Public Enemy in Russia
昨年の夏、モスクワでパブリック・エネミ(P.E.)ーのコンサートが開催され、彼らのメッセージに不快感を抱いていた6名のスキンヘッズが、コンサートから帰ろうとする観客に襲いかかり、1名を死亡させるという事件が起きた。
この件に関し、ロシアの裁判所は、最長で18年の実刑判決をくだした。
P.E.のメッセージに不快感ーーより精確に言えば、「不安」ーーを感じているスキンヘッズは、アメリカにもいる。
昨年の夏、モスクワでパブリック・エネミ(P.E.)ーのコンサートが開催され、彼らのメッセージに不快感を抱いていた6名のスキンヘッズが、コンサートから帰ろうとする観客に襲いかかり、1名を死亡させるという事件が起きた。
この件に関し、ロシアの裁判所は、最長で18年の実刑判決をくだした。
P.E.のメッセージに不快感ーーより精確に言えば、「不安」ーーを感じているスキンヘッズは、アメリカにもいる。
Sean "P. Diddy"は、今回の大統領選挙で黒人の有権者登録を促進するために結成した組織、Citizen Change (民主党支持)の活動を継続させると発表。
今回の選挙で高まった、黒人青年層の政治への関心を維持し、将来の政治・社会の変革の力にすることが目的、と言明。
1960年代、キングの「右腕」として活躍したアンドリュー・ヤングが、『アトランタ・ジャーナル・コンスティチューション』に投稿した記事で、今回の選挙におけるヒップ・ホップ・アーティストの活動を大々的に評価。わけても、ラッセル・シモンズのHip Hop Team Vote Initiativeと、前にこのブログで伝えた、P Diddy CombsのCitizen Charge Campaign。
なお、政治的無関心が心配されていた黒人青年の投票率は、この大統領選挙で急上昇。18歳から29歳までの青年の半分が投票に赴いた。2000年と比較すると、実数にして、460万の増加。
このたびの結果の悔しさを胸に、2008年を待とう!
死後7枚目になるTupacの新譜、Loyal to the Gameが発売される。
そのなかの一部の曲は、海賊版としてすでにネットに出回っているらしい。
グラミー賞候補がアナウンスされる時期が近づいてきた。そのなかの有力候補、エミネムの"Just Loose It"をスティービー・ワンダーが酷評。
タイトルから想像つくように、これはマイケル・ジャクソンの大ヒット曲"Beat It"を幾分かパロディにしたものだ。イメージ・ビデオでは、ジャクソンの「児童虐待容疑」への皮肉が込められている。
スティービー・ワンダーを怒らせたのは、そのタイミング。「ひとが意気消沈しているところになぐりかかるのは褒められたことじゃない」というのが彼の意見。
さらに、スティービーの怒りはこれだけでは止まらなかった。「[エミネムには]これまで敬意respectを払ってきたが、考えてみれば、彼は2Pacにはとても及ばない」。さらには、「低所得者が多い黒人が多くのファンになってくれたから成功できたのに、こんなことをやるなんて、ヤツはbull shitだ」と発言。スティービーにとって、エミネムは「偽善者」。
スティービーは生まれたときからずっと光を見たことがない。ゆえに「肌の色」を物理的意味ではしらない。彼にとって肌の色は「社会的構築物」であり、「自分と同じコミュニティに属するか否か」で決定されることになる。
スティービーは、したがって、「肌の色が白い」エミネムに怒ったわけではない。
ブラック・コミュニティで"respect"は極めて重い価値を持つ。それがわからないエミネムは、したがって、「よそ者」なのだ。
多くのものを当惑させる存在、白人ヒップホップアーティスト、エミネム、彼が引き起こした現象を考えると、いろいろ面白いことがでてきそうな気がする。
Jay Z が、自らが所属するDef Jamレーベルの社長になることが決まった。
その決定には、ユニヴァーサルとワーナーという、レコード業界の巨大企業によるJay Z 獲得合戦があった模様。
現在 Def Jam はユニヴァーサル傘下にある。ワーナーの引き抜きに応戦し、ユニヴァーサルに留まってもらうために、Def Jam レーベルのアルバム制作からマーケッティングに至る権限をすべて譲渡する条件をユニヴァーサルが提示し、Jay Zが受け入れた。
メガ・レコード会社の重役に、ゲトー出身の黒人がなることは極めて珍しい。ヒップ・ホップは「ガラスの天井」を突き破った!。
ロードアイランド州ワーウィック郡警察公安部が、同地で行われる予定であったヒップホップ・パーティの禁止を命じた。
公安部長の話だと、「ヒップホップのパーティに集まる群衆はきわめて暴力的」であり、「ただそれに我慢がならないだけだ」というのが、その理由らしい。
しかしヒップホップだけが「暴力的」なのだろうか。
オハイオ州で殺人事件を起こしたのはヘヴィ・メタルのコンサートだった。
なぜかブラック・パフォーマンスには「暴力」というイメージが貼り付けられてしまう。
ニュース出典
http://www.allhiphop.com/hiphopnews/?ID=3873
P. Diddyが、大手の出版会社 Random House から告訴された。
両者は自伝の出版で契約を結んでいたのだが、前金を支払っているのにも関わらず、一向にP. Diddyのペンが進まないらしい。
http://www.allhiphop.com/hiphopnews/
2月28日のことになるが、世界でもっともホットなヒップ・ホップ局、ニューヨークのHot 97で銃撃戦があった。
ロサンゼルスのサウスセントラル地区コンプトン(映画Menace II Societyがモデルとした黒人ゲトー)出身で、全米に名を馳せているギャング、Cripsのメンバー(Snoopy Doggy Doggもかつてはメンバーだった)だった50 Centが、ニューヨークのブルックリン・ベットフォード・スタイヴザント地区(スパイク・リーの数多くの映画のモデルとなっている地区)でドラッグ売人だった経験をもつthe Gameを、同局放送のインタービューで酷評した。それに怒ったthe GameのガードマンのひとりがHot 97に殴り込み。待ち受けていた50 Centのガードマンたちから銃撃される。
その後、今度は、50 Centのエージェントに銃弾が撃ち込まれる事件が起きた。
ニューヨーク地方紙はRap War Broke Out!などとセンセーショナルな見出しで大々的にこれを報道した。
すくなくとも過去10年間、ヒップホップシーンを追いかけているものならば、ここで思い出すことがあるだろう。コンプトン対ブルックリン、ともに若くて将来が期待されるラップシンガーの暴力的対立。7年前にラスベガスで殺害された2Pacと、8年前にロサンゼルスで殺害されたBiggie(Notorious B.I.G.)のあいだの対立である。
実際、多くの新聞がこの過去に言及していたし、それゆえに、両者のあいだの休戦と和解のために動いた牧師(アル・シャープトン)もいる。右の写真は、そのような努力あって、和解を宣言したときの2名の姿である。彼らは、この事件の「反省」として、ハーレムのコミュニティに寄付をすることにしたと『ニューヨーク・タイムス』は告げている。
この事件に限らず、ラップのアクトには「暴力」が何かと取りざたされている。昨年のSource Awardでは、Dr. Dreがステージ上で殴打されるという事件があったばかりでもある。確かにギャングスタ・ラップは暴力を賞揚しさえしている。2Pacが流行させたことばThugh Lifeは、敢えて日本語に訳すならば「極道」ということになるだろう。
しかし、カントリー・ウェスタンだって、「暴力」と無縁ではない(映画『ブルース・ブラザース』ーー古典ですね、しかしーーを観ればよくわかる)。ただ違うところは、ヒップホップの場合、あめりにも多くの若い「タレント」が、傷ついてしまったということだ。
50 Cent と the Game の「和解」は、Biggieの8周忌の日に行われた。偶然であっただろうが、「極道」の「先輩」を、この2名も忘れてはいなかった。とにもかくにも、今回の事件、地元のメディアは大騒ぎしたが、1名が怪我をしただけですんだということを喜びたい。
Biggie、Big Poppaは天国でどう思っているだろうか…。
(この問題に関しては、6月にきちんとまとめたかたちで「論文」にする予定であった。その素材であるために触れるのを避けていたが、この事件があまりに大きな余波を引き起こしただけに、今日こうして簡単に紹介することにした。「論文」は、でき次第、http://www.fujinaga.org/に掲載したい)。
Biggie Smalls (aka. Notorious B.I.G)の殺害に関する捜査の終了を、FBIが公式に発表した。
これで、Tupac殺害事件もBiggieのそれも、ともに「迷宮入り」してしまった。
アメリカの刑事事件は、突然捜査が再開されることがあるので、これによって将来を断定することはできない。が、それでも、彼らが「なぜ」死んだのか、は、とりあえず誰にもほんとうのところがわからなくなってしまった。
なお、Biggieの母親は、ロサンゼルス市警の警官で、同地のギャングと親密な関係を持っていたことが判明し刑事訴追されている人物を、Biggieの殺害に関与しているとして民事裁判にて補償を求めている。
『タイム』誌の最新号に発表された「世界で影響力をもつ100人」のなかに、ヒップホップ界から、Jay-Z, Oustkast, Kayne Westの3名が含まれていることが判明した。
ほかに黒人では、コンドリーザ・ライス国務長官のような政治家も選ばれているが、アル・シャープトン牧師のような社会活動家は選ばれていない。
もちろん小泉首相も選ばれていない。
つまり、世界第4位の経済大国の首相より、デフ・ジャム・レコーズ社長の方が、影響力があると見なされているのである。そのような判断、どこかわかるような気がする
