のラティーノが挙動不審・浮浪の容疑で逮捕されることになった。頼るあてのない彼らは、しかし、その日のうちに保釈されることになった。もっとも被害の大きかったニューオーリンズの黒人ゲトー、第9区に本拠地がある「ニューオーリンズ生存者の会」 New Orleans Survivors Council という団体に属するメンバーが保釈金を払ったからだ。なおその人物と17人のラティーノとのあいだにそれ以前の親交はなかった。

20070606young_curtis.jpgこのニュースを聞いたラティーノの団体、「日雇い労働者の会」 Congreso de Journaleros は、「ニューオーリンズ生存者の会」への感謝の意を表すために、第9区に存在している未だ改築されていない住宅を無償で補修した。そうして、現在、この二つの団体はこうして復興された家で、毎週集会をもっている。

さて、保釈金を支払った奇特な人物の名前は、カーティス・モハメド Curtis Muhamad。なにやら、カーティス・メイフィールドとモハメド・アリの名前が一緒になり、「わくわくさせる」響きがある。実は、この二つの60年代精神の体現者と、カーティス・モハメドの来歴とは無縁ではない。彼は、60年代の公民権団体のなかでももっとも勇猛果敢で急進的だった学生非暴力調整委員会 Student Nonviolent Coordinating Committee (SNCC) のベテラン活動家だった。

SNCC関係の文献ではカーティス・ヘイズ Curtis Hayes と記されているその人物であり、その後、篤信家ムスリムになった活動家だ。Oh, Keep Your Eyes on the Prize Action, Marley Marl & Masta Ace - In Control, Vol. 1 - Keep Your Eyes on the Prize (Featuring Masta Ace and Action), Hold on!。がんばれ、カーティス!。

2007年07月15日

全国黒人向上協会全国大会にて──その1

20070715julian_bond.jpg先週末より、デトロイトで、全国黒人向上協会 (NAACP) の全国大会が開催されている。トルーマン大統領よりはじまり、かつては大統領やその特使が参加するのが恒例であったが、それも2001年にブッシュ大統領が拒否して以来、今年もホワイト・ハウス関係者の存在はなかった。

その2001年、現会長で元学生非暴力調整委員会の運動家だったジュリアン・ボンドは、「ブッシュ政権は共和党のタリバン派(キリスト教原理主義者たち、狂信的右派の意味)と名指しで批判した。ところが、9・11直後のアメリカ社会の右傾化と、2004年大統領選挙の結果や国税庁による特別捜査の開始などを受け、公民権運動との関係のない実業界から執行委員長を選ぶなど、一時期はブッシュの方針に妥協するかのような姿勢をみせた同団体も、昨年の民主党の躍進、そしてブッシュへの支持率の低迷を受け、再度ボンドは、現職大統領への猛烈な批判を開始した。

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2007年11月04日

世にも恐ろしいひどい話 〜 続々編

サブプライムに関してまた新しい記事を読んだ。それは、「昔はレッドライニング、いまはサブプライム」と、このブログでわたしが論じたのと同じことを紹介しつつ、ひとつの具体例を挙げている。人種と住宅というと決まって名前がでる街、デトロイトの話。

住宅抵当開示法を利用したサブプライムローンの実態の調査が進むにつれ、デトロイト近郊ではこんなことが起きていた。二つの場所、それは「エイト・マイル・ロード」で隔てられているだけ。この「エイト・マイル・ロード」、地理的にはデトロイト市と郊外の境界を示すのだが、その社会的意味は、〈黒人が住んでいるところ(デトロイト市)〉と〈白人が住んでいるところ(郊外)〉の境界を示す。(エミネム主演の映画『エイト・マイル』は、したがって、彼が境界線上で生きてきたという隠喩である ── Dr. Dreは彼のことを「黒人として育った白人」と言っていた)。

