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選挙 アーカイブ

2000年01月13日

大統領選挙で何が起きたのか?!

みなさんも2000年の大統領選挙での大騒ぎのことはご存じだろう。あの騒ぎが起きている最中、なんとアメリカはユーゴスラヴィアに「選挙監視団」を送っていたから大変である。これは一見笑える事態だが、実のところ笑える話ではない。なぜならそこに賭されているのは人権だからだ。

この騒動は、結局、事実上大統領選挙当選者を連邦最高裁が選ぶというとんでもないことになった。ここで法理論・憲法理論をこね回す必要はない。はっきりしていることは一つ。アメリカの主権は人民にあるのではなく、連邦最高裁にある、ということだ。民主主義とは何も難しいものではない。フェアな手続き、これこそが根幹であり、すべてはこれを基礎に判断されねばならない。ならば、投じられた票が、機械が古くて数えられない、そのうえなお2度目のカウントは行ってはならない、これがフェアな手続きを踏んでいると言えるのか。ユーゴスラヴィアに「監視団」なるものを送る余裕があるのならば、フロリダに「監視団」を送るべきだ。ミロシェビッチの首を狙って爆弾を落とし、その結果、セルビア人の虐殺に は何の関係もない市民を巻き添えにするというまずい軍事作戦をとるくらいならば、フェアな手続きを保証しようとしないフロリダ州知事、ジェブ・ブッシュの首をはねろ。(ちなみに、はっきりしておく、ジェブ・ブッシュは、今回の選挙の「勝者」、ジョージ・ブッシュ・ジュニアの弟である)。

連邦最高裁はこれまでもとんでもない判決を何度も出してきた。その多くが、そう、〈人種〉が関係した問題である。その過去のアホな判決に興味のある人は、ここをクリックしてもらいたい。ここでは今回の判決がどれだけアホなのかを簡単に纏める。

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2004年06月17日

大統領選挙世論調査

『ワシントン・ポスト』紙とABC放送の合同世論調査によると、黒人のあいだでのジョージ・W・ブッシュの支持率は、6%という低水準。この数値は、共和党大統領候補として史上最低の支持しか黒人から得られなかった2000年大統領選挙での8%よりさらに下。

なお、民主党から大統領候補として指名されるのが確実なジョン・ケリー上院議員に対する黒人の支持率は、79%。

この民主・共和2大政党候補に対するこのようなトレンドは大体予測できたが、ここで気になるのは、黒人でも増えている「無党派層」。(2002年にJoint Center for Political and Economis Studiesが行った調査では、24%に達し、その率は年齢が若ければ若いほど高まる)。

2004年06月24日

2000年大統領選挙

『サンフランシスコ・クロニクル』紙は、黒人やラティーノを中心に大規模な選挙権剥奪が起きた2000年大統領選挙の回顧記事を掲載。そこで改めて、前回の選挙で技術的問題からカウントされなかった票の過半数以上が黒人が多数の選挙区のものであったという事実を指摘する。

その後、紙に書いた投票用紙のカウントから、タッチ・スクリーン方式に変える「ハイテク導入」がなされているようだが、同紙はそこにおける問題点も指摘している。2000年のフロリダ州でおきたような、警官による投票妨害が再発する危険性をタッチスクリーンは回避できないということ。

この見解にわたしは同意する。

2004年06月26日

政治家、宗教界のリーダー、さらにはギャングまで集合

シカゴ、6月25日の夜、ジェシー・ジャクソン・ジュニア(連邦下院議員)、ボビー・ラッシュ(同じく連邦下院議員で元ブラック・パンサー党シカゴ支部の副議長)、イスラーム、キリスト教の宗教界のリーダー、さらにはギャングのリーダたちが会合を開いた。目的は、黒人青年が直面している苦境への対処法を議論すること。

昨年、わたしはアメリカ史研究会において、アメリカでの「監獄社会」の誕生について、時間の都合上短くなったが報告を行った。(報告ハンドアウトはhttp://www.fujinaga.org/を参照)。この会合の報道によると、わたしが黒人青年の苦境を調査したときよりさらに悪化している。

シカゴ都市圏において、16歳から22歳までの黒人青年のうち、学校に通ってもいなければ、雇用もされていないものの率は過半数を超えている。また、高校までが義務教育であるアメリカにおいて、高校を卒業できていないものの率は、38%にのぼる。

ここにて悪循環は完結する。80年代以後の産業構造の転換(リストラクチャリング)以後、都市圏で増加した職は、高学歴を要する専門職か、地位の上昇がのぞめない雑役労働かに限られている。

高校を出ないから仕事に就けないのか、それとも、仕事に就けないから高校にいかないのか。そんなことを考えるあいだに、危機的情況がそのまま放置されている。

この会合が有意義に終わることを祈る

2004年06月30日

ジョン・ケリーの選挙戦

民主党から大統領候補に指名されることが確実になっているジョン・ケリー上院議員が、黒人票獲得に向けて動き始めた。

この6月は、アメリカ南部の人種隔離制度に終止符を打った公民権法が議会で可決されてから40周年にあたる。ジェシー・ジャクソンが長を務める団体PUSH/Rainbowが開催した記念集会にケリーが参加。

それでも彼の選挙戦に対する黒人からの不満の声は多い。わけても前の二人の候補、クリントンとゴアが、南部出身ということもあって、選挙戦の枢要な位置に黒人を登用していたのと比較され、候補側近に黒人がたった一名しかいないという点は、しばしばケリー批判として聞こえる声だ。

さらに、ケリーは、PUSH/Rainbowの集会で、2500億ドルの予算を高等教育の特別予算とし、貧困家庭出身者が大学に進学しやすいようにするとの公約を語ったが、わたしはいま最も切迫している黒人の情況に、この施策の効果は乏しいと思う。より重要なのは、ほぼ教育機関として成り立ってさえいない、初等中等教育の改善にある。

他方のブッシュは、コンドリーザ・ライスとコリン・パウエルの登用を、「黒人に対して開けた共和党」のシンボルとして喧伝してきた。しかしながら、過去3年間、ブッシュは、黒人から実際に支持を得ている公民権団体の指導層とは一切会わなかった。

とすると当然、ブッシュよりは「まし」という声があがることになる。しかしブッシュより「まし」でない候補などいるのだろうか?

2004年07月11日

フロリダ州当局、ついに2000年大統領選挙の投票権剥奪を認める!

7月10日、フロリダ州当局が、2000年の大統領選挙において、重犯罪の前科のあるもの/重犯罪で服役中のものから投票権を剥奪することを規定している法により、犯罪者に占める率に不釣り合いなかたちでアフリカン・アメリカンの投票権を剥奪していたことを認めた。

このような手法により投票権を剥奪された黒人の数は2万2千人にのぼる。対して、選挙戦の勝利を最終的に決めたゴアとブッシュとの票差はわずか537票。

アフリカン・アメリカンの9割以上がブッシュ支持者。

しがたって、至極簡単な計算で、ブッシュの当選の正当性を疑問に付すことができる。

今年ブッシュがイギリスを訪問した際、ロンドン市長は「正当な手続きによって民主的に選ばれたのではなく、一種のクーデタによって政権を奪取したものを市の賓客として迎えるわけにはいかない」と言い放ち、会見を拒否した。市長の勇気に拍手!。

なお、7月11日付けの『ニューヨーク・タイムス』は、重犯罪者から選挙権を奪うことは投票権法に抵触するという見解を社説にて発表している。

2004年07月15日

フロリダの票計算、まだ改善されず

14日付けの『ニューヨーク・タイムス』によると、前の大統領選挙で多くの黒人票がカウントされなかったフロリダの選挙制度改革はまだ終わっていないらしい。問題は以下の2点。

(1)タッチスクリーン式にするのだが、投票をした事実のハードコピーはどこにも残らない。したがってデータの改竄も極めて容易にできる

(2)多方面から批判を浴びた犯罪の前科のあるものから投票権を奪うことについて何一つ改善はなされなかった。

なお、(2)の件については、連邦公民権委員会が公民権法違反の疑いがあるとして調査を開始する模様。

2004年07月16日

連邦公民権委員会、フロリダ州の調査開始

20040716mary_francis_berry.jpgかつてよりマイノリティを不当に扱っていると問題が指摘されているフロリダ州の大統領選挙投票手続き・基準に対し、15日、連邦公民権委員会が正式に調査に乗り出すことを発表。

なお、この機関は、法の執行権限は持っていないが、各省とは独立した団体である。したがって、「人種主義者」であり、「公民権侵害を恥も外聞もなく実行している」と悪名が高い、ジョン・アッシュクロフト司法長官が「介入」する権限はない。ちなみに委員長は、クリントンが任命したメアリー・フランシス・ベリー。

公民権委員会がどこまで調査し、是正を求められるかはさておき、事前にここまで注目が集まれば、少なくとも2000年大統領選挙「級」の露骨な投票権侵害は防ぐことができるのではないだろうか。

2004年07月22日

Patheticなブッシュ選挙戦

20040722don_king.jpgNAACP年次大会への招待を拒絶したブッシュは、黒人票を掘り起こすために特別委員会を結成した。ところが、驚きは、その委員会のメンバー。

なんとドン・キングがいるのである。写真の髪型をみれば、ああ、この人、と思われる方は多いだろう。

が、念のため解説しておきます。

ドン・キングは、モハメド・アリのファイティングマネーを巻き上げ、民事訴訟で敗北した人物。ドン・キングは、マイケル・ジャクソンからギャラと印税をせしめようとして失敗した人物。悪名高い詐欺興行師。(アリを初めとするボクシング界での詐欺行為に関しては、右の拙訳が詳述している)

さらに、ドン・キングは、マルコムXの友人であったコンゴ共和国の初代首相パトリス・ルムンバを殺害し、クーデタで政権を奪取、同国を現在に至るまで苦しめることになる腐敗政権の始まりを期した人物、独裁者モブツ・セセ・セコの友人。ドン・キングは、アジアでは、マルコス元フィリピン大統領の友人。

ドン・キングは独裁者が大好き。

周知のとおり、ブッシュは、イラクの独裁者から追放するといって戦争を起こした。またまた彼の論理は破綻をきたしている。

何はさておき、ドン・キングの方が、NAACPより、黒人コミュニティで支持を得ているとたいへんな勘違いをしている。しかし、共和党幹部のなかに、まともな政治学・社会学のトレーニングを受けたものはいないのだろうか。

ブッシュの選挙戦はpatheticだ。

2004年08月30日

60年代以前に戻ったフロリダ

『ニューヨーク・タイムス』紙のコラムニスト、ボブ・ハーバートの報告によると、フロリダで投票権を行使した黒人市民に対する露骨な嫌がらせが開始されているらしい。

その発端となったのが、オランドー市市長選挙。黒人住民が、不正の不在者投票を行ったとして、州警察の捜査の対象となった。

ここで問題は3つある。

・フロリダ州は武装警官を動員し尋問を行っている。

・しかも、いきなり住民の自宅を訪ねている。フロリダ州の考えでは、家を訪ねた方がよりリラックスした雰囲気で取り調べができるそうだが、勘違いも甚だしい。60年代以前、黒人の投票権行使を「合法的」に防止するために、このような「嫌がらせ」は頻繁に行われた。しかも今回捜査の対象となっている黒人市民の多くは、60年代以前の南部を憶えている老齢者が多い。このような嫌がらせを受ければ、次に投票権を行使するには強い意志と勇気が必要となる

・フロリダ州当局は、『ニューヨーク・タイムス』紙に対し、オランドー市市長選挙の件の捜査は終了したという書状を出している。ならば現在行われている捜査は何のため?

なお、フロリダ州は、2000年大統領選挙で大規模な選挙権剥奪が起きたところ。その結果、ジョージ・W・ブッシュは大統領に「当選」した。

その州の行政の長、州知事は、ジョージ・W・ブッシュの弟、ジェブ・ブッシュ。

2004年09月13日

黒人の投票権

民主党大統領候補ジョン・ケリーは、黒人のCongressional Black Caucusの集会に招待され、2000年大統領選挙と同じく、来る選挙でも重要な州のいくつかで黒人の投票権が共和党によって不当に剥奪される可能性があると示唆。他方、共和党のブッシュも同集会に招待されていたのだが参加を拒否、ケリーの発言に対しブッシュの選挙参謀は「9・11テロ記念会合への出席のため多忙」を理由にコメントを避けた。

出典:『ニューヨーク・タイムズ』

2004年09月15日

公民権運動の英雄復活!

『ワシントン・ポスト』が報じたところによると、ワシントンD・Cで行われた市議会議員の民主党予備選で、同市の最も貧困な地区、第8区の住民は、1960年代には学生非暴力調整委員会SNCCの活動家であった公民権運動のヴェテラン、マリオン・バリーを選出した(2位になった候補の2倍以上の得票)。

バリーは、かつて同市の市長を務めていたことがある。しかし、FBIの麻薬捜査班のおとり捜査に「ひっかかり」、マリファナを買うところをビデオに録画され、そしてそれが公開され、スキャンダルにまみれたかたちで、市長職を辞職した。違法薬物取引に関しては、実刑判決を受け、その刑期を終えている。

刑期を終えたのち、彼は市会議員に立候補し、最初の復活を果たした。しかし、今度は汚職の問題で糾弾され、再選を果たせなかった。

したがって今回のバリーの当選ーーワシントンD・Cの民主党員は共和党員の10倍に達するーーは、彼にとって2度目の「復活」になる。彼が「草の根」レベルで圧倒的な「人気」を持ち続けていることの証左だ。

1960年代、彼は極めてラディカルで献身的な青年活動家だった。そのイメージは、多かれ少なかれ、現在の彼の衰えない人気につながっているはずだ。今度こそ、その「イメージ」を現実にして欲しい。第8区の人びとの「人気」に、何よりもまずこたえて欲しい。

なお、選挙戦の争点は、ワシントンD・Cにメジャーリーグの球団を誘致できるスタジアムを建設するか否かだった。バリーは、スタジアム建設よりスラムの環境改善を主張し、当選した。ところが、ご存じの方も多いと思うが、ついこのほどモントリオール・エキスポズがワシントンD・Cにホームを移転することを発表した。有権者の投票による意思表示など政治家は構っていないようだ。どこかの国とそっくりである。

2004年10月03日

黒人の投票権

『ワシントン・ポスト』によると、キング牧師の夫人、コレッタ・スコット・キングが、オレゴン州ポートランドで開かれたNAACPの会合に出席し、刑期を終えても選挙権を剥奪している州を批判した。なお、このような方法により、全米6州で黒人男性の4分の1が「合法的」に選挙権を剥奪されている。他方、刑期中のものにも投票権を与えているのはオレゴン州とメイン州のみ

2004年10月05日

「黒人票」の消滅

ヴァージニア州リッチモンドの市長選が面白い。

リッチモンドでは市議会が市長を任命する制度が過去50年のあいだ続いていた。(これはアメリカの地方政治では珍しいことではない)。今年、それが直接選挙になった。

現在、最有力候補とされているのが、南北戦争直後の「再建期」を除くと、1989年に黒人として初めて州知事になったL・ダグラス・ワイルダー。

知事に当選するには、人口上アメリカの多数派である白人票の獲得が不可欠である。ワイルダーが知事の経歴をもっているということは、彼が人種の壁を越えた訴求力をもっているとともに、黒人の「特殊利益」だけを追及する政治家ではないということも意味する。

そんなワイルダー当選に対抗しているのが黒人市議会議員。彼ら彼女らは、9人の定員のうち5つの席を占めている、そうなっているのもリッチモンドという都市内では黒人が多数派だからだ。

ここで興味深いのが黒人市議会議員の主張の論理。「市長直接選挙は、黒人の票の力を弱めることにしかならない」。ここには選挙区、つまり居住区が人種によって隔てられているアメリカの地政学が映し出されている。彼ら彼女らにとって、黒人が白人に統合されることは、彼ら彼女らの「地盤」の破壊を意味する。彼ら彼女らの政治活動とは、黒人の「特殊利益」を主張すること。

しかし黒人のワイルダーは来る11月の当選を「確実」なものにした。

このようなリッチモンドの事情は、黒人は多種多様な政治的指向性を、もはや「黒人票」なるものは存在しないことを如実に示している。黒人が特定候補に圧倒的支持を与える時代は急速に昔のものになりつつある。

出典:『ニューヨーク・タイムズ』

2004年10月10日

シャープトン、ジャクソン、ケリーを支持を確認

前回の大統領選の勝者を決めた場所、フロリダ州マイアミのバプティスト教会で、ジェシー・ジャクソン、アル・シャープトンとともに、ジョン・ケリー大統領候補が説教壇に立った。

シャープトンは今回の民主党大統領予備選挙に出馬している。そして彼のケリーに対する姿勢は、かならずしも明確なものではなかった。他方、ジャクソンは、ハワード・ディーンヴァーモント州知事を支持し、同じくケリーへの姿勢は明確ではなかった。さらに、彼がシャープトンを支持しなかったことは、黒人指導層の分裂を物語っていた。

大統領選挙終盤に入り、遅ればせながら、黒人指導層がケリーへの支持を明らかにした形である。

しかし、いずれにせよ大多数の黒人は民主党支持であるし、問題は、彼ら彼女らが何の妨害もなく投票することができ、投票した票が正確に数えられること、その法的・制度的整備を急ぐべきだろう。もはや投票日まで1か月もないのだが…

出典:『ニューヨーク・タイムズ』

2004年10月29日

国税庁、NAACPを「捜査」

ジョージ・W・ブッシュが、公民権団体NAACPの年次大会の招待を拒絶し、NAACP幹部から批判されたことについては、このブログでも伝えてきた。

信じられないが、どうやらその「ツケ」がまわってきたようだ。

NAACPはNPOとして登録されており、それゆえに政治活動はできないことになっている。10月29日、国税庁は、NAACPが法律で禁止されている政治活動を行ったとして、捜査を開始した。

問題となっているNAACP大会は6月に開催されているのに、大統領選挙投票日のわずか4日前にである!。

NPOという概念は日本では新しいが、アメリカでは古くから存在する非課税非営利団体の規定である。NAACPは、これまでも何度も、公民権政策に敏感な民主党候補の支援活動を行ってきた。しかし、それが問題となって捜査対象にされたことは一度もない。

また政府から政治活動をなかば「強要」され、それに従順にしたがったこともある。冷戦の時期、共産党活動家を団体から追放したのだが、ある政治信条を叩き出す行為を「政治活動」と言わず何と言おう。だが、このとき、国税庁は何もしなかった!。

以下にNAACP執行委員長ジュリアン・ボンドの声明を緊急掲載する。

「NAACPは、政策論議をしたのであり、政治活動をしたわけではありません。大統領選挙投票日前夜にNAACPを黙らせてしまえ、これはそんな行為にほかななりません。なぜなら、アフリカン・アメリカンの有権者登録に関していえば、わたしたの団体がもっとも活発に行動してきたというので有名だらからです。明らかに、これが国税庁のなかの誰かには気に入らなかったのです。大統領の批判は許されない、とか、大統領は無謬であるとかいった類のことが現実になるとすると、それはジョージ・オーウェルが描いた全体主義国家と同じになります」。

ボンドとまったく同意見である。わたしはいまアメリカで起きていることがまったく信じられない。


2004年11月06日

Sean "P. Diddy" Comb 政界へ

20041106combs.jpg
Sean "P. Diddy"は、今回の大統領選挙で黒人の有権者登録を促進するために結成した組織、Citizen Change (民主党支持)の活動を継続させると発表

今回の選挙で高まった、黒人青年層の政治への関心を維持し、将来の政治・社会の変革の力にすることが目的、と言明。

2004年11月10日

公民権運動とヒップホップ

20041110andy_young.jpg1960年代、キングの「右腕」として活躍したアンドリュー・ヤングが、『アトランタ・ジャーナル・コンスティチューション』に投稿した記事で、今回の選挙におけるヒップ・ホップ・アーティストの活動を大々的に評価。わけても、ラッセル・シモンズのHip Hop Team Vote Initiativeと、前にこのブログで伝えた、P Diddy CombsのCitizen Charge Campaign。

なお、政治的無関心が心配されていた黒人青年の投票率は、この大統領選挙で急上昇。18歳から29歳までの青年の半分が投票に赴いた。2000年と比較すると、実数にして、460万の増加。

このたびの結果の悔しさを胸に、2008年を待とう!

2004年12月07日

民主党、オハイオ州での選挙権剥奪調査開始

大統領選挙が終わって約1か月、オハイオ州当局が同州での選挙結果の最終集計を発表したあとになって、民主党が同州での選挙権剥奪、投票妨害に関する調査を開始すると発表した。

問題となっているのは、黒人人口の多い大都市クリーヴランド近辺の諸郡。2000年大統領選挙と酷似したケースは、開票時より報道されていた。

なお調査開始にあたり、民主党は「選挙結果に疑義を呈するのではない」と断っている。なぜそのような断りをしながら、今頃になって動くのであろうか、まったく不思議である。

2004年12月23日

このページは、自作ブログに移行しました。

昨年の共和党大会、一昨年の2月に反ブッシュ外交デモの中心となった団体 United for Peace and Justice が、新しい議会の会期が始まる1月3日にあわせ、今回投票権の問題が浮上したオハイオ州の州都と首都ワシントンにて、選挙結果に抗議する集会を開くと発表。

ジェシー・ジャクソンら黒人「指導者」、マキシーン・ウォーターズら黒人連邦議会議員も、ワシントンでのこのデモに参加する意向を発表

2005年03月16日

ムフーメ、連邦上院議員に立候補へ

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このブログではこれまで幾度か登場してきている元NAACP会長のクウェイシ・ムフーメが、ボルチモア州から、2006年の連邦上院議員に立候補することを表明した。

彼は、NAACPの会長になる前には、同州の連邦下院議員の職を務めていたし、黒人連邦議会議員連盟の会長を務めたこともある。

しかし、この度は、状況が大きく違う。

下院議員は州を細分化した小選挙区をつくり、議員を州の人口に比例して割り当てる方式をとっている。したがって、その有権者の姿は、たとえば「都市部」だとか、たとえば「農村部」だとか、極めて同質性が高いものになる。事実、ムフーメは、都市部のボルチモアから選出されていた。

都市部でのマジョリティは、現在、アフリカン・アメリカンとラティーノよりなる。したがって、アフリカン・アメリカンが議員になれる確率は、アメリカの居住区が現在のように「人種」によって分断されているかぎり、極めて高いことになる。

ところが上院は州全体がひとつの選挙区である。アフリカン・アメリカンは、アメリカのどの州にあっても、マイノリティだ。したがって、上院議員選挙に勝つためには、人種の壁を越えた連帯をつくりだすことが必要不可欠だ。より明確に言えば、白人票を取らなければ、選挙に勝利できないのである。

今のところ、南北戦争直後に上院議員が「指名」されていた一時期を除き、この職に黒人が当選した前例はない。

報道によると、ムフーメの「根回し」は順調に進んでいるらしい。2006年が楽しくもあり、心配でもある。

2005年09月15日

ニューヨーク市長選挙で非ラティーノ白人が少数派に

11月に実施されるニューヨーク市長選挙で非ラティーノ白人ーー一般に言う白人ーーが、ニューヨークの歴史上初めて、少数派になる。

これまでずっと過半数を占めてきたいわゆる「白人」の率は、01年市長選で52%、04年大統領選で51%と漸減を続け、つぎには遂に48%になる。

これで過半数以上のブロックを形成する人種、もしくはエスニック・グループは存在しなくなった。

アメリカのいくつかの都市ーーデトロイト、クリーヴランドなど主に中西部ーーでは、1980年に同様の現象が起き、そのときには黒人が多数派を形成した。しかし、ニューヨークの場合、過半数には達しないが、比較多数を構成する集団は、ラティーノになる。

問題はこの「ラティーノ」というカテゴリ。スペイン語を話す中南米出身者を一般的に指示するーーヒスパニックと同じーーであるが、この集団の政治的傾向は著しい多様性がある。たとえばマイアミのキューバ系は共和党の支持母体である。他方、ロサンゼルスのチカノ(メキシカン・アメリカン)は民主党リベラル。

ニューヨークでは、キューバ系でもチカノでもなく、プエルトリカンがこの集団内の多数派であり、事実、民主党候補に指名されたのはサウス・ブロンクス出身のプエルトリカン、フェルナンド・フェレール。

他方、近年の投票傾向は、人種やエスニシティよりも経済的位置によって決まる方向に進んでいるという指摘もある。つまり、住宅所有者であれば、黒人であっても、ラティーノであっても、アジア系であっても、白人であっても、共和党を支持する確率が高まってきているのである。

昨年、ロサンゼルスでは、史上初のチカノ市長が誕生した。他方、ニューヨークの歴史上初めて黒人として市長となったデイヴィッド・ディンキンスは、「最初で最後の」と呼ばれることさえある。

なぜならば、人種、エスニシティ内部での多様性が近年強まっているからだ。事実、ジュリアーニからブルームバークへと共和党市政が続いたニューヨークであるが、黒人からほとんど支持されることのなかったジュリアーニと異なり、黒人のブルームバーク支持者は増加する傾向にある。

もはや白人が多数派でなくなったときにいったい何が起きるのか、これは近未来に起こることの踏まえた仮説として問われてきたことだが、今やそれが現実になろうとしている。

なお、黒人指導者アル・シャープトンは、フェレール支持を表明した。

結果が注目される。

2005年10月03日

ニューヨーク市長選挙〜分裂する黒人世論

11月に行われるニューヨーク市長選挙は、共和党から現職のマイケル・ブルームバーグ、民主党からはフェルナンド・フェレールが立候補することになった。

今回の選挙でユニークなことは、フェレールがプエルトリコ系であるということである。一般的にヒスパニック・ラティーノと呼ばれる集団は、スペイン語を母語とすることを共通の特徴とするのみで、その政治的志向性は内部で大きくことなる。したがって、選挙や狭義の政治を議論する場合、この統計上の集団をひとつのグループとして考えない方が良いが、それでも近年のラティーノ人口の急増により、もはや黒人は最多のマイノリティの地位を完全に失った。

ここでさらに注目すべきは、近年、アフリカン・アメリカンの内部でも政治的傾向が変化しつつある。依然圧倒的に民主党が支持されていることに代わりはない。しかし、極めて多様なニューヨークにおいては、もはやアフリカン・アメリカンだからといって、フェレールを支持し、投票するとは限らないのである。

たとえば、現在進行中の選挙の「前哨戦」にあって、市民活動家で2004年民主党大統領予備選挙にも立候補したアル・シャープトンはフェレールの支持を表明している。しかし、ハーレムでもっとも政治力のある教会、60年代はアダム・クレイトン・パウエル・ジュニアが牧師を務めていた、アビシニアン・バプティスト教会の現牧師はブルームバーグを支持している。

これは、アフリカン・アメリカンから一桁代の支持率しか得られなかった共和党の市長、ルドルフ・ジュリアーニの頃ーー90年代、警官による過度の暴力や人権蹂躙を擁護し続けた彼のことを、アフリカン・アメリカンの運動家は彼のことを「アドルフ・ムッソリーニ」と呼んだーーと較べるならば、極めて大きな変化である。

11月、アフリカン・アメリカンの票がどちらに傾くかは予断を許さない。

2005年10月07日

ヒップ・ホップ界がネイション・オヴ・イスラームと共闘へ!