マーティン・ルーサー・キングを公民権指導者のひとりとして擡頭されることになったモントゴメリー・バス・ボイコット運動において、ボイコット実施に至る事件の中心にたった
人物ローザ・パークスは、1999年に発表されたOutkastの曲、"Rosa Parks"の歌詞に激怒し、同グループを相手取って民事裁判を起こしていた。
バスの後方座席に座らねばならないとされていた当時の人種隔離法と闘ったパークスの名前を冠した曲において、Outkastが、"Ah, ha, husu that fuss/ Everybody move to the back of the bus"と歌っていたからである。
和解の内容はこういうもの。ローザ・パークスの業績を讃えるCDやテレビ番組の制作、そのテレビ番組のDVD制作と頒布を行う教育プログラムに資金を提供するというもの。
ここに至るまでに実に長くかかった。
2Pacが在籍していたDeath Row Records (現在の名前はTha Row)の創設者でCEOのシュグ・ナイトが、MTVビデオアウォードの前日、Kayne Westも出席したパーティで狙撃された。6発の銃弾が放たれたが、足に怪我をしたのみで、命の別状はないらしい。
それにしてもシュグが絡んだ暴力事件はこれで何件目だろうか。
2Pacは、あのような死に様を迎えたのか、考えはこちらに向き、今夜は眠れそうにない。
出典:http://query.nytimes.com/mem/tnt.html?emc=tnt&tntget=2005/08/29/arts/29arts.html&tntemail0
シュグ・ナイト狙撃の事件は、自作自演の可能性が出てきた。
彼が撃たれた現場からは、他にいかなる弾もみつからなかった、というのがその根拠。
他面、50 Cent が裏にいるという説、そして「ラップ抗争再燃」といった見出しで報じた新聞もある。
何はともあれ、シュグは、ベリー・ゴーディのような「ロール・モデル」にはなりえないことは確かだ。
2Pac も、スヌープも、Dr. Dre も、初期の Death Row を支えた人間は、シュグの力がなくとも、成功しただろう。シュグは、ヒップホップ・コミュニティに貢献しているよりもはるかに多くの害を与えている。
今日、ヒップホップを誤解している者が、アメリカにも日本にも多いのは、多くはシュッグの責任だ!
連邦司法省筋の情報によると、1994年ニューヨーク市のスタジオで起きた 2Pac 狙撃事件の捜査が再開されることになった。
これまで、彼が殺害された1996年ラスヴェガスの事件に関しては、捜査が繰り返し行われてきている。また、誰が犯人であるかを独自に調査した著作も多い。
今回は、この96年の事件の発端となったとされている94年の事件が捜査の対象。目的は、多くの場所で語られているこの二つの事件に関連性があるかどうかであり、わけても、現在 The Game のマネージャーとなっているジミー・ヘンチメン・ロズモンドの役割に捜査の焦点があたることになるらしい。
これに対し、ロズモンドはこう答えている
「スタジオでの狙撃事件から11年、Tupacが死んでから9年も経つのに、いまだにそんなわけのわからないうわさ話のなかで私の名前があげてこようとは恥を知れと言いたい。だが、これまでだって、2つの事件の捜査には全面協力してきたし、実際にそのために金をつぎ込みさえしたんだ。真実が解明されるべきだと思ったから。Tupac は良い友達だったし。(ムショにいるやつらも含め)その辺をうろついている人間が、私の人格を汚し、ヒップホップ界の悪役にしようとしてる、これは悲しいことだね」。
なお、2Pac は、ジミー・ヘンチメンのことも、彼のラップのなかで酷評していた。ヘンチメンに嫌疑がかかったのも無理はない。
しかし 2Pac が亡くなってから9年も経過してしまった。時の経過とともに、真実が解明される確率は低くなる、これはまちがいない。長い時間が経ったからこそ、事実へ接近することが可能になったということもあるが、そのときこそ、われわれ歴史家が登場する時だ。
イライジャ・カミングスを初めとする黒人連邦議会連盟(Congressional Black Caucasus)のメンバーたち、さらにはヒップホップスターKayne Westがブッシュ政権の批判を公言し始めた。
わたしは、受動的なただ単なる被害者として黒人を描くことは避けてきた。彼ら彼女ら(そしてわたしたち)は歴史を創り、社会を創り、世界を創る主体だからだ。
ニューオーリンズが始まる世界創り、現在は詳報を収集中であるが、逐一ここ、もしくは
http://www.fujinaga.org/
で報告していく。
conservative onslaughtに対する反撃は、これから始まる。
ラップ・シンガー、カニエ・ウェストが行った、ハリケーン被害に対するブッシュ政権の行動批判が、アメリカのテレビネットワークの一部で検閲にあい、放送されなかった。
彼は、こう語った。
「ジョージ・ブッシュは黒人のことなんて考えちゃいない。だいたいメディアが俺たち黒人を描く姿だって大嫌いだ。黒人家族が歩いていたら、略奪者集団呼ばわり。白人家族だと、食べ物に困っていると言う。救済活動が始まるまで5日もかかったのは、被害者のほとんどが黒人だったからだ。こうやって批判をしている俺にしても、偽善者かもしれない。だって、テレビを観ていて辛くなるばかりだから、現実から目を逸らしてしまったんだ。それに、寄付をする前に買い物にも行った。そんな調子でも、いまマネージャーを通じて、俺の財布からいくら出せるか、その最大限の額がいくらになるのかを調べてもらっている。つまり、赤十字はいま最善を尽くしているだろう。その一方で、救助に使うべき人びとがいままた別の戦争を起こそうとしているんだ、その許可を貰っているんだ。俺たち黒人を撃ち殺す」。
この発言の最後の部分は、治安回復のために、政府が窃盗犯射殺命令を出したことに触れている。
それにしても、自らを「偽善者」だと認め、良心の呵責に苦しんでいるこの発言は、ひとのこころをえぐりとっている。その刃の鋭さに恐れをなしたものがいるのだろう。さもなければ、なぜこの発言が放送禁止になるのかわからない。
Jay-Z が、カニエ・ウェストの擁護に出た。
ビルボード誌の取材に答えた彼は、検閲を受けたカニエ・ウェストの発言に対し、「ウェストを100%支持する。ここはアメリカ、言いたいことは何だって言う権利がある、言論の自由は俺たちの権利だ」と述べた。
そしてウェストの発言に援護射撃。曰く「ほんと萎えてしまうよ、こんなことがアメリカで起きるなんて。『いったいなにが起きているんだ What's Going On?"』と思うだろ。なんで反応がこんなに鈍感なんだ。さっぱり理解できない」。
アメリカの大都市の通りに何日も死体が放置されている、まさに「萎えてnumbing」しまう事実だ。このようなことが続けば、きっと人間は無感動(numbing)になる。
だから、現在、彼は、何とパフ・ダディと、ハリケーン被害者のなかでも黒人被害者救済を目的とした音楽イヴェントを協議中だと言う。
これは、ある特定の人種を救済の対象としていることで、人によっては「偏狭だ」と批判するかもしれない。しかし、白人にコーポレート・アメリカがついていて、メディアがそれを支援しているなら、黒人にはヒップホップ・アメリカがついている、わたしはそう思いたい。きっとサッチモも喜んでいるだろう。
ところで最後になりましたが、ニューオーリンズの観光名所にもなっている、ジャズ好きなら一度は訪れる場所、Preservation Hallが救済基金を設立しました。少しでも、募金、よろしくお願いします。
この10月15日は、ネイション・オヴ・イスラームのリーダー、ルイス・ファラカンが呼びかけで実施され、予測を上回る人びとを動員したMillion Man Marchの10周年になる。参加者を黒人男性に限定したことで、セクシズムとの批判を受けた運動ではあったが、今日から振り返ってみると、アフリカン・アメリカンのアクティヴィズムが見られた直近で最大のイベントになっている。
その10周年にあたり、the Millions More Movementが結成され、以前のMarchには批判的だったアンジェラ・デイヴィスらが幹部を務めるBlack Radical Congressでさえも運動への参加を訴えている(もちろん、それには、セクシズムを乗り越えたという事実があってのことではあるが)。
そして、さらには今度はヒップ・ホップ界が、行進参加への呼びかけを行った。契機は、そう、このブログでも伝えてきたハリケーン・カトリーナが引き起こした災害である。Jay-Zは、このブログで紹介した発言を実行に移したのだ!。
彼のほかに呼びかけに参加しているアーティストは、有名な人間のみ挙げて、以下の通り:
Reverend Run, Sean Diddy Combs , Damon Dash, Jermaine Dupri, Kanye West , Ludacris, LL Cool J, Queen Latifah, Common, Wyclef Jean, Missy Elliott , Foxy Brown, David Banner, Snoop Dogg, Ice T , Jim Jones, Juelz Santana and Jha Jha of the Diplomats, Master P, Juvenile, Erykah Badu, Questlove of The Roots, MC Lyte, Fab Five Freddy, Biz Markie, Kid Capri, Cassidy, The Wu Tang Clan , Xzibit, Tony Austin, Humpty Hump, the Ruff Ryders, dead prez, Russel Simmons.