そのエイト・マイル・ロードを挟んで二つのコミュニティがある。その様相を記すと

1.プリマス
   97%が白人
   所得中央値:51000ドル

2.エイト・マイル・ロードを挟んですぐ東
   97%が黒人
   所得中央値:49000ドル

1のコミュニティのサブプライム利用者:17%
2のコミュニティのサブプライム利用者:70%

さて、2000ドルの所得の違いがこのような差異を生むだろうか。この結果を生んだのは、人種別人口構成であると結論してどこかおかしいところがあるだろうか?。このニュースを報じる『ニューヨーク・タイムズ』は、黒人のサブプライム利用者は白人の2.3倍、ラティーノは2倍に達するという。

ここで急いで付け加えなくてはならないのは、黒人とラティーノに経済観念がないから、こうなったのではない。なぜかというと、

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2007年11月11日

世にも恐ろしいひどい話 〜 続々々編

サブプライム・ローンと人種に関して、さらにはっきりとするデータを発見。以下のリンクにあるPDFページ、わけてもそのなかの表をご覧ください。高所得者のなかでのサブプライム利用者は

白人:5.2%
黒人19.6%

何をか言わん。

Center for Responsible Lending

なお、以上の数値は、2004年には判明していた。対策はあきらかに後手に回っている。

2007年11月16日

黒人のミドルクラス〜実は「負け組」だった

公民権運動の圧力によって制定された諸法は、人種隔離や投票権の剥奪など法的な差別を瓦解させ、黒人のミドルクラスの社会階梯の上昇を促したと爾来語られてきた。ところが、Pew Charitable Trust の調査を『ワシントン・ポスト』紙が報じたところによると、それが神話だったことが判明した。

1968年にインフレ換算した額で5万5600ドル以上のミドルクラスの家庭の出身者のうち、下位5分の1、つまり2万3000ドル以下の所得の階層に「下降」した人びとの率は43%にのぼる。

もっとも、この報道自体、3分の2の黒人が社会階梯を上昇していったとしているし、調査したサンプルはわずか730世帯にすぎない。しかし、このデータは、歴史人類学者で黒人のオランドー・パタソンが同記事で述べているように、アファーマティヴ・アクションは中流以上のものの利益にしかならなかったとする短絡な結論の再考を促すには十分であると考える。黒人の所得中央値に至っては、1974年から2004年までの30年間のあいだに12%も減少しているのである。

2008年03月05日

「カーナー委員会」が「予備結果」を発表

ここのところ、当然のことではあるが、アメリカから伝わってくる「人種」や「黒人」に関連したニュースのほとんどがオバマの大統領選挙運動のことになっている。そこで、否、その文脈のなかで考えてみると、きわめて興味深いリポートのことを伝えたい。

下の11月12日のエントリーでも記しているが、昨年、40年前に全米の都市暴動に関して調査を行った「都市騒擾に関する大統領諮問委員会」、通称カーナー委員会が、今度は財団の支援を得て調査活動を行った。その調査の予備結果によると、この40年間の黒人の進歩、人種関係改善に関する成績はD+、つまり「合格最低点(日本でいう「可」)の上の方」というものになった。

オバマの華々しい活躍を脇に、NAACPデトロイト支部の前会長アーサー・ジョンソンは、「今日の経験から言いますと、昔と較べて顕著に良くなったと言えるところはほとんどありません」と述べている。

では、どこが特に成績評価を悪くすることに繋がったのか?。新カーナー委員会はわけても5つの点を指摘している(これは予備報告の結果であり、正式なリポートは今年中に公開される予定になっている)。

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2008年09月24日

激戦区(バトルグラウンド)からの報告(1)

「ブログを再開する」とここで宣言しつつ、それでいて一向に更新ができなかった。さて、この間、わたしはデトロイトから州際間フリーウェイで1時間ほどいった街にあるミシガン大学に引っ越した。引っ越し直後、民主共和両党の党大会があり、それをいろいろと考えるなかも、引っ越しに伴う日常生活上のごたごた、さらには入国管理に伴う書類等々のことで忙殺され、今日まで更新が遅れてしまった。申し訳ございません。