この10月15日は、ネイション・オヴ・イスラームのリーダー、ルイス・ファラカンが呼びかけで実施され、予測を上回る人びとを動員したMillion Man Marchの10周年になる。参加者を黒人男性に限定したことで、セクシズムとの批判を受けた運動ではあったが、今日から振り返ってみると、アフリカン・アメリカンのアクティヴィズムが見られた直近で最大のイベントになっている。

その10周年にあたり、the Millions More Movementが結成され、以前のMarchには批判的だったアンジェラ・デイヴィスらが幹部を務めるBlack Radical Congressでさえも運動への参加を訴えている(もちろん、それには、セクシズムを乗り越えたという事実があってのことではあるが)。

そして、さらには今度はヒップ・ホップ界が、行進参加への呼びかけを行った。契機は、そう、このブログでも伝えてきたハリケーン・カトリーナが引き起こした災害である。Jay-Zは、このブログで紹介した発言を実行に移したのだ!。

彼のほかに呼びかけに参加しているアーティストは、有名な人間のみ挙げて、以下の通り:

Reverend Run, Sean Diddy Combs , Damon Dash, Jermaine Dupri, Kanye West , Ludacris, LL Cool J, Queen Latifah, Common, Wyclef Jean, Missy Elliott , Foxy Brown, David Banner, Snoop Dogg, Ice T , Jim Jones, Juelz Santana and Jha Jha of the Diplomats, Master P, Juvenile, Erykah Badu, Questlove of The Roots, MC Lyte, Fab Five Freddy, Biz Markie, Kid Capri, Cassidy, The Wu Tang Clan , Xzibit, Tony Austin, Humpty Hump, the Ruff Ryders, dead prez, Russel Simmons.

2Pacとビギーが好きな人はご存じだろうが、前のMillion Man Marchのときは、まだウェストコーストとイーストコーストの「ラップ戦争」が起きる以前であり、彼ら二人をフューチャリングしているテイクが録られた。これは、ヒップ・ホップが好きな人間にとって、"We Are the World'でのマイケル・ジャクソンとスプリングスティーンの共演を凌ぐ価値をもつものである。

さあ、じっくり今回の呼びかけを行っている人をもう一度ご覧くだされ!。ウェストコーストのSnoopとイーストコーストのPuffyの名前がある!(詳細は、http://www.millionsmoremovement.com)

そしてまた、これは単なるエンターテイメントではなく、強烈なメッセージをもった政治運動である。彼ら二人が台上に立つのも興奮するだろうが、ワシントンD・Cのモールに集まる人びとの光景の方がもっと人びとを奮い立たせるだろう。15日、そこにどれだけの人びとが集まるであろうか。

多くの職員を解雇せざるをえない立場に追い込まれたネーギン市長の悔しさを忘れずにいよう。そのうえで、さあ、Keep On Moving, Move on Up!。

募金お願いします。
http://www.jrc.or.jp/sanka/help/news/817.html

2005年11月06日

ニューヨーク市長選挙迫る

いよいよ7日にニューヨーク市長選挙が迫ってきた。もうテレビ討論会も終わり、実質上の選挙戦が終了した。

もっとも最近の世論調査では、現職で共和党のブルームバーグが、初のプエルトリコ系候補で民主党のフェルナンド・フェレールを、59%対31%の大差でリード。大きな狂いやハプニングがない限り、ほぼ勝敗は決まってしまった。

ラティーノ(ヒスパニック)という「人種」集団は、政治的には多種多様な傾向をもつ(共和党右派のキューバ系、民主党リベラルのチカノ・プエルトリコ系、等々)ので、フェレールが人種意識に訴えることはもとより無理だったのだろう。

さらに興味深いのが黒人票の行方。

なんと1936年以来初めて、共和党支持が上回っているのである。(ブルームバーグ支持51%、フェレール支持42%)。

「警察暴力」や「人種別プロファイリング」を「野放し」にした前職のジュリアーニと異なり、ブルームバーグは共和党のなかでも「中道」に位置していた。それが強い影響をもったのは否めない。しかしそれ以上に、もはや黒人という集団が、内部に多様な差異を抱えるようになってしまったため、共和党保守派流の小さな政府志向を強める人びとが増えてきたのだろう(ライスやパウエルのような人びとが、ここですぐに思い浮かぶ)。

たとえば、ハーレムの目抜きどおり、125丁目の地下鉄駅で、フェレールは、元市長で黒人のデイヴィッド・ディンキンズ、市民活動家アル・シャープトン、黒人女性でブルックリン区長のC・ヴァージニア・フィールズとともに演説を行ったらしいが、立ち止まる人びとは少なく、かえって迷惑と思われたという話が報道されているくらいだ。かつては、白人候補がハーレムを訪れるだけで話題になった。それはもう遠い過去の話になりつつある。

さて、月曜日いかなる結果が出るだろうか。

2005年11月15日

ニューヨーク市長選挙結果

ご存じの方も多いだろうが、ニューヨーク市長選挙では共和党現職のマイケル・ブルームバーグが勝利した。しかも、2位になった民主党フェルナンド・フェレールに得票率で20%もの差をつける圧勝で終わった。

興味深いのが、人種別の投票の動向。3期前のニューヨーク市長選挙で、共和党候補のルドルフ・ジュリアーニは黒人票の約5%しか獲得できなかった。それに対し、今度の選挙では、ある分析結果によると、ブルームバークは、黒人票の半数近くを獲得したという。

さらには、ブルームバーグはプエルトリコ系のフェレールに流れるとみられたラティーノ票の30%も獲得している。

これは選挙前の予想がそのまま当たった形になった。

人種やエスニック集団内部の多様化が進んだため、もはやこれらの人間の属性は政治行動を予測できる決定的な因子にはならなくなっている。

さて、ここで相反する二つの展開が見えてきた。メキシコ湾岸地区のハリケーン被害の際には、世論が人種によってまっぷたつに分かれているのが判明した。今度は、人種が政治行動を決定しないことが判明した。

ここでせめても確実にわかることは、多人種社会のアメリカはいま岐路に立っているということである。

2006年02月01日

コレッタ・スコット・キング逝去

20060201corettaking日本時間22時31分、公民権運動が生んだ巨星のひとりがまた亡くなりました。あまりにも続く訃報に、かなり強いショックを私は受けています。

キング博士の夫人で、キング博士暗殺後は自分自身が活動に身を投じた人物であるコレッタ・スコット・キングが、カリフォルニア州サンディエゴから20マイルほど南、メキシコにあるホスピスで息を引き取りました。享年78。

キング博士の「右腕」で国連大使やアトランタ市長を務めたアンドリュー・ヤングがテレビ番組で語ったところによると、コレッタ・スコット・キングは、眠るように息を引き取ったそうです。昨年の8月に脳梗塞で倒れ、その後は、1月初めにチャリティ会場に姿をみせたのみ、今年のキング・ホリデイの祝典も欠席していました。

彼女は、「偉大な指導者」の妻「だけ」だった存在ではありません。キング博士が凶弾に倒れたわずか3日後、博士がそのときに従事していたメンフィス清掃労働者のデモ行進の先頭に立ち、周囲を驚かせたのは彼女です。その後、夫が創設した公民権団体、南部キリスト教指導者会議だけでなく、全米女性機構の理事も務めました。

トゥーキー・ウィリアムスの処刑があった今日から考えると、極めて意味深長なことに、自分の夫を殺害した廉で死刑判決を受けたジェイムス・アール・レイが求めていた再審請求を支持したのです。復讐ではなく真実を求めている、そう語り。

ジョージア州知事(白人)の判断で、ジョージア州は、彼女の告別式が行われる日まで、半旗を掲げます。

かつてイギリスのセントポール大聖堂で説教を行ったときに彼女はこう語りました。「今日の世界にみられる悪、破壊された秩序、混乱を前にすると、多くの人が絶望感をもちます。しかし、わたしには、あらたな社会秩序とあらたな時代の夜明けが見えるのです」。

キング博士も、暗殺される前日に、同じようなことを言っていました。いま、二人は「約束の地」で出会っているでしょう。

コレッタ・スコット・キングの冥福を祈ります。

2006年02月06日

ニューオーリンズ復興ニュース4〜市長選挙

4月22日、ニューオーリンズ市長選挙の民主党予備選挙が開催される。圧倒的多数が民主党員である同地においては、これが実質上の選挙に等しい。

ハリケーンが堤防を破壊して以後、地方都市の市長としては類稀なメディアの関心を集めていたネーギン市長が、ここで苦境に立たされている。黒人の多くが同日までにニューオーリンズに帰ってこれないというのもその苦境の一因ではあるが、実は、ブラック・アメリカの現況を物語る人種関係の変化が、そのもっとも大きな原因になっている。ネーギン市長は、黒人市民の離反に苦しむことになりそうなのだ。

1978年以来、同市はずっと黒人を市長に選出してきた。ところが、今回、その1978年に市長を務めていた白人の息子、ミッチ・ランドリューに期待が集まっている。その彼に期待を寄せているのは白人だけでなく、黒人もそうなのだ。

彼は州議会議員として政治界での実績もあり、1980年代南部ルイジアナでKKKのデイヴィッド・デュークの任期が高まったとき、デュークの政治姿勢を非難した数少ない白人政治家のひとりである。そしてまた、黒人有権者からの得票率も極めて高い。(また彼の姉は、現職の上院議員であり、その選出にあたっては黒人のあいだでの支持が極めて重要であった)。

さらにはまた、ニューオーリンズ市の黒人政治家たちも、ネーギン市長よりもランドリューに期待を寄せているようである。もとより、ネーギン市長は、新しいタイプの黒人政治家だった。黒人政治家の多くは、教会や公民権団体に地歩を置くものが圧倒的に多いのであるが、ネーギン市長は、ケーブルテレビのCEO、黒人「実業界」の代表として政治界入りした人物である。

ここまで書いてくると、この情況を、「人種」のみの分析項で語ることの困難さが際だってきた。他の記事でも書いているが、「黒人」のなかの差異が近年ますます際だつようになり、「人種」だけで「黒人」を語れないというアイロニカルな情況が生まれているのである。(否、アメリカ社会は、つねにそうだったのかもしれない)。

2007年05月10日

ヒップホップと「黒人」大統領候補

20070510snoop.jpg既に各種のメディアが報じている通り、2008年大統領選挙では、人種的には「黒人」に属しているバラック・オバマ上院議員が民主党の最有力候補として浮上してきている。ここで私は「黒人」、と、カッコつきで彼の人種的アイデンティティを記したが、簡単にその理由を説明しよう。

 彼の父親はケニア人、母親はヨーロッパ系アメリカ人である。その後、父親はケニアに帰国し、オバマはハワイで育った。ハワイと言えば、アジア系の人口比率も高く、彼が育ったのは「黒人ゲトー」ではない。さらには、その後の彼はハーヴァード大学ロースクールに進学し、シカゴ大学ロースクールで教鞭を執った。つまりある意味においてエスタブリシュメントの一員である。もっとも、シカゴ時代に、極めて献身的法律家として市民運動を支援したというキャリアはもっているものの、彼のキャリアはそれまでの黒人政治家と大きく異なる。そんな彼は、ヒップホップ・アーティストの語彙を批判することで、ヒップホップ界の重鎮、ラッセル・シモンズと対立することになった。

奇妙なことに、その論争の発端は、白人のトークショー・ホスト、ドン・アイムズが放った、おぞましい発言にある。アイムスは、多くが黒人女性のプレイヤーからなるルトガース大学のバスケットボールチームを形容し、「ちりちりの毛をした売女の軍団」"kinky-haired bunch of ho"と語った。これがネットワークテレビに流れてしまい、公民権運動家・黒人政治家の猛烈な抗議のなか、数々のネットワークテレビが彼との契約を破棄することになった。

これより以前、バスケットボールチーム関係で言えば、シカゴ・ブルズが全盛だった1990年代中頃、ネットワークテレビのスポーツ解説者が「黒人はバスケットボールが得意だ、なぜなら腰の位置が高い、そうしたのも棉畑で良い労働者になるように白人主人が奴隷を「交配」したからだ」といった発言を行い、同じく喧々囂々の抗議のなか解雇されたということがある。

しかし、このとき、そのスポーツ解説者の発言を聞き、「あぁ、そうだね、黒人は腰が高いね」などと言う「黒人」はいなかった。ところがこの度は、バラック・オバマがドン・アイムスの意見には一理がある、という発言を行ったのである。

オバマは、「「ちりちりの毛をした売女の軍団」という発言を非難するには、同じ言語を使用しているヒップホップの歌詞を非難しなくてはいけない」と語っている。さらに彼はこう言う。

「黒人たち自信が認めなくてはなりません、「売女」"ho"という言葉を聞いたのはこれが初めてのことではないということを。ラジオのスイッチを入れてください。同じ言語を使っている歌の数は夥しいし、そのような歌が家の中、学校の教室、iPodのなかで流れるのを許しているではないですか」。

このようなオバマの発言は、当然、ヒップホップ世代の批判の対象になった(このヒップホップ世代対公民権世代の社会認識に関しては、ついこのほど、筆者は最初の試論を著した)。デフ・ジャム・レーベルの創始者、ラッセル・シモンズが言うには、「そもそもそのような言葉を発しなくてはならない環境の改善を考えるのが政治家の仕事ではないか、ラップの歌詞を批判するのはやめてくれ」となる。

さらには、"ho"という言葉を連呼することでは、おそらく悪名高いラッパーのひとり、スヌープ・ドッグはこう言う。

「全然背景が違うじゃないか、教育やスポーツで成功し、高いステージに昇った女学生のことを俺たちがそう呼んでいるのではない。俺らは街角でやばいことばかりやっている奴らのことを"ho"と呼んでいるんだ。ニガを見ると金をぶんどることしか考えないバカ女のことを言っているんだ」。

ここでわたしは「ニガ」という言葉を使った。これは原文では"n.-a"と記されている。さて、かかる婉曲語法を使って何が起きるだろうか…。

その後、シモンズは、オバマへの批判を和らげ、いわゆる「Nから始まる言葉」や"ho"といった言葉を、レコード会社が自主的に規制し、ラジオ局は「ピー」という音で消すように提言している。これでこの言葉が消えるだろうか。この言葉が極めて攻撃的な侮蔑的言葉として、その毒牙が「ピー」で消えるのだろうか?。わたしはそう思えない。

既発表の論文で引用したばかりだが、その昔、2Pacはこう断言した。

「ニガーNiggerとは首にロープを巻かれて木から吊される奴ことだ。俺はニガNigga。ニガの首には純金のネックレスがぶらさがっている」。

2Pacの大胆な姿が恋しい。

2007年05月17日

ポスト公民権時代の「黒人」政治家

昨年の末、ジェイムズ・ブラウンが亡くなった。その時、日本のニュースでは、「ソウル界のゴッドファーザー」と呼ばれ、「60年代末に黒人の誇りについて歌った人物」と紹介されていた。彼が亡くなったということは、言うまでもないが、この世代の人間ーー60年代に活躍した世代ーーが他界する時期が遂にやって来た、これを政治的社会的文脈におくと、かつての公民権指導者の政治世界からの「引退」「退場」が起きているということを意味する。その実、モントゴメリー・バス・ボイコット運動のシンボル、ローザ・パークス、コレッタ・スコット・キング夫人、SNCC指導者ストークリー・カーマイケル、COREの指導者ジェイムス・ファーマー、彼ら彼女らはみなもうこの世にはいない。

そして、今、政治の世界に飛び出してきたのが新しい世代である。彼ら彼女らは、公民権世代が築いた環境のなかで育ちつつも、その世代とははっきりと違ったキャリアをもっている。その新しい世代の代表のひとり、バラック・オバマ、彼は、2006年民主党大会の基調演説で一躍名を馳せることになった。

このそしてアメリカがそもそも依拠する崇高な理念、独立宣言に発する「アメリカン・ドリーム」を訴えるその雄弁さは、「マーティン・ルーサー・キングの再来」と呼ばれたほどである。彼が演壇に上がるときに流れている音楽は、1967年にカーティス・メイフィールドが歌った"Keep on Pushing"である。この曲は、当時の文脈のなかでは、ブラック・ナショナリズムを鼓舞するものだと言われた。今やそれが民主党大会の基調演説者のテーマに使われる時代になったのである。ここには時代の懸隔と、その懸隔にかかる橋が、象徴的に表れている。

今回は、では、その新しい世代の黒人政治家たちの横顔について語ろう。

日本でも広く知られることになった人物、バラック・オバマは、これまでの「黒人」政治家とははっきりと異なる「素性」をもっている。ハワイ大学に留学していたケニア人留学生とカンサス州出身の白人女性とのあいだに生まれた。ジェイムス・ファーマーがフリーダムライド運動の先頭に立っていた1961年のことである。その後、両親は離婚し、父親はアフリカに帰国、母親はインドネシア人と再婚した。そして彼はその母と継父とともにジャカルタで少年期を過ごした。

帰国後の彼はエリートコースを一直線。コロンビア大学で政治学学士号を取り国際的業務を扱う弁護士事務所に務めた後、ハーヴァード大学ロースクールに進学。そこで法学博士となる一方、黒人としては初めて、104年の歴史を持つHarvard Law Reviewの編集者に選ばれた。

通常このようなキャリアの人間は実入りの良い仕事をもつ。ところが彼は、シカゴ・サウスサイドで貧困者の法律相談を応じたり、職業訓練を助けたりする非営利的事業に従事した。その後、シカゴ大学ロースクールで教鞭を執った後、イリノイ州議会議員になり、2002年に連邦上院に当選、今日に至っている。

さて、ここで多くの人は気づいたと思うが、彼は、いわゆるアフリカン・アメリカンとは根本的に違う。彼の父親はアフリカ系ではあっても奴隷の子孫ではなく、彼自身の人種的アイデンティティは極めてハイブリッドなものだ。そしてまた、「黒人ゲトー」で暮らした時期といえば、シカゴが初めてだったのである。このような彼に対し、当然、「黒人票を集める力があるのか?」という疑問があがっている。

一方、「エリート」としてのキャリアを持つ黒人政治家にはいくつかの先例がある。その典型例が、現在ニュージャージー州最大の都市、ニューワーク市長であるコーリー・ブッカーだ。

彼は1969年(つまり公民権運動がはっきりと衰退した年)に生まれた。しかし、彼の両親は、IBMの重役になった初めての黒人であり、ワシントンD・C郊外の「高級住宅地」で育った。スタンフォード大学に進学し政治学で学士号、社会学で修士号を修める傍ら、フットボールの世界でも活躍し、大学のなかではヒーローのひとりだった。その後、イェール大学ロースクールに進学し、極めて競争率が高く、それゆえエリート中のエリートの象徴でもあるローズ奨学金を受けてオックスフォード大学に留学した。しかし、オバマと同じく、ロースクールにいた頃から周囲のコミュニティの活動に身を投じ、ロースクール卒業後ニューワークに戻ると、貧困地区の公共住宅に住むことを敢えて選んだ。そこにいる人びとに、法律面での手助けをするためである。

2002年、そのような彼が市長選に立候補した。当時の現職の市長ジェイムス・シャープは、5期連続当選(つまり20年間ずっと市長)を果たしており、1999年からは州議会議員を兼務していた。つまり、ニューワークでは伍するものがいないほど強力な政治力を持っていたのである。市長として全米のどの州知事よりも高額な報酬を受けていた、そのような彼の政治スタイルは「ボス政治」ーーアメリカ型利益誘導型政治ーーと呼ばれていた。もちろん彼の支持母体は、同市の黒人市民である。

重要なことに、この選挙戦中に問題になったのは「ブッカーは〈黒人〉なのか?」ということであった。貧困と直面しながら公民権運動で政治的経歴を積み、そうして政治の世界に入っていった旧来の黒人政治家と異なり、彼は典型的エリート。そんなエリートに「「黒人の問題」がわかるのか?」という問題が提起されたのである。もちろん、この点をもっとも執拗についたのは、シャープ市長であった。彼は選挙戦中こう語った。「あなたはまずアフリカン・アメリカンになることから始めなくちゃいけない、自分でそれをやりなさい、わたしたちにそんな暇はないから」。

「血統」の上ではまちがいなく黒人であるブッカーが「黒人ではない」と言われる。つまり、ここでの「黒人」とはエリートの対極として規定されているのであり、至極簡単にいえば「社会的落伍者」こそが「典型的黒人」なのである。

かくして黒人対黒人の選挙戦でありながら、なぜか「人種」が問題になった選挙戦では、黒人市民からの支持を得たシャープが僅差で勝利した。この「ダーティな選挙」は、Street Fightというドキュメンタリー(アカデミー賞にノミネートされた)に収録されている。

しかし、2006年、その流れははっきり変わった。73%という圧倒的得票率でブッカーが勝利したのである(なお、このときの対抗馬は市長職からの引退を表明したシャープではなかった)。そんなブッカーがまず行ったのは、市場価格以下で私企業に売却されている市所有の不動産の販売を停止することだった。

企業が次々に工場を閉鎖していくなか、新規事業を誘致するならば刑務所でもなんでも良いと考えている他の首長とはまったく異なる。白人の郊外流出、工場や企業の閉鎖で疲弊したアメリカ経済の立て直しにあたって、「民間の活力」だけに盲従しようともしていない。そんな彼は、固定資産税の大幅増税を提案し、市の職員の補充拡大を提案している。これもまた他の首長とはまったく異なる。

そのようなコーリー・ブッカーが5月12日にオバマを支持するという表明を行った。ヒラリー・クリントンを支持していたそれまでの態度を転回したのである。ニュージャージー州は、大統領選挙にあたって、しばしばbattle ground stateと呼ばれ、ここでの勝敗は結果に対し重要な意味を持つ。

