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2010年02月 アーカイブ

2010年02月02日

「多幸感」が過ぎ去って

オバマ政権が誕生して1年余りが過ぎ去った。支持率が低迷しているのは多くのメディアで報じられている通りだし、登場の華々しさのわりには「パッとしない」状態が続いている。

他面、多くの論者は、この政権をどう評価していいのかまだわからないというのが現状だろう。筆者も実はそのような当惑を感じている者の一人であるし、ここで大胆な評価をするのも実際のところ気が引ける。しかしながら、ずっと黙っているのもそれ以上に気が引けることなので、これからしばらく、いくつか思うところを整理したい。

まず手始めに2011年会計年度予算、良い線を行っているのではないか。

この予算の支出の大枠は、こういったものだ。教育とエネルギー政策関係を増額、国防予算はやや抑制気味、雇用創出のための支出大幅増。

対して歳入の方、ここではブッシュが富裕層に対して行った減税措置に幕が下ろされる。もともと2010年に終わるものであったが、「増税」という言葉を、かつての「共産主義」と同様に怖れる公衆を相手に、なかなかできるものではない。

アメリカにおいて、階級と人種は同じ意味ではないものの、複雑な似姿を描く。富裕層というとほとんどが白人なのに対し、失業者というと黒人の比率が人口比に不釣り合いに多い。健康保険改革の問題が頑迷な抵抗にあっているのも、(カーター元大統領が言ったように)それが人種問題と絡んでいるからだ。白人の富裕層は、彼ら彼女らが「だらしない」と見なす、都市の貧困層のために税金を使ったりしたくはないのである。

人種と階級の「綱渡り」。ひとつ歩みを間違えると、一気に下に落ちていく。おそらくオバマ政権が進めている足取りは、そのようなものなのだろう。

2010年02月07日

"Saints" Go Marchin' In -- New Orleans Mayoral Election

ニューオーリンズ市長選の第一回目の投票結果が出た。黒人票が公民権運動後では初めて白人候補を支持することになるかもしれないという事前の予測通り、現職副知事で元市長の息子、ムーン・ランドリューが当選。過半数獲得まで投票が繰り返される同市の選挙制度にあって、一回目で66%を獲得する地滑り的勝利になった。

さて、歴史的に言って、南部再建期以後黒人は幾度も白人を支持してきた。なぜならば、都市内部における黒人の比率が高くなるまで、黒人が当選できる可能性は極めて低く、白人に投票でもしなければ彼ら彼女らの声が政治に反映されることなどあり得なかったのである。

その状況を一変させたのが公民権運動と都市人口の変容。

公民権運動は黒人の人種意識を覚醒させ、50年代以後の白人人口の郊外への「逃亡」は、全米諸都市において次から次へと黒人市長が誕生する現象を生みだした。

この間に進行していったのは、実は投票が人種的アイデンティティによって決定されるということ。これが問題なのは、黒人だからと言って、黒人市民を利する政治を行うとは限らないということ。民主政治の根幹のひとつには功利主義がある。人種アイデンティティが選挙を支配したとき、有権者は決して功利主義的には行動しない。

ニューオーリンズは、過去2回にわたってC・レイ・ネイギンを当選させてきた。カトリーナが同市を襲ったとき、テレビの前でブッシュを罵倒して泣き崩れた人物である。巨大な自然災害と無能な連邦政府の板ばさみになった彼には「不運」なところがないこともない。しかし、結果を見ると、政治家としての彼に評点をつけるとすると、C-を下がる。

2008年の大統領選挙、以下に記しているように、わたしが特に注目したのは境界州の白人票の動向。同地の白人は人種を超越してオバマを支持した。2010年、ポスト・カトリーナ2度目の選挙、前回は人種的忠誠心からネイギンを支持していた黒人市民たちが、今度は彼を見棄てた。〈人種〉の呪縛を、とりあえずは振り払ったのである。

そのことを祝おうではないか。明日のもっと大きな祝杯の前に!

「多幸感」が過ぎ去って Part 2: On Asylum -- Cuba and Haiti

バラク・オバマは、政権発足直後に、二つの大統領行政命令を発布した。

ひとつは、キューバのグアンタナモ米軍基地にある秘密捕虜収容所(拷問が行われ、人身保護令状の埒外にあるということで国際人権団体が激しく抗議していた施設)を閉鎖すること。そしてもうひとつが、アメリカに親族のいるキューバ人のアメリカへの渡航、またキューバに親族のいるキューバ系アメリカ人にキューバへの渡航を許可し、国交正常化に向けた大きな一歩を踏み出したこと。わけても後者は、キューバを「悪の枢軸」と名指しし、強硬路線をとっていたブッシュ外交からの大きな離脱を示した。

卑俗な表現で気がひけるが、そのときのわたしの心境は「アドレナリンが噴き出してきた」といったところだった。というのも、前年キューバへのアメリカからの渡航を試みて断念した経緯があったからだ。アメリカにとって、キューバは遠い隣国なのである。

ところが「対テロ戦争」がオバマの思う通りに進まず、アフガンには兵が増派される事態。内政は医療保険改革でどんずまり。キューバ政策に関しては前に進んでいる様子がまったく見られなかった。

ところで、キューバからの「難民」に対して、アメリカ政府はきわめて寛容・寛大に「亡命者」としての政治的庇護 politial asylum を賦与するのに対し、ハイチからの「難民」にはそうではない、彼ら彼女らは「不法滞在者」として訴追されるという話はご存じだろうか。

カリブに浮かぶ二つの美しい島、それを統治してきたのは、いわゆる「独裁者」である。ところが、アメリカは、社会主義的独裁者には激しい敵意で立ち向かうのに対し、(開発)資本主義的独裁者(i.e., マルコス元フィリピン大統領、ソモサ元ニカラグア大統領、グエン・バン・チュー元南ベトナム大統領、そしてアメリカに反旗を翻す前のサダム・フセイン、さらにはハイチのデュヴァリエ父子)には極めて寛容だ。政治的庇護権賦与がもつ、政権批判の意味を最大限に活用しようとしているのが、そこには窺える。

ハイチ人は、このイデオロギー上の問題に加えて、アメリカに住み続けることが難しくなっている。なぜならば、ハイチからの夥しい画像がはっきり示しているように、彼ら彼女らはまぎれもなく「黒人」だからである。対し、マイアミなどに行けばすぐにわかるが、アメリカで市民権を得ようとしているキューバ系と言えば、そのほとんどの人の肌の色は「白い」。

いま、そのハイチに対し、アメリカは人道的観点から大規模な救済活動を行っている。その行為はいくら賞賛しても賞賛しきれない。そのことを踏まえてなお且つここで言っておきたい。緊急事態が過ぎ去ったあとのアメリカに求められるのは、政治的な決意である。キューバの扱いもハイチの扱いも、共に「正常」に戻すこと。

オバマ政権、最初のダッシュはすばらしかった。そのときの勢いが戻らないと、正直、2012年、リベラル票が離反するような気がする。

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