2Pacとビギーが好きな人はご存じだろうが、前のMillion Man Marchのときは、まだウェストコーストとイーストコーストの「ラップ戦争」が起きる以前であり、彼ら二人をフューチャリングしているテイクが録られた。これは、ヒップ・ホップが好きな人間にとって、"We Are the World'でのマイケル・ジャクソンとスプリングスティーンの共演を凌ぐ価値をもつものである。
さあ、じっくり今回の呼びかけを行っている人をもう一度ご覧くだされ!。ウェストコーストのSnoopとイーストコーストのPuffyの名前がある!(詳細は、http://www.millionsmoremovement.com)
そしてまた、これは単なるエンターテイメントではなく、強烈なメッセージをもった政治運動である。彼ら二人が台上に立つのも興奮するだろうが、ワシントンD・Cのモールに集まる人びとの光景の方がもっと人びとを奮い立たせるだろう。15日、そこにどれだけの人びとが集まるであろうか。
多くの職員を解雇せざるをえない立場に追い込まれたネーギン市長の悔しさを忘れずにいよう。そのうえで、さあ、Keep On Moving, Move on Up!。
募金お願いします。
http://www.jrc.or.jp/sanka/help/news/817.html
ビギー(aka. Notorious B.I.G)の母、Voletta Wallaceが、息子の生涯を伝記にした。タイトルは、Biggie: Voletta Wallace Remembers His Son。発売日は現地アメリカで11月1日
売り上げの一部は、すでにウォレスがビギーの死後に設立し、都市中央部でのギャング紛争解決、財政難に苦しむ公立学校の支援をおこなっている、クリストファー・ウォレス(ビギーの本名のこと)基金に寄付される。
またこの伝記に基づいて映画も制作されるらしい(果たして誰が、あの強烈なリリスト、ビギーの役をするだろうか?
久々に自分の庭、2Pac関連の最新ニュース。
ジョージア州選出の連邦下院議員シンシア・マッキニーが、(1)政府が所有している2Pac関連の情報の公開、(2)国立公文書館に2Pacのレコードコレクションを創設すること、を要求する法案を提出した。
死後10年経ってもまだ続く彼の人気を考えると、(2)はとりわけて説明いらないだろう。興味深いのは(1)の方である。
マッキニーは、2Pacが銃殺されたとき、政府が監視下に置いていたと考えているらしい。これまでも2Pacの殺害については政府陰謀説が浮上したことがあるが、真相究明に連邦議会議員が動いたのはこれが初めてだ。
ところで、彼の母、Afeni Shakurは、ブラック・パンサー党員だったことで有名である。さらには、Afeniの場合は、「黒人急進派を懐柔させるか、さもなくば抹殺する」ことを目的とした悪名高いFBIの監視監督弾圧作戦COINTELPROの標的となり、冤罪に問われた。(COINTELPROやAfeni冤罪事件の詳細は、筆者のサイトの業績のコーナーで論じています)。
このことを鑑みると、シンシア・マッキニーは、COINTELPROのような作戦がその後も継続しており、きっと政府は何らかの秘密を握っているに違いない、と思っていると考えられる。その実、彼女には、2002年にも、同じくCOINTELPROの標的となっており、FBIから様々な嫌がらせを受けていたマーティン・ルーサー・キングに関する秘密書類の即時公開を求める法案を提出した議員活動歴がある(ちなみにその法案は、可決されなかった)。
これはブラック・パンサー党研究者の会合で、パンサー党員の法廷闘争に弁護士として加わった人から聞いたことであるが、COINTELOPRO関連の書類の公開を情報公開法に則って要求しても、望みのものを手にいれるのに最低10年はかかるらしい。しかも今や、情報公開の原則を踏みにじる愛国者法が存在し、かつては非合法だと宣せられたCOINTELPROと同様のことーー罪を犯していないものの生活を監視することーーはやりたい放題の情況にある。
このような事情を考えると、マッキニーの法案はおそらく可決されないであろう。それがいかに「真実」を知るのに重要であろうとも。
そしてまた、このような情況が存在するかぎり、ことあるごとに政府の陰謀説が流布するーーたとえば、政府は、ニューオーリンズの観光地区を守るために、第9区近くの河岸壁を爆破したーーことは避けられない。
マーティン・ルーサー・キングの夫人、コレッタ・スコット・キングは、このような歴史の闇を照らしだすために、関係者の特赦を前提にした調査の実施を主張している。これは、南アのマンデラ政権が行ったこと、真実究明委員会の審議にヒントを得たものだ。アメリカにも確かに真実究明委員会が必要である。それはキング暗殺、パンサー党の弾圧の過程を確実に明らかにしてくれるだろうし、さらには2Pacの殺害をも照らしだすかもしれない。
トゥーキー・ウィリアムスに関する速報。
シュワルツネッガー州知事がトゥーキー・ウィリアムスに恩赦を与えることを拒否しました。あと11時間半しかありません。
抗議の署名をこちらでお願いします。
なおスヌープ・ドッグがABC放送で行った特赦をもとめる会見はネットで配信されています。
死刑延長の署名をお願いしましたトゥーキー・ウィリアムスの葬儀が行われました。
くやしくて仕方がありません。
右の写真は、トゥーキーの亡骸を前にしたスヌープ・ドッグの姿です。
彼は、トゥーキーのことを「俺にとってのマーティン・ルーサー・キングだ」と語っていました。少なくとも、今、スヌープがthugではなくラップスターであるのはトゥーキーがいたからです。
いったい誰だトゥーキーを殺したのは!