新しいタイプの黒人政治家、ポスト公民権世代の黒人政治家は、もはや黒人票だけに頼ることはしない。「黒人ではない」と誹謗中傷された人間がどうして黒人票を頼りにできよう。他面、白人優越主義者から脅迫を受けているとされているオバマはこう語っている。「こんなことをあれこれ考えるので時間を無駄にしたくありません。このような人びとがアフリカン・アメリカンの大統領が誕生することを嫌がっているのかどうかというと、それにはイエスとしか応えられません。ならば、アフリカン・アメリカンは私が黒人だからというので票を投じることになるのかというと、それもまたまちがいのない事実です。しかし、私が落選することになるとすると、それは人種が原因ではない、人びとが信頼できるビジョンを提示することに私が失敗したからそうなるのです」。彼らは「人種」を超越しようとしている。ブッカーがオバマ支持に傾いたのも、人種が理由ではない。オバマは、ブッシュが行った富裕層に対する減税措置を廃止する、つまり増税を行うと語っている。疲弊した政府を立て直す、つまり連邦の職員の補充拡大を提案している。

黒人が白人に投票し(これは歴史上何度も起きた)、白人が黒人に投票する(これはほとんど起きたためしがない)、そんな選挙が来年繰り広げられたとき、きっとアメリカにおける「人種」の意味が激変する。ブッカーやオバマが背負っているのは、その未来への期待である。

2007年07月29日

民主政治を考える…

今日、参議院選挙がありました。直接アメリカ黒人とは関係ありませんが、奴隷制以来、彼ら彼女らが闘っていたこと、それは民主政体のなかでどうやって声を響かせるかです。

だから敢えて政治的発言を行います。

でも、ちょっと簡単な喩え話から…

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2007年10月14日

オバマ支持をめぐり割れる黒人指導層

公民権運動時代のもっともラディカルな団体であり、60年代の諸運動の牽引力であった学生非暴力調整委員会の元議長で、現職下院議員(ジョージア州選出)のジョン・ルイスが、「黒人」のバラク・オバマではなく、ヒラリー・クリントンを支持するとする表明を発表した。ヒラリー・クリントン支持の理由は

・大統領になるだけの政治的経験をもっていること
・すでに世界各国の政界リーダーとの親好があり、友好的外交関係を築く資質を備えていること

これらは、しかし、ヒラリー・クリントン自身が、自分がバラク・オバマに対して優位に立っている点として数々の場で述べていることである。

ジョン・ルイスは、ビル・クリントン前大統領との親好が厚い。ノーベル文学賞を受賞した小説家トニ・モリソンは、クリントン前大統領を「黒人初の大統領」と評したが、いまでもハーレムに事務所本部を構える彼と黒人コミュニティとの絆はやはり強い。


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2007年10月23日

インディアン・アメリカンが州知事に当選

この先週の土曜日、ニューオーリンズのあるルイジアナ州で知事選挙が行われた。その勝者は州知事としてはアメリカ史上初となるインディアン・アメリカン。通例、アメリカと言い、続けてインディアンというと同地の先住民を指す。一時期、その呼称は勘違いしたコロンブスの無知を表すものであり、アメリカ先住民を侮辱するという一方的主張を行うものがいたが、実のところ、インディアンはアメリカ先住民自らが使う自称にもなっており、侮蔑的意味合いはないと考えるのが一般的である。

しかし、そのインディアンは「インド系」の意味だった。ここのところ、エンジニアリングや医療、IT技術において世界的プレゼンスを増大しているあの南アジアの大国のことである。

ところで、若い頃のデンゼル・ワシントンが主演した映画に『ミシシッピ・マサラ』というとても興味深いものがある。設定は、ミシシッピ、同地で生まれ育った黒人男性がインド人の女性と恋に落ちるという話だ。その女性、インド人はインド人であってもアフリカ出身のインド人、帝国イギリスの政策によって19世紀に現在のウガンダに移住し、ウガンダの軍事政権が「インド人追放政策」をとったためにアメリカに移民してきたという家系の出身である。さらには舞台の設定はミシシッピ、それは「人種差別がもっとも厳しいところ」を表象する。

当然、女性の両親は、両者の交際に反対どころか驚愕した。人種的偏見が厳しいこの世界で生きていけるのかという女性の父親に対し、デンゼル・ワシントンは、きっぱりこう応える。「あんた何言っているんだ、俺の生まれ育った場所はミシシッピ」だ。結局、その父親は、むかし政変があるまではアフリカ人の友達が多くいたことなどを思い出し、人間同士の「愛」を再発見する。「マサラ」とは、ご存じの方も多いだろうが、インドの香辛料。この映画では、人間同士のあいだの愛(それは性愛も含む)が抗しがたい魅力をもつことを表象している。

話をもとに戻して、ルイジアナの選挙のこと…

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2007年11月06日

『ニューヨーク・タイムズ』紙、タナーの更迭を要求

このところ大統領選挙に関する報道がずいぶんと増えた。ヒラリー・クリントン、バラク・オバマという、当選すればそれぞれ史上初となる候補がいるのが、こんなにも早い時期から関心を集めている理由であろう。

しかしながら、実のところ、アメリカの選挙には、2000年以後、ずっと懸案の問題がある。

それは投票された票をどのようにして数えるのか、投票資格の確認はどうするのかといった問題であり、最初は2000年のフロリダ、その4年後はインディアナ州でおきた。

連邦司法省投票権課が容易した答が、写真付きIDの提示である。問題は、そのIDが有料でしか手に入らないということ。つまり、結果として「投票税 poll tax 」と酷似した形式が復活することになる。ところが「投票税」を課すことはアメリカでは憲法違反である。

この窮状のなかで、公民権課長がジョン・タナーが発したのが、過日ここで伝えた「どうせ黒人は早く死ぬ」というものだ。

『ニューヨーク・タイムズ』紙は、5日の論説文で、さらには近年投票権課がマイノリティの権利保護をないがしろにしているという批判とともに、タナーの罷免を要求した。

さらにまた、それと同時に、情報を操作したり、脅迫をしたりでマイノリティの投票権行使の妨害を行うことを犯罪とする詐欺行為投票権妨害処罰法の早期可決を主張している。ちなみに同法の発案者は、バラク・オバマである。

オバマが当選するためには、当然のことながら、マイノリティの票は必ず全部カウントされなくてはならない。

2008年02月21日

「アメリカで何かが起きている」 by a superdelegate

昨年の5月にここのブログで紹介した若手の「黒人」政治家の名、バラク・オバマはもはや日本でも広く人びとが知ることとなった。予備選が今後行われる州からみて、大きな勝負は3月初頭のテキサス州とオハイオ州のみ、ここでヒラリー・クリントンが大差をつけて勝利をおさめない限り、最終的な勝負は8月25日から28日にかけてデンヴァーで開催される民主党大会に持ち込まれることになる。しかも、オバマが僅差でリードを保ったまま、ということになる。

今年が始まった頃、長引くイラク戦争、アメリカ経済に急に立ち込めた暗雲などを鑑み、それを40年前、キングやロバート・ケネディが暗殺され、シカゴ民主党大会では警官隊とデモ隊の激しい衝突が起きた「1968年の再来」と言い始めるものもいた。そのような記事を『ニューズウィーク』で読んだとき、正直言って、根拠が希薄であれば、「歴史は繰り返す」という面白みも何にもない常套句に頼ったチープな記事、と思ったものだ。ところが、全国大会まで大統領候補が決まらないとなると、これは「1968年以来初」の事態ということになる。そしてもっと古い話を紐解けば、黒人が先か女性が先かでアメリカ政治が動く(少なくとも「沸く」)のは解放奴隷を含めた黒人男性に選挙権が賦与された1868年以来、ちょうど100年ぶりだ。

ヒラリー・クリントンはこの選挙戦をよくhistoricといって形容するが、それはあながち悪い表現ではない。すでに民主党大統領候補は黒人か女性かがなることになった。これは10年前にはまったく想像できなかったことだ。

またまた正直なところを言えば、わたしはバラク・オバマの政治姿勢を評価しつつも、ここまで闘えるとは思っていなかった。アメリカの報道を追っていれば自然とそのような結論に至ったし、黒人が二大政党の大統領候補になることを現実のものとして想定できたアメリカ研究者は極めて少ないと思う。なぜならば、広く日本でも報道されているように、アフリカ人を父にもつ「だけ」のオバマに黒人票が期待できるのか疑問に思う向きは強くいたし、2007年10月14日の記事で述べているように、「大物」の黒人政治家や公民権運動のベテランたちはヒラリー・クリントンを支持するか、少なくともオバマとは距離を保っていたのだ。彼に当初期待された支持層は、40代以下の若年層、高学歴の男性、それぐらいだった。1月のアイオワ州党員集会での勝利も、「まぁそんなこともあるだろう、でもスーパーチューズデイまでには…」と思わせるだけに留まった。つまりほんとうに正直言って、わたしはまったく「黒人」候補の支持層の拡がりを予見できなかったのだ。歴史をみつめる研究者が下手に未来予想などするものではない、だからまちがえても当然、そんな言い訳でもしたくなる。

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2008年02月22日

「人種内部」の対立とオバマ選挙戦ーーだからわたしはうれしい

よくこのような質問を受けることがある。「それでアメリカの黒人はどう思っているのですか?」。たとえばコンドリーザ・ライスやコリン・パウエルについて、イラク戦争について。たとえばO・J・シンプソンの累犯について。そして、たとえば、バラク・オバマについて。

残念ながら、それにはこう答えるしかない。「わかりません」。

時間があると、ここで逆に突っ込む(質問のされ方がそっけないものだったら「逆ギレ」する)こともある。「黒人という集団は多様な意見対立を内部にもっている集団であって、それはわたしたちと何らかわりありません。松井秀喜について「日本人」はどう思っていますかと聞かれてたとえあなたが日本人を代弁しても、それがわたしの見解と一致するという確証がもてますか?たまたま「人種」が同じだからという理由で統一された見解をもっていると見なすなら、それは一種の人種主義ですね」。「そんな「黒人の一般意思」のようなものを摘出できる能力があるなら、わたしは今こんなことをしていません、世界的知識人になってます」とか。

実は、いまさらながら振り返ってみると、20年になる黒人研究のなかでのわたしの小さな努力は、この黒人という「人種内部」の対立に光を当てることに費やされてきた。「対立」というと聞こえが悪いが、多様な意見をもつ人種集団を描き出すことで人種そのものを脱構築してやろう、そう思っていたのであろう。「白人」と「黒人」の「人種関係」に関心を払ったことは、正直言ってほとんどない。下のエントリーをご覧になってもわかると思うが、わたしの焦点はつねに「人種内部」に向かっている。

80年代後半から20世紀末にかけて"diversity"といえば人種のモザイク状態の多様性のことをいい、多様さを構成する単位は人種やエスニシティとされてきた。黒人史家のトム・ホルトは人種とは黒人を括るカテゴリー、エスニシティは白人のなかを区別するカテゴリーであり、黒人にはエスニシティが許されていないと語り、ジャマイカ出身の歴史人類学者オランドー・パタソンは人種とは学問の術語としては利用価値がなく、エスニシティに置き換えたほうが良いと語る。わたしにインスピレーションを与えてくれた人びとは当然いるのだが、それでも「間」より「内」に目が向けられることは少なかった。

なぜならば、「必死に戦っている集団の内部分裂を促している」と見なされかねないからだ。

それだからこそわかるのだが、爾来、黒人指導層は指導層内部での意見対立が表面化するのを極度に恐れた。WEBデュボイスがNAACPを辞めなくてはならなかったのは、彼が当時の執行部と異なる意見を発表したからであるし、マルコムXが公民権運動指導層から激しく嫌われたのも、彼が指導層への批判を大々的に行ったからである(下に書いたように、ジェシー・ジャクソンの大統領選挙のときに対立が表面化することがあった、しかしそれを当時者が認めることはなかった)。

オバマの登場でわたしが何よりも嬉しいのは、そのような多様性が日々日々伝えられてくること。日本で報道されることは少ないが、米語の新聞を見ると、そこには「黒人」という「人種内部」の葛藤がある。

上のYouTubeの動画は、そのなかのひとつ、昨日紹介したジョン・ルイスがまだクリントンを支持していた今年の1月14日、南部キリスト教指導者会議の元会長ジョー・ロワリーと喧々囂々の議論をするところである。このふたりは、前者はキングに憧れる神学徒として、後者はキングの側近として、苛烈極まりない南部公民権運動に従事した当人である。

彼らは言ってみれば「戦友」であり、その絆はしたがって強い。その二人がテレビ画面(パソコンモニタ?)のなかで、「人種を政争の具にしたのはどっちだ」と丁々発止とやりあっている。ファーストネームベースで!。

ここを訪れられている同業者の方、もしくはさらに「人種内部」の多様性を知りたい方がいらっしゃったら、コメントの方もぜひみてください。人種もさらには国籍も特定できませんが、何かが変わっているアメリカを感じることができます。

この葛藤のなかから新たなブラック・アメリカが生まれる、そう考えると何だか歴史の一シーンに立ち会っている充実感さえある。

2008年02月28日

あるスーパーデレゲートの決断

2月22日のここでの記事で「しばらくはsuperdelegateの動きを少しずつ紹介していこうか…」と書いたところ、意外と早く「大物」が決断をくだした。

そのエントリーでも、またそのあとのエントリーでも紹介している元学生非暴力調整委員会議長で現ジョージア州選出連邦下院議員のジョン・ルイスが、ヒラリー・クリントンの支持を撤回し、バラク・オバマの支持に回った。2月28日に『ニューヨーク・タイムズ』が行ったインタビューに答えて、彼はこう述べている。

「オバマ上院議員の立候補は、この国の人びとのハートとこころのなかで起きていた新しい運動、アメリカの政治史を画する新しい運動の象徴になっています。そしてわたしは人びとの側に立っていたいのです」。

下のエントリーでオハイオ・テキサスの予備選が接戦になった場合、スーパーデレゲートが決定権を握ると述べた。その後、『ニューヨーク・タイムズ』紙上には、女性初の副大統領候補に指名されたジェラルディン・フェラーロの「スーパーデレゲートは人びとに従うのではなく指導するのである」という旨の投稿記事が掲載されたが、その評判は決して芳しくなかった。この記事に対し、ある民主党員は編集者に宛てた手紙のなかで、もしそうなら予備選自体無意味だし、大統領選挙の日には投票所に行かないか、行ってもマケインに投票するとまで述べている。

つまりフェラーロの記事は、スーパーデレゲートの力に頼ろうとしているヒラリー・クリントン陣営にとってバックファイアするものになったのだ(フェラーロはクリントン支持)。

ここに来てスーパーデレゲートへの圧力は高まっている。歴史の研究者があまり簡単に将来の予測をしない方が良いが、なんだかオハイオ州の予備選で勝負が決まりそうな気がしてきた。

2008年02月29日

ソフィスト曰く:カラーブラインド教条主義のダブルバインド

2月29日の『ニューヨーク・タイムズ』紙が報じたところによると、ヒラリー・クリントン支持からバラク・オバマ支持に「鞍替え」しているスーパーデレゲートの数が増加しているらしい。

ニューヨーク・タイムズ社とCBSの合同調査によれば、ヒラリー・クリントンはもともとスーパーデレゲートあいだでの支持が多かったものの、オバマに対するリードは今月に入って半減、102から42まで減少している。なかにはニュージャージー州のクリスティン・サミュエルズなど、現在もNAACPで活発に活動している現役の運動家も、クリントンからオバマへ支持を変えた。

今後、黒人のスーパーデレゲートのあいだでオバマ支持に回る人間が増えることは、したがって、容易に推測できる。サミュエルズの発表のタイミングも、おそらくはオハイオ・テキサスの予備選を踏まえて行われたものであろう。

さて、ここでオバマが象徴する「ひとつになったアメリカ」について、ソフィスト的疑問が浮かんでくる。

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2008年03月05日

「カーナー委員会」が「予備結果」を発表

ここのところ、当然のことではあるが、アメリカから伝わってくる「人種」や「黒人」に関連したニュースのほとんどがオバマの大統領選挙運動のことになっている。そこで、否、その文脈のなかで考えてみると、きわめて興味深いリポートのことを伝えたい。

下の11月12日のエントリーでも記しているが、昨年、40年前に全米の都市暴動に関して調査を行った「都市騒擾に関する大統領諮問委員会」、通称カーナー委員会が、今度は財団の支援を得て調査活動を行った。その調査の予備結果によると、この40年間の黒人の進歩、人種関係改善に関する成績はD+、つまり「合格最低点(日本でいう「可」)の上の方」というものになった。

オバマの華々しい活躍を脇に、NAACPデトロイト支部の前会長アーサー・ジョンソンは、「今日の経験から言いますと、昔と較べて顕著に良くなったと言えるところはほとんどありません」と述べている。

では、どこが特に成績評価を悪くすることに繋がったのか?。新カーナー委員会はわけても5つの点を指摘している(これは予備報告の結果であり、正式なリポートは今年中に公開される予定になっている)。

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2008年03月14日

最悪のシナリオ

日本でも女性初の副大統領候補で民主党スーパーデレゲートのひとり、かつヒラリー・クリントン陣営の財務担当だったジェラルディン・フェラーロの発言が人種主義的だと言われ、クリントン陣営から退いたことが報道され始めた。

その詳細については近日中に論じるが、クリントン vs オバマの予備選がヒートアップするにつれて、ひとつの大きな不安が浮かんできた。それはブッシストがずっとホワイトハウスに居座るということである。

そのブッシストとはジョン・マケイン。彼は、ブラック・コミュニティでは、ハリケーン・カトリーナがニューオーリンズを直撃し、非常事態が起きていたときに、ブッシュと一緒にケーキを喰っていた立派なブッシストである。

では、最悪のシナリオとは…

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2008年04月01日

決戦はフィラデルフィア:死の影の谷間の声がひな壇にあがった「希望」に迫る

以前このブログで紹介したムミア・アブ=ジャマルの死刑判決に対し、ペンシルヴェニア最高裁の再審判決がくだった。証拠不十分を理由に、死刑から(仮保釈の可能性のない)無期懲役に減刑された。

法に基づく裁判は、一般的市民感情からすると、「真理」を求めて議論する場のように思われる。しかし、これは現実のところ、近代法の権能を誤解したものでしかない。裁判とは、平たく言えば、原告と被告が対立した議論の「落としどころ」を探りあうものである。この誤解はときに市民感情からの乖離ともなる。

ムミアが無罪なのか有罪なのか、真理はひとつしかない。ならば死刑か無罪かのどちらかが妥当であり、裁判所はそれをつきとめるべく努力せよ、とこんな感情がわき上がってきても、それはそれで理解できることだ(というかわたしはむしろそう強く思う)。

だからこそ、「政治犯」と目されたものを救うには、「落とし前」をつけるための条件を良くするため、市民による政治的プレッシャー、もっと通りの良い言葉を使えば、輿論を喚起することが必要となってくる。

そこで、パム・アメリカらムミアの支持団体が大胆な呼びかけをおこなった。4月22日、民主党全国大会前の最後の大票田での予備選がペンシルヴェニア州で行われる。そこでメディアの関心が集まってくる19日土曜日にムミア投獄に関し大抗議集会、デモ行進を敢行するというのだ。

他方、バラク・オバマは、黒人候補と呼ばれつつも、黒人の問題(black isssue)を全面から取りあげることをしてこなかった。ついこのあいだ起きたジェレマイア・ライト牧師の"God damn America"発言をめぐる論争で、結局彼はその問題を取りあげざるを「得なくなった」のだが、それが敏感なtouchy問題であることに変わりはない。ちなみにさまざまなメディアで主張されているが、ライト牧師の発言は前後の文脈をまったく無視した発言であり、それを主にはフォックステレビなどが誇張して問題化したものである。彼の批判のトーンは、アメリカを「暴力の御用達」と呼んだ晩年のマーティン・ルーサー・キング牧師のそれと比すれば、むしろ穏健なものである。左の説教をご覧あれ。

ところで、ムミアは、フィラデルフィアの監獄のなかから、ライト牧師を批判し人種間和解の崇高な理想像を同じくフィラデルフィアのコンスティチューション・ホールで描いたオバマについて、こんな辛辣な判断をくだしている。

「アメリカ史上初の黒人大統領という野心に駆られ、オバマは、自分がどれだけブラックでないのかを証明するレースの最中にある。だからこそ、自分の恩師と思う人間でさえ非難することができたのだ」。

民主党予備選で、ずっと人種とジェンダーは、それがあきらかなのに直接には触れられない、否、オバマもクリントンもそのふたつを「タール人形」とみなす奇妙な事態が展開されてきた。選挙のサブテキストであった問題は、しかし、いまテキストになろうとしている(この問題はもういずれ学会報告を行う予定である)。

NAACP会長で元連邦下院議員ジュリアン・ボンドは、囚人が参政権すら剥奪されている問題を、2000年大統領選挙のときからずっと追及している。そんな問題をオバマはとりあげるだろうか。法的カウンセルが必要だがその費用をもたない人びとのためにシカゴ・サウスサイドで活動した経歴をもつにもかかわらず、その資質をまだ彼は見せていない。だが見せろとムミアが迫る!

2008年04月04日

ちょっと待ってください、マケインさん

20080404mlk.jpg
今日は、メンフィスでキング博士が暗殺されてから40年目に当たります(こういう内容なので敬体を使います)。

なので、ヒラリー・クリントンさんとジョン・マケインさんはキングの偉業を讃えるためにメンフィスで選挙運動をしていました。

でも、クリントンさんは、さんざん保守派から言われているように60年代からの生粋のリベラルですが、マケインさん、あなたハリケーン・カトリーナがニューオーリンズを襲っていたとき、ブッシュ大統領と何してました?。脳天気におめでたい大統領と一緒にケーキ食べていませんでしたか?