今度こそ、本気で再開する。

早速本題に入り、わたしが現在住んでいるミシガン州。ここは今回の大統領選挙での「激戦州」battle ground statesのひとつであり、この州の行方が選挙結果を左右するとも言われているところにあたる。そこにわずか1か月だが、住んで肌身で感じた実感を、伝え始めてみることにする

ところで、ブラッドレー効果という言葉は、日本のマスコミは伝えているだろうか?。ブラッドレー効果とは、1982年のカリフォルニア州知事選挙で起きた現象のことを指し、一般的には世論調査の高い黒人への支持率は「割引」して考えるべきである、ということを意味する。

この年、ロサンジェルス市長を数期務めたトム・ブラッドレーという黒人政治家が、カリフォルニア州知事に立候補した。黒人居住区、もしくはゲトーを地盤に人口統計上の多数派を形成できる都市の選挙、さらには小さな選挙区からなる下院議員とことなり、州全体を選挙区とする連邦上院議員や州知事(ブラッドレー効果はヴァージニア初の黒人州知事、ダグラス・ワイルダーに因んでワイルダー効果と呼ばれることもある)、さらには大統領選挙では白人への訴えかけにいかに成功するかが、黒人候補の当落を決定する要因となる。ロサンジェルス市長を務めたブラッドレーは、市の政治のなかですでに白人からの支持を取り付けており、カリフォルニア州知事になれる有力な候補だと目されていた。そして実際、選挙戦中の世論調査では終始彼の優位が伝えられていた。ところが実際に票を開けてみると、彼はあっさり落選してしまった。つまり世論調査の数字は彼への支持を大げさに伝えていたのだ。

では、なぜこのような現象がおきたのであろうか。その答えは、ポスト公民時代の人種関係の有り様と強い関係がある。公民権運動が、「人種主義は悪」ということ、「人種的偏見をおおやけにするのは恥ずかしいこと」という感覚を拡めることに成功したことと関係があるのだ。なお、1960年代初頭までのアメリカ南部では「黒人は差別されて当然の劣った人種である」と公言してはばからない人物が多くいた。それはこう述べることがむしろ高い識見を持っているとみなされるとんでもない制度が存在していたからである、公民権運動が砕いたのはこの制度だ。公民権運動の勝利後、この様相は一転する。事態はこうなったからだ。

電話での世論調査がこう訊いてきたとする。「あなたは黒人差別をしますか?」。これにいま「はい」と答える人間はよほどどうかしている。本当は差別をしつつも、見知らぬ他人には「いいえ」と答えるのが当たり前だ。あとで「面倒」がおきるのも防げるし。とすると、選挙戦のときに訊かれる質問

「人種がこの選挙に影響を与えると思いますか」。これは困った。黒人ならばこれに「はい」と答えても人種主義者だとは言われない。しかし白人だったらどうだろう。そして電話の声のイントネーションが黒人のように聞こえたときは一体どうする。人種関係だとわかりにくい方がいるかもしれないので、思い切って、ジェンダーで置き換えてみてみよう。女性が電話で訊いてきた。「女性に首相を務める能力があると思いますか?」あなたは女性の電話の声の主に「いやありません」と言えるだろうか。

つまり、1982年の選挙戦で世論調査の対象となった人びとのなかには、「ブラッドレーへの不支持は、〈わたしは破廉恥にも人種主義者です〉と言うに等しいと考えて、彼への支持を世論調査のときに表明したひとが少なからずいたのだ。ところが、選挙を投票するとき、誰もその行為を覗くものはいない。秘密投票は民主主義の大前提だから。

その結果、本選挙での逆転が起きた。少なからずの人が、「黒人知事」の誕生を怖れていたのである。

ミシガン州での最新の世論調査、デトロイトニュースでの調査では43%対42%でオバマがリード(全国では、9月21日のギャラップ調査、49%対45%)。これはブラッドレー効果を考えるとマケインがリードしているに等しい。