Notorious B.I.G. (以下、ビギー)殺害事件に新たな展開があった。
合州国連邦地裁は、ロサンゼルス市に対し、ビギーの遺族に110万ドルを損害賠償として支払うように命じた。ビギーの遺族は、ロサンゼルス市を相手取り、証拠秘匿の廉で200万ドルの賠償を請求していたのであるが、これで、その半分以上の額の支払い命令が下ったということになる。これは、2Pacとビギーのいわゆる「ラップ戦争」の捜査の進展にとって極めて大きな意味を持つ。
判決を言い渡すにあたり、連邦地裁は、ロサンゼルス市警が意図的に自分たちに不利な証拠を隠滅したというビギー遺族の言い分を認めた。つまり、ビギー殺害に関して、市警が関与していたということを認めたということになる。
「ラップ戦争」には、警察を含めた行政当局が関与していという噂がかねてから流れていたが、この判決は、それがまんざら「噂」ではないと認めたということを意味する。ビギー殺害、ならびに2Pac殺害に関しては未だに調査が行われているが、これらの事件の捜査は、この判決を機に新たな展開に突入することが簡単に予測される。少なくとも市警は関与していたのだ。
かつてデトロイトがナショナルイベントの会場になったのは、70年代のワールドシリーズのときだった。そのときは、マーヴィン・ゲイが国歌斉唱を行った。今年は何かあるだろうか?、と考えていたところ、スーパー・ボールの祭りを演出するものの一人が判明した。
Bad Boy Entertainment 会長のSean "Diddy" Combが、同市に古くからあるクラブを貸し切り、前夜祭のイベントを行うらしい。
3日間連続して行われるコンサートの売り上げの一部は、St. John Hospitalとホームレス支援組織、Coalition of Temporary Shelterに寄付される。
大きなメディアイベントより、より恒久的な経済復興の方が望ましいのにまちがいはない。イベントより、かつてのモータウンのような「地場産業」が存在する方が望ましいのにまちがいはない。
それでも、しかし、何もないよりましだろう。
デフ・ジャム・レコードの創設者のラッセル・シモンズが、ニューアーク市から表彰されることになった。
2004年大統領選挙の際、シモンズは、反ブッシュ票の掘り起こしのために、Hip-Hop Summit Action Network (HSAN)という組織を結成した。彼の意に反してブッシュは当選したが、HSANはその後も社会福祉の分野で活動を続け、今回はその功績が認められるかたちとなった。
しかしながら、幾分この表彰には政治的思惑が見え隠れし、それは今日のブラック・アメリカの政治的行き詰まりを物語っているように思える。
ニューアーク市は、過去30年以上にわたり、黒人のシャープ・ジェイムスが市長を務めてきた。彼が市政で頭角を現したのは1967年の暴動の直後。現在に至るまでに、同市の経済的基盤は大混乱に陥った。企業が次から次へと「逃げて」いったのである。この情況は、そう、まさにニューアーク暴動の直後に暴動の炎に包まれたデトロイトとまったく同じである。そして、黒人の市長が、市の社会経済的環境の荒廃を止められなかったのも同じだ。
もちろん経済環境の悪化はジェイムス市長に一義的責任があるものではない。ところが、これまたデトロイトと同じく、彼の市政は汚職が絶えたことがない。にもかわわらず、彼はいまだ市庁舎にいる。強烈な利益誘導型のボス政治体勢を築き、反対派を徹底的に潰してきたからだ。市長が州議会議員を兼ねる同地の特殊な政治構造もまた、ボス支配を支えている。
そのような彼が初めて本格的対抗馬を迎えたのが2002年の選挙だった。イェール大学のMBAを持つ黒人青年実業家がボスに挑み、30年あまりも無風選挙だった同地の市長選が沸いた。
このとき、旧来の公民権世代はジェイムス市長を支持、年が若くなるにつれて対抗馬の支持率が高くなる傾向があった。今年、同じ構図で「再戦」が行われる。
今回、シモンズは福祉活動を讃えられて表彰されることになったのだが、もともとHSANは政治組織である。つまり、前回の選挙で見られた黒人青年層のある種の離反を食い止めるためのジェイムス陣営の選挙戦略とも考えられるのだ。
ほんの15年ほど前は、黒人候補が白人現職に挑むという光景が都市選挙で多く見られた構図だった。ところが、近年は、黒人対黒人、黒人対ラティーノ、黒人・ラティーノ連合対白人、白人・黒人連合対ラティーノという具合に、都市政治は複雑さを極めている。
これはブラック・アメリカの変貌を物語るとともに、70年代・80年代に流行していた「アイデンティティの政治学」がもはや退潮ーーすくなくともかつてほど単純ではないーーにあることを示している。
その潮の流れのなかに、ヒップ・ホップ界のサクセスストーリーの主人公ラッセル・シモンズは、謀ってか謀らずか、身を投じることになった。
かねてから噂が絶えなかったFugeesの再結成が実現した。
1997年、"The Score"のメガヒットの直後、突如として同バンドは解散。その中核メンバー、Lauryn Hill、Wyclef Jean、Prasの3人が一堂に会すのは、2005年BET Award以来初めて。
コンサート会場となったハリウッドの駐車場には、8000人が詰めかけ、噂を聞いて駆けつけた車の列は12ブロックに達したという。
BET Award以来、再結成の噂はいつもあったが、いま現在ツアーや新作発表の予定はないという。
さて、この話を聞いた後、スーパー・ボウルのローリング・ストーンズなどを観ていてこう思った。伝説的バンドはそのまま「伝説」のなかにいた方がいいのかも知れない。
既に各種のメディアが報じている通り、2008年大統領選挙では、人種的には「黒人」に属しているバラック・オバマ上院議員が民主党の最有力候補として浮上してきている。ここで私は「黒人」、と、カッコつきで彼の人種的アイデンティティを記したが、簡単にその理由を説明しよう。
彼の父親はケニア人、母親はヨーロッパ系アメリカ人である。その後、父親はケニアに帰国し、オバマはハワイで育った。ハワイと言えば、アジア系の人口比率も高く、彼が育ったのは「黒人ゲトー」ではない。さらには、その後の彼はハーヴァード大学ロースクールに進学し、シカゴ大学ロースクールで教鞭を執った。つまりある意味においてエスタブリシュメントの一員である。もっとも、シカゴ時代に、極めて献身的法律家として市民運動を支援したというキャリアはもっているものの、彼のキャリアはそれまでの黒人政治家と大きく異なる。そんな彼は、ヒップホップ・アーティストの語彙を批判することで、ヒップホップ界の重鎮、ラッセル・シモンズと対立することになった。
奇妙なことに、その論争の発端は、白人のトークショー・ホスト、ドン・アイムズが放った、おぞましい発言にある。アイムスは、多くが黒人女性のプレイヤーからなるルトガース大学のバスケットボールチームを形容し、「ちりちりの毛をした売女の軍団」"kinky-haired bunch of ho"と語った。これがネットワークテレビに流れてしまい、公民権運動家・黒人政治家の猛烈な抗議のなか、数々のネットワークテレビが彼との契約を破棄することになった。
これより以前、バスケットボールチーム関係で言えば、シカゴ・ブルズが全盛だった1990年代中頃、ネットワークテレビのスポーツ解説者が「黒人はバスケットボールが得意だ、なぜなら腰の位置が高い、そうしたのも棉畑で良い労働者になるように白人主人が奴隷を「交配」したからだ」といった発言を行い、同じく喧々囂々の抗議のなか解雇されたということがある。
しかし、このとき、そのスポーツ解説者の発言を聞き、「あぁ、そうだね、黒人は腰が高いね」などと言う「黒人」はいなかった。ところがこの度は、バラック・オバマがドン・アイムスの意見には一理がある、という発言を行ったのである。
オバマは、「「ちりちりの毛をした売女の軍団」という発言を非難するには、同じ言語を使用しているヒップホップの歌詞を非難しなくてはいけない」と語っている。さらに彼はこう言う。
「黒人たち自信が認めなくてはなりません、「売女」"ho"という言葉を聞いたのはこれが初めてのことではないということを。ラジオのスイッチを入れてください。同じ言語を使っている歌の数は夥しいし、そのような歌が家の中、学校の教室、iPodのなかで流れるのを許しているではないですか」。
このようなオバマの発言は、当然、ヒップホップ世代の批判の対象になった(このヒップホップ世代対公民権世代の社会認識に関しては、ついこのほど、筆者は最初の試論を著した)。デフ・ジャム・レーベルの創始者、ラッセル・シモンズが言うには、「そもそもそのような言葉を発しなくてはならない環境の改善を考えるのが政治家の仕事ではないか、ラップの歌詞を批判するのはやめてくれ」となる。
さらには、"ho"という言葉を連呼することでは、おそらく悪名高いラッパーのひとり、スヌープ・ドッグはこう言う。
「全然背景が違うじゃないか、教育やスポーツで成功し、高いステージに昇った女学生のことを俺たちがそう呼んでいるのではない。俺らは街角でやばいことばかりやっている奴らのことを"ho"と呼んでいるんだ。ニガを見ると金をぶんどることしか考えないバカ女のことを言っているんだ」。
ここでわたしは「ニガ」という言葉を使った。これは原文では"n.-a"と記されている。さて、かかる婉曲語法を使って何が起きるだろうか…。
その後、シモンズは、オバマへの批判を和らげ、いわゆる「Nから始まる言葉」や"ho"といった言葉を、レコード会社が自主的に規制し、ラジオ局は「ピー」という音で消すように提言している。これでこの言葉が消えるだろうか。この言葉が極めて攻撃的な侮蔑的言葉として、その毒牙が「ピー」で消えるのだろうか?。わたしはそう思えない。
既発表の論文で引用したばかりだが、その昔、2Pacはこう断言した。
「ニガーNiggerとは首にロープを巻かれて木から吊される奴ことだ。俺はニガNigga。ニガの首には純金のネックレスがぶらさがっている」。
2Pacの大胆な姿が恋しい。
上のグラフは、アメリカにおける刑務所人口の変遷である。この異常な受刑者数の増加は、多くの犯罪学者が論じているところによると、80年代に入り刑務所が「民営化」されたのをひとつの原因としており、犯罪が増えたから民営化せざるを得なくなったのではない。
そして、その受刑者に占める社会的に不利な立場にある人びと(もちろんゲトーの黒人はそこに含まれる)の率は異常に高い。黒人に関していうならば、それは人口比の約4倍に達する。多くのヒップホップ・アーティストが刑務所での経験をラップするのは、その社会的環境の反映である。
民営化した刑務所がある街のなかには、その街の経済活動のほとんどが刑務所関係のものになているところがある。つまり、刑務所の民営化とは、犯罪犠牲者の悲しみ、そして罪を犯さざるを得なかったものの悲しみ、それらの人びとみなの悲しみのの向こう側で、そこから経済的利得を得ている人びとが生まれることを意味する。
かつて、公民権運動以前の南部では、「受刑者貸出制度」convict lease systemというのがあったが、刑務行政の実体は、少なくとも現在のアメリカにおいては、そのひとつの変奏型にすぎない。なかにはそれを現代版の奴隷制というものすらいる。
ところで、本日、日本で初めての民間の運営による刑務所が開所した。前のエントリーと同じ問いかけになるが、われわれの社会はいったいどこに向かっているのだろうか。
グラフの出典:U.S Census Bureau, Statistical Abstract of the United States: 2000 (Washington, D.C.: Government Printing Office, 2000), p.202.