大丈夫ですか、あなたが「アメリカ軍全軍の最高司令官」になって…、

キング博士が、彼の数多く残っている説教や演説のなかで好んで引用していたのが、「もっとも小さな兄弟のために尽くせ」ということでした。あなたの政治思想や政治行動とキング博士の行動や思想に何の関係があるのですか?。

破廉恥な政治「運動」は止めなさい。

2008年09月24日

激戦区(バトルグラウンド)からの報告(1)

「ブログを再開する」とここで宣言しつつ、それでいて一向に更新ができなかった。さて、この間、わたしはデトロイトから州際間フリーウェイで1時間ほどいった街にあるミシガン大学に引っ越した。引っ越し直後、民主共和両党の党大会があり、それをいろいろと考えるなかも、引っ越しに伴う日常生活上のごたごた、さらには入国管理に伴う書類等々のことで忙殺され、今日まで更新が遅れてしまった。申し訳ございません。

今度こそ、本気で再開する。

早速本題に入り、わたしが現在住んでいるミシガン州。ここは今回の大統領選挙での「激戦州」battle ground statesのひとつであり、この州の行方が選挙結果を左右するとも言われているところにあたる。そこにわずか1か月だが、住んで肌身で感じた実感を、伝え始めてみることにする

ところで、ブラッドレー効果という言葉は、日本のマスコミは伝えているだろうか?。ブラッドレー効果とは、1982年のカリフォルニア州知事選挙で起きた現象のことを指し、一般的には世論調査の高い黒人への支持率は「割引」して考えるべきである、ということを意味する。

この年、ロサンジェルス市長を数期務めたトム・ブラッドレーという黒人政治家が、カリフォルニア州知事に立候補した。黒人居住区、もしくはゲトーを地盤に人口統計上の多数派を形成できる都市の選挙、さらには小さな選挙区からなる下院議員とことなり、州全体を選挙区とする連邦上院議員や州知事(ブラッドレー効果はヴァージニア初の黒人州知事、ダグラス・ワイルダーに因んでワイルダー効果と呼ばれることもある)、さらには大統領選挙では白人への訴えかけにいかに成功するかが、黒人候補の当落を決定する要因となる。ロサンジェルス市長を務めたブラッドレーは、市の政治のなかですでに白人からの支持を取り付けており、カリフォルニア州知事になれる有力な候補だと目されていた。そして実際、選挙戦中の世論調査では終始彼の優位が伝えられていた。ところが実際に票を開けてみると、彼はあっさり落選してしまった。つまり世論調査の数字は彼への支持を大げさに伝えていたのだ。

では、なぜこのような現象がおきたのであろうか。その答えは、ポスト公民時代の人種関係の有り様と強い関係がある。公民権運動が、「人種主義は悪」ということ、「人種的偏見をおおやけにするのは恥ずかしいこと」という感覚を拡めることに成功したことと関係があるのだ。なお、1960年代初頭までのアメリカ南部では「黒人は差別されて当然の劣った人種である」と公言してはばからない人物が多くいた。それはこう述べることがむしろ高い識見を持っているとみなされるとんでもない制度が存在していたからである、公民権運動が砕いたのはこの制度だ。公民権運動の勝利後、この様相は一転する。事態はこうなったからだ。

電話での世論調査がこう訊いてきたとする。「あなたは黒人差別をしますか?」。これにいま「はい」と答える人間はよほどどうかしている。本当は差別をしつつも、見知らぬ他人には「いいえ」と答えるのが当たり前だ。あとで「面倒」がおきるのも防げるし。とすると、選挙戦のときに訊かれる質問

「人種がこの選挙に影響を与えると思いますか」。これは困った。黒人ならばこれに「はい」と答えても人種主義者だとは言われない。しかし白人だったらどうだろう。そして電話の声のイントネーションが黒人のように聞こえたときは一体どうする。人種関係だとわかりにくい方がいるかもしれないので、思い切って、ジェンダーで置き換えてみてみよう。女性が電話で訊いてきた。「女性に首相を務める能力があると思いますか?」あなたは女性の電話の声の主に「いやありません」と言えるだろうか。

つまり、1982年の選挙戦で世論調査の対象となった人びとのなかには、「ブラッドレーへの不支持は、〈わたしは破廉恥にも人種主義者です〉と言うに等しいと考えて、彼への支持を世論調査のときに表明したひとが少なからずいたのだ。ところが、選挙を投票するとき、誰もその行為を覗くものはいない。秘密投票は民主主義の大前提だから。

その結果、本選挙での逆転が起きた。少なからずの人が、「黒人知事」の誕生を怖れていたのである。

ミシガン州での最新の世論調査、デトロイトニュースでの調査では43%対42%でオバマがリード(全国では、9月21日のギャラップ調査、49%対45%)。これはブラッドレー効果を考えるとマケインがリードしているに等しい。

わたしの住んでいるアナーバーはフラッグシップ校の所在地であり、大学街のご多分に漏れずリベラルな街で知られている。もとよりここはアメリカの学生団体、SDSの発祥の地だ。わたしの周りには、したがって、マケイン支持者などどこにもいない。デトロイトにリサーチに行っても事情は同じ。日本ならば、ほとんどが自民党支持者のなかでいつもバカにされている社民党支持者がひとりくらいいるものだ。それがそうでない。マケイン=ペイリンの選挙戦は病的なまでに憐れである。そう思えるのもわたしがいる場所が影響しえいるのだろう。わたしがいる場所が、そう思って安全だと言ってくれているのだろう。これはとても不気味である。

バトルグラウンドからの報告(2)

『デトロイト・ニュース』紙がミシガン州有権者の最新の世論調査結果を発表した。

オバマ:48%
マケイン:44%
未定:7%
ほか:1%

他方、世論を誘導する偏向報道で悪名高い保守派の放送局フォックスニュースーーニュース報道なのに演出過剰なお台場にある放送局を〈アメリカの国力÷日本の国力〉倍ほど悪質にしたような放送局ーーが言うには、ブラッドレー効果を踏まえると8%差までが逆転圏らしい。

アメリカでは毎日のようにペイリンの経歴や業績が嘘であり、政策論が辻褄が合わないと報道されている。マケインが勝つということを、ブラッドレー効果を踏まえて考えると、ぞっとする。

なぜならば、リーマン・ブラザースが倒産したその日、「わが国の基本的経済指標は好景気を示している」ととんでもない事を語り、ブッシュ政権が公的資金投入の詳細を議会に報告する「前」にその「批判」を行う辻褄が合わない露骨な愚衆迎合路線をとっている政治家がホワイトハウスに入るとなると、それは世界全体に対しての大きな災難を意味する。

大統領選挙に投票したくなってきた。とうてい間に合う話ではないが…

2008年09月25日

バトルグラウンドからの報告(3)

ついに始まった、共和党お得意の白人が黒人に抱く恐怖感に訴える破廉恥なネガティヴ・キャンペーンが。

1988年の大統領選挙、10月半ばまで、当時副大統領のジョージ・H・W・ブッシュがリードしていた。ところが、ウィーリー・ホートンという名前の黒人が白人を強姦致死に至らせたことから形勢は一変する。リー・アトウォーターという政治顧問は、これをネタに、ホートンの名前と彼の仮保釈命令にサインした民主党候補マイケル・デュカキスの顔を当時最新の画像処理技術だったモーフィングをつかって巧妙に重ね合わせ、こう訴えかけた。「デュカキスへの票は、犯罪人を週末旅行に招待することにつながる」。

さて右の動画、これは数々のスキャンダルにまみれ9月にデトロイト市長を辞職したクワメ・キルパトリックとオバマを重ね合わせているものである。これは以下の点において「現実」を歪曲し、白人の深層心理にある人種恐怖に訴えているものだと判断することができる。

・オバマとキルパトリックは政治的関係はない。そもそもミシガン州では公式の民主党予備選は行われていない。同じ党に所属すれば演壇を共にすることはあろうが、これはその瞬間を過大に取り上げたものであり、キルパトリックの容疑とオバマとはまったく関係がない。

・キルパトリックの描き方、これは犯罪人の写真を撮るときに使われるアングル、マグショットを使っている。しかし彼は指名手配された重罪犯では断じてない。彼のスキャンダルは政治家の倫理に関するものだ。これは黒人=犯罪者という一般に流布したイメージを過剰に強調する、きわめて破廉恥な作為的なものだ。

ではこれがどこで流されているか?

ミシガン州デトロイト市郊外のマコム郡でである。この地は1980年にレーガン政権誕生の大きな基盤となった民主党を離反し共和党を支持した人びと、白人ブルーカラーを中心とする「レーガン・デモクラット」が多く住むところだ。過日の記事ではマケイン支持者がどこにも見あたらないという旨のことを書いたが、別にわたしはどこに彼の支持基盤があるのか知らなかったわけではない。おそらくこの辺りに存在していることは想像できる。1980年の「レーガン・デモクラット」の誕生は、「マイノリティを〈優遇〉するあまりに、われわれ労働者を見棄てた」とする感情から起きたものだった。共和党は、その感情の奥底にある人種間恐怖を煽ろうとするダーティな戦術に出た。

もし民主党が負けたら世界は大災難に見舞われる

ジョン・マケインという人物は、価値中立的なmaverick(変わり者)などではない。

奇抜なこと(たとえば、「行き場所のない橋」の建設に待ったをかけたと意気込んではいても、その橋への道を「誘致」していた威勢が良いだけの「ホッケー・ママ」抜擢)が好きなだけの人迷惑なアホの政治家である。

本日、彼は、金曜日に行われる予定の大統領候補テレビディベートを延期するようにオバマ陣営に申し入れた。金融危機への対処を討議する時間が欲しいというのが理由だった。

しかし、先週、マケイン陣営は、ブッシュが救済案を公表する「前」に、6つの対応策を発表し、ブッシュ案を待っているオバマの対応の遅れを非難していた。その日のCNNニュース、この非難にどう応じるかとアンカーマンに問いかけられたオバマの政策顧問は「まだ政策が発表されていないのに対応も何もないでしょう」と答えていた。しかし、そこにマケイン支持者が執拗な非難を繰り返し、その顧問は「ならば言いましょう、ひとつ」とアメリカ経済の抜本的改革の骨子を言わさせたくらいだ。さらにまた予備選の「公約」から自身の税制案の方が一般的家庭には増税になると広く指摘されているにも関わらず、厚顔無恥にもオバマは増税をすると寝も葉もない噂をテレビCMで流し続けている。

オバマは、先ほど、この申し入れを拒否した。彼の雄弁ぶりはもはや世界中が知っていること。しかも今回のディベートは、3回あるものの1回目、テーマは外交問題である。これを「敵前逃亡」と言わず何と言おう。あきれてしまう。

アメリカ政治を見てきて20年以上になるが、こんなことは異例だ。

それにもかかわらずマケインが当選するとなると、それは世界にとって大災難を意味する。

2008年09月27日

バトルグラウンドからの報告ーー速報

マケインが大統領候補ディベートに参加するとたった今(現地時間11時35分)発表した。本来の「力」がないもの、弱点をもっているものは、何かと奇策に頼るものだ。

ぶっちゃけ言ってーーTell Like It Is

思い切って翻訳すれば「ぶっちゃけ言って」Tell Like It Isという名曲がある。

こちらに来て、アーロン・ネヴィルが60年代に歌った"Tell Like It Is"はプロテストソングだということを知った。作詞作曲は別人だが(Lee Diamond, George Davis)彼が歌ったときに、この曲は1960年代の「時代精神」を映し出すものになったのだ。その歌詞はこうなっている。

Tell It Like It Is

If you want something to play with
Go and find yourself a toy
Baby my time is too expensive
And I`m not a little boy
If you are serious
Don`t play with my heart
It makes me furious
But if you want me to love you
Then a baby I will, girl you know that I will
Tell it like it is
Don`t be ashamed to let your conscience be your guide
But I know deep down inside me
I believe you love me, forget your foolish pride
Life is too short to have sorrow
You may be here today and gone tomorrow
You might as well get what you want
So go on and live, baby go on and live
Tell it like it is
I`m nothing to play with
Go and find yourself a toy
But I... Tell it like it is
My time is too expensive and I`m not your little boy

これは単なるラブソングだ。ところが、"you"をアメリカ白人に置き換えると、「自由だ自由だということばをもて遊ぶ play with」ことに対する抗議となる。

Tell like it is!とは、ちなみに、黒人教会では頻繁に聞こえてくる「合いの手」だ。

今回の大統領選挙、人種やジェンダーといった本来は「テクスト」であるものが「サブテクスト」になっていることは、6月のアメリカ学会年次大会で報告した通りだ。その解釈をこちらでディナーの席でちょっと話してみると、「そうすることでより危険なことになっている」という意見を頂いた。

第一回ディベートまであと30分。会場は、公民権運動の激戦地のひとつミシシッピ大学だ。なかには"Tell like it is!"と声をかけたくなっているものもいると思う。ちなみに、デトロイト・ニュース紙によると、ミシガン州の最新の世論調査ではついにオバマのリードが10%まで拡がった。これまで奇人変人のマケインは何度も「ギャンブル」をしかけてきたが、今回の選挙戦中止ギャンブルには誰もひかからなかったようだ。

バトルグラウンドからの報告(5)──もうひとつのサブテクスト

第1回の大統領候補討論会を観た。その素朴な感想。

1.経済問題の比重が大きい
今回の討論会は外交問題がテーマだった。それにもかかわらずはじまってから直後、全体の3分の1まで経済問題、山積する外交問題を背景に現下の経済危機にどう対処するのか、という問題に議論は終始した。オバマが「すべての政府規制は悪であるという考えが悪政の根源です」と言い放ったときには、思わずTell Like It Isと言いたくなった。なぜならばこれは日本の政治にも言えるからだ。レーガン=サーチャー=中曽根から始まる世界規模の問題である。20年もかけてたまった「ツケ」は大きい。ほら、あなたの「田舎」からも「鉄道」が消えていて、「親」が、これまでは新幹線の駅や空港までは出迎えに来てくれたものの、今後はそうもいかない、と感じている、ほらあなた、それが国鉄民営化のツケだ。

2.もうひとつのサブテクストーー世代
民主党予備選のときから、今回の選挙は、ジェンダーと人種がテクストとなりながら、それが正面から取り上げられないまま進んでいるということの奇異さについては、これまでもわたしはいろいろな場で述べてきた。今回、ジェンダー、人種とは別の問題がサブテクストにもぐりこんできた。それは世代の問題である。マケインの言い分は、咀嚼して言うとこういう事だ。「わたしは知っています、そこにも実際に行ったし、ここにも行ったその経験から言っているのですが…」。結論、「わたしの言うことを聞いていなさい、若いオバマさんは何もわかっちゃいないのです」(英語で言うと、I know that 現在完了経験)。Mr. Obama doesn't really knowということばを、パターナリスティックに何度繰り返したことか。道理で人口11万、その3万3千人が学生・大学職員という街ではマケイン支持者にあえないわけだ。このマケインというおじいさんには尾崎豊でも聴かせてみたい。

1988年、当時では大統領候補としては最年長だったジェイムス・ベーカーと、現職で「若い」大統領ビル・クリントンとの討論会をシカゴで観たことがある。その頃はインターネットの時代の草創期(最新のブラウザがネットスケープのv.2、いちばん普及しているメールソフトはEudoraだった)、「わたしのことを知りたければ」とメールアドレスを述べるベーカーの姿に、一緒に観ていた者がみな爆笑したものである。今回は爆笑するよりも、もう痛くなってきた。

そんな痛いおじいさんにオバマは正面攻撃。「問題はナンバーワン、……、ナンバーツー」と理路整然と答える姿は、奇襲も何もなく立派そのもの。もっとも2000年の大統領選挙、政策通のゴアがあまりにも仔細な政策論を展開するのでそれに有権者はうんざりしたという先例はある。しかし、選挙コンサルタントが大活躍する時代、オバマの動きがこの先例を踏まえていないということはありえない。彼らは「正攻法」を選んだのだ。

そんな周囲の人間と話しをして、こんな感じをほぼみんなが受けていた。マケインは、そのまま戦争を続けたらベトナム戦争はアメリカが勝った、と本気で思っている(これは「ネオコン」の思想の支柱でもあるのでそう驚くことではないが…)。これは南太平洋で行き場を失った「旧日本兵」と同じだ。「敗北」の認識すらできない人間が「全軍の最高司令官」なったらいたたいどうなるだろうか。

それにしても、やはりこの選挙が歴史の一幕であることはまちがいない。共和党大統領候補に「黒人」が挑む、本選挙で挑む、その「絵面」は壮観だった。また、「黒人大統領候補」が、"Thank you, University of Mississippi, Ole Miss”と述べる模様を観るのは隔世の感すらする。なお、CNNの調べで、「支持するか否かにかかわらず、この討論会を終えてオバマが勝利する」という意見にYesと答えたものは、63%に終わった。

2008年09月30日

有権者登録について(1)

有権者登録 voter registration という言葉をご存じだろうか。

アメリカの投票では、自治体から投票所の案内を兼ねたハガキが届くというようなことはない。事前に有権者であることに名乗りをあげ、登録をしなくてはならない。

この登録の際に、かつてはさまざまな細工や露骨な妨害がなされ、黒人から投票権が剥奪されてきた。それが、マーティン・ルーサー・キングを「指導者」とする公民権運動が変化させ、1966年公民権法(投票権法)の制定により投票権剥奪は過去のものとなった。少なくとも教科書的理解ではこうなっている。

しかし、2000年にフロリダ州で露骨な投票妨害が起きてから以後、どうやらその事情ははっきりと変わったようだ。以後、数回にわけて、ミシガン州の状況を報告する。

2008年10月02日

有権者登録について(2)

有権者登録を原則的に実施するのは州政府である。アメリカ合州国は、イギリス帝国に抗して独立を達成した国であることから、建国当初より地方自治の気風が強い。地域の状況は地域の人びとがもっともよく知っているという考えから、有権者登録も州政府が実施することになった。

Michigan-Voting-Registration-Brochure-1.gifしたがって、その細則は州によって異なることになる。奴隷制廃止後の南部は、このアメリカ政治制度の特徴を利用し、元奴隷に対しては(1)識字テストを義務化する、(2)投票税を課す、(3)暴力(州政府はこれを取り締まろうとはしなかった)を行使する等々を通じ、投票権を剥奪してきた。一般的に、この南部の制度は、公民権運動によって破壊され、黒人は投票権を得たと理解されている。

左の画像は、南部ではなく中西部のミシガン州が配布している有権者登録の方法を記したパンフレットだ。現在は、民主共和両党の予備選も公選とみなされ、州が管理することになっている。

そこでまず1頁左の日程のところに着目してもらいたい。有権者登録の締切は、そう、来週の月曜日なのだ。これを過ぎて突然投票したくなっても、投票はできない。

さたにはまた、選挙運動も、実質としてこの日までに票を掘り起こしてしなくてはならない。この日を過ぎた後は、文字通り「無党派層」を争う闘いとなっていく。

さて、この有権者登録の法律、実は2005年以後急速にひろまったある傾向を部分的に映し出したものである(このつづきは次回)

2008年10月03日

バトルグラウンドからの報告(6)──オバマ、ミシガン州を確保

本日、マケイン陣営の本部は、ミシガン州から撤退することを発表した。これは実質として共和党がこの州を民主党に譲ったことを意味し、オバマの選挙団獲得が確実となった。

したがって、ミシガン州はバトルが終わった最初のバトルグラウンドとなったのである。意外とあっさりしていた。ここのところオバマ陣営の優勢が伝えられ、支持率の差が拡大しているとは言われていたものの、それはそれで「アナウンスメント効果」(これについてはいずれここで詳しく説明する)をわたしは怖れていた。

この小連載はこれで終わりとなるが、これまで感じたこと、調べたこと(たとえば有権者登録の問題など)はここに引き続き書き記していく。また、「選挙戦から撤退」ということも、日本の選挙の感覚だとわかり難いと思うので、これもまた日を改めて説明する。

それにしても、これからは共和党の破廉恥な選挙公告を見なくて済むと思ったら、ホッとする。

2008年10月06日

有権者登録運動について(3) ── Operation Registration, Get-Out-the-Vote

20081005_voter_regstration_small_jpgこのサイト運営開始となった最初の記事を見て欲しい。わたしは、その頃、2000年の大統領選挙の際にフロリダ州で大規模な投票妨害が起きたことに対する抗議を記している。

その後の2004年もまた今度は北部のオハイオ州で投票妨害が確認された。それを契機に、投票前に有権者の確認を厳格化することを通じて、選挙の実施をスムーズにしようという理由で選挙法の改正が行われていった。

その代表例的手法が、2005年のジョージア州の州憲法改正を皮切りに次々と可決されていった、投票の際に写真付きIDの提出を求めるというものである。

さて、読者のなかで写真付きIDをもっている者がどれだけいるだろうか?

さらに、ミシガン州の改正された選挙法律は、IDの住所は有権者登録を行った住所と同じでなくてはならない。

もっとも、ミシガン州では、IDをもっていないものでも、有権者当人と同一人物であることの誓約書affidavitを書けば投票をできることになっている。ところが、下の州政府が配布している案内書をみてもらいたい。affidavitに関する説明にはゴシック体の強調も何も施されていなく、5頁目の冒頭にさりげなく書かれているにすぎない。

ところで大統領選挙は11月4日に実施される。この日付をカレンダーで見ていただきたい。何か日本の選挙との違いに気づかれないだろうか?。

そう、この日は平日である。したがって投票するためには、午後8時まで行われている投票場に仕事が終わるとすぐに直行しなくてはならない。

さらにまた、アメリカでは投票所の案内が送付されてくることなどなく、どこで投票すれば良いのかの情報を得るのは市民の「自己責任」とされている。そして、これは日本でも同じだが、投票場を間違えると投票はできない。

こう聞かされるともううんざりする人も少なくはないであろう。アメリカで投票することは日本よりも増して面倒くさい、そう言っても過言ではないであろう。

だからこそ、2大政党は、有権者の動員に必死になるのである。

ひとつ下の記事に、オバマがミシガン州を確保したと書いたが、それはこのような事情の強い影響を受けての判断だ。共和党はミシガン州から運動員の大半を引き揚げた。アメリカの選挙では政党が投票場までの交通手段を提供(この国はおそろしく公共交通機関が脆弱である、ほとんどのところが車がなくては生活できない)することは決して少なくない。運動員が少ないということは、したがって、きわめて不利な状況を生み得る。

さて、今日の記事冒頭の写真は、ミシガン大学のキャンパスの中心で有権者登録を行っている民主党運動員の姿である。わたしは有権者登録を呼びかけているマケイン支持者にはついぞあわなかった。

ちなみに、各州で有権者登録の厳格化に乗り出したのは共和党である。アメリカでIDをもっていない人の推計は11%。この数は決して少なくはない。なぜならば、民主主義の原則は、だれもが一票を行使できるというところにあり、この原則だけは譲ることが許されないからだ。アメリカの人口全体に占める黒人の比率が12%。この12%の権利が否定されることで、どんな暗い歴史が作られたのかを考えてみれば、この問題の大きさもわかるであろう。またここで、奴隷解放によっていったんは投票権を得た黒人男性の権利が剥奪されるとき、「黒人は投票してはならない」という法律が可決されたのではなく、婉曲的表現や暴力によってそうされたのだという歴史的経緯も忘れてはならない。

マケインもペイリンもアメリカ市民のこと、ごく普通のアメリカ人のことを考えていると言っているが、果たして投票率の低下を望んでいる政党の候補がそのようなことを言えるだろうか。

昨日、デトロイトのコボ・アリーナでは、Jay-Zが、オバマ応援のために有権者登録を促すコンサートを開き、1万人を動員した。明日、わたしの隣町にオバマ本人が遊説にやってくる。モータウンの故郷、黒人の率が約9割にのぼるデトロイトでラッパーが支援に乗り出せば、製造業の不振に苦しむミシガン州南西部イプスランティ(ミシガン州の失業率は8%強にのぼり、全米平均の3%も高い)の労働者の動員にブルース・スプリングスティーンがやって来る。

そして明日はミシガン州の有権者登録受け付け締切日である。初の「黒人候補」が挑む大統領選挙まで1か月を切った。

次回は、なぜマケインはミシガン州から撤退したのかを、アメリカ大統領選挙の仕組みを解説しつつ解説したい。

2008年10月07日

「オバマ後援会」主催のコンサート(1)

20081006_springsteen_rally_small.jpg隣町のイースタン・ミシガン大学の野球場で開催されたオバマ支援コンサートに行ってきた。来る2月にはスーパーボウルのハーフタイムショウに出演することが決まっているブルース・スプリングスティーンが出演、しかも入場料は無料だ。

右の写真(クリックすると拡大)は、その最寄りのバス停に張られていたビラである。そうこの日、ミシガン州は有権者登録受付の締切を迎えた。もちろんビラを貼っているのはオバマ陣営なのだが、このブログでも何度も述べてきたが、わたしはほんとうにマケインがこのような努力をしているのを見たことがないのである。

スプリングスティーンは黒人アーティストではないではないか、と思われるふしの方もいらっしゃるかも知れないが、わたしは実は高校生の頃より彼の大ファンである。彼は実はブルージーなのだ。かつての白人の強烈なフォーク・ロック・シンガーはブルージーである。公民権運動のテーマソング、「ウィー・シャル・オーヴァーカム」はそのような伝統が息づく、テネシー州のハイランダー・フォークスクールで生まれた。

労働者階級の奥底に深く入っていけば、黒と白の境界は消えていく。

さて、スプリングスティーン曰く。「俺の敵はどうやら退散したそうだが、まだ勝利を当て込んではならない、後はどれだけの人間が選挙当日に票を投じるかが問題だ」。

さて人種の観点から見たこのコンサートの報告はこれから少しずつ行っていく。次にこのコンサートに触れるときには、まずは観客層について思ったことを綴りたい。

2008年10月09日

有権者登録運動について(4) ── Blue States と Red States

さて、このタイトルで前回予告したように、少々堅苦しいがアメリカ大統領選挙の仕組みを紹介しよう。

昨日の大統領候補テレビ公開討論を終えた直後のCNNの調査では、ついにオバマの支持率が54%に達した。しかし、これは大統領選挙に必要な「票」の54%が支持したことを意味しない。

アメリカの大統領選挙は、州ごとに票の集計が行われ、州の第一位の者がその州に人口比に応じて割り当てられた選挙団 electorate を獲得するという仕組みになっている。そのため、人口の少ない州でいくら「強烈に優勢」であっても、大きな州で「僅差で敗北」を続ければ、選挙には負けることになる。したがって、算術的な計算のうえでは、獲得票数で勝っていても、選挙戦略をまちがえれば選挙自体に負けることもあり得るのだ(実際にそのような事態が生じそうになったこともあるーー歴史的事例に関してはヴァージニア大学が運営している Geostat Center の地図がわかりやすい)。

では、この選挙団の獲得数にみる「支持率」も、最近ではネットですぐに見られるようになった。たとえば、Electoral - Vote.com が提供する速報は、歴史的時系列的な地図も簡単に見られ、もっとも親切でわかりやすいものになるである。ちなみにこのサイトはRSSフィードはもとより、 iPhone 用のアプリ(iPod Touch でも動くはず)もあるので便利である。

さて、この地図を、特に南部に着目して、少し前の選挙までさかのぼって見てほしい。

南部とロッキー山脈の諸州では、なんと驚いたことに、1974年の選挙以来一貫して共和党候補が選挙団を獲得している。そしてまた、驚いたことに、ニューイングランドの北東部の州は、入れ代わって民主党が一貫して選挙団を獲得している。