わたしの住んでいるアナーバーはフラッグシップ校の所在地であり、大学街のご多分に漏れずリベラルな街で知られている。もとよりここはアメリカの学生団体、SDSの発祥の地だ。わたしの周りには、したがって、マケイン支持者などどこにもいない。デトロイトにリサーチに行っても事情は同じ。日本ならば、ほとんどが自民党支持者のなかでいつもバカにされている社民党支持者がひとりくらいいるものだ。それがそうでない。マケイン=ペイリンの選挙戦は病的なまでに憐れである。そう思えるのもわたしがいる場所が影響しえいるのだろう。わたしがいる場所が、そう思って安全だと言ってくれているのだろう。これはとても不気味である。

2008年10月26日

バトルグラウンドからの報告(16) ── ヴァージニアとノース・キャロライナの帰趨が持つ意味

いよいよ大統領選挙もあと10日を残すばかりとなってきた。ここまでのところオバマの圧倒的有利。その勝利のあとに述べることになると、「後出しジャンケン」に近いものになってしまうので、投票日が来る前に述べなくてはならないことは急いで述べておきたい。次期大統領は、おそらく3名の最高裁判事を指名するといわれている。現在最高裁は保守派に力が傾斜していること、そして判事には任期がないということを考えると、共和党の勝利は今後約20年間の保守政治を意味し、民主党の勝利は保守からリベラルへの潮流の変化を示す。そのことを考えても、今回の選挙が将来にもつ意味は大きい。

そのことを踏まえたうえで、前の予告にしたがって、今回は中西部のバトルグラウンドではなく、南部のヴァージニア州とノース・キャロライナ州が今回の選挙で持つ意味から始めよう。

これまでの大統領選挙の結果を見ればわかる(ヴァージニア大学のサイトのなかにあるこの地図がわかりやすい)ように、1972年のニクソンの強烈な地滑り的圧勝以来ジミー・カーターが勝利者となった1976年を除き、南部は一貫して共和党の「票田」となっている。さらに重要なことに、これら共和党陣営に加わった諸州は、1968年に人種隔離の維持を訴えて民主党から離脱し、独自の選挙戦を展開したジョージ・ウォーレスの票田を継承しているということだ。

つまり、公民権運動を陰から支援し、公民権法制定の原動力となった民主党は南部から「見捨てられ」たのである。ノース・キャロライナ州のジェシー・ヘルムス、サウス・キャロライナのストロム・サーモンド、ジョージア州のニュート・ギングリッジ、ミシシッピ州のトレント・ロットなど共和党保守派は多くこれらの南部から選出されている。

ところでオバマはこれら南部諸州で圧倒的強さを示した(『ニューヨーク・タイムズ』のこの地図をみればよくわかる)。日本でその頃よく語られた表現が「黒人人口が多いこの地域ではオバマ氏の圧勝が予測されます」といったものだった。

しかし、この表現は、大統領選には通用しない。これらの州の多くで民主党は勝利を見込むことがまったくできないのである。その事情は、南部出身であったビル・クリントンでさえ、南部共和党保守派の力を崩すことができなかったことから明らかだ。

ところが南部のなかでもいわゆる「境界州」と呼ばれるヴァージニア、19世紀後半より比較的リベラルなことで知られていたノース・キャロライナは、今回バトルグラウンドとなっている。そしてオバマは、民主党予備選のとき、ヴァージニアでは64%対34%、ノース・キャロライナでは56%対42%という二桁台の差をつけてヒラリー・クリントンに圧勝した。

なぜならば、ヒラリー・クリントンは、これらの州はいずれにせよ本選挙で共和党の票田となるのが確実なため、目立った選挙戦は行わなかったのである。

この民主党予備選の地図と、世論調査の最新動向を横にしてみれば、ヒラリー・クリントンの選挙戦が本選挙をにらんで実に手堅い戦略に依拠していたのがわかる。「共和党支持州 Red State」で確実に勝利をすることでオバマは、ヒラリー・クリントンを追い込んでいったのである。だからこそ、「大統領になるのが不可避の候補」 inevitable candidate を自負していたヒラリー・クリントンは「本選挙で勝てる力をもっているのはわたし」となかなか負けを認めようとしなかった。