クリントンが大統領に初当選した1992年の大統領選挙、ヒップホップの歌詞が、人種的・性的に不快な表現を使っているとして選挙戦で決して小さくない問題となった(この模様については右の著書が詳しい)。先のエントリーでも述べたが、近日、その問題がまたかまびすしくなってきている。事の発端は、白人DJが黒人を侮辱する発言を行ったことが原因であったのだが、いつの間にか問題は「ブーメラン」のように飛んできて、黒人ラッパー、特にギャングスタ系が非難・批判の対象となってしまっている。
要は、"nigga"、"ho"、"bitich"という言葉を使うなということだが、それに関して、50セントがこの度反論を行った。決して論理一貫したものではないが、それでもこれはゲトーの市民の感情をある面で物語ったいるように思えるので少し紹介しよう。
彼はこう述べている。
いま起きていることは悲しいことだね。みんなこの国がいま戦争を行っているということを忘れちまっているんじゃないか?。ヒップホップのような音楽での言葉遣いはやたらと問題にして、それが暴力を助長しているなんて言っているが、暴力的な内容の動画には何も言わないじゃないか。だからどうしてもこう考えてしまうんだよ、企業を攻撃することよりも個人を攻撃することの方がずっと簡単なんでそうしているんだって。だから、パラマウントやコロムビアのような映画会社を相手にするんじゃなくて、個人のヒップホップ・アーティストを追っかけ回してているんだってね。
さらに彼はこう続ける。
音楽っていうのは写し絵なんだ、ヒップホップは俺たちが育った壮絶な環境を写し出しているんだ。何ならあんたら赤色を使わずにアメリカの国旗を書いてみなよ、そんなのできないだろ。保守的なアメリカ人のなかには、その育ちやライフスタイルが原因で、ヒップホップが表現しようとしていることがわからない奴らがいる。俺たちが生きてきたリアリティとは無縁だったんでね。それはわかるよ。それで、何で俺がいつも攻撃されるのかもわかる。挑撥的なところがない内容で、ヒップホップの世界で成功するのは難しいもんな。
少しシニカルに聞こえるだろうが、ダブルスタンダードはどこの世界にも存在するだろう。それを非難するのはたやすい。
それでもなお、50セントの発言は、奇妙に、そしてそれでもしっかり正鵠を射たものに私には聞こえる。
文化」というアモルファスな領域に属する音楽のジャンルの起源はどこにあるのかが定かでないものが多い。たとえば、ジャズはいつどこで生まれたか?。ブルーズはどこで生まれたか?。これに答えられるものはほとんどいないだろう。いたとしても、それはひとつの「仮説」に過ぎない。
ところがヒップホップは違う。「記録」がしっかりと残る「現代」に生まれたこの文化様式は、ニューヨーク市ウェストブロンクス、セジウィック・アベニュー1520番地で、1973年に生まれた。同地のコミュニティセンターで開催された「ダンパ」(そのときのビラは右下を参照)、DJ. Kool Hercという人物が創ったサウンドが、ヒップホップの原点である(左の写真がその場所の入り口)。
いま、その場所が変貌しようとしている。そのことは、ある意味において好ましいものなのだが、別の面では、今日の「ゲトー」で何が起きているのかを示す興味深い事例となっている(←欧米か!、典型的な欧文脈失礼!)。
ニューヨーク州では、減税と担保の一部を州政府が負担し、賃貸住宅の家賃を低く抑える政策、ミッチェル・ラマ・プログラムというものがあった。セジウィック・アヴェニュー1520番地の住宅の所有者はそのプログラムに参加していて、住民は低賃金で働く労働者(そのなかでラティーノの占める割合は高い、ここは決して「黒人ゲトー」ではない)。しかし、近年住宅市場が活況になったため、このプログラム(担保の負担は不況下においては所有者にとっても利得のあるものだった)との契約を切る住宅所有者が増加している。『ニューヨーク・タイムズ』が報じるところによると、同市でこのプログラムに参加していた住宅は1990年には6万6千戸あったのに、それが現在は4万まで減少しているらしい。
そのような環境下、今年の2月、セジウィック・アヴェニュー1520番地の所有者が、プログラムとの契約を切ると通告した。これは、具体的には、家賃を上げるということを意味する。家賃をあげるためには、もちろん、この住宅はリノベートされなくてはならないし、所有者もその意思をもっているらしい。つまり、ウェストブロンクスにも、いわゆる「ジェントリフィケーション」の波が押し寄せてきたのである。
そこで、住民たちは、いまや世界大に拡がったヒップホップ文化の発祥の地として、この地を「史跡」に指定し、そうすうすることで現在の住宅のキャラクター(貧困者が一所懸命いきる街のアパート)を保持しようとした。ヒップホップは、アフリカン・アメリカン、ラティーノたちが、貧しさと格闘するなかで生まれた文化である。その文化の徴を残すには、住宅の外観だけでなく、質も「保存」しなくちゃいけない。それが住民たちの主張だ。
しかし、環境保護や史跡保護に詳しい人間の意見では、このようなことは前例がないらしい。やはり、史跡の保存とは概観のみを指すというのだ。
でも、NHKの番組「世界遺産の旅」によると、オーストリア=ハンガリー帝国の女帝、マリア・テレジアが建設を命じたシューブルン宮殿は、世界遺産としての指定を受けているとともに、そのなかの質も「保存」されているらしい。この宮殿の一部は、第1次世界大戦後の帝国の解体と社会党政権の誕生によって、国を真に支えている労働者に開放され、いまもそのときに住み始めた労働者階級の人びとの子孫が住んでいる。
1973年8月11日、DJ. Kool Herc は、妹が学校に行くための服を買ってやるために、パーティを開催した。それがヒップホップの誕生の瞬間。この文化は、一所懸命生きる人びととコミュニティが創りだしたものである。ニューヨーク市やニューヨーク州に、その気があれば、このセジウィック・アヴェニュー1520番地の住宅は、ヒップホップを誕生させた環境とともに「保存」することが可能ではないのだろうか。
さて、下の記事では、50セントの意見を紹介しながら、「奇妙に、そしてそれでもしっかり正鵠を射たものに私には聞こえる」と述べた。しかし、何も彼の声がヒップホップ界を象徴しているわけではない。他のさまざまな世界と同じく、この世界にも多様さが存在する。今日は、そのような意見のひとつを紹介したい。N-word の使用に対して、「今こそヒップホップ界が変わるときである」と主張しているものがいる。
Master P は、ウェブサイト AllHIpHop.com に、50セントの見解に触発されて、それを論駁する記事を書いた。そこで、彼は自分の意見が50セントのものとどう違うのかを、極めて明瞭に書き記している。
・自分は社会問題の写し絵ではなく、問題の一部なのだ、それを認める。
・息子には自分の失敗を繰り返して欲しくない。自分よりも善良な人物になり、より素晴らしい仕事をしてもらいったい。そう言っているからこそ、息子はいま勉学に励んでいる、それを応援したい。
・自分のゴールとは、継承できる資産を蓄え、不動産をもつことがどれだけ重要なのか、それを我らの同胞に教育することにある。