アメリカの報道機関は、このような地図を描くにあたり、民主党が獲得した州を青色、共和党が獲得した州を赤色で塗る。いわゆる「Blue State と Red State の対立」という構図は、このような事情を反映して言われるようになったことである。

そしてここで強調したいのだが、黒人を初めとするマイノリティの権利に敏感(それを遺憾に思う人間は「マイノリティに対して甘い」と言うだろう)だった民主党は、南部の州を「失った」のである。「失った」と言うのは、1968年まで、つまり公民権運動がいちおうの「終結」を迎える年まで、南部は民主党の「牙城」(英語では Solid South と言う)だったからだ(このような事態の転変についての詳細は右の本が詳しい)

なお、いま先ほど放送されていたCNNは、ミシガン州が民主党に傾くのが有力になったので、「オハイオ州とペンシルヴェニア州が鍵を握る」と報道していた。このふたつの州は、上のリンクにみるように、大票田とは言えないものの、キャスティングボートを握るには十分の選挙団をもっている。

マケインがミシガン州から「撤退」したのは、このような事情を考慮してのことである。野球に喩えてみよう。9回まで12対0。そこで抑えのエースを投入する監督もいなければ、さぁ反撃だと怪我で休ませている主力打者を代打に送る監督もいない。ふつうならそのような「余力」は「次の試合」に「温存」させる。それが指揮官というものだ。ここで「最後まで全力でやるのが本来の姿だろう」などと「正論」を言っても通用しない。アメフトに通じている方ならば、最終クォーターを迎えて、もう敵側がどう考えても逆転できないとわかった時分には、たとえゲームが続いていても、スポーツドリンクをヘッドコーチの頭にかける「儀式」が行われているのを観たことがあるだろう。そうこれはプラグマティックな算術の世界なのである。

ここで気づかれた方もいるかもしれない、ヒラリー・クリントンが不評を買いつつも自分こそが electable だと主張し続けたことの根拠には、このような算術があった。スーパーチュースデイ以後のオバマの脅威的な連勝は、実は本選挙になると民主党には勝ち目のない Red State で起きていたのだ。

ところで、CNNと違った観点から、わたしはこの選挙がほんとうに Change を意味するならば、それはくどいようだが(結果はともかくも)ミシガン州の投票「動向」と、ヴァージニア州やノース・キャロライナ州などのバトルグラウンドとなっている南部の州が重要な意味をもつと思っている。では次回のこのエントリー題での記事はこの点について詳述しよう。

2008年10月11日

バトルグラウンドからの報告(7) ── ついに身体を腐食し始めた人種主義の毒

わたしがお世話になっている研究所の人と選挙の話をしていて、こんなことを言う人がいた。「民主党も共和党も直接に人種を問題にすることを必死になって避けている、だけどこの選挙の争点のひとつは間違いなく人種だ、必死になって避けているがゆえに、返って危険な状況が生まれている」。

ちょっとわかりにくい話ではあるが、少しそこのところを最近の展開をふまえて解説したい。

CNNの看板番組 Anderson Cooper 360 が報じ、今日もLarry King Live が詳述しているところによると、ミネソタ州でのマケインを支援するタウンミーティングでこんなやりとりがあったらしい。

白人女性:「わたしはオバマを信頼しません。彼について書かれているものを読んだんですが、彼はアラブ人ではないですか」

マケイン:「いえ、そんなことはありません。彼は家族を大切にする立派な人物です。わたしはただ根本的政策で違う意見をもっているだけなのです。この違いこそが選挙運動で大切なのです」

次には男性が「わたしはもうオバマが怖いんです、怖くて仕方がありません」。

映像を見ると、マケインはそうとう慌てている。「何も怖いなんて…。怖くなんかありません」とやみくもに否定するだけ。

第2回の討論会が終わって以後、共和党は新たなオバマ攻撃材料を選挙戦に持ち込んできた。バカらしいことではあるが、それはオバマの名前。彼の名前をミドルネームまで正確に綴ると、それはバラク・フセイン・オバマになる。共和党幹部は、このフセインというところを殊更強調する選挙演説を行ったり、サラ・ペイリンに至っては「テロリストとねんごろになっている」"pal around a terrorist"(これはオバマの支持者のなかに、60年代の連続爆弾犯の過激派がいるのを揶揄したもの)とまで述べてきた。下にあるクワミ・キルパトリックとの関係をやり玉にあげる公告と良い、遠回りのメッセージとして、「こいつはまっとうなアメリカ人なら信頼するはずがない「人種」に属している」と言い続けてきたのである。

ところが、「上品になったアメリカ」では、人種主義に訴えることを直截な表現で公共の場で行ってはならない。なぜならば、そうすることで離反する人びとが着実に増えているからだ。

世は「ブラッドレー効果」の時代。この時代にあっては、世論調査の調査員に対して対面を取り繕う層(英語でswing vote、敢えて訳せば「無党派層」になろうか)に訴えてこそ意味がある。しかし、無党派層はこれでは離反する。なぜならば、彼ら彼女らは世論調査の調査員に対しても「本性」を見せることができない人びとだからだ。

したがって、人種主義に訴える共和党に戦略は、「わかるひとにはわかる」形、「コード化されたことば」coded wordを使ってこそ、最大の効果があがる。直截で赤裸々な人種主義はリスクが高いのだ。クスリはリスク…

ところがミネソタの女性は、直截に言ってしまった。こまったのがマケイン。ここで

「はい、そうですアラブは信用なりませんし、怖いんです」

と言えばどうなるであろう。

イラク戦争の最大の支持勢力はサウジ・アラビアやアラブ首長国連邦。アメリカはそもそも湾岸戦争のときに、クウェートを救うために戦争を率いた。大統領候補が「アラブは信用ならない」と言ってしまったら、これは「アメリカの国益」にも大きな悪影響を与える。

それを民主党が見逃すはずがない。ああ、しまった、大統領候補討論会もまだ一回残っている。

しかし、共和党は、この女性が勘違いしてもおかしくないような運動を展開してきたのである。その「毒」が早くまわり始めてしまった。それで共和党自身が「解毒」に必死だ。この「毒」は、「共和党に一票」分だけ効いてくれば良かったのだ。しかし、どうやら悪辣な公告の度が過ぎたようである(『ニューヨーク・タイムズ』論説文のマケイン批判を参照)。

さてもう一度

「民主党も共和党も直接に人種を問題にすることを必死になって避けている、だけどこの選挙の争点のひとつは間違いなく人種だ、必死になって避けているがゆえに、返って危険な状況が生まれている」

2008年10月12日

バトルグラウンドからの報告(8) ── ジャッキー・ロビンソンとバラク・オバマ

英語で play hardball という慣用句がある。文字通りだと、「硬式で試合をする」だが、これは「激しくやりあう」という意を持つ。

日本であまりにも一般化したスポーツだけにわかり難いが、野球は危険なスポーツである。いわゆるアメリカの4大球技(ベースボール、フットボール、バスケットボール、アイスホッケー)のなかで考えても危ない部類に入るだろう。よく「野球をやっていた」と言う人がいるが、そのなかで「公式野球」をやった人はあまり多くはいないはずだ。何はともあれ、石のようなボールが当たると痛い。

そして野球というスポーツは、痛いときに痛いやつはたいていひとりだ。

体が接触するプレーだと、相手に怪我をさせるようなことをした場合、そのプレーの激しさで自分も傷つく危険がある。だからハードなプレーには自ずとブレーキが働く。しかし、野球はちがう。ピッチャーが遠くからバッターの頭を狙えば良い。

1947年、ブルックリン・ドジャースのプレーヤーとして、黒人として初めてのメジャーリーガーになったジャッキー・ロビンソンは、その選手生命のなかで、何度も文字通り生命を狙われた。黒人が「でしゃばる」ことを良く思わない投手から、フラッシュボールどころか、頭めがけて何度も何度も何度もボールを投げられたのである。

現在なら、そんなことがあれば、乱闘試合になる。しかし、ジャッキー・ロビンソンは、ひたすら耐えた。そもそもロビンソンを「抜擢」してくれたドジャースのオーナ−、ブランチ・リッキーとの約束が「反撃しないこと」「かっとならないこと」であったし、当時の時代状況からして、反撃したりすれば、ロビンソンは非難の嵐に巻き込まれたであろう。だから耐えに耐えに耐えに耐えた。それは己の生命すらも危うくすることだった。

さて、サラ・ペイリンが、暴言を吐いてたまらない。ところが、それに対しオバマが反撃すると、上のような公告を流される。

白人に対して黒人は手をあげてはいけない。これはロビンソンが生きていた時代のアメリカの掟だった。

白人女性のことを黒人は語ってはいけない。これは奴隷解放後からいままで生きているアメリカの掟のようだ。一度のペイリンを(正当に)批判し上のような公告を流されて以後、彼はひたすら耐えている。

おそらくリスクは多いのにも関わらず、政治家としての業績は凡庸なペイリンを起用したのは、共和党の戦略的思考による。「「黒人男性」が「白人女性を襲っている」」という構図をコード化した形で描くことにより、サブリミナルな人種主義に訴えかけようとしたのだ。もう一度、リンクを貼った動画が観てほしい。ここに描かれている「絵」は何だろう。

このような「きわどい」選挙戦に立っているオバマの支持者のなかでは、最近は「聡明なすばらしい人だとはわかっていたが、最近になってすごく勇敢 brave な人物なんだというのがわかってきた、普通の人には耐えられないことを耐えている」という人も現れている。

わたしもそう思う。

「黒人初めて」となった人物は、ジャッキー・ロビンソンのような苦しみをみなが経験してきた。いまその溜飲がおろされようとしているのだ。「黒人初のアメリカ合州国大統領」、これが誕生すれば、以後、この国からはロビンソンの苦しみは消える。

ここに「黒人団結票」が存在する理由がある。喧伝されている「ポスト人種」の時代が来るとすれば、それは2008年11月5日だ。

2008年10月13日

バトルグラウンドからの報告(9) ── 「わたしはオバマが怖いんです」の動画

YouTube に、10月11日に報告した事件の動画がアップロードされている。

これでみてわかるように、マケインは明らかに動揺している。必死に「オバマはアラブ人」という言明を否定していることからわかるように、この人は悪い人ではないようだ。

しかし、少し卑劣な「火遊び」が過ぎた。

再建期の人種暴動も、南部公民権運動の暴力も、政治家が煽りに煽って起きたこと、それをどうやら忘れてしまっていたらしい。

2008年10月15日

バトルグラウンドからの報告(10) ── ミシガン州、当然、オバマがリードを拡大

『デトロイト・ニュース』紙が報道した世論調査によると、10月8日現在、ミシガン州でのオバマのリードはついに二桁台に達した。

オバマ:54%
マケイン:38%
未定;7%

ちなみに前回の調査では

オバマ:48%
マケイン:44%

となっている。ミシガン州からマケイン陣営が撤退したことがはっきりと響いてきている。

しかし、これはまだ「ワイルダー効果」によって本選挙で逆転が起きる可能性が有り。

アメリカ時間の今夜は最後の大統領候補討論会だ。

2008年10月16日

バトルグラウンドからの報告(11) ── オバマ陣営、ミシガン州の余力、他州へ移動

本日『デトロイト・ニュース』紙が報じたところによると、ミシガン州の民主党は、大統領選挙の活動にあたっている運動家の半分を、ほかのバトルグラウンド州に移動する意向らしい。これはこのところの同州でのオバマ有利の報道を受けてのこと。CNNなどはすでにこの州を青色に塗り替えた。

これで焦点となる州は、ほぼ

・フロリダ
・オハイオ
・ペンシルヴァニア
・ヴァージニア

に絞られてきた。さらにはテキサスでの共和党の苦戦も伝えられており、ともすれば大きな「地滑り」が起きる可能性すらできている。

さて、ミシガン州が民主党陣営に入った。これは今後を占う意味できわめて大きな意味をもつ。次回はこのことについて、先日行った民主党の集会を参考に解説してみる。

バトルグラウンドからの報告(12) ── 「オバマ後援会」主催のコンサート(2)

20081015_obama_rally_small.jpg1980年の大統領選挙、ミシガン州はその後のアメリカの選挙政治を特徴付けるひとつの「政治集団」を生み出した。レーガン・デモクラットがそれである。

1936年の選挙以来、アメリカの民主党は二つの大きな支柱をもっていた。それは黒人を始めとするマイノリティと労働組合である。ところが、1960年代以後、民主党がマイノリティの権利を擁護する姿勢を強めるなか、白人労働者階級は自分が支持してきた党に「見捨てられた」と感じ始めていった。

それはある意味では自然なことである。経済全体が拡大しない限り、マイノリティの生活が向上することは、彼ら彼女らと階層を接していたものたち(具体的に言うと、白人労働者階級)の間での経済競争の激烈化、いわゆる「パイの分け前争い」につながってしまう。その実、1970年代以後、アメリカ経済は長期の不況に見舞われ、経済の拡大どころではなかったのだ。

この時代を象徴するのが、日本製の自動車の「洪水」のようなアメリカ市場への進出である。ミシガン州は、フォード、GM、クライスラーが本社を抱える場所。この州はかつては「民主主義の兵器廟」(自家用車生産は戦時には簡単に軍用車両生産に切り替えることができる)と呼ばれた世界の自動車工場である。

この時代(第二次大戦期から1970年代まで)の経済体制を、ケインズ主義経済とも言えば、フォーディズム体制とも呼ぶ。フォーディズムの中核には労働組合が存在した。そのなかでも最大の組合が全国自動車労働組合(United Automobile Workers Union、UAW)であり、その本部はミシガン州デトロイトにある。この時期、日本でも、デトロイト発のニュースでアメリカの労働者がトヨタの自動車をハンマーでたたき壊す画像がよく伝えられたし、ビンセント・チンという名前の台湾人が日本人に「間違えられて」殺害されるという悲惨な事件も起きた。

この体制は、白人労働者階級(日本ではより穏便に響く「勤労者世帯」という言葉がなぜか好まれる)とマイノリティが利害の一致を見ている限り維持されるものだった。ところが、1980年、ケインズ主義的な経済政策、いわゆる「大きな政府」を解体することを中核としたロナルド・レーガンが提唱した政策が白人労働者階級に訴求したのである。実際のところ、英語ではただ working class と言うことの方が多いが、通例、ただ単に working class と呼んだ場合、そこに黒人は入らない。これは、正確には「黒人と利害が対立する階級の白人」を意味する「コード化された言葉」coded word のひとつである。そして日本人に向けられた敵意は、もちろん、黒人にも向けられたのだ。

しばしばデトロイト郊外のマコム郡は「レーガン・デモクラットのふるさと」と呼ばれる。

さて、日本でも広く報道された民主党予備選挙、特にその後半になってバラク・オバマは労働者階級に人気がないということが言われてきた。このときに白人労働者階級の支持を得ていたのは、もちろん、ヒラリー・クリントンである。したがって、11月の本選挙での問題は、このクリントン支持層がどう動くかにあった。

ミシガン州でオバマの支持率が高い。これは、では、何を意味するのであろうか?

白人労働者階級から広く支持を集め始めていると見なすのが自然であろう。ここに至ってのオバマへの追い風は、気がついてみれば業界こぞって悪徳高利貸し商法に加担していた未曾有の金融危機から吹いていることも確かである。規制緩和、規制緩和と、政府は小さければ小さいほど良いと唱えてきた政治のツケなのだ。これを何とかするためには、それこそ「根本的な改革」fundamental change が必要である。政治を考える思考自体を変えなくてはならないのだ。

さて、左上の写真は、ブルース・スプリングスティーンが駆けつけたオバマ支援集会の観衆の姿である(画像クリックで拡大)。小さな球場を埋め尽くしたその人びとは白人労働者階級だ。この集会のチケットには所属する組合の名前を記す欄があったが、そこに何らかの名前を書いた人はきっと多い。

1980年代以後の共和党の優勢は白人労働者階級とマイノリティとを敵対させることによって維持されてきた。今回、それが揺らごうとしている。少なくともミシガン州では大きく揺らいでいる。

スプリングスティーンは、下の YouTube ビデオで観られるように、「敵は退散したらしいが、まだ安心するには早いぜ」と語るとともに、これ以後、オハイオ州のコロンバス、ヤングスタウン、ペンシルヴァニア州フィラデルフィアでの集会に参加すると述べている。そう、これまでこのブログを訪問された方はご存じのように、これらはバトルグラウンドだ。

ちなみに彼は一貫して民主党支持であり、2004年にもジョン・ケリーの選挙応援を行った。きわめて「アメリカ的」に思える彼は、しかし、偏狭な「愛国心」のシンボルとして利用されることがある。それを最初に行ったのは、Born in the U.S.A.が大ヒットしていた1980年のロナルド・レーガンである。レーガンの政治利用を聞いた彼は、その後に行ったコンサート会場で、自分の立場を明確にするため、1970年代の鉄鋼不況を綴った名曲、"The River"を、アメリカ労働総同盟・産別会議会長に捧げると語って歌った。

ミシガン州での流れが何らかの意味を持つとすれば、それはこれらの州も「雪崩を打って」民主党陣営に加わるかもしれないということであろう。「レーガン・デモクラットのふるさと」が「本来のふるさと」の民主党に帰ってきたのだから。

本日の朝の時点でのCNNの予測では、マケインが勝利するには、まだ接戦となっている諸州で全勝するしかないらしい。予測は所詮予測だが、わたしがここで述べてきたのはこのような単なる数字上の計算ではなく、バトルグラウンドで感じた観測である。

よく言われているように、バラク・オバマは、これまでの「黒人政治家」とは異なる。ジェシー・ジャクソンにせよ、アル・シャープトンにせよ、かつて大統領予備選に出馬した黒人政治家は、選挙に勝つことではなく、選挙運動を通じて黒人のおかれている環境に対する関心を高めることが目的だった。ところがオバマの場合は、あくまでも勝利が目的である。ミシガン州での選挙戦は、同州の歴史上最大の選挙運動だったと報じられているが、それは勝利を目的にするオバマの選挙運動全体のなかで、この州が占める政治的意義が大きかったからだ(このカッコの部分は、討論会の報道を観たあとに書き足している、オバマはアメリカの経済的苦境を語るのに「デトロイト」という換喩法を用いた)。

さらに、南部ヴァージニア州やノース・キャロライナ州もオバマが逆転しそうになっている。ここはラストベルトと呼ばれる中西部や北東部とは違った意味合いを持つが、その解説は次回に譲りたい。そろそろ大統領候補討論会の時間だ。

2008年10月17日

バトルグラウンドからの報告(13) ── 怒らない「黒人政治家」

マケインは「時には怒りを見せ、また別のときには毅然として」振る舞い、オバマは、マケインからの攻撃をかわすにあたって「時には穏やかに、また別のときには参ったなという表情」をみせた。これは本日の『ニューヨーク・タイムズ』紙の一面に掲載された昨日の大統領候補討論会に関する記事である。

黒人男性が白人女性を攻撃してはいけない、それはタブーを破ったことになる、という切り口から、「黒人初」の人物が追わなくてはならない重責についてつい最近ここで解説してみた。オバマは、感情的になって挑撥するマケインの手口には乗らなかった。黒人は怒ってはならないのである。

抗議運動型の「黒人指導者」、たとえばジェシー・ジャクソンやアル・シャープトンなら事情は別だろう。彼らの選挙戦は勝つことではなく、怒りを表現することに意義があり、その存在は決して軽んじてはならない。彼らのような存在はこれからも必要であろう。ところがオバマは違う。

マジョリティが白人のアメリカにあって、「黒人政治家」が必ず行わなくてはならないことは、「わたしは信頼できる人物である」ということがまず一つ。そしてそれにも勝るとも劣らず重要なのは「わたしは決してあなたに「復讐」はしない」ということを言外に伝えること。

誤解を恐れずに思い切って日本の文脈に置き直して考えてみよう。将来、在日コリアンの首相候補が出てきたとする。その候補が大日本帝国時代の日本のアジア政策をことあるごとに非難したとしよう。それでも結構主張は前向きだ。こんなことを言ったとしよう。「日本はかつての悲劇を乗り越えて、アジアの新しい時代を切り開かなくてはならない」。でも必ずこう言う。「あのときの犯罪行為をわたしは決して忘れません」と怒り猛って語る。さて、市民からこの候補は高い人気を得ることができるだろうか?

20世紀初頭の国際外交や世界秩序が帝国主義的拡張主義を必要としていた、だから日本がやらなければ逆にやられていた。これはいわゆる「自由主義史観」が唱える常套句だ。そしてこのような史観を述べるものはこう言うことがある。「日本がやったことは西欧が奴隷貿易を行ったようなこととはまったく違う、だいたい台湾や韓国には帝国大学を建設したのではないか」。

さて、奴隷制を行った人びとは逃げ場がない。そしてその実、この「犯罪行為」の「言い訳」をするのはたいへんなことだ。奴隷制を正当化する論理がないわけではない。たとえば野蛮なアフリカ人を文明化した、という主張がそうだ。ところが、このような論陣を張る人間は「ナチの亜流」と見なされるのが通常である。ほんとうに奴隷制を行った人びとは逃げ場がないのだ。

そのような歴史的経緯があるなかで「怒り猛った黒人」に票を投じるのは簡単なことではない。もちろん簡単に行える開明的な人物も多いが、大統領選挙を支配するほどそのような開明的な人物は多くはない。

つまり、《過去の歴史的悲劇に罪障感をもちつつもどこかで自分を防御したい人物》が固めた「疑念」と「防御」の腕組みをそっと優しく解いてやらなくてはならないのだ。

おそらくオバマはそれに成功したに違いない。今朝発表されたCNNの予測では、本日投票が行われた場合、オバマが選挙戦を制するらしい。ここまでどちらか一方に選挙戦が傾いたのは今回は初めてだ。

もちろん、これは「本日投票すれば」という仮定条件がついた予測である。まだ投票日まで19日ある。その間、たとえばオサマ・ビン・ラディンをついにアメリカ軍が逮捕したとしよう。このような劇的な事件が起きた場合、一気に形勢が逆転する可能性がある。

『デトロイト・フリー・プレス』紙は、昨日の討論会を報道するにあたり、「討論会第3ラウンド、両者強打の応酬」という大見出しを掲げた。わたしはこれとは違った見方をした。オバマは強打を繰り出していない。マケインの強打をかわしただけだ。

その姿は「時には蝶のように舞い、また別のときにはハチのように刺す」、ミシガン州のどこかにいまは静かに住んでいるあの人物、「もっともグレートなやつ」、モハメド・アリの姿を彷彿させるものだった。

2008年10月20日

バトルグラウンドからの報告(14) ── コリン・パウエルが描いた〈人種〉のサブテクスト

アメリカNBCテレビの日曜日午前中の人気番組 Meet the Press で、コリン・パウエル前国務長官/元統合参謀本部長が「バラク・オバマに投票する」と語ったことは、ネットで見るかぎり、日本にも素早く伝えられているようだ。

だが、日本での報道は、彼がインタビューで語ったことの核心部、もっとも大きな反応を引き起こしている部分を伝えていない。彼は、政策論でオバマが優れているからオバマを支持するなどとは言っていないのだ(YouTube のリンクを参考)。

彼はこのインタビューで、わたしがこのブログで度重なり伝えてきた、共和党のネガティヴ・キャンペーンに対する激しい嫌悪感を示している。そして、肝心の部分は終わりにさしかかったところだ。ここは、以前ここで紹介したミネソタ州でのマケイン集会で起きた事件、オバマはアラブ人だから怖いといった女性の発言を否定し、その上でオバマの人格を賞賛してしまったマケインの行動に表れた「偽善」を実にするどく突いている。

逐語訳はできないが、おおまかに言って彼が言っていることはこうだ。

「オバマ上院議員はムスリムではありません、そうです、それは当たり前のことです、彼はムスリムではない、でもムスリムではないということそれ自体に何の価値があるのですか、アメリカ人のなかにムスリムがいてはいけないのですか、こんなことを見たムスリムのアメリカ人の子供がいったいどんな気持ちになるかわかっているのですか、わたしも「政治」が何だかはわかっていますが、それにしてもマケイン陣営がやっていることは行き過ぎです」。

大胆且つなるべく面白くなるように例えたら、こうなるだろう。

共和党はずっとこう言ってきた。「対抗馬のアタマは薄くなっている」。

そうするとやがて有権者のなかに、「あの候補はハゲでしょう」という人が現れてしまった。

それで共和党選対は否定に必死になる。「いえ、そんなことはぜったいに言っていません。わたしたちはアタマが薄いと言っていただけです。ハゲなんて言ってません。あの候補はハゲではありません、立派な人格者です」。