しかし、ノース・キャロライナ州は、10月23日の世論調査で、49% 対 46%でオバマが若干の有利、ヴァージニア州に至っては51.5% と 44.0%と、「ワイルダー効果」を踏まえてもオバマが勝てるほどの大差でリードとなっている。つまりヒラリー・クリントンが「諦めていた州」が民主党に傾きつつあるのだ。

ヒラリー・クリントンは、南部で民主党が勝つのは厳しいと目した。ここでもう少し歴史的経緯を踏まえて考えてみよう。南部で民主党が地盤を失ったのは、ほら、公民権法とその後のマイノリティ政策が原因である。そしてクリントンはまだその「失地回復」はできないと考えていた。

ところが「黒人候補」がそれを獲り戻ろうとしているのだ。これは、アメリカの人種関係、そしてそれに多く規定され続けるアメリカの政治の変化を語ってあまりある現象だといえよう。最終的選挙結果がでなければ何ともいえないところではあるが、「アメリカ政治の歴史的変化」が起きる可能性があるのだ。

政治や社会はゆっくりにしか変わらない。それを踏まえるとゆっくり変わっていくところを、政治や社会をみつめるものはじっくりと見なくてはならない。そして、いま、そして、バトル・グラウンドでゆっくとした変化が起きそうなのである。

戦後の大統領選挙で、「地滑り的勝利」 landslide victory と呼ばれた選挙は3回しかない。1964年のジョンソン1972年のニクソン1980年のレーガン、なかでも後の二つは政治は保守へ大きく振れた。現在、民主党の「地滑り」、さらには完勝 sweep という予測がなされているが、もしそれが現実になるとすると、それは大きな歴史的意味をもつことになるであろう。奇しくも共和党候補の出身州は1964年のバリー・ゴールドウォーターと同じ、アリゾナ州である。ひょっとすると、1964年と同じような地図くらいにはなるかもしれない。

2011年07月10日

黒人人口の変化(その1)——シカゴの黒人人口の「流出」が続く

先週7月3日の日曜日、拙訳の書評が朝日新聞に掲載されました。径書房でのお仕事は、わたしがまだ修士1年以来、実に16年ぶりになります。そのときは、マルコムXのアフォリズム集『マルコムXワールド』で、黒人史年表を書くという仕事でした(物を書くことで初めて収入を得たわたしにとっては一生忘れられないお仕事で、映画公開に併せた最後の追い込みは、やっていてとても楽しいお仕事でした)。同書を監修され、私を起用して下さったアメリカ文学者の佐藤良明先生も、ご自身のブログで批評とともに紹介してくださっているので、これらの内容について、いずれここで、まとめて語りたいと思います。

さて、今日は、かつてのこのブログの調子に戻ろうと思います(と、いうので文体変更)

この春頃からアメリカの新聞では黒人人口の北部都市離れが数多く報じられている。2010年国勢調査(センサス)の数値に基づいて政策が策定される時期に入ったのがその原因であるが、このような報道のなかには大都市が連邦政府から受けている助成金が大幅削減される水準にまで人口が落ち込んだデトロイトのケースなど、かなりショッキングな数値も多い。

南北戦争勃発以後、一貫して南部から北部へ、農村から都市へと動いていたアフリカン・アメリカンの人口は、1990年のセンサスで初めて「南部への回帰」とも思われる徴候が現れた。それから20年、黒人の人口動勢は、どうやらはっきりと北部から南部へ、都市中央部から郊外へと向きを変えたようだ。これはまさに「歴史的」と形容できる変化である。

