文化」というアモルファスな領域に属する音楽のジャンルの起源はどこにあるのかが定かでないものが多い。たとえば、ジャズはいつどこで生まれたか?。ブルーズはどこで生まれたか?。これに答えられるものはほとんどいないだろう。いたとしても、それはひとつの「仮説」に過ぎない。
ところがヒップホップは違う。「記録」がしっかりと残る「現代」に生まれたこの文化様式は、ニューヨーク市ウェストブロンクス、セジウィック・アベニュー1520番地で、1973年に生まれた。同地のコミュニティセンターで開催された「ダンパ」(そのときのビラは右下を参照)、DJ. Kool Hercという人物が創ったサウンドが、ヒップホップの原点である(左の写真がその場所の入り口)。
いま、その場所が変貌しようとしている。そのことは、ある意味において好ましいものなのだが、別の面では、今日の「ゲトー」で何が起きているのかを示す興味深い事例となっている(←欧米か!、典型的な欧文脈失礼!)。
ニューヨーク州では、減税と担保の一部を州政府が負担し、賃貸住宅の家賃を低く抑える政策、ミッチェル・ラマ・プログラムというものがあった。セジウィック・アヴェニュー1520番地の住宅の所有者はそのプログラムに参加していて、住民は低賃金で働く労働者(そのなかでラティーノの占める割合は高い、ここは決して「黒人ゲトー」ではない)。しかし、近年住宅市場が活況になったため、このプログラム(担保の負担は不況下においては所有者にとっても利得のあるものだった)との契約を切る住宅所有者が増加している。『ニューヨーク・タイムズ』が報じるところによると、同市でこのプログラムに参加していた住宅は1990年には6万6千戸あったのに、それが現在は4万まで減少しているらしい。
そのような環境下、今年の2月、セジウィック・アヴェニュー1520番地の所有者が、プログラムとの契約を切ると通告した。これは、具体的には、家賃を上げるということを意味する。家賃をあげるためには、もちろん、この住宅はリノベートされなくてはならないし、所有者もその意思をもっているらしい。つまり、ウェストブロンクスにも、いわゆる「ジェントリフィケーション」の波が押し寄せてきたのである。
そこで、住民たちは、いまや世界大に拡がったヒップホップ文化の発祥の地として、この地を「史跡」に指定し、そうすうすることで現在の住宅のキャラクター(貧困者が一所懸命いきる街のアパート)を保持しようとした。ヒップホップは、アフリカン・アメリカン、ラティーノたちが、貧しさと格闘するなかで生まれた文化である。その文化の徴を残すには、住宅の外観だけでなく、質も「保存」しなくちゃいけない。それが住民たちの主張だ。
しかし、環境保護や史跡保護に詳しい人間の意見では、このようなことは前例がないらしい。やはり、史跡の保存とは概観のみを指すというのだ。
でも、NHKの番組「世界遺産の旅」によると、オーストリア=ハンガリー帝国の女帝、マリア・テレジアが建設を命じたシューブルン宮殿は、世界遺産としての指定を受けているとともに、そのなかの質も「保存」されているらしい。この宮殿の一部は、第1次世界大戦後の帝国の解体と社会党政権の誕生によって、国を真に支えている労働者に開放され、いまもそのときに住み始めた労働者階級の人びとの子孫が住んでいる。
1973年8月11日、DJ. Kool Herc は、妹が学校に行くための服を買ってやるために、パーティを開催した。それがヒップホップの誕生の瞬間。この文化は、一所懸命生きる人びととコミュニティが創りだしたものである。ニューヨーク市やニューヨーク州に、その気があれば、このセジウィック・アヴェニュー1520番地の住宅は、ヒップホップを誕生させた環境とともに「保存」することが可能ではないのだろうか。