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2011年06月 アーカイブ

2011年06月21日

『ストークリー・カーマイケル自伝』

それなりに面白いところはあったが、なかなか読み進むことができなかった。700頁の自伝、読み終わるまで結局3年費やす。

60年代後半のSNCCの内紛等、肝心なところにほとんど言及なし。この『自伝』で語られていることは、すでに他のところで語られていた。

ずらずらと思ったことを書いてみる

ずらずらと思ったことを書いてみる…

ついこのほど、共和党大統領候補のテレビ討論会が開催された。また大統領選挙の「シーズン」が到来する。

思えば、このウェブサイトは、2000年大統領選挙でのフロリダの緊急事態、元学生非暴力調整委員会の幹部、H・ラップ・ブラウンの奇妙な逮捕など、「何かを言わねば!」と思った事件が相継いだことをきっかけに始めてみた。些細なことではあるが、初代iMacにバンドルされていたAdobeのHTMLエディタによって、それほど詳しいHTMLの知識がなくても、人に見てもらっても支障のないサイトが作られるようになったのも大きい。それでも、当時は、プレADSLの時代であって、やっと価格が手頃になったISDNの、いまから考えるととても遅い回線をつかってサイトのアップロードをしたように覚えている。おかげさまで、あれから22年、その間には研究者のためのサイト制作ガイドブックのようなものにもとりあげてもらったり、ふと気づけば、このサイトの訪問者も6万7000人を超えた。最初の頃はCGIの知識がなく、カウンタをつけていなかったし、Cookieの設定などを考えると、10万人は超えているはずだ

いまでは、もはやわれわれは、何らかの意見を発するのに、携帯があれば十分、パソコンすら必要なくなってきている。ついこのあいだ見つけたのだが、ミシガン州デトロイト市郊外から、まあとても熱心にオバマの誹謗中傷とへんてこりんで奇々怪々な自称「リバタリアン思想」を、日本で運営されているブログに書き連ねている方もいらっしゃるくらいだ。

それはそれで、いまの「言論の世界」がある意味健全であることを示す。このようなときに必要とされているのは、説得力のある反論にほかならない。

そのようななか、このサイトのブログコーナーの更新がなかなか進まなかったのは、おそらくわたしが多忙を極めたこと原因ではない。自分のエントリーを振り返ってみて、おそろしく忙しかったときにでも、更新はかなり頻繁に行っていた。

自分で認めるのも恥ずかしいことだが、おそらく「燃え尽きた」ところがあったと思う。オバマ当選の多幸感のなかで。そして、そうこうするうちに、政治イデオロギーの相対的布置関係がさらにまた大きく変化してしまい、それについて「註釈」を加えるのが、いくぶんか面倒にすらなってしまったのである。

面倒になってしまったのは、オバマのアポロジーをしなくてはならない、そんな感情を抱かなくても良いのに抱いてしまったからかも知れない。ところが、最近、そのような力みからが徐々にわたしを放してくれ始めた。逆に、ここははっきりと批判をしなくてはならない、という感慨が逆に強くなってきた。


思えば、最初の「おや?」という幻滅感はすでに政権発足後の早い時期に感じていた。それは、ハーヴァード大学で教鞭をとる思想家・批評家で黒人のヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアが自宅で逮捕されたときのことだった。レイシャル・プロファイリングどころか、露骨な人種偏見の発現にほかならないこの事件に際し、オバマは、ケンブリッジの警官を「バカたれ」stupidと切り捨てた。ところが、翌日にはその発言を撤回し、警官とルイス・ゲイツとの「ビール・サミット」をホワイトハウスで開催することを提案、自ら仲介者を買って出た。なぜ自宅にいた黒人を逮捕した警官がホワイトハウスに招かれるのか、わたしにはさっぱりわからなかったし、わたしのアメリカ人の知己ですら、この行動に疑問を呈するものは多かった(なお、その「知己」のほとんどが白人である、念のため断っておく)。

強く思う。「バカたれ」発言は撤回するべきではなかったし、警官は処罰するべきだった。なのに、彼は何かに怯えたような決断と行動をとってしまったのである。

あとはズルズルと後退。そのズルズル、いくつか今後の記録のために、深く失望に引き込んでいたのだけでも、思い出しながら列挙してみようか。

・グアンタナモ収容所の閉鎖の中止
・ブッシュ減税の見直しの中止
・キューバ外交の見直しの中止
・リビアへに参加しつつ、そのほかの中東の民主革命は傍観
・パキスタンという主権国家で行った実に大胆な行動、ビン=ラディンの処刑

要は、キャンペーンで語ったことをやっていない、ということになるだろうか。しかし、基本的なところで政策的現実性を欠いていたどこかの党の「マニフェスト違反」とは異なり、オバマは財源に苦慮しているのではないように思える。

キャンペーンが終わるとともに霧消してしまった熱気溢れる世論の不在に直面し、とにもかくにも世論の行方のみ、わかても「オバマ・ケア」の審議中に吹きだした人種主義的言辞を破廉恥にも弄する世論の動向に最大の関心を払っているように思えてならない。


勇気が必要なときに勇気を欠く。Audacity of Hopeというのは、オバマの著書の名前だが、彼自身がこれを欠いていては、いったん冷めた世論はさらに冷める。

デトロイトの草の根市民活動家にグレイス・リー・ボッグスさんという方がいる。マルクスの『経哲草稿』の英語翻訳を全米で初めて手がけた哲学者である彼女の運動の経歴は長く、それは1930年代のニューディール左翼の活動まで遡る。そのボッグスさんは、2008年の大統領選挙期間中にこんなことを言っていた ── オバマの政策に同意するから彼を支持するのではない、政策だけを考えるとベターな候補はほかにもいる、彼を支持するのは、彼がactive citizenryという概念を賦活しているからだ。

また、ハワード・ジンは、亡くなる少し前にこんなことを言っていた ── 新しいリベラル政権の行方は、その政権を左に押せる世論の形成にかかっている、ニューディール政策や公民権立法はそのような世論があるからこそ果たせたのだ

オバマがリベラルを見棄てたのか、それとも、移り気なリベラルな若者たちがオバマに飽きたのか、いずれにせよ、このままでは彼の大統領在職期間は4年で終わる。それもまたそれで良いだろう。問題はそこから何を「学ぶ」か、だ。

さて、ブラック・アメリカの社会や政治を見つめてきておよそ20年が経つが、それにしても最近、とても気になることがある。というのは、人種問題が新聞で報道されることが近年とても少なくなってしまった。わたしは、どうやら最近はこれがオバマ当選の「副作用」だと思えて仕方がない。アメリカの政治もこの12年でずいぶんと変わった。

まあ、熱気は冷めたままでも地道にその微妙な機微を伝えていくことにするか…

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