このなかで、紹介したいのは、7月1日にAP通信が報じたニューヨークに関する記事と、7月2日に『ニューヨーク・タイムズ』が報じたシカゴに関する記事Black Chicagoans Fuel Growth of South Suburbsである。ここには、かつてさまざまなメディアに溢れたアメリカの都市の地景——たとえば、スパイク・リーの映画に出てくる混乱していても活気溢れるブラック・コミュニティであったり、「24時間犯罪現場密着追跡」のようなタイトルののぞき見主義丸出しのテレビの特番に描かれる黒人ゲトー——が急速に過去のものになっていっていることが現れている。

今回は、この二つのなかでも、より大きな動勢について書かれている『ニューヨーク・タイムズ』の記事について述べてみたい。

ファンクバンドのパーラメントは、1975年に、Chocolate Cityというタイトルのアルバムを発表した。このタイトル曲、Chocolate Cityは、アメリカの都市——わけてもこのアルバムにおいてはワシントンD・C——の有り様を、「チョコレート色の街とバニラ色の郊外」と表現し、チョコレート・シティで花開くファンク・ディスコ文化を賛美した。この色彩豊かな表現は、実のところ、アメリカの都市がデファクトの人種隔離状態にあったということを物語っていた。チョコレート色とは黒人の肌の色、バニラ色とは白人の肌の色を指す。

アメリカの都市、わけても北部・中西部の住宅の人種隔離に関する研究は多い(そのなかの優れた研究のいくつかは日本語の翻訳も出ている)。わけてもシカゴは、都市と黒人文化、そして黒人の社会政治運動に関心をもつ人びとの主な焦点になってきた。わたしがそこに住んでいた1990年代半ばも、おそらくその基本的構図は変わっていなかったと思う。たとえば、ループ地区の中心にあるデパート、メイシーズ(当時はマーシャル・フィールズ)の前にあるバス停に夕刻に立ち、バスに乗り込む人を見れば、それはよくわかった。北や北西に向かうバスに乗るのはほとんどがコーケージャン、対して南や西に向かうバスに乗るのはほとんどがアフリカ系だった。当時のわたしはサウスサイドの59丁目に住んでいたのだが、夜11時を過ぎると、南に向かって走ってくれるタクシーを捕まえるのに苦労したことも多い。学部学生当時にバンドを一緒にやっていた友人が遊びに来てくれたので、バディ・ガイが経営しているブルーズ小屋(Checker Board Lounge--当時はハイド・パークではなく、サウスサイドのど真ん中にあった)に行こうとして何台もタクシーに乗ったが、最終的に連れて行ってくれる運転手にめぐり遭うまでとても長い時間がかかり、さらにはそのブルーズ小屋から帰るのに電話で読んだタクシーを3時間(!)も待たなくてはならなかった。しかし、どうやらその構図に大きなとは言えなくとも、意義深い変化が現れているようだ。

シカゴ市の人口は、2000年から2010年までのあいだに、約20万人減少した。この減少した人口のうち、18万1千人が黒人である。この10年間のあいだに同市の黒人人口は、比率にして17%も減少したのだ。

『ニューヨーク・タイムズ』紙の報道によると、この人口流出を促した要因は二つ。ひとつは、日本でも予測できることではあるが、サブプライム住宅市場のクラッシュに伴う抵当物件差し押さえの増加。つまり、単純に言って、不況のため都市に住めなくなったという要因。そしていまひとつが、日本的環境ではまったく馴染みのないこと、低所得者向け高層公共住宅の取り壊しとそれに伴う住民の立ち退き(ちなみに、これはこの記事では触れられていないが、シカゴの2016年オリンピック立候補は、めずらしくループ北側の高級住宅地ゴールドコーストに隣接した地区に建設されていたカブリニ・グリーン・ホームズという「悪名高い」公共住宅を取り壊すことで可能になっていた)。低所得者という経済的階層は、この都市のなかにあっては、かなりの確率でアフリカ系を意味する。