ハゲはたまらない。なぜなら、こう言われたとたん、《ハゲ=非人格者》というとんでもない等式ができるから。

コリン・パウエル、この人物の識見が高いと思ったのは今回がわたしは実は初めてだ。それにしても、彼が今日行った指摘はすばらしい。誰もこのような視角から論じようとしなかったのだ。アラブ人の気持ちがわからなかったのだ。

ずっとわたしは言ってきた。この選挙のテクストは人種である。それがサブテクストになっている。《黒人/白人》の関係論に拘泥してきたために、わたしはほかの軸が見えなくなってしまっていたようだ。

パウエルがこのことに気づいたのは、彼がさまざまなフィールドで「黒人初」を経験した人物だからだろう。彼を(意識やアイデンティティの面で)黒人だと思ったのもわたしは今日が初めてだ。

しかし誤解のないように断っておくが、それは彼がオバマを支持したからではない。支持するレトリックに彼の黒人性が現れているのだ。

2008年10月22日

バトルグラウンドからの報告(15) ── アナウンスメント効果と民主主義

この前ここで説明したブラッドレー効果と違い、日本の選挙でもしばしば言われることだからご存じの方もきっと多いかもしれない。大統領選挙は、各種の世論調査やわたしが肌で感じたことから考えて、今度は「アナウンスメント効果」を考えなくてはならないところに来たようだ。第3回の討論会後、オバマ陣営は「安心するのはまだ早い」と言っているが、それもこの効果を考えてのことであろう。

アナウンスメント効果とは、世論調査である政治勢力の優勢が伝えられた(アナウンスされた)場合、その優勢の政治勢力とは反対の党に投票したり、もしくは勝利が確実だと当て込んで投票に行かないという動きが現れることを言う。

民主主義とは、実に良くできた制度だ。極端な方向に政治が傾かないようになる動きが組み込まれているのである。ほかに良い制度があると夢見ることはできるだろうが、現実としてわれわれはこの制度以上に優れているものを知らない。

そして、これはまた後日詳述したいが、「民主主義とは衆愚政治だ」と発言したり、「政治を知らない素人とそれを知っているプロとが同じ一票だというのはおかしい」とか述べたり、「民度が低い」などというわけのわからない語彙を駆使したりする人間に限って、民主主義それ自体への理解はきわめてお粗末なものである。彼ら彼女らは、そのような言辞がファッショな政治に利用されるということをまったくわかっていないのだ。民主主義が作り出した自由な言論空間があるからこそ、自分たちの無知ぶりが「商品」として流通できるのにも関わらず、その自分自身が依拠する大枠の世界のことをまったく理解していないのである。

実のところ、黒人研究に従事しているわたしの識見からして、わたしはそのところ(民主主義の価値)を簡明かつ論理的に説明することはできない。そこで民主主義が良い制度だということに疑問を持たれる方は、是非右の書を参考にしてもらいたい。

さて、日本語でいう無党派層、英語でいう independents とは、政治に関心がない層を言うのではなく、強い関心を持つがゆえに特定の党派を支持しない人びとのことを言う。幅広く報道されているように、現代政治を趨勢を決めるのは政党政治ではなく、この層の支持をどのようにして取りつけるかにある。

具体的に言ってこういうことだ。小泉純一郎元首相が「民意に訴えかけた郵政選挙」、知っての通り、自民党が空前の圧勝をした。衆参ともに単独過半数を獲得した自民党の勢いに対し、しかし、その後すぐに脅威論がでてきた。「勝たせすぎはまずい」というのがその論理の骨子である。単独で改憲すらできる勢力になったのだから、そこに脅威を感じてもまちがいではあるまい。

すると、もう同じ候補で投票しましょ、ということになると、違う投票行動をとる人びとがきっと現れてくる。各種世論調査が毎日のように発表される現代政治では、この「もう一度投票しましょ」気分をもつ層をいかに引き込むかが鍵を握るのだ。だから、長い時間がかかってその後の参院選で、そのような人びとは(日本の)民主党に票を投じることになった(「長い時間」をかけないためには、予備選を行うのがいちばんてっとり早い)。

オバマは、民主党予備選以来、実に巧みにこの層を取り込んできた。そもそも当初は「大統領になるのが不可避の候補」 inevitable candidate と呼ばれたヒラリー・クリントンを苦戦に追い込み、そして最終的には撤退させた力はそこにある(大統領を夫に持つがゆえに、民主党員・民主党支持層の支持を獲得するのは当然のことだったから)。

オバマのこの優勢ぶりはアナウンスメント効果を危惧してあまりある。なぜならば、彼の支持層の多くは無党派層だからである。

これまでも述べてきたように、黒人の「団結票」だけでは大統領選挙に勝つことはできない。

ところで、ずっとこのブログのエントリーのカテゴリーが「政治」と「選挙」になってしまった。それでも実のところ、この「歴史的選挙戦」はまだまだ語りつくせていない。それでも投票日まで2週間を切った。そこで、それまであるたけのことを語れるように、「事件」が起きないかぎり、次のテーマを予告したいと思う。

次回は、では、この選挙戦がもつ歴史的意味について語ろう。歴史的と言っても、「史上初」という類のものではない。あとから振り返ったときに、この選挙が歴史の分水嶺になるかもしれない、そんな可能性についてコメントしていきたい。具体的に言うと、次は、現在バトルグラウンドになっているヴァージニアとノース・キャロライナの結果が持つ意味である。それまで時間がある方は、ヴァージニア大学の図書館が提供している大統領選挙結果の地図を、1968年以後の南部の帰趨に着目して見ていて頂ければ幸甚である。

2008年10月26日

バトルグラウンドからの報告(16) ── ヴァージニアとノース・キャロライナの帰趨が持つ意味

いよいよ大統領選挙もあと10日を残すばかりとなってきた。ここまでのところオバマの圧倒的有利。その勝利のあとに述べることになると、「後出しジャンケン」に近いものになってしまうので、投票日が来る前に述べなくてはならないことは急いで述べておきたい。次期大統領は、おそらく3名の最高裁判事を指名するといわれている。現在最高裁は保守派に力が傾斜していること、そして判事には任期がないということを考えると、共和党の勝利は今後約20年間の保守政治を意味し、民主党の勝利は保守からリベラルへの潮流の変化を示す。そのことを考えても、今回の選挙が将来にもつ意味は大きい。

そのことを踏まえたうえで、前の予告にしたがって、今回は中西部のバトルグラウンドではなく、南部のヴァージニア州とノース・キャロライナ州が今回の選挙で持つ意味から始めよう。

これまでの大統領選挙の結果を見ればわかる(ヴァージニア大学のサイトのなかにあるこの地図がわかりやすい)ように、1972年のニクソンの強烈な地滑り的圧勝以来ジミー・カーターが勝利者となった1976年を除き、南部は一貫して共和党の「票田」となっている。さらに重要なことに、これら共和党陣営に加わった諸州は、1968年に人種隔離の維持を訴えて民主党から離脱し、独自の選挙戦を展開したジョージ・ウォーレスの票田を継承しているということだ。

つまり、公民権運動を陰から支援し、公民権法制定の原動力となった民主党は南部から「見捨てられ」たのである。ノース・キャロライナ州のジェシー・ヘルムス、サウス・キャロライナのストロム・サーモンド、ジョージア州のニュート・ギングリッジ、ミシシッピ州のトレント・ロットなど共和党保守派は多くこれらの南部から選出されている。

ところでオバマはこれら南部諸州で圧倒的強さを示した(『ニューヨーク・タイムズ』のこの地図をみればよくわかる)。日本でその頃よく語られた表現が「黒人人口が多いこの地域ではオバマ氏の圧勝が予測されます」といったものだった。

しかし、この表現は、大統領選には通用しない。これらの州の多くで民主党は勝利を見込むことがまったくできないのである。その事情は、南部出身であったビル・クリントンでさえ、南部共和党保守派の力を崩すことができなかったことから明らかだ。

ところが南部のなかでもいわゆる「境界州」と呼ばれるヴァージニア、19世紀後半より比較的リベラルなことで知られていたノース・キャロライナは、今回バトルグラウンドとなっている。そしてオバマは、民主党予備選のとき、ヴァージニアでは64%対34%、ノース・キャロライナでは56%対42%という二桁台の差をつけてヒラリー・クリントンに圧勝した。

なぜならば、ヒラリー・クリントンは、これらの州はいずれにせよ本選挙で共和党の票田となるのが確実なため、目立った選挙戦は行わなかったのである。

この民主党予備選の地図と、世論調査の最新動向を横にしてみれば、ヒラリー・クリントンの選挙戦が本選挙をにらんで実に手堅い戦略に依拠していたのがわかる。「共和党支持州 Red State」で確実に勝利をすることでオバマは、ヒラリー・クリントンを追い込んでいったのである。だからこそ、「大統領になるのが不可避の候補」 inevitable candidate を自負していたヒラリー・クリントンは「本選挙で勝てる力をもっているのはわたし」となかなか負けを認めようとしなかった。

しかし、ノース・キャロライナ州は、10月23日の世論調査で、49% 対 46%でオバマが若干の有利、ヴァージニア州に至っては51.5% と 44.0%と、「ワイルダー効果」を踏まえてもオバマが勝てるほどの大差でリードとなっている。つまりヒラリー・クリントンが「諦めていた州」が民主党に傾きつつあるのだ。

ヒラリー・クリントンは、南部で民主党が勝つのは厳しいと目した。ここでもう少し歴史的経緯を踏まえて考えてみよう。南部で民主党が地盤を失ったのは、ほら、公民権法とその後のマイノリティ政策が原因である。そしてクリントンはまだその「失地回復」はできないと考えていた。

ところが「黒人候補」がそれを獲り戻ろうとしているのだ。これは、アメリカの人種関係、そしてそれに多く規定され続けるアメリカの政治の変化を語ってあまりある現象だといえよう。最終的選挙結果がでなければ何ともいえないところではあるが、「アメリカ政治の歴史的変化」が起きる可能性があるのだ。

政治や社会はゆっくりにしか変わらない。それを踏まえるとゆっくり変わっていくところを、政治や社会をみつめるものはじっくりと見なくてはならない。そして、いま、そして、バトル・グラウンドでゆっくとした変化が起きそうなのである。

戦後の大統領選挙で、「地滑り的勝利」 landslide victory と呼ばれた選挙は3回しかない。1964年のジョンソン1972年のニクソン1980年のレーガン、なかでも後の二つは政治は保守へ大きく振れた。現在、民主党の「地滑り」、さらには完勝 sweep という予測がなされているが、もしそれが現実になるとすると、それは大きな歴史的意味をもつことになるであろう。奇しくも共和党候補の出身州は1964年のバリー・ゴールドウォーターと同じ、アリゾナ州である。ひょっとすると、1964年と同じような地図くらいにはなるかもしれない。

2008年10月29日

バトルグラウンドからの報告(17) ── 魅力は、自己規律、知性、前向きなこと

本日、アメリカのネットワークテレビでコメンテーターをしている方の講演を聴き、その後レセプションにお邪魔してきた。その人物(黒人女性)が言うことには、オバマには、三つの類稀な資質があるという。

・自己規律 discipline
・知性 intellect
・前向きなこと optimism

彼女の意見では、1984年と1988年のジェシー・ジャクソンの選挙戦のときと、オバマの表向きの政治的メッセージは同じらしい。

それはチェンジ。

思えば政権政党でない限り、言うことは決まってチェンジ。チェンジは「政権交代」と訳しても良い。つまりアメリカの民主党の主張は日本のそれと大して変わらないのである。そしてまた、政権政党が野党候補の「経験」を問うあたりの構造まで同じだ。

では、オバマは、いったいどこが質的に、幾多あるチェンジと違うのか。次回はこれについて語ろう。

2008年11月01日

バトルグラウンドからの報告(18) ── Are You Ready for Change?

オバマの言う「チェンジ」と旧来の「チェンジ」の相違を語る前に、いささか頭の体操をしてみたい。

前回ここで紹介した政治学者が、そのとき、このようなことを述べた。「〈黒人〉と言われている集団の具体的な像は、社会的、政治的に決定されるものであって、生物学的・生理学的な根拠はどこにもない」。

これは、いわゆる「社会構築主義」の教科書的定義にすぎない。ところが、オバマの選挙戦を語る際に、彼女が使った以下のような比喩は、この一年間の間におきた現象をよく物語っていると思われる。

これを読んでいる方、「リンゴ」を思い浮かべてください。そのなかで「赤いリンゴ」を思い浮かべた人はどれくらいいるだろうか。また「青いリンゴ」を思い浮かべた人はどれくらいいるだろうか。はたまた、「銀色の背景に白く浮かぶリンゴ」、つまりアップル社のロゴを思い浮かべた人はどれくらいいるだろうか。彼女がいうには、オバマは、この最後のリンゴに喩えられるというのである。

とはいえ、これは何もアップル社を宣伝してのことではない。その言わんとすることはこういうことだ。

オバマは旧来の人種政治の枠組みでは捉えられない新たな現象であり、1960年代以前、公民権運動以前には存在しえなかった「黒人」が政治の最前線に登場してきたことを意味する。

さて、オバマの支持層のひとつが18歳から29歳までの青年層。年配の方のなかに、上にあげた三つ目のリンゴをイメージする人びとは少ないであろう。なぜならば「オバマ」は新しい「現象」なのだから…

そのオバマの「新奇さ」は「人種」だけに留まるものではない。

彼は「これまでの二大政党の候補のなかではもっとも薄い履歴書の持ち主」と呼ばれているし、実際にそうだ。だから共和党は彼の「経験不足」の攻撃にやっきになり、5500人の人口しかなくても市長を経験したことのあるペイリンの方が大統領として資質を備えていると豪語したのだ。

9月の共和党大会で演説を行ったルドルフ・ジュリアーニ前ニューヨーク市長は、そのようなオバマの経歴をきわめて陰湿な形で揶揄した。オバマに言及し、彼の経歴「コミュニティ・オーガナイザー」を紹介するときに、露骨に皮肉を込めて吹き出してみたのである。

ところでしかし、実際のところ、「コミュニティ・オーガナイザー」が大統領になるというのは大変なことだ。邦語がある彼の伝記の訳語ではこのことばに日本語があてがわれていないが、敢えてその仕事の内実から意訳すると、それは「市民団体職員」になるであろう。この経歴の持ち主は日本国首相にもなれないかもしれない。さらにこれに「大学教授」というのが加われば、それは、自民党や民主党というより、むしろ社民党の議員の響きがある。

ずいぶんと前置きが長くなったが、本題の「チェンジ」の内実に迫ろう。

アメリカ政界に必要なのは「変革」である、そのようなことぐらい、実は、政治家なら2006年中間選挙の共和党の惨敗を見て誰もが理解していた。だから、ブッシュ政権と距離をもつことが必須となったのだし、マケインが候補指名受諾演説で「ワシントンには変化が来ている」と言ったのもそのためだ。現状維持では選挙に勝つことはできない。

正直のところを言って、わたしは、そのような状況のなかで大統領予備選が始まったとき、当初のところヒラリー・クリントンを心情的に応援していた。なぜならば、オバマの今回の選挙戦は2012年か2016年を見据えての「予行演習」であり、クリントンならば共和党保守派に互するに十分の政治力をもっていると思ったからだ。そしておそらく、そのような見解は、少なくとも3月まではリベラル派の意見の体勢であっただろう。またこれははっきりと言えることだが、黒人研究に従事している人間のなかで、現在の状況を「予測」したと豪語する者がいるとすれば、それは、その人物がひどい日和見主義者か、ろくすっぽ研究を行っていなかったからである。過去の出来事を振り返れば、大統領はおろか、大統領候補にすらなるのは無理だと思うのが自然だからだ。

したがって、もうすでに政策の面ではともかく、政治の面ではアメリカでは「変革」が起きたのだ。

つまり、オバマの言う「チェンジ」とは、狭義に解釈して、「政権交代」と理解するべきではないのだ。9月に共和党も「チェンジ」をスローガンにしてからは、共和党の「チェンジ」と自分の「チェンジ」を差異化するために、彼はしばしばこう言っている。

We need a fundamental change in our policy, in our politics.

ポイントは最後の方だ。彼は政治を考える方法、政治行動のあり方、それを根本的に変える必要があると言っているのだ。

これは時と場合により、こうも響く。「アメリカの政治制度は人種主義によってゆがめられてきた、その政治のあり方を変えましょう」。以前、彼は怒りを表現しない「黒人政治家」であり、そうするには理由があるということは述べてみた。その議論に今回の議論をつなげると、こうなる。彼はこう訴えているのだ。

人種主義を超克した新たな「アメリカ政治」をつくろう、そのリード役をわたしに任せてほしい、わたしは過去のことで怒ったりはしないから、一緒にその変革への一歩を踏み出そうではないか。

もちろんこれは美辞麗句である。他面、人種主義や偏見といったものは、どす黒い情念だ。

しかしだからこそ、アメリカの有権者はこう問われているのだ。「あなたには勇気がありますか?」。だからオバマは、政治集会の際に、こんな常套句を使っている。

Are you ready for change?

こう説明するともはや明らかだろう。少し注意して彼の演説に耳を傾けてみれば、彼がこの言葉に冠詞をつけていないのがわかる。これを「政権交代への準備はできているか」と取ってはまったく真意を外している。政権交代が頻繁におきるアメリカ政治にあっては、もはやそれは問われるものですらない。彼は、変革には痛みや怖れが伴う、そんな変革への心構えはできているのか?、とアジっているのである。

〈アメリカ〉は、この選択を迫られ、恐怖と希望の狭間で震えている。

インターネットの活用や、それを通じた政治寄金の集め方など、オバマの選挙戦術は、アメリカ政治に大きな変革をもたらした。そしてここ最近、このブログで報じてきたように、1988年の大統領選挙以後、邪険な力を思う存分発揮してきた誹謗中傷公告がバックファイアするにつれ、アメリカの大統領選挙のあり方に今後大きな変貌が生じる可能性も出てきた。

この白熱した選挙戦の結果、ミシガン州での有権者登録者の率は有権者総数の98%に達したという脅威的な数値の報道もなされている(おそらく10月中旬に二大政党が選挙運動を止めたミシガンがこうならば、他州の状況も同じであろう)。

さて今回はチェンジについて述べてきたが、実のところ、書きながらも、どうまとめて良いのか不安であった。いまのわたしは、これを書き終えて、若干見通しができたところにいる。「変革」について述べた次は、では、彼が継承した「遺産」について述べてみよう。

バトルグラウンドからの報告(19) ── 「この街で何かが起きている」

こちらに来てから知り合いになった黒人の政治学者の方がこんなことを述べていた。その学者は、オバマの自伝の書評を頼まれて初めて、彼の著作 Dreams from My Father を買おうとした。ところが、書店が言うには、置くとすぐに売り切れになるので在庫がなく、一週間待たなくてはならないと説明を受けた。そこでこう思ったらしい。「この街で、この圧倒的多数が白人の街で何かが起きている」。

その後、今年の2月28日、公民権運動の英雄のひとりで連邦下院議員のジョン・ルイスは、「オバマ上院議員の立候補は、この国の人びとのハートとこころのなかで起きていた新しい運動、アメリカの政治史を画する新しい運動の象徴になっています。そしてわたしは人びとの側に立っていたいのです」という声明を発表し、それまでのヒラリー・クリントン支持の立場を改め、オバマ支持を表明した。そのときに彼はまた、1月のアイオワ党員集会以後の2か月間、かつての公民権運動時代を思わせる若者の動きがあること、そしてその動きの先頭にオバマがいることを驚愕が混じった喜びで語っていた。

驚くのも無理はない。オバマが生まれたのは1961年8月4日。彼は1960年代公民権運動を知らない。

夏にアメリカに来て以後、ここで述べてきたように、さまざまな場で「有権者登録」を呼びかける人びとに出会ってきた。これまでこのような活動をしている人びとと出会わなかったわけではないが、今年に限ってははっきりと以前と異なる特徴があった。それは有権者登録を呼びかけている人びとが若いということ。

それは1964年フリーダム・サマーを思わせるものだった。そして彼ら彼女らは、今週末、4日の投票日に確実に投票所に行くことを呼びかける Get-Out-the-Vote 運動に精力を集中している。

実はオバマの政治経歴には手痛い「敗戦」の跡が残っている。2000年、ブラック・パンサー党シカゴ支部の創設者の一人、ボビー・ラッシュが現職を務めている連邦下院議員の席を狙って彼は立候補した。ところが、彼の人種的アイデンティティが問題になるなか、彼はラッシュの前に完敗したのである。

実はこの敗北を契機に、彼は自分のルーツを忘れていては政治の世界で活躍することはできないと悟り、シカゴのサウスサイドの黒人政治家のサークルのなかに足を踏み入れ、そこで足場を固めることを改めて行い始めたという。当然のことだが、このときに彼はかつての公民権運動家たちと親交を深めることになったのだ。ボビー・ラッシュは敵に回すものではなく、学ぶ先達であると理解したのである。

そのような彼の運動が公民権運動の影響を受け、その流れを汲んでいたとしても何の不思議はない。

これが、彼が継承したものの唯一最大のものである。

今年の夏の民主党全国大会、それはワシントン大行進からちょうど45年目にあたった。キングの偉業を称える特別の催しもあり、その後、指名受諾演説を行った彼は、あたかもキングの衣鉢を継承したもののように見えた。そして実のところ、民主党全国委員会は、まさにその効果を狙ったのだと思える。

そしてまた、夫人のミシェル・オバマが演説を行った日には、幼い子供たちもステージ上に現れ、「ホワイトハウスの住人になる黒人家族」の姿がはっきりとアメリカ市民の前に提示された。そして、それもまた、60年代のある光景を思わせるものだった。幼い子供がいる若い大統領。そうジョン・F・ケネディである。

今年6月のアメリカ学会政治分科会で報告を行った際、わたしはオバマの選挙参謀のなかにシカゴ民主党主流とそれから少し左に位置する陣営との「手堅い連合」が生まれていることを指摘した。簡単にそれを振り返ると、デイレー市政の一翼を担っている人びとと、シカゴ市政の文脈では「レイク・フロント・リベラル」と呼ばれている人びと、そしてサウスサイド、ウェストサイドの黒人政治家の大連合が、彼の選挙参謀の重鎮のなかに簡単に見て取れるのである。

これは、実際のところ、簡単にできる話しではない。以前に一度シカゴ市政では、白人リベラルと黒人の大連合が成立したときがある。1983年から死去する87年まで同市の市長を務めたハロルド・ワシントンの時代がそうである。ラディカルな黒人政治学者のマニング・マラブルは、このときに見られた白人労働者階級と黒人の連合政治を、公民権運動の遺産を継承する最良のものだと評価している。

バラク・オバマは、市民団体で働いていた時代、ハロルド・ワシントンとの親交があり、それがきっかけで政界を目指すことになっている。彼の自伝の邦語訳では「ハロルド市長」と、実に奇妙な訳語があてられているが、原文では単なる Harold。つまり、ファーストネームで呼び合う間柄だったのだ。

そのハロルド・ワシントンの市政の特質が、黒人の人種としての特殊利害を追及するのではなく、より包括的 universalistic な文脈に問題を置き直し、政策を推進することにあった。これはオバマの政治姿勢そのものだ。

以前、わたしは、ここでニューワーク市長のコーリー・ブッカーを紹介するのと同時に、オバマのことを新しい世代の黒人政治家として紹介した。この新しい黒人政治家は、実のところ、黒人の運動の最良の部分を継承するものでもあるのだ。なお、わたしはニューワークとシカゴに関心があり、彼らのことを知るに至ったわけであり、何も日本でいち早く彼を「発見」した人物であると主張するつもりはない。彼の活躍を知るに至ったのは、20年以上地味な研究を積んできたことの嬉しい喜びであった。

さて、いよいよ投票日まで時間がなくなってきた。歴史研究者は予測など下手にするものではなく、下手な予測はブログ炎上の契機になりかねないが、次回は思い切って観測可能なことについていくつか述べることにしたい。冒頭で紹介した言葉を述べた方は、こうも言っていた。「さあ、われわれの候補の行方を期待とともに見守ろうではないか」。

2008年11月04日

バトルグランドからの報告(21) ── Way Out of No Way, Keep Your Eyes on the Prize, Hold On!

