大統領就任式を明日に控えたワシントンD・Cのモールの夕暮れの模様がテレビに映し出されている。もうかなりの人が集まっており、明日の就任式がいかに巨大なものになるのかを、そしてバラク・オバマ ── このブログで彼を最初に取り上げたとき、まさかこんなに短期間で大統領になるとは思わなかった ── にどれだけ巨大な期待が寄せられているのかを伺わせる。
さて、その就任式イヴにあたる今日は、マーティン・ルーサー・キング博士誕生日記念日の休日だった。したがって、ワシントンD・C、そして実質上アメリカ中が明日のオバマの宣誓の瞬間に向けて、公民権運動が辿ってきた歩みを反芻する機会を得たことになった。
わたしの住んでいるミシガン州アナーバーでもミシガン大学が実に多くの行事を主催した。
そのなかで、これまでわたしが出席したのは3つ。
ひとつめ、「非暴力」が主な戦略となった南部公民権運動のなかにあって、「暴力は暴力で向かい打つ」という発言を行い、アメリカ政府から迫害された末にキューバに亡命したラディカルな黒人活動家ロバート・F・ウィリアムスの研究で有名なティモシー・タイソンの講演。
彼は自分が生まれ育った街、ノース・キャロライナ州オクスフォードでおきた1970年の黒人殺害事件の研究を一昨年公刊し、それはこの夏にはハリウッド映画として公開されることになっている。
彼が強調するのは、アメリカにおける暴力の歴史。いかに暴力が歴史を作り、そしてそれを公的記憶が消し去ってきたのか、これが彼の研究の主眼だ。自分の生まれ育った街の暴力の歴史を「暴露」したところ、激怒する人が現れて、そのような「隣人」たちは悪宣伝サイトまで開設しているらしい。
これを主催したのは歴史学部とアフリカン・アメリカン研究センター
二つめ。NAACP会長、ジュリアン・ボンドの記念講演。今日の午前中に行われた。彼はこんなことを言っていた。「キング博士がムーヴメントをつくったのではなくて、ムーヴメントがキング博士をつくったのです、それは本人も何度も言っていました」(冒頭上部の写真がボンド)
三つ目。キング博士の伝記でピュリツァー賞を受賞したテイラー・ブランチの講演。彼によると、すべてが非暴力の運動から始まったらしい。南アのアパルトヘイト政権崩壊から、1989年の天安門事件まで。そしてそれは明日(オバマの大統領就任)へとつながっていくらしい。なおこれはビジネス・スクールが主催した。
ブランチの講演にはがっかりした。もう非暴力ばかり。非暴力が凄かった、非暴力がすべての運動の「変化」の源泉だった、それしか言わない。
いまこの暴力だらけの世界を見て、どうしてそんなことが言えるのだろう。パレスティナ人がイスラエルの戦車の前で非暴力に徹したらどうなるだろう。
きっと轢き殺される。
オバマの勝利にしてみても、民主的過程(選挙)を保障するには巨大な警察力が必要であり、それが今回は見事に機能したからこそ、民主主義が「動いた」のだ。アメリカの少し前の歴史をみても、2000年の大統領選挙のように、人間の「権利」などは簡単に蹂躙されるものなのだということがわかっていない(天安門を引用しつつ、この峻厳な現実を等閑視しているから驚きだ)。
ピュリツァー賞に輝いたこの歴史家にはホッブス的現実感覚がないようだった。そのようなブランチはアレントの講義を受けたことがあり、アレントは「民主主義とは非暴力だ」と言っていたそうだ。アレントの発言や著作のなかにそう臭わせるところはある。しかし、これはアレントの思想の大きな歪曲だ。ホロコーストの傍で生きた彼女には、「人間が南京虫になるのは簡単だ、それは南京虫のように扱えば済む」という彼女自身のことばがあるように、研ぎ澄まされた現実を見据える眼力があった。しかし、ブランチにはそれがない。
だから、彼は、聴衆のからのこんな問いに答えられなかった。「なぜ、では、アリゾナ州やサウス・キャロライナ州はまだキング博士の誕生日を休日にしていないんですか?」。
ブランチはぜんぜんわかっていない。
他方、今朝CNNテレビに出たクラレンス・ジョーンズ(キング博士の演説草稿の執筆者のひとり)は、オバマ当選の日に泣いたと言っていた。ここでなぜ泣いたかが問題だ。くやしかったらしい。多くの人が死んでいった。そのなかには運動のなかで殺されたものも多い。その人たちとこの日をともにできなかったことが悔しかったらしい。
そういえば、ティモシー・タイソンは、非暴力をロマン化することを歴史家は避けなくてはならないと言っていた。わたしは強くタイソンの意見に同意する。なおタイソンはアメリカ歴史学者協会のフレデリック・ジャクソン・ターナー賞(優れた歴史研究に贈られる褒賞)を受賞している。