・ほんもののエンターテイナーであるからこそ、自分のボスは、レコード会社の重役ではなく、神なのである。だから、いまは問題の一部であることを止め、解決策のひとつになろうとしているのだ。エンターテイメント関係のメディアが欲しているのは、ネガティヴなニュース。それに惑わされていたら負けることになる。
こう語る彼は、シャキール・オニール、ウィル・スミス、ラッセル・シモンズ、クィーン・ラティファ、チャールズ・バークレー、ビヨンセなどに声をかけ、積極的な方向でエンターテイメント界を動員することを考えている、と言う。ギャングスタ・ラッパーに現在の行状を改めろとは言わない、それが彼ら彼女らの飯の種だから。しかし、他にも途があるのだというのを示したい、そう彼は主張している。NAACPなども動員しつつ、現在のポップカルチャーの問題を議論しようというのだ。
このような議論の対立は、黒人史では有名な「デュボイス対ワシントン論争」、はたまた「デュボイス対マーカス・ガーヴィ論争」をも思わせる。そういう意味において、これは歴史を通じて流れる豊かな知的対話である。
そして、アメリカ時間で6月3日の日曜日、デトロイトでこの問題を論じる大会を、NAACPは開催することになっている。
&uotヒップ・ホップの歌詞が人種的偏見を助長する言葉を用いることがアメリカで大きな問題になってきていることは、これまでも書いてきた。〈人種〉が関係した社会問題が起きる度に登場する人物が、この問題でも活動を始めている。2004年の大統領選挙に落選すると目されつつも立候補した人物で、National Action Network の会長、アル・シャープトン牧師がその人である。
シャープトンが牧師を務めている教会があるニューヨークを皮切りに、NAN は、「品行方正なヒップホップ促進運動」Decency in Hip Hop Campaign を4月から開始し、この度、NAACPと共同でデトロイトで討論会を開催した。同地の観光名所のひとつ、モータウン・サウンドを「生産」したスタジオ、ヒッツヴィルUSA を訪れて、彼はこう語った。
「1960年代といえば、ジェイムス・ブラウンとモータウンの時代です。しかし、彼らは N-Word を使ったり、女性の人格を貶めるようなことはしなかった」。
さて、果たしてそうでであろうか。いろいろと解釈はあるだろうが、二つほど紹介しよう。
まず、モータウン・サウンドを代表(70年代だが)する名曲、マーヴィン・ゲイの「レッツ・ゲット・イット・オン」
この曲は、当時としては露骨すぎる性的表現が問題となった。メイクラブの歌とも捉えられるが、「女性を性の対象としてしか見ていない」という批判がされても仕方がない。
さらには、ジェイムス・ブラウンから「イッツ・ア・マンズ・ワールド」。
この曲は、「メイル・ショーヴィニズム」の表現として批判され、その批判の先頭に立ったのは、かの「ソウルの女王」「アメリカの和田アキ子」、アレサ・フランクリンである。「あんた、もう一回よく自分がやろうとしていること考えなよ!」とシャウトしているソウルの名曲 "Think"が、その曲だ。
つまり、シャープトンは、60年代の歴史を政治的に利用しているとしか私には判断できない。史実は違うことを語っているのだから。さらに、個人的趣味の問題ではあるが、「品行方正なヒップホップ」というもの自体、そもそもまったくクールに聞こえない。「ディストーションのかかっていないヘヴィメタルギター」のようなものだ、と言えば、私が感じている異和感がよく(?)伝えられるだろうか。
もちろん私もヒップホップの語彙に社会的問題があること、それは認める。しかし、シャープトン型の運動がポジティヴな変化に繋がるとは思えないのだ。私にはマスターPの努力の方がよほど真摯に見える。
なお、シャープトンがデトロイトで会合を開いたのと同じ日、デトロイト市議会議員クワメ・ケニヤッタと、ヒップホップグループ Infinity Solutionz がタウン・ミーティングを開催していた。こちらの方は、ラップで歌われている現状を変える方法を討議するものだった、と、『デトロイト・ニュース』紙が伝えている。大切なのはこのような努力だ、と私は思う。
現在、ワシントンD・Cでは、リンカーン記念聖堂とジェファソン記念聖堂とのあいだに、マーティン・ルーサー・キング記念聖堂の建設が進行中である。
2008年に完成が予定されているこのプロジェクトの総予算は1億ドル、ワシントンD・Cのモールと呼ばれる国立の公園地域に、アフリカン・アメリカンを顕彰する碑が建つのは、もちろんこれが初めてになる。
リンカーンとジェファソンのあいだに立つ、キングの像、その立地はアメリカの歴史を考えると、とても素晴らしい場所だ。キング博士がアメリカの政治思想のなかで果たした場所として、ここより適したところはない。
他方、AP通信が報じるところによると、その予算の大半は、寄付によってまかなわれるようである。
そこで立ち上がったのが、黒人のセレブ(日本語のセレブではなく英語の意味で解釈してください)たち…。
デス・ロー・レコーズのCEO、マリオン・“シュグ”・ナイトのマリブ・ビーチに面したプライベートビーチも備えた770平方メートルの豪邸が、620万ドルの下限価格でオークションにかけられた。
2Pac、スヌープ、ドクター・ドレーら、ウェストサイドのギャングスタ・ラップ──世代的には Old Skool に属する私はやはりどこか照れてしまって「ウエサィのラップ」とは表現できない──の象徴であったこのレコード会社は、2006年4月に破産宣告がなされており、負債総額は1億ドルにのぼっている。破産宣告のために法廷に出された書類によると、シュグ・ナイト個人の資産は5万ドルしかないらしい。
シュグのこの経済的情況の真偽はさておき、1990年代後半はもっとも勢いのあるレーベルであったこのレコード会社を、かかる情況に追い込んだのは、数々の刑事事件。そのなかには、未だ未解決の2Pac、ノートーリアスB.I.G.殺害事件も含まれる。シュグ自身も、ジャーメイン・デュプリーを脅迫するなど、直接刑事犯罪に関わった。(これらは、Randall Sullivan の LAbyrinth に詳述されている)
過日、歴史的シンボルとしてのモータウン・レコーズの政治的利用に関して批判的論評を行ったが、デス・ロー・レコーズの行きついた場所を考えると、やはりベリー・ゴーディが築いた業績は光輝いている。シュグの現状を考えると、そしてそれまでの過程を考えると、悲しくなってくる。
さて、昨日の記事では、「黒人」の表象、「黒人」とは何かについて読者に問いかけてみた。ここで、ちょっとした仮想をしてみたい。
来年の大統領選挙で、バラク・オバマが当選し、それと同時に「新しい黒人政治家」の像が日本のメディアに堰を切って氾濫したとしよう。すると日本における一般的「黒人像」のなかで、まったく欠けているものが現れてくることになる。
現在の日本における黒人のイメージは、本サイトの内容からするとかなり逆説的だが、良くも悪くも上のような像であろう。一部にネガティヴな黒人像の受容は日本人に内在的な偏見の顕れだと酷評する人々がいるが、私は、それに対し、ヒップホップに発する黒人像の受容には肯定的・否定的両側面があるという場に立つ。
その上で、敢えて問うてみたい。たとえ、強烈にポジティヴな黒人像ーーたとえば大統領!ーーが流布したとしても、それが黒人の実像を捕らえたことにはならない。さて何が欠けているだろうか?