20081104_michigan_union_obama_small.jpgネットで日本における報道をみると、この選挙の争点は経済に代表される国内政策だという議論が支配的である。しかし、はっきり言おう、これはまちがっている。

では、バラク・オバマ流に、問題点を4つ指摘しよう(左の写真はクリックで拡大)

ナンバー1。首尾一貫してオバマがリードしているにもかかわらず、接戦と報じられているのはなぜか。日本ではなじみのない政治学用語であるブラッドレー効果が、改めて取り沙汰されているのはなぜか。ブラッドレー効果が起きるというのは、「アメリカ人なんて、きれい事はたくさん並べるけど、結局のところ人種主義者なのよ」と言っているに等しい。これは昨日述べたことでもあるが、わたしは、そのような意見に対してこう述べたい。ブラッドレー効果はいくらかは起きるのはまちがいないが、選挙の帰趨を支配することはない。

ナンバー2。本日もオバマは遊説先で「期日前投票」を呼びかけている。なぜならば投票日には何が起きるかわからないかららしい。そういうのも無理はない。2000年フロリダ州、2004年オハイオ州と、投票権の剥奪と投票妨害が露骨に行われるということが続いたからだ。しかも、それはマイノリティの居住区を標的にしていた。現在行われている期日前投票では、予測できることではあるが、投票を行った者の圧倒的多数がマイノリティであると報じられている。

ナンバー3。経済はもちろん争点だ。しかし、ブッシュ政権の政策がまちがっていたこと、野放図な放任主義が今回の経済危機の原因であること、この大枠の認識についてオバマとマケインのあいだに差異はない。どちらが大統領になるにせよ、「規制」が強まることは、したがって、簡単に予測されることであり、税制における差異は、大半の有権者の関心を集めるには、専門的すぎる。

ナンバー4。共和党が選挙戦の武器にする「大きな政府」「テロ」の二つは人種を暗示する「コード化された言葉」である。前者は福祉に依存する都市の黒人やラティーノ、後者は中東出身者。後者の人種化は実に都合が良い。オクラホマ連邦ビルを爆破したのが「アメリカ第一」(今回の共和党のスローガンは Our Country First)を唱える武装民兵だったことはすっかり忘れているのだから。

さて、40 年前のキング牧師暗殺のあと、ロバート・ケネディ上院議員がこう述べた。

「あまりあせるのはよくありません、黒人は、そうですね、ええ、あと40年もすれば大統領になれるでしょう」。

ロバート・ケネディは、公民権運動の支援はもとより、ブラック・パワー運動にも一定の理解を示し、黒人層のあいだで人気の高い政治家だった。ところが、恩着せがましいところがあるこの発言に、黒人市民は嫌悪感に近い感情を覚えた。1968年、黒人ははっきりと We Can't Wait と言い始めていたのである。

今年は、それからちょうど40年目に当たる。

その間、シャーリー・チザム、ジェシー・ジャクソン、アル・シャープトン等々、数多くの黒人が大統領選に挑んだ。ところが二大政党の予備選を勝ち残る人はおろか、その近くにさえ行った人物もいなかった。1988 年のジャクソンの11州で1位、それが最高だった。

ジェシー・ジャクソンらとはっきりことなること、それは抗議の声を届けるためではなく、選挙に勝つためをオバマは目標、自分の「希望」にしたということだ。その目標は、おそらく彼が政策論を論じた著書のタイトルに現れている。

希望をもつ大胆さを Audacity of Hope

そして、このタイトルもまた、黒人政治の伝統にはぐくまれたもの。論争を呼んだジェレマイア・ライト氏の演題からインスピレーションを受けたものだ。

大統領選を本格的に争う黒人は、遅かれ少なかれ現れると思っていた。しかし、近年の政治の流れからして、

黒人英語、エボニックスの表現に"way out of no way"ということばがある。方法はなくても何とかして成し遂げろ、これは、奴隷制に始まる不条理な世界で生きてきた人びとが継承してきたもっともたくましく高貴な遺産だ。

その遺産をまちがいなく継承しているオバマは、ハロルド・ワシントン当選当時のシカゴの黒人コミュニティを回顧してこう述べている。

「ハロルドがサウスサイドの人びとに持つような意味、果たしてわたしはそれを持つことができるだろうか、そう自問してみた。そしてもしわたしのことをよくわかってくれたならば、彼らはハロルドに対して抱いた感情と同じ気持ちをわたしにも抱いてくれるだろうか」

11月4日、全米各地が、「記録級の投票率」を予測し、投票ができるまで数時間もかかる混雑が危惧されている。まちがいなく、今日は長い一日になる。

そのムードは、いささか 1963 年にジェイムス・ボールドウィンが感じたものを思わせる。彼はこう述べている。

「いかなるものであれ、天空に大変異が起きるのは恐ろしいことだ。なぜならばそれは、誰しもが持つ現実感覚を激しく攻撃するからである。そこで言いたいのだが、黒人は、白人が支配する世の中にあって、ある一つの動かない星となっていた。じっとしていて動かすことができない支柱となっていたのである。黒人たちがそれまであてがわれていた場所から動きだすにつれて、天と地が大きく揺れ動きはじめている」。

アメリカの天と地が動き始めた。

Way out of no way, Keep your eyes on the prize hold on!

2008年11月06日

決定的勝利、人種の壁を破壊する

今日のエントリーのタイトルは、本日のタイムスのトップ記事の見出しである(ちなみに明け方まで自分の住んでいるレジデンス・ホールの方々と語り合っていたため、新聞を買いに外に出たときには、すでに売り切れていた)。

ここでわたしは、大統領選の中心は経済危機を初めとする国内問題であるというのはまちがいであり、いつのときでもつねに人種であると主張してきた。選挙運動はそう展開しているし、アメリカ大統領選挙の歴史自体がそうであると伝えてきた。

ところが〈人種〉に関する問題に触れるには、それなりの「覚悟」がいる。この問題には、だからこそ、選挙選のテーマとして表立って取り上げられはしなかった。それゆえ日本のメディアは、表面だけをみて勘違いしたのだろう。

バラク・オバマの政治的才覚の極みは、このいつ爆発するかわからない問題の「解決」に拘泥するわけでもなく、そしてまたそれを「回避」するわけでもなく、かくして一見「世渡り上手」に振る舞っているようにいて、実は正面から取り組んでいたところにある。

その結果、「人種の壁」は「破壊」された。

彼の存在自体が象徴するものの意味は、言語をこえたところで、この選挙戦を目にしたものたちのこころに響いたのだ。

アメリカの選挙戦では、テレビなどの放送メディアを駆使した運動を「空中戦」と呼び、運動員を展開させ、遊説を行っていくことを「地上戦」と呼ぶ。ここでも紹介してきたように、地上戦はオバマが圧倒的な「戦力」を駆使した。そこには、ブッシュの8年の政権のあいだにすっかり気恥ずかしくなって言えなくなってしまった理念の復活、「アメリカ民主主義の力」の復活があった。

Are you registered vote? と呼びかける彼ら彼女らの姿は公民権運動家の姿とわたしのこころのなかでは重なった。そして、市民ではないけど、こうこうこういった事由であなたたちのやっていることに関心があるから話を聞けないかと聞くと、みながこう答えてくれた。"Yes, you can"

オバマの選挙戦は、キャンペーンというより、ムーヴメントである。

さて、彼の自伝を読み返していると、改めて気になるセンテンスがあった。次回は、そのセンテンスを、彼の当選がきまった瞬間を振り返りながら、解説してみたい。

2008年11月07日

I promise you, we as a people will get there ── バラク・オバマにキングが微笑みかけたとき

20081105_cnn_projection_small.jpg4日、開票速報をわたしは知人たちと一緒に観ていた。選挙の結果が出るまでは一緒に観ようと言ってイスに座ったのだが、当初は深夜にピザの宅配を注文することはもはや「予定」に入っていたし、徹夜も覚悟していた。ところが、改めて振り返ってみると、事態は恐ろしいほど早く進行した。

選挙の行方を支配する最初のバトルグラウンド州の帰趨が決定したのは8時45分頃。ペンシルヴァニア

9時30分頃、オハイオ州も民主党へ。

この時点で開票が始まっている州のなかで行方が注目されていたのはノース・キャロライナ州とヴァージニア州。この二つは先にここで述べた通り、歴史の岐路を示すかもしれない最重要州だ。そう簡単には決まらない(実際のところノース・キャロライナ州は本日結果が判明した)。

そんななか、これまでの世論調査などをもとにCNNが「マケイン勝利の可能性」を計算し始めた。その「計算」によると、太平洋岸3州が共和党に行くことは有り得ないので、ほかのすべての接戦を制しないとだめらしい。オバマが勝つ、そんな期待がこの時点で大きく膨らみ始めた。

ところが、国内に時差のあるアメリカという大陸国家、これから先の開票が進まない。わたしたちは、そこで、開票速報のパロディをやっているコメディチャンネルに切り替えて、カリフォルニアでの投票が終わる11時までしばし笑って楽しむことにした。

そうするとこれからが早かった。10時50分過ぎ、なんとヴァージニア州の行方が決まった。そして大票田のカリフォルニア州での投票がおわる11時をほんの少し過ぎたところ、なんとネットワーク局が一斉にオバマの勝利が確定と報じた。ウェストコーストでは、したがって投票が終わると同時に決まったようなものだ。

2000年の大統領選挙の大騒動があって以後、ネットワーク局は開票速報のあり方を吟味し、発表には慎重になっていると聞かされている。それでもこの結果はほんとうなのか?信じて良いのか?テレビの画面はおびただしい人が集まったシカゴのグラント公園、そしてこの日のために特別のライトアップをしたこの街が誇るスカイラインが映されている。

午後1過ぎ、オバマがステージに現れた。そして彼はその演説のなかで、こう述べ始めたのだ。

The road ahead will be long. Our climb will be steep. We may not get there in one year or even in one term, but America,

このとき、わたしには、マーティン・ルーサー・キング博士が暗殺される前日に行った演説が思い浮かんだ。

キング博士はこう言っている。

Like anybody, I would like to live a long life. Longevity has its place. But I'm not concerned about that now. I just want to do God's will. And He's allowed me to go up to the mountain. And I've looked over. And I've seen the Promised Land. I may not get there with you. But I want you to know tonight, that we, as a people, will get to the promised land!

オバマがこの部分でキング博士を意識していたのはまちがいない。なぜならば、この一節はあまりにも有名なものだからだ。誤解のないように言っておくが、これを思いついたのは、わたしがとりわけてキングに詳しいからではない。

2008年11月5日、オバマは、このあと目を一段と鋭くさせ、黒人教会で育まれた独特のゆったりとしたケーデンスで、こう言い切った。

I have never been more hopeful than I am tonight that we will get there. I promise you: We as a people will get there.

ここでテレビに映し出されたジェシー・ジャクソン、彼の頬には涙が伝っていた。オバマは、キングの言葉、いやむしろ正確にはこう言うべきだろう、アメリカの人びとにキングが残した遺言をはっきりと引き受けたのだ。may not を will と肯定型に置き換えて。「「約束の地」に辿りついて見せる」と言い切ったのだ。

このことばが響いたのは何も「黒人」だけではない。そうわかっていたからこそ、オバマは、指示代名詞 there を用いたのだ。「そこ」と言っても、それはみなにわかったのだ。

グラント公園を埋め尽くした20万人が Yes We Can と初めて大きな声で連呼し始めたのは、この決定的フレーズのあとである。

ここでキング暗殺後の40年間、暗くアメリカを覆っていた雲が一瞬ではあっても開き、キング博士が微笑みかけた。

もちろんこの演説のなかには、106歳のアンナ・ニクソン・クーパーさんの逸話を初め直截的に黒人の闘争の歴史に触れたところもある。しかし、その歴史を確実に踏まえたうえで、もっとも強く「新しい時代が来たのだ」と宣言したのは、実は、「黒人」ということばも、「人種」ということばも、「公民権運動」ということばも出てこないこのような箇所なのである。

ここにこそ、バラク・オバマの人のこころに訴えかける政治家としての類まれな才能が現れている【続く】

2008年12月01日

バラク・オバマが目指す政治(3) ── 勝利演説完全解読(2)

さて、前回の問いに答えることからまず始めよう。

おそらく、「わたしは目がねをかけています」ということを、選挙遊説のたびに言うものはいないだろうし、選挙戦を通じてまったくその事実に触れないものだって普通に存在するはずだ。

もともと〈人種〉とは、人間がもつ属性のなかのひとつに過ぎず、それはひとつの属性であるという意味において、目がねと同じものである。しかし、この〈人種〉という属性が殊更重要な意味を果たしているのは、それが社会によって強い意味づけを施されているからである。

この社会的力は人の意思で簡単に変えられるものではない。この力が変わるには、人びとの意識的な営為とともに、人為を超えた時の流れが必要だ。何はとまれ、現在のアメリカ社会ではこの力を否定していて政治世界を生きられるものではないのである。

したがって、オバマの〈人種〉は、「わたしは黒人です、だから…」ということをわざわざはっきりと言わなくても、彼が存在するその場を既に規定し続けていたのである。よくオバマは〈人種〉について言及しないから黒人政治家ではないという論評が(特に民主党予備選序盤の日本のメディアで)見られたが、これほど馬鹿げた議論はない。

なぜならば、オバマが黒人政治家であること、これはオバマ本人が逃げようにも逃げられない社会的現実なのだからだ。

この峻厳なる現実がまず存在していた。そしてオバマはそこから逃げなかった。むしろ事態は、その反対であり、自分が当選すれば、それがアメリカ史上初の「黒人大統領」の誕生を意味するという「歴史性」を強く認識していた。そして、「黒人」、つまり「奴隷の子孫」がアメリカ合衆国大統領になるということそれ自体に、「〈テロとの戦争で失墜したアメリカ民主政治〉、それを再生する」という政治的アジェンダとを直結させていったのだ。

みずからを「歴史の体現」とするこの大胆な戦略、それを彼はことばにして表現することなく実行していった。なぜならば、彼の風貌がぱっとみてわかるアフリカ系だからである。

先に述べたキングの引用に見られるとおり、この選挙戦にはいろんなところでいろんなシンボリズムが用いられていたが、昨年に始まったオバマの選挙戦の開始点と終着点もそのひとつだ。

開始点は、リンカン大統領生誕の地、イリノイ州の州都、スプリングフィールド
終着点は、南北戦争の北軍の最高司令官の名前を冠したグラント公園

「俺に投票しろ、それが民主主義の豊かな生命力を物語ることになる」。こんな横柄なことを述べたところで、誰も見聞きしないだろう。しかし、現実として、オバマはこれと同じメッセージを、より崇高なことばに変えて、はっきりと宣言したのだ。

彼は勝利演説の冒頭でこう言っている。

「どんなことだって可能なところ、それがアメリカだということをまだ疑っているものたち、われわれの建国の父祖たちの夢はまだ生き続けているということをまだ疑っているものたち、われわれの民主主義のパワーを懐疑的に見るものたちがいたとして、今宵の結果があなたたちがそのような人びとに対して示した答えなのです」。

ここでいまひとつのポイント。オバマは、ここで、自らの人種的象徴性がもった意味を、すでに能動的な市民(「あなたたち」)の功績に帰し、それを称えている。ここで、「俺に投票しろ、それが民主主義の豊かな生命力を物語ることになる」といえば自己中心性が高まってしまうメッセージを脱中心化し、民主主義そのものの理念のなかに選挙の意味を埋め込んでいるのだ。

さらに肝心なことに、ここで「自分」を「中心」から退かせるとともに、〈人種〉は消えているようでいて帰って大きな存在感を示している。何はとまれ、オバマはここで〈人種〉はつねにアメリカ民主主義の弱点であった、その弱点を克服したのだ、と宣言しているのだから…。

このレトリックの巧妙さには、改めて考えてみて、驚嘆せざるを得ない。

かくして彼の演説のなかでよみがえった能動的市民の政治活動が彼のことばによって称えられていく。

学校や教会を一回りするほど伸びた投票者に並ぶものの列、それはこの国が歴史上なかったほどの数にのぼり、票を投じることができるまで3時間、4時間と待たなくてはならない、そして多くのまた生まれて初めて投票したそんな人もいる、そんな人びとみんながくだした結論なのです。この選挙だけはこれまでとは違ったものにならなくてはならない、自分たちの声が今度こそは違った結果になるかもしれない、そんな信念をもった人びとがいたからこそ、この結果が生まれたのです」。

さて、この次、この能動的市民のカタログをオバマは作り始める。そこでは、実は、アメリカ大統領選挙戦史上初めてのとんでもないことばが大胆にも潜み込んでいた。

【続く】

2008年12月02日

バラク・オバマが目指す政治(4) ── 勝利演説完全解読(3)

今回の解説は、オバマ演説の訳から入ろう。

「それは、若い者も老いた者もともに下した答、民主党支持者も共和党支持者も、白人、黒人、ヒスパニック、アジア系、アメリカ先住民(Native American)、同性愛者(gay)、異性愛者(straight)、身体障害者(disabled)、健常者(not disabled)も一緒になって下した答えなのです。そうしてアメリカ人は世界に向かってひとつのメッセージを発しました ── アメリカが個人の寄せ集め、共和党支持者が多い集(red state)と民主党支持者が多い集(blue state)によって分断された政治を単につなぎあわせたものであったことなど一度もなく、われわれはいつの時であっても、ひとつの統一されたアメリカ合衆国だったのです」。

この演説の後半部は、2004年の民主党大会の基調演説を彼が行ってきた主張をそのまま繰り返したものである。アメリカを〈人種〉や政治思想によって分断された国家であるとみなす考え方は、1990年代半ばより広く共有されてきた。ここでオバマは、そのときに広く読まれた著書、アーサー・シュレジンガー・ジュニアのThe Disuniting America をはっきりと意識しつつ、シュレジンガーらの主張を否定し、その勢いを一気にアメリカ愛国主義につなげている(しかしながら、「ケネディ神話」を作り出した人物のひとりであり、それゆえケネディをこよなく愛するこの老歴史家は、オバマ当選を喜んでいると思う、たぶん…)。

さて、前回指摘した「アメリカ大統領選挙戦史上初めてのとんでもないことば」は、すらすらと述べられたこの演説の前半部にある。実は、アメリカ先住民ということば、そして同性愛者ということばが、このような舞台の演説のなかで発せられることはなかった。オバマにこれができたのは、彼が自分が黒人であることをはっきりと意識していたからにほかならない。

しかし、これはよく考えるととんでもないことだ。日本の総理大臣が、「わたしが総理になれたのは、国民の熱烈なる支持があってのことです」と慇懃に礼を述べ、そのあと支持層それぞれに挨拶し始めるとしよう。そのなかに「ゲイ」ということばがでることなどありあり得ない(もちろん、この選挙で、カリフォルニア州の住民投票はゲイから婚姻の権利を剥奪することを是とした。その問題はあまりにも大きいが、実際のところ、このわたしにはそれを論じる力がない)。

選挙結果が世界に知れ渡ったあたりから、アメリカではオバマ当選を祝う各国の姿が報じられた。そのなかには、もちろん彼の父の国、ケニヤの姿もあったが、多くは、香港のイギリス系、フランスやドイツのアラブ系といった、彼と同様ハイブリッドなアイデンティティを抱く人びとの姿だった。日本からの画像は、福井県小浜市の勝手連。それは実に異様だった。

話をもとに戻して、オバマはこれまで大統領選挙で無視されてきた人びとをこうして登場させる一方、ある人物像を退場させた。それは、ジョン・マケイン(わたしが参加した集会で、ブルース・スプリングスティーンは彼のことを「もうすぐ歴史の脚注にしかすぎない存在になる人物」と言ったが、もはやはっきりとその「定位置」を確保してしまった感がある)が、テレビ討論会で突然「テレビの前のジョー、配管工のジョー、わたしはあなたのための政治をしようとしているんです、オバマ上院議員はあなたのような人びとに対し増税を行い、大きな政府をつくろうとしているのです」といったことを述べ立て、周囲をひかせてしまったその「配管工ジョー」である。

このブログの大統領選に関する記事を読まれている方ならお気づきの方も多いはずだ。この「配管工ジョー」は白人、政治思想はレーガンデモクラットである。

政治的言説の舞台から、かくして登場者が入れ替わった。こうしてみるとオバマは、政治舞台の登場者であるというよりも、ここではむしろ演出者である。

2008年12月14日

バラク・オバマが目指す政治(5) ── 勝利演説完全解読(4)

前にエントリーを書いてから、学期末ということもあり、少しバテてしまった。今回は、この演説の「最初」の佳境に入る。このブログのために再度演説を画像からおこしていて、改めてこの演説の意味の重層性に驚いている。今回は、したがって、ヘヴィな解説になると思う。

まず英語の原文を示そう。

It's the answer that -- that led those who've been told for so long by so many to be cynical and fearful and doubtful about what we can achieve to put their hands on the arc of history and bend it once more toward the hope of a better day. It's been a long time coming, but tonight, because of what we did on this day, in this election, at this defining moment, change has come to America

これを訳すとこんな感じだろうか。

「またそれは、ずいぶんと長い間、ずいぶんと多くの人に、歴史が描く円弧を自身の手でしっかりとつかみ、それをもう一度より良い明日の方向へ曲げるには、やれシニカルになっている、やれ恐怖心で、そしてさらには猜疑心でいっぱになっていると言われてきた人びとが出した答なのです。この答がでるまでに、ほんとうにずいぶんと長い時間がかかりました。しかし、今夜、私たちが今日行ったことによって、この選挙によって、そしていまこの決定的瞬間に、変化のとき、それがアメリカにやってきたのです」。

さて、この訳を読むと、「歴史の円弧を自身の手で…」の部分、さっぱり意味が通じないはずだ。なかには、これを「手を伸ばすことができたのです。歴史を自分たちの手に握るため。より良い日々への希望に向けて、自分たちの手で歴史を変えるために」と訳しているところもあるが、正直言ってこれではこの一節が持つ重みがまったく伝わらない。

オバマは、3行目で "once more"と言っています。直訳は「もう一度」。さてでは最初の一回はいつのことだったのでしょう? 少し日本の新聞の訳をみたが、全部不正解です、まったくわかっていません。先に紹介した訳は、ここをまったく無視しています(さらにこの訳は、「あれはできないこれはできないと言われてきました」と訳していますが、そんなこと彼は全然言っていませんよ、achieve anything とは言ってないじゃないですか?、政治行動に関してだけここは述べているのです、その内実がわからないのでごまかそうとしていますね、この訳は)。

では、今回が"once more "ならば、前回はいつだったのでしょうか?

答え:公民権運動のときです。

なぜか、なぜそう言えるのか

それは、その直前にある"arc of history"という言葉があるからそう言えるのです。

人類の営為=歴史を天空を描くアーチに喩えることは、実はマーティン・ルーサー・キングが十八番としたものだった。彼は"bend"という動詞も使ってよくこう述べていた

The arc of the universe is long, but it bends towad justice。「空を描く天空の弧は長い、だがそれは正義がある場所に向かって弧を描いているのだ」

さてよく考えるとこの比喩はおかしい。だからすこしピンぼけな感じがする。比喩が懐にポンと落ちない。

おかしいのは、「天空の弧」の中心には「地球にいる人間」が立ち、それを「中心」にして宇宙の秩序が説明づけされているからだ。現代のわたしたちはこんな天空の描き方はしない。これは「天動説」なのである。

それもそのはず、この文言を最初に述べた人は、中世の神学者、アウグスティヌスである。彼の思想を現代の政治に持ち込んだのは、神学博士であるキングの解釈があってのことだ。

「あのねぇ、学者先生、それはあんたの深読みでしょ」、そう述べたい人がいるかもしれない。だから少し念を押しておこう。

ちがいますよ、オバマははっきりとキングの演説を意識しています。意識している証拠があります。

1966年投票権法の期限延長法案が連邦議会上院で討議されたとき、彼は、キングが行ったこの演説(それは投票権法の可決を迫るセルマ=モントゴメリー行進の最後の集会──公民権運動史上、主要黒人団体が最後の団結を示した行進──で述べられたもの)をはっきりと出典を明示して議場で、こう演説している。

Two weeks after the first march was turned back, Dr. King told a gathering of organizers and activists and community members that they should not despair because the arc of the moral universe is long, but it bends towards justice. That's because of the work that each of us do to bend it towards justice. It's because of people like John Lewis and Fannie Lou Hamer and Coretta Scott King and Rosa Parks, all the giants upon whose shoulders we stand that we are the beneficiaries of that arc bending towards justice.