この記事で描かれている図式は簡単に言うとこうなる。差し押さえ物件の増加と、それの低迷する住宅市場での売り出し(つまり住人のいない物件の増加)が、都市中央部(インナー・シティ)にあった中上流層向けの住宅地——2000年代初頭の住宅バブルのときに開発されていた——の魅力を乏しいものに変えた。これと同時に進行した公共住宅の取り壊しは、インナー・シティの「マイノリティが住む低所得者住宅地」にさらなる低所得者を「流入」させることになった。そこで生じたのが、マイノリティの中間層の郊外への「脱出」である。

シカゴ郊外のマッテソン Mattesonの街に、サウスサイド96丁目から引っ越してきたある人物は、こう語っている。「シカゴの市内には中間なんていうものはありません。デイレー[前]市長の政策は、ずっと噂されていたこと、つまり中間層の浸蝕政策というのがほんとうの姿だったのです。リッチになるか、プアになるか、そのいずれかだったのです」。

このようなアメリカ社会の実態は、ベストセラー『貧困大国アメリカ』でも詳述されていることであり、経済格差の拡大といったテーマ自体、今日となっては何の新規さもないものである。しかし、ここでこの記事をほんの少し詳しく見れば、ブラック・アメリカに生じていることの深層が垣間見ることができる。ほんの少し詳しくみよう、マッテソンの位置から。

イリノイ州の南、もしくはインディアナ州の側からシカゴに接近して行くと、シカゴ都市圏に入ったと思う特定の地点がある。それは、おそらく東西に走るI-80かI-94を越えて北に進んだときだ。これを越えると東西に伸びる通りの名前も急にシカゴ市中心部から続く連番が増えてくるし、ハイウェイも有料のものが現れてくる。道の両端が壁で仕切られ、場所によっては高架道になるなど、はっきりと都市に入ったとわかるようになる。しかし、マッテソンは、これより南に位置する。市民活動家だったバラク・オバマがその活動の拠点としていたアルゲルト・ガーデンズは、このマッテソンより北側、シカゴ市中心部とのほぼ中間あたり。つまり、ここは、郊外suburbというよりも、exurbや”outburb”というところに位置する。そのようなところで、黒人人口の増加率は85%に達し、19,000人の総人口のうち15,000人が黒人になった。他方、白人の人口は、4,000人から2,800人に減少しているのである。

この記事のなかで興味深いのが、移ってきた住民が、その理由に都市の荒廃をあげているところ。

ブラック・アメリカの歴史的経験を捨象して考えるならば、荒廃した居住環境を去るということに殊更不思議な点はない。しかしながら、郊外への居住が人種的偏見の壁に阻まれ、黒人がインナー・シティのゲトーに住まざるを得ないとき、彼ら彼女らにとって政治社会的に現実的な戦略は、都市の政治的権力を握ることだった。その戦略にしたがって大衆を動員するには、人種的アイデンティティを強める「ブラック・コンシャスネス」はきわめて重要だった。しかし、いまや都市の政治を握ることよりも、その地を去ることをインナー・シティの住民は選ぶことができ、現実にも選び始めたのである。

1987年、シカゴ最初の黒人市長、ハロルド・ワシントンが在職中に死去して以後、黒人がこの市の市長に当選したことはない。現職のリチャード・デイレーが出馬しなかった2011年2月の市長選では、黒人候補の当選が予測され期待されたが、「黒人の統一候補」を擁立するための話し合いも難航するなか、白人のラーム・エマニュエルが市長に当選した。この市にあって、ひとつの政治運動を形成できるほど強力な人種的紐帯は、もはや存在していない。

シカゴのこのような情況はおそらく全米の都市各地で起きていることだろう。そう考えてくると、2008年の大統領選挙で、オバマが黒人の96%もの支持を集めたという現象の方がむしろ奇異なものに思える。2012年、彼がここまで強く黒人有権者から支持される可能性は、それほど高くはない。

いささか古い言葉だが、スチュアート・ホールが〈人種〉について定義したつぎの言葉が響いてくる。

Race is a modality in which class is lived.

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