デス・ローのCEO、シュグ・ナイトの財産が競売に付されているのは先に報じたとおりだ。この事実が物語っているように、デス・ローの資産は、破産宣告にともなって処分される過程に入っている。
問題はその資産のなかにはまだ未公開の2Pacの録音があるということ。彼の作品は、死後も次から次へと発売されている。そのなかには、音源も悪く、質も決して高くないものがある。つまり、彼が生きていたならば、発売されることを望まないはずのものが、既に市場に出回っているのだ。
そこで、7月20日、彼の母で、元ブラック・パンサー党の活動家、アフェニ・シャクールを長とするTupac Shakur Estateが、2Pacの録音の競売ーーつまり安価な切り売りーーをストップさせるため、彼の録音をデス・ローのカタログから除外することをもとめて、裁判所に差し止め請求を行った。
彼のファンとしては、新しいものがもはや聴けなくなるのは寂しいことだ。しかし、差し止め請求が下されれば、それが彼を弔う最善の方法かもしれない。
サブプライムに関してまた新しい記事を読んだ。それは、「昔はレッドライニング、いまはサブプライム」と、このブログでわたしが論じたのと同じことを紹介しつつ、ひとつの具体例を挙げている。人種と住宅というと決まって名前がでる街、デトロイトの話。
住宅抵当開示法を利用したサブプライムローンの実態の調査が進むにつれ、デトロイト近郊ではこんなことが起きていた。二つの場所、それは「エイト・マイル・ロード」で隔てられているだけ。この「エイト・マイル・ロード」、地理的にはデトロイト市と郊外の境界を示すのだが、その社会的意味は、〈黒人が住んでいるところ(デトロイト市)〉と〈白人が住んでいるところ(郊外)〉の境界を示す。(エミネム主演の映画『エイト・マイル』は、したがって、彼が境界線上で生きてきたという隠喩である ── Dr. Dreは彼のことを「黒人として育った白人」と言っていた)。
そのエイト・マイル・ロードを挟んで二つのコミュニティがある。その様相を記すと
1.プリマス
97%が白人
所得中央値:51000ドル
2.エイト・マイル・ロードを挟んですぐ東
97%が黒人
所得中央値:49000ドル
1のコミュニティのサブプライム利用者:17%
2のコミュニティのサブプライム利用者:70%
さて、2000ドルの所得の違いがこのような差異を生むだろうか。この結果を生んだのは、人種別人口構成であると結論してどこかおかしいところがあるだろうか?。このニュースを報じる『ニューヨーク・タイムズ』は、黒人のサブプライム利用者は白人の2.3倍、ラティーノは2倍に達するという。
ここで急いで付け加えなくてはならないのは、黒人とラティーノに経済観念がないから、こうなったのではない。なぜかというと、
日本でも大々的に報道されたルイジアナ州の「ジェナ・シックス」事件を初め、ここのところアメリカでは黒人を対象にした「ヘイト・クライム」の増加が伝えられている。連邦司法省長官人事、さらには同省高官のセンシティヴィティを欠く発言も相俟って、司法当局の態度が厳しく問われ、今月6日には、アル・シャープトンやマーティン・ルーサー・キング3世などの公民権運動家──このような事件では「お馴染み」の面々──が、16日に、ワシントンD・Cでヘイト・クライムへの取締・捜査の徹底を要求する「巨大なデモ」を慣行するという宣言を発表した。
そのような緊張した脈絡において、アトランタにある2Pacシャクール芸術センターの外装が破壊され、「ジーナ・シックス」Jena Six 事件と同じく、この革命家の息子であるラッパーの銅像のクビに(ジム・クロウ時代のリンチを暗示する)「首つり縄」nooseがかけらえる事件が起きた。左のビデオにある通り、この事件は、したがって、当初「ヘイト・クライム」の嫌疑で捜査が進められた。
しかし、とんだ結末になってしまった。
ミネソタ州、ハムリン大学で、ハロウィンの日、白人が体と顔を真っ黒にし、「アフリカ」の「未開部族」の仮装をしたことで停学処分になった。この学生たちに近しいものは、事件が文脈を無視して誇大に伝えられており、処分を受けた学生たちにアフリカン・アメリカンを中傷する意図はなかったと述べている。
同様の事件は、実のところ、頻発している。
たとえば、2005年11月、シカゴ大学では、「極道渡世一直線パーティ straight thugging party」と題したダンスパーティを白人学生が開催し、その会場には、衣装として、手錠を片手にはめて、マニラ紙に包まれたビールを呑む学生がみられた。そのテーマに憤慨した黒人学生が抗議のために現場に向かったところ、白人学生のひとりが「ヘイ、リアルなヤツがきたぜ、俺たちはお前たちみたいになりたいよ」といった発言を行ったらしい。その学生は、シカゴ大学、つまりバラク・オバマが教鞭を執っていた大学の学生であり、「リアルな極道」ではない。そしてまた、大きすぎるバギー・ジーンズとTシャツ、それにベースボール・キャップといった「ヒップホップ」流の恰好とはほど遠い、「名門私立の大学生らしい」、ごくふつうの恰好をしていたという。
では、何が、彼ら黒人は「ゲトー・ギャング」(白人学生の表現)の世界からやってきたリアルなブラックと思われたのだろう?
キング博士が暗殺された日に講演していました。
こちら、からお聴きください。いきなり音が出ることはないので、安心してクリックしてください。
Davey D. がポストしているので、後ろの音ーー G Unit の Hate It or Love It ーー もいかしてます。このサウンドが、しかし、南部キリスト教会の雰囲気にあうとは意外だった。
このサイト運営開始となった最初の記事を見て欲しい。わたしは、その頃、2000年の大統領選挙の際にフロリダ州で大規模な投票妨害が起きたことに対する抗議を記している。
その後の2004年もまた今度は北部のオハイオ州で投票妨害が確認された。それを契機に、投票前に有権者の確認を厳格化することを通じて、選挙の実施をスムーズにしようという理由で選挙法の改正が行われていった。
その代表例的手法が、2005年のジョージア州の州憲法改正を皮切りに次々と可決されていった、投票の際に写真付きIDの提出を求めるというものである。
さて、読者のなかで写真付きIDをもっている者がどれだけいるだろうか?
さらに、ミシガン州の改正された選挙法律は、IDの住所は有権者登録を行った住所と同じでなくてはならない。
もっとも、ミシガン州では、IDをもっていないものでも、有権者当人と同一人物であることの誓約書affidavitを書けば投票をできることになっている。ところが、下の州政府が配布している案内書をみてもらいたい。affidavitに関する説明にはゴシック体の強調も何も施されていなく、5頁目の冒頭にさりげなく書かれているにすぎない。
ところで大統領選挙は11月4日に実施される。この日付をカレンダーで見ていただきたい。何か日本の選挙との違いに気づかれないだろうか?。
そう、この日は平日である。したがって投票するためには、午後8時まで行われている投票場に仕事が終わるとすぐに直行しなくてはならない。
さらにまた、アメリカでは投票所の案内が送付されてくることなどなく、どこで投票すれば良いのかの情報を得るのは市民の「自己責任」とされている。そして、これは日本でも同じだが、投票場を間違えると投票はできない。
こう聞かされるともううんざりする人も少なくはないであろう。アメリカで投票することは日本よりも増して面倒くさい、そう言っても過言ではないであろう。
だからこそ、2大政党は、有権者の動員に必死になるのである。
ひとつ下の記事に、オバマがミシガン州を確保したと書いたが、それはこのような事情の強い影響を受けての判断だ。共和党はミシガン州から運動員の大半を引き揚げた。アメリカの選挙では政党が投票場までの交通手段を提供(この国はおそろしく公共交通機関が脆弱である、ほとんどのところが車がなくては生活できない)することは決して少なくない。運動員が少ないということは、したがって、きわめて不利な状況を生み得る。
さて、今日の記事冒頭の写真は、ミシガン大学のキャンパスの中心で有権者登録を行っている民主党運動員の姿である。わたしは有権者登録を呼びかけているマケイン支持者にはついぞあわなかった。
ちなみに、各州で有権者登録の厳格化に乗り出したのは共和党である。アメリカでIDをもっていない人の推計は11%。この数は決して少なくはない。なぜならば、民主主義の原則は、だれもが一票を行使できるというところにあり、この原則だけは譲ることが許されないからだ。アメリカの人口全体に占める黒人の比率が12%。この12%の権利が否定されることで、どんな暗い歴史が作られたのかを考えてみれば、この問題の大きさもわかるであろう。またここで、奴隷解放によっていったんは投票権を得た黒人男性の権利が剥奪されるとき、「黒人は投票してはならない」という法律が可決されたのではなく、婉曲的表現や暴力によってそうされたのだという歴史的経緯も忘れてはならない。
マケインもペイリンもアメリカ市民のこと、ごく普通のアメリカ人のことを考えていると言っているが、果たして投票率の低下を望んでいる政党の候補がそのようなことを言えるだろうか。
昨日、デトロイトのコボ・アリーナでは、Jay-Zが、オバマ応援のために有権者登録を促すコンサートを開き、1万人を動員した。明日、わたしの隣町にオバマ本人が遊説にやってくる。モータウンの故郷、黒人の率が約9割にのぼるデトロイトでラッパーが支援に乗り出せば、製造業の不振に苦しむミシガン州南西部イプスランティ(ミシガン州の失業率は8%強にのぼり、全米平均の3%も高い)の労働者の動員にブルース・スプリングスティーンがやって来る。
そして明日はミシガン州の有権者登録受け付け締切日である。初の「黒人候補」が挑む大統領選挙まで1か月を切った。
次回は、なぜマケインはミシガン州から撤退したのかを、アメリカ大統領選挙の仕組みを解説しつつ解説したい。
前にエントリーを書いてから、学期末ということもあり、少しバテてしまった。今回は、この演説の「最初」の佳境に入る。このブログのために再度演説を画像からおこしていて、改めてこの演説の意味の重層性に驚いている。今回は、したがって、ヘヴィな解説になると思う。
まず英語の原文を示そう。
It's the answer that -- that led those who've been told for so long by so many to be cynical and fearful and doubtful about what we can achieve to put their hands on the arc of history and bend it once more toward the hope of a better day. It's been a long time coming, but tonight, because of what we did on this day, in this election, at this defining moment, change has come to America
これを訳すとこんな感じだろうか。
「またそれは、ずいぶんと長い間、ずいぶんと多くの人に、歴史が描く円弧を自身の手でしっかりとつかみ、それをもう一度より良い明日の方向へ曲げるには、やれシニカルになっている、やれ恐怖心で、そしてさらには猜疑心でいっぱになっていると言われてきた人びとが出した答なのです。この答がでるまでに、ほんとうにずいぶんと長い時間がかかりました。しかし、今夜、私たちが今日行ったことによって、この選挙によって、そしていまこの決定的瞬間に、変化のとき、それがアメリカにやってきたのです」。
さて、この訳を読むと、「歴史の円弧を自身の手で…」の部分、さっぱり意味が通じないはずだ。なかには、これを「手を伸ばすことができたのです。歴史を自分たちの手に握るため。より良い日々への希望に向けて、自分たちの手で歴史を変えるために」と訳しているところもあるが、正直言ってこれではこの一節が持つ重みがまったく伝わらない。
オバマは、3行目で "once more"と言っています。直訳は「もう一度」。さてでは最初の一回はいつのことだったのでしょう? 少し日本の新聞の訳をみたが、全部不正解です、まったくわかっていません。先に紹介した訳は、ここをまったく無視しています(さらにこの訳は、「あれはできないこれはできないと言われてきました」と訳していますが、そんなこと彼は全然言っていませんよ、achieve anything とは言ってないじゃないですか?、政治行動に関してだけここは述べているのです、その内実がわからないのでごまかそうとしていますね、この訳は)。
では、今回が"once more "ならば、前回はいつだったのでしょうか?