「(セルマ=モントゴメリー行進の)最初のデモ隊が撤退させられたあと、キング博士はオーガナイザーと活動家、そしてコミュニティの人びとに対してこう述べました。「空を描く天空の弧は長い、だがそれは正義がある場所に向かって弧を描いているのです、だから悲嘆に暮れるべきではないのです」と。そうなるのも、わたしたち一人ひとりが、天空の弧を正義の方向に向かうように行動しているからです。ジョン・ルイス、ファニー・ルー・ヘイマー、コレッタ・スコット・キング、ローザ・パークス、その他もろもろ偉大な人びとの存在があってこそ弧は正義へと向かい、そんな彼ら彼女らの偉業のうえにわれわれは立っています。われわれは、弧が正義へと向かい始めたことの受益者なのです」。

つまり、1966年にははっきりとしていた天空の円弧の方向は、その後一度見えなくなり、2008年11月に再度そもそも向かっていた方向に「曲げられた」のだ、そう彼は述べたいるのだ。

ここの意味の重層性、強烈である。

その次の箇所はこれに比べるとそれほど重くはないが、それでもその時間感覚の表現は絶妙だ。

時制を少し変え、語句を抜き去れば、ここにこんなフレーズが見えてくる。

It's been a long time coming but , , , change has come. . .

こうすれば、リズム&ブルースの好きな人は、すぐにピンと来るでしょう。そうです、サム・クックの名曲、「ア・チェンジ・ゴナ・カム」の歌詞をもじっているのです。この曲は、映画『マルコムX』のなかで、マルコムXが煩悶の末にネイション・オヴ・イスラームを脱会することを決断するシーンで流れる曲でもある。

公民権法が成立した1964年(サム・クックが殺害される年)、クックはこう歌った。

It's been a long, long time coming, but I know, ou, ou, ou, a change's gonna come

ここでのポイントは時制にある。クックが近接未来形を用いた箇所で、オバマは大胆に現在完了・完了形を用いている。1964年公民権法が約束した変化の到来を、44年後に宣言したのだ。

なお、右のCDは、1990年代になって発売されたベスト盤だが、これに収録されている「ア・チェンジ・ゴナ・カム」は、公民権運動の歴史に少しでも関心があるものには必聴のものだ。64年に発売されたシングル盤にはない歌詞が入っているものが収録されていて、その「発掘された」歌詞の部分は、明らかに公民権法成立によって到来した新しい秩序のことを歌っているのである。

しかし、ほんとうにほんとうに実に長い時間だった。

さらにオバマの才覚。キングの演説(YouTubeのリンクを参照)では、"How long, not long”というフレーズが繰り返されている。ブラックパワー宣言が行われ、ロサンゼルス・ワッツ地区では大規模な人種暴動が勃発した1966年の夏、キングは、たちこめる暗雲(と催涙弾のガス)を振り払うかのように、夢が現実となる日まで「長くはない」と断言していた。黒人のキリスト教の伝統のコール・アンド・レスポンスを駆使しつつも、自分で自分に言い聞かせるかのように何度も何度ももそう述べていた。

そう、今回解説している箇所の前半部と後半部は、時間の表現、long によってつなげられているのだ。わかりやすく翻案すると、オバマはこう言っているのである。

「キング博士、あなたは長くはかからないとおっしゃいましたが、実際のところ長くなってしまいました。その間、人びとはシニカルになり、怖れを抱き、猜疑心でいっぱいになっていったのです。でも、それも終わりです、今夜、変化が来たのです、ご安心ください」。

さて、よく英語を聴いて欲しい。中学2年で習う文法が実に巧妙に使われている。クックの近接未来 is gonna come (is going to come) が、オバマでは現在完了 has come になっている。まだ現実でない(近接未来)の実現が完了したのだ。

これは、おそろしく大胆な宣言だ。

こうやってみると、オバマの演説の bottom line にはいつも「アメリカ黒人の経験」が存在しているのがわかるだろう。彼の演説の妙は、それを明示することで黒人の経験の特殊性を主張したりはせず、敢えて比喩や引用にとどめることによって人類普遍の経験を喚起しているところにある。

オバマの雄弁さは、ヒラリー・クリントンとの「死闘」を通じて、一般に知られるようになった。しかし8月の民主党大会の指名受諾演説(それまでの演説を繰り返しただけの間延びした退屈なもの)にがっかりした人は多い。それによって彼が旬だった時期はもう去ってしまったと思った向きも多い。

それゆえ、11月5日未明、わたしはオバマの演説に期待するとともに不安も感じていた。しかし、おそらくいまとなってははっきりとは思い出せないが、この辺りから、「今夜はちがう」と感じ始めたと思う。Tell like it is!、おそらくそう実際に叫んでいた。

ところで、クックの歌い方とオバマの話し方にはかなりの差異がある。クックの歌い方は、ジェシー・ジャクソンらの黒人教会が育んだ黒人指導層の話し方に近い。そう考えると、さまざまな意味をコラージュさせていくオバマの手法はヒップホップ的と形容してもいいかもしれない。

続く

2009年01月19日

バラク・オバマが目指す政治(6) ── 勝利演説完全解読(5)

20090118_small.jpgわたしにいるアメリカではもう完全にお祭りムードである。大統領就任式のためにワシントンD・Cに向かう人の数は都市圏全体で400万、市内中心地だけで200万人と報道されているが、ワシントンD・C大行進が25万人だったことを考えると、これから行われる儀式がいかに巨大なものなのかが想像できる。

そして、ブラック・アメリカにとってみれば、今週末のキング・ホリデイにこの「祭典」が続き、たいへんな季節になってしまった。

前にこのシリーズを終えて、またわたしはバテてしまった。そして次のところがいささか平坦な内容なので、「完全解読」に対する力が抜けてしまった。オバマがまた強烈な就任演説を行うことへの期待は高く、またまた日本の新聞各社は見当ちがいの翻訳を掲載するだろうが、このブログではマイペースで解読を進めていく。

では、次回の続き:

「今日この夜の少しばかり前、マケイン上院議員からとても丁重な電話をもらいました。マケイン上院議員は長く激しいこの選挙戦を立派に闘いましたが、彼が愛するこの国のための彼の闘いはそれよりずっと長く厳しいものでした。彼は、わたしたち多くが想像することすらできないほどの犠牲をアメリカのために支払ってきたのです。わたしたちが今日このように恵まれた生活を送らられているのは、この勇気ある無私無欲のリーダーの国に対する奉仕があったからなのです。そのような彼を讃えたいと思います。そして、ペイリン知事と彼女の業績を称えたいと思います。これからやってくる将来、この国が掲げた約束に対する信頼感を新たにするために、彼ら彼女らとともに奉仕できる日のことを楽しみにしています」。

実のところ、この部分、戦後日本の教育を受けてきたものには少しばかり得心がいかないところがある。ベトナム戦争で捕虜になり、いかなる拷問を受けても軍事機密を守り抜いたジョン・マケインの行為を「国に対する犠牲」ときわめて肯定的に描いている点だ。

オバマは、アメリカ史上初(しかし彼にはいろいろと「史上初」が多いが)、戦時中にあって兵力を引き揚げるということを選挙公約にして勝利した候補である。民主党予備選の序盤で「テロとの戦争」を支持したヒラリー・クリントンとの立場のちがいを鮮明にするために行った公約でもあろうが、この「反戦姿勢」からすると彼は平和主義の候補ではないかと思われてしまう。しかしそうではなかった。

アメリカでは、国を守るために銃をとることは決して否定されていない。それはこの国の国歌を聞けばよくわかる。フランス国歌と同じく、これは革命戦争に命を賭けた兵士を讃える歌だ。

もちろん、上の写真にあるように、反戦論者がオバマを支持したことは事実だろう。彼の才能のひとつは多くの人に違った意味の魅力でアピールできるというところだ。アメリカで、日本流の平和主義者が選挙に勝つことはまずありえない。だから、「無条件の愛」を説いていたキング博士が大統領選挙に出ても勝てるはずなどなかった。彼の「夢」を叶えるには、ほかの方途が必要だったのだ。

ためん、ペイリンの業績については、????だ。

さて、この次もいささか平たい賛辞が続く。ブログはマイペースに進めて行こう。

2009年02月12日

バラク・オバマが目指す政治(7) ── 勝利演説完全解読(6)

次にこの旅のパートナー、自分の心情にしたがって選挙運動を行い、故郷スクラトンの街のストリートで一緒に育った人びとのために発言し、たったいま故郷のデラウェアへ帰路についた男、アメリカ合州国次期副大統領ジョー・バイデンに感謝の意を捧げたいと思います。

そして、これまでの16年間わたしの最良の友人であり、わたしの家族の固い支えであり、わたしの最愛の女性、次期ファースト・レディ、ミシェル・オバマの弛むことのない応援がなかったならば、今日こうしてわたしはここに立つことはできなかったでしょう。

サーシャ、マリーア、あなたたちが想像できないほどわたしはあなたたちを愛しています。ほら、たったいまあなたたちは買ってやると約束していた子犬と一緒にホワイト・ハウスに引っ越しすることが決まりました。

そして、つい最近逝去しましたが、祖母がきっとどこからかわたしを見守っていること、それがわたしにはわかっています。わたしが誰であるのか、そのアイデンティティを培ってくれた家族のみんなと一緒に。亡くなった人びとのことを考えると、今宵、寂しい気持ちになります。彼女たちに対してどれだけ多くのものを負っているのか、それをわたしはわかっているからです。

妹のマヤ、姉のオウマ、そのほかの兄弟姉妹たち、これまでの支援どうもありがとう。とても感謝しています。

3つの点について解説したい。

1.呼称の変化
オバマが立候補を表明してからこの時期までに20か月が経っていた。一方、大統領選挙に費やされる選挙運動期間は14か月と言われている。だから、彼の場合、平均より半年長かったことになる。初期の頃の写真と現在の写真を比べるとよくわかるが、オバマはこの20か月で一気に老けた。目立たないながらも、彼の髪にはいまは白髪がある。

小さなことだが、これまで「副大統領候補」vice presidential candidateを「次期副大統領」と呼んだとき、それは支援者たちが勝利を確信し、今一度喜びに浸ったときである。

そしてまた、これまでとは立場が変わる、という将来への期待と怖れを感じた瞬間だった。

なお、ミシェル・オバマは、選挙戦中は「バラク」と親しみを込めて使っていた呼称を、就任式が終わるや否や「ミスター・プレジデント」に変えた。

2.ミシェル・オバマと選挙政治
ミシェル・オバマは、民主党予備選が始まったときに、「1週間のうち3日ほど選挙運動をする」と言っていた。

ではあと4日何をするのか?。

これはバラクの最大の政敵、ヒラリー・クリントンを意識した巧妙なアピールだったある。

つまり、わたしは主婦、主婦が第一で、家族が第一、それを守り抜きます、と保守的イデオロギーではなくとも保守的心情を抱えている人に訴えかけていたのだ。

だからオバマは、まずこう言っている。家族の固い支え、rock of my family。

ブッシュの失政のために共和党に対して強烈な逆風が立つなか、昨年の春には民主党の候補が黒人か女性かになることにほぼ決まった。どちらがなっても史上初である。しかし、結局、黒人が先に「初」を達成したことで、実は人種の「壁」よりもジェンダーの「天井」の方が固いのではないかという話が出てきているくらいだ。

4.多様なファーストファミリー
さて、オバマの大統領就任により、ホワイトハウスの主と血縁のある人の多様性が一気に拡大した。母親違いの姉がアフリカに、父親違いの妹(インドネシア生まれ)がハワイにいることは広く報道されているところであろうが、その妹の夫はトロントに住んでいる中国系カナダ人である。

その模様は、『ニューヨーク・タイムズ』紙の " target="_blank">このイラストを見ればよくわかる。

なお、アメリカにいるとよくわかることだが、日本はもはやアジアでの戦略的最重要国としての地位を失っている。その国はいまや中国だ。軍事力のみならず、米国債の保有残高を考えてもそれが順当なところだ。

そのうえ、『ニューヨーク・タイムズ』紙などは、被差別部落出身者に対する現首相の暴言を大々的に報じ、現首相の世間離れどころか世界離れは、黒人を大統領に選んだ国の人びとにも知られることになった。その先長くないと言われながら、まだ首相の座に居座り続けているらしいが、恥ずかしいのでいい加減にしてもらいたい。

大統領就任の宣誓文句を空で覚えている大統領と漢字の読めない首相、首脳会談をするとしてもいったい何を話すのだろう。

2010年02月07日

"Saints" Go Marchin' In -- New Orleans Mayoral Election

ニューオーリンズ市長選の第一回目の投票結果が出た。黒人票が公民権運動後では初めて白人候補を支持することになるかもしれないという事前の予測通り、現職副知事で元市長の息子、ムーン・ランドリューが当選。過半数獲得まで投票が繰り返される同市の選挙制度にあって、一回目で66%を獲得する地滑り的勝利になった。

さて、歴史的に言って、南部再建期以後黒人は幾度も白人を支持してきた。なぜならば、都市内部における黒人の比率が高くなるまで、黒人が当選できる可能性は極めて低く、白人に投票でもしなければ彼ら彼女らの声が政治に反映されることなどあり得なかったのである。

その状況を一変させたのが公民権運動と都市人口の変容。

公民権運動は黒人の人種意識を覚醒させ、50年代以後の白人人口の郊外への「逃亡」は、全米諸都市において次から次へと黒人市長が誕生する現象を生みだした。

この間に進行していったのは、実は投票が人種的アイデンティティによって決定されるということ。これが問題なのは、黒人だからと言って、黒人市民を利する政治を行うとは限らないということ。民主政治の根幹のひとつには功利主義がある。人種アイデンティティが選挙を支配したとき、有権者は決して功利主義的には行動しない。

ニューオーリンズは、過去2回にわたってC・レイ・ネイギンを当選させてきた。カトリーナが同市を襲ったとき、テレビの前でブッシュを罵倒して泣き崩れた人物である。巨大な自然災害と無能な連邦政府の板ばさみになった彼には「不運」なところがないこともない。しかし、結果を見ると、政治家としての彼に評点をつけるとすると、C-を下がる。

2008年の大統領選挙、以下に記しているように、わたしが特に注目したのは境界州の白人票の動向。同地の白人は人種を超越してオバマを支持した。2010年、ポスト・カトリーナ2度目の選挙、前回は人種的忠誠心からネイギンを支持していた黒人市民たちが、今度は彼を見棄てた。〈人種〉の呪縛を、とりあえずは振り払ったのである。

そのことを祝おうではないか。明日のもっと大きな祝杯の前に!

2011年07月10日

黒人人口の変化(その1)——シカゴの黒人人口の「流出」が続く

先週7月3日の日曜日、拙訳の書評が朝日新聞に掲載されました。径書房でのお仕事は、わたしがまだ修士1年以来、実に16年ぶりになります。そのときは、マルコムXのアフォリズム集『マルコムXワールド』で、黒人史年表を書くという仕事でした(物を書くことで初めて収入を得たわたしにとっては一生忘れられないお仕事で、映画公開に併せた最後の追い込みは、やっていてとても楽しいお仕事でした)。同書を監修され、私を起用して下さったアメリカ文学者の佐藤良明先生も、ご自身のブログで批評とともに紹介してくださっているので、これらの内容について、いずれここで、まとめて語りたいと思います。

さて、今日は、かつてのこのブログの調子に戻ろうと思います(と、いうので文体変更)

この春頃からアメリカの新聞では黒人人口の北部都市離れが数多く報じられている。2010年国勢調査(センサス)の数値に基づいて政策が策定される時期に入ったのがその原因であるが、このような報道のなかには大都市が連邦政府から受けている助成金が大幅削減される水準にまで人口が落ち込んだデトロイトのケースなど、かなりショッキングな数値も多い。

南北戦争勃発以後、一貫して南部から北部へ、農村から都市へと動いていたアフリカン・アメリカンの人口は、1990年のセンサスで初めて「南部への回帰」とも思われる徴候が現れた。それから20年、黒人の人口動勢は、どうやらはっきりと北部から南部へ、都市中央部から郊外へと向きを変えたようだ。これはまさに「歴史的」と形容できる変化である。

このなかで、紹介したいのは、7月1日にAP通信が報じたニューヨークに関する記事と、7月2日に『ニューヨーク・タイムズ』が報じたシカゴに関する記事Black Chicagoans Fuel Growth of South Suburbsである。ここには、かつてさまざまなメディアに溢れたアメリカの都市の地景——たとえば、スパイク・リーの映画に出てくる混乱していても活気溢れるブラック・コミュニティであったり、「24時間犯罪現場密着追跡」のようなタイトルののぞき見主義丸出しのテレビの特番に描かれる黒人ゲトー——が急速に過去のものになっていっていることが現れている。

今回は、この二つのなかでも、より大きな動勢について書かれている『ニューヨーク・タイムズ』の記事について述べてみたい。

ファンクバンドのパーラメントは、1975年に、Chocolate Cityというタイトルのアルバムを発表した。このタイトル曲、Chocolate Cityは、アメリカの都市——わけてもこのアルバムにおいてはワシントンD・C——の有り様を、「チョコレート色の街とバニラ色の郊外」と表現し、チョコレート・シティで花開くファンク・ディスコ文化を賛美した。この色彩豊かな表現は、実のところ、アメリカの都市がデファクトの人種隔離状態にあったということを物語っていた。チョコレート色とは黒人の肌の色、バニラ色とは白人の肌の色を指す。

アメリカの都市、わけても北部・中西部の住宅の人種隔離に関する研究は多い(そのなかの優れた研究のいくつかは日本語の翻訳も出ている)。わけてもシカゴは、都市と黒人文化、そして黒人の社会政治運動に関心をもつ人びとの主な焦点になってきた。わたしがそこに住んでいた1990年代半ばも、おそらくその基本的構図は変わっていなかったと思う。たとえば、ループ地区の中心にあるデパート、メイシーズ(当時はマーシャル・フィールズ)の前にあるバス停に夕刻に立ち、バスに乗り込む人を見れば、それはよくわかった。北や北西に向かうバスに乗るのはほとんどがコーケージャン、対して南や西に向かうバスに乗るのはほとんどがアフリカ系だった。当時のわたしはサウスサイドの59丁目に住んでいたのだが、夜11時を過ぎると、南に向かって走ってくれるタクシーを捕まえるのに苦労したことも多い。学部学生当時にバンドを一緒にやっていた友人が遊びに来てくれたので、バディ・ガイが経営しているブルーズ小屋(Checker Board Lounge--当時はハイド・パークではなく、サウスサイドのど真ん中にあった)に行こうとして何台もタクシーに乗ったが、最終的に連れて行ってくれる運転手にめぐり遭うまでとても長い時間がかかり、さらにはそのブルーズ小屋から帰るのに電話で読んだタクシーを3時間(!)も待たなくてはならなかった。しかし、どうやらその構図に大きなとは言えなくとも、意義深い変化が現れているようだ。

シカゴ市の人口は、2000年から2010年までのあいだに、約20万人減少した。この減少した人口のうち、18万1千人が黒人である。この10年間のあいだに同市の黒人人口は、比率にして17%も減少したのだ。

『ニューヨーク・タイムズ』紙の報道によると、この人口流出を促した要因は二つ。ひとつは、日本でも予測できることではあるが、サブプライム住宅市場のクラッシュに伴う抵当物件差し押さえの増加。つまり、単純に言って、不況のため都市に住めなくなったという要因。そしていまひとつが、日本的環境ではまったく馴染みのないこと、低所得者向け高層公共住宅の取り壊しとそれに伴う住民の立ち退き(ちなみに、これはこの記事では触れられていないが、シカゴの2016年オリンピック立候補は、めずらしくループ北側の高級住宅地ゴールドコーストに隣接した地区に建設されていたカブリニ・グリーン・ホームズという「悪名高い」公共住宅を取り壊すことで可能になっていた)。低所得者という経済的階層は、この都市のなかにあっては、かなりの確率でアフリカ系を意味する。

この記事で描かれている図式は簡単に言うとこうなる。差し押さえ物件の増加と、それの低迷する住宅市場での売り出し(つまり住人のいない物件の増加)が、都市中央部(インナー・シティ)にあった中上流層向けの住宅地——2000年代初頭の住宅バブルのときに開発されていた——の魅力を乏しいものに変えた。これと同時に進行した公共住宅の取り壊しは、インナー・シティの「マイノリティが住む低所得者住宅地」にさらなる低所得者を「流入」させることになった。そこで生じたのが、マイノリティの中間層の郊外への「脱出」である。

シカゴ郊外のマッテソン Mattesonの街に、サウスサイド96丁目から引っ越してきたある人物は、こう語っている。「シカゴの市内には中間なんていうものはありません。デイレー[前]市長の政策は、ずっと噂されていたこと、つまり中間層の浸蝕政策というのがほんとうの姿だったのです。リッチになるか、プアになるか、そのいずれかだったのです」。

このようなアメリカ社会の実態は、ベストセラー『貧困大国アメリカ』でも詳述されていることであり、経済格差の拡大といったテーマ自体、今日となっては何の新規さもないものである。しかし、ここでこの記事をほんの少し詳しく見れば、ブラック・アメリカに生じていることの深層が垣間見ることができる。ほんの少し詳しくみよう、マッテソンの位置から。

イリノイ州の南、もしくはインディアナ州の側からシカゴに接近して行くと、シカゴ都市圏に入ったと思う特定の地点がある。それは、おそらく東西に走るI-80かI-94を越えて北に進んだときだ。これを越えると東西に伸びる通りの名前も急にシカゴ市中心部から続く連番が増えてくるし、ハイウェイも有料のものが現れてくる。道の両端が壁で仕切られ、場所によっては高架道になるなど、はっきりと都市に入ったとわかるようになる。しかし、マッテソンは、これより南に位置する。市民活動家だったバラク・オバマがその活動の拠点としていたアルゲルト・ガーデンズは、このマッテソンより北側、シカゴ市中心部とのほぼ中間あたり。つまり、ここは、郊外suburbというよりも、exurbや”outburb”というところに位置する。そのようなところで、黒人人口の増加率は85%に達し、19,000人の総人口のうち15,000人が黒人になった。他方、白人の人口は、4,000人から2,800人に減少しているのである。

この記事のなかで興味深いのが、移ってきた住民が、その理由に都市の荒廃をあげているところ。

ブラック・アメリカの歴史的経験を捨象して考えるならば、荒廃した居住環境を去るということに殊更不思議な点はない。しかしながら、郊外への居住が人種的偏見の壁に阻まれ、黒人がインナー・シティのゲトーに住まざるを得ないとき、彼ら彼女らにとって政治社会的に現実的な戦略は、都市の政治的権力を握ることだった。その戦略にしたがって大衆を動員するには、人種的アイデンティティを強める「ブラック・コンシャスネス」はきわめて重要だった。しかし、いまや都市の政治を握ることよりも、その地を去ることをインナー・シティの住民は選ぶことができ、現実にも選び始めたのである。

1987年、シカゴ最初の黒人市長、ハロルド・ワシントンが在職中に死去して以後、黒人がこの市の市長に当選したことはない。現職のリチャード・デイレーが出馬しなかった2011年2月の市長選では、黒人候補の当選が予測され期待されたが、「黒人の統一候補」を擁立するための話し合いも難航するなか、白人のラーム・エマニュエルが市長に当選した。この市にあって、ひとつの政治運動を形成できるほど強力な人種的紐帯は、もはや存在していない。

シカゴのこのような情況はおそらく全米の都市各地で起きていることだろう。そう考えてくると、2008年の大統領選挙で、オバマが黒人の96%もの支持を集めたという現象の方がむしろ奇異なものに思える。2012年、彼がここまで強く黒人有権者から支持される可能性は、それほど高くはない。

いささか古い言葉だが、スチュアート・ホールが〈人種〉について定義したつぎの言葉が響いてくる。

Race is a modality in which class is lived.

2011年09月13日

あれから10年…

昨日、「あの日から10年」関連のテレビ特集をみていてつくづく思った。

アメリカは確かに変わった、と私も思う。ところが、報道のトーンは、テロ直後の変化から、この10年間まるで何も変わっていなかったかのよう…

08年にもう一度変わった「はず」でした。しかし、「チェンジ」をもたらすはずだった、その期待を一身に集めた人は、相変わらず"[We are] E Pluribus unum, out of many, we are one"の「マントラ」を繰り返すばかり。正直、だんだんうんざりしてきた。

彼の当選は、経済環境が極めて悪いときに起きたと言う意味で、そして保守派の組織的「巻き返し」がその後隆盛を迎えたという意味で、73年のデトロイト市長選のコールマン・ヤングや、93年のニューヨーク市長選でのデイヴィッド・ディンキンズの当選とタイミングが良く似ている。しかし、否、だからこそ、もっと何かできただろう、と思う今日この頃。

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