次にこの旅のパートナー、自分の心情にしたがって選挙運動を行い、故郷スクラトンの街のストリートで一緒に育った人びとのために発言し、たったいま故郷のデラウェアへ帰路についた男、アメリカ合州国次期副大統領ジョー・バイデンに感謝の意を捧げたいと思います。
そして、これまでの16年間わたしの最良の友人であり、わたしの家族の固い支えであり、わたしの最愛の女性、次期ファースト・レディ、ミシェル・オバマの弛むことのない応援がなかったならば、今日こうしてわたしはここに立つことはできなかったでしょう。
サーシャ、マリーア、あなたたちが想像できないほどわたしはあなたたちを愛しています。ほら、たったいまあなたたちは買ってやると約束していた子犬と一緒にホワイト・ハウスに引っ越しすることが決まりました。
そして、つい最近逝去しましたが、祖母がきっとどこからかわたしを見守っていること、それがわたしにはわかっています。わたしが誰であるのか、そのアイデンティティを培ってくれた家族のみんなと一緒に。亡くなった人びとのことを考えると、今宵、寂しい気持ちになります。彼女たちに対してどれだけ多くのものを負っているのか、それをわたしはわかっているからです。
妹のマヤ、姉のオウマ、そのほかの兄弟姉妹たち、これまでの支援どうもありがとう。とても感謝しています。
3つの点について解説したい。
1.呼称の変化
オバマが立候補を表明してからこの時期までに20か月が経っていた。一方、大統領選挙に費やされる選挙運動期間は14か月と言われている。だから、彼の場合、平均より半年長かったことになる。初期の頃の写真と現在の写真を比べるとよくわかるが、オバマはこの20か月で一気に老けた。目立たないながらも、彼の髪にはいまは白髪がある。
小さなことだが、これまで「副大統領候補」vice presidential candidateを「次期副大統領」と呼んだとき、それは支援者たちが勝利を確信し、今一度喜びに浸ったときである。
そしてまた、これまでとは立場が変わる、という将来への期待と怖れを感じた瞬間だった。
なお、ミシェル・オバマは、選挙戦中は「バラク」と親しみを込めて使っていた呼称を、就任式が終わるや否や「ミスター・プレジデント」に変えた。
2.ミシェル・オバマと選挙政治
ミシェル・オバマは、民主党予備選が始まったときに、「1週間のうち3日ほど選挙運動をする」と言っていた。
ではあと4日何をするのか?。
これはバラクの最大の政敵、ヒラリー・クリントンを意識した巧妙なアピールだったある。
つまり、わたしは主婦、主婦が第一で、家族が第一、それを守り抜きます、と保守的イデオロギーではなくとも保守的心情を抱えている人に訴えかけていたのだ。
だからオバマは、まずこう言っている。家族の固い支え、rock of my family。
ブッシュの失政のために共和党に対して強烈な逆風が立つなか、昨年の春には民主党の候補が黒人か女性かになることにほぼ決まった。どちらがなっても史上初である。しかし、結局、黒人が先に「初」を達成したことで、実は人種の「壁」よりもジェンダーの「天井」の方が固いのではないかという話が出てきているくらいだ。
4.多様なファーストファミリー
さて、オバマの大統領就任により、ホワイトハウスの主と血縁のある人の多様性が一気に拡大した。母親違いの姉がアフリカに、父親違いの妹(インドネシア生まれ)がハワイにいることは広く報道されているところであろうが、その妹の夫はトロントに住んでいる中国系カナダ人である。
その模様は、『ニューヨーク・タイムズ』紙の " target="_blank">このイラストを見ればよくわかる。
なお、アメリカにいるとよくわかることだが、日本はもはやアジアでの戦略的最重要国としての地位を失っている。その国はいまや中国だ。軍事力のみならず、米国債の保有残高を考えてもそれが順当なところだ。
そのうえ、『ニューヨーク・タイムズ』紙などは、被差別部落出身者に対する現首相の暴言を大々的に報じ、現首相の世間離れどころか世界離れは、黒人を大統領に選んだ国の人びとにも知られることになった。その先長くないと言われながら、まだ首相の座に居座り続けているらしいが、恥ずかしいのでいい加減にしてもらいたい。
大統領就任の宣誓文句を空で覚えている大統領と漢字の読めない首相、首脳会談をするとしてもいったい何を話すのだろう。