答え:公民権運動のときです。
なぜか、なぜそう言えるのか
それは、その直前にある"arc of history"という言葉があるからそう言えるのです。
人類の営為=歴史を天空を描くアーチに喩えることは、実はマーティン・ルーサー・キングが十八番としたものだった。彼は"bend"という動詞も使ってよくこう述べていた。
The arc of the universe is long, but it bends towad justice。「空を描く天空の弧は長い、だがそれは正義がある場所に向かって弧を描いているのだ」
さてよく考えるとこの比喩はおかしい。だからすこしピンぼけな感じがする。比喩が懐にポンと落ちない。
おかしいのは、「天空の弧」の中心には「地球にいる人間」が立ち、それを「中心」にして宇宙の秩序が説明づけされているからだ。現代のわたしたちはこんな天空の描き方はしない。これは「天動説」なのである。
それもそのはず、この文言を最初に述べた人は、中世の神学者、アウグスティヌスである。彼の思想を現代の政治に持ち込んだのは、神学博士であるキングの解釈があってのことだ。
「あのねぇ、学者先生、それはあんたの深読みでしょ」、そう述べたい人がいるかもしれない。だから少し念を押しておこう。
ちがいますよ、オバマははっきりとキングの演説を意識しています。意識している証拠があります。
1966年投票権法の期限延長法案が連邦議会上院で討議されたとき、彼は、キングが行ったこの演説(それは投票権法の可決を迫るセルマ=モントゴメリー行進の最後の集会──公民権運動史上、主要黒人団体が最後の団結を示した行進──で述べられたもの)をはっきりと出典を明示して議場で、こう演説している。
Two weeks after the first march was turned back, Dr. King told a gathering of organizers and activists and community members that they should not despair because the arc of the moral universe is long, but it bends towards justice. That's because of the work that each of us do to bend it towards justice. It's because of people like John Lewis and Fannie Lou Hamer and Coretta Scott King and Rosa Parks, all the giants upon whose shoulders we stand that we are the beneficiaries of that arc bending towards justice.
「(セルマ=モントゴメリー行進の)最初のデモ隊が撤退させられたあと、キング博士はオーガナイザーと活動家、そしてコミュニティの人びとに対してこう述べました。「空を描く天空の弧は長い、だがそれは正義がある場所に向かって弧を描いているのです、だから悲嘆に暮れるべきではないのです」と。そうなるのも、わたしたち一人ひとりが、天空の弧を正義の方向に向かうように行動しているからです。ジョン・ルイス、ファニー・ルー・ヘイマー、コレッタ・スコット・キング、ローザ・パークス、その他もろもろ偉大な人びとの存在があってこそ弧は正義へと向かい、そんな彼ら彼女らの偉業のうえにわれわれは立っています。われわれは、弧が正義へと向かい始めたことの受益者なのです」。
つまり、1966年にははっきりとしていた天空の円弧の方向は、その後一度見えなくなり、2008年11月に再度そもそも向かっていた方向に「曲げられた」のだ、そう彼は述べたいるのだ。
ここの意味の重層性、強烈である。
その次の箇所はこれに比べるとそれほど重くはないが、それでもその時間感覚の表現は絶妙だ。
時制を少し変え、語句を抜き去れば、ここにこんなフレーズが見えてくる。
It's been a long time coming but , , , change has come. . .
こうすれば、リズム&ブルースの好きな人は、すぐにピンと来るでしょう。そうです、サム・クックの名曲、「ア・チェンジ・ゴナ・カム」の歌詞をもじっているのです。この曲は、映画『マルコムX』のなかで、マルコムXが煩悶の末にネイション・オヴ・イスラームを脱会することを決断するシーンで流れる曲でもある。
公民権法が成立した1964年(サム・クックが殺害される年)、クックはこう歌った。
It's been a long, long time coming, but I know, ou, ou, ou, a change's gonna come
ここでのポイントは時制にある。クックが近接未来形を用いた箇所で、オバマは大胆に現在完了・完了形を用いている。1964年公民権法が約束した変化の到来を、44年後に宣言したのだ。
なお、右のCDは、1990年代になって発売されたベスト盤だが、これに収録されている「ア・チェンジ・ゴナ・カム」は、公民権運動の歴史に少しでも関心があるものには必聴のものだ。64年に発売されたシングル盤にはない歌詞が入っているものが収録されていて、その「発掘された」歌詞の部分は、明らかに公民権法成立によって到来した新しい秩序のことを歌っているのである。
しかし、ほんとうにほんとうに実に長い時間だった。
さらにオバマの才覚。キングの演説(YouTubeのリンクを参照)では、"How long, not long”というフレーズが繰り返されている。ブラックパワー宣言が行われ、ロサンゼルス・ワッツ地区では大規模な人種暴動が勃発した1966年の夏、キングは、たちこめる暗雲(と催涙弾のガス)を振り払うかのように、夢が現実となる日まで「長くはない」と断言していた。黒人のキリスト教の伝統のコール・アンド・レスポンスを駆使しつつも、自分で自分に言い聞かせるかのように何度も何度ももそう述べていた。
そう、今回解説している箇所の前半部と後半部は、時間の表現、long によってつなげられているのだ。わかりやすく翻案すると、オバマはこう言っているのである。
「キング博士、あなたは長くはかからないとおっしゃいましたが、実際のところ長くなってしまいました。その間、人びとはシニカルになり、怖れを抱き、猜疑心でいっぱいになっていったのです。でも、それも終わりです、今夜、変化が来たのです、ご安心ください」。
さて、よく英語を聴いて欲しい。中学2年で習う文法が実に巧妙に使われている。クックの近接未来 is gonna come (is going to come) が、オバマでは現在完了 has come になっている。まだ現実でない(近接未来)の実現が完了したのだ。
これは、おそろしく大胆な宣言だ。
こうやってみると、オバマの演説の bottom line にはいつも「アメリカ黒人の経験」が存在しているのがわかるだろう。彼の演説の妙は、それを明示することで黒人の経験の特殊性を主張したりはせず、敢えて比喩や引用にとどめることによって人類普遍の経験を喚起しているところにある。
オバマの雄弁さは、ヒラリー・クリントンとの「死闘」を通じて、一般に知られるようになった。しかし8月の民主党大会の指名受諾演説(それまでの演説を繰り返しただけの間延びした退屈なもの)にがっかりした人は多い。それによって彼が旬だった時期はもう去ってしまったと思った向きも多い。
それゆえ、11月5日未明、わたしはオバマの演説に期待するとともに不安も感じていた。しかし、おそらくいまとなってははっきりとは思い出せないが、この辺りから、「今夜はちがう」と感じ始めたと思う。Tell like it is!、おそらくそう実際に叫んでいた。
ところで、クックの歌い方とオバマの話し方にはかなりの差異がある。クックの歌い方は、ジェシー・ジャクソンらの黒人教会が育んだ黒人指導層の話し方に近い。そう考えると、さまざまな意味をコラージュさせていくオバマの手法はヒップホップ的と形容してもいいかもしれない。
続く