わたしにいるアメリカではもう完全にお祭りムードである。大統領就任式のためにワシントンD・Cに向かう人の数は都市圏全体で400万、市内中心地だけで200万人と報道されているが、ワシントンD・C大行進が25万人だったことを考えると、これから行われる儀式がいかに巨大なものなのかが想像できる。
そして、ブラック・アメリカにとってみれば、今週末のキング・ホリデイにこの「祭典」が続き、たいへんな季節になってしまった。
前にこのシリーズを終えて、またわたしはバテてしまった。そして次のところがいささか平坦な内容なので、「完全解読」に対する力が抜けてしまった。オバマがまた強烈な就任演説を行うことへの期待は高く、またまた日本の新聞各社は見当ちがいの翻訳を掲載するだろうが、このブログではマイペースで解読を進めていく。
では、次回の続き:
「今日この夜の少しばかり前、マケイン上院議員からとても丁重な電話をもらいました。マケイン上院議員は長く激しいこの選挙戦を立派に闘いましたが、彼が愛するこの国のための彼の闘いはそれよりずっと長く厳しいものでした。彼は、わたしたち多くが想像することすらできないほどの犠牲をアメリカのために支払ってきたのです。わたしたちが今日このように恵まれた生活を送らられているのは、この勇気ある無私無欲のリーダーの国に対する奉仕があったからなのです。そのような彼を讃えたいと思います。そして、ペイリン知事と彼女の業績を称えたいと思います。これからやってくる将来、この国が掲げた約束に対する信頼感を新たにするために、彼ら彼女らとともに奉仕できる日のことを楽しみにしています」。
実のところ、この部分、戦後日本の教育を受けてきたものには少しばかり得心がいかないところがある。ベトナム戦争で捕虜になり、いかなる拷問を受けても軍事機密を守り抜いたジョン・マケインの行為を「国に対する犠牲」ときわめて肯定的に描いている点だ。
オバマは、アメリカ史上初(しかし彼にはいろいろと「史上初」が多いが)、戦時中にあって兵力を引き揚げるということを選挙公約にして勝利した候補である。民主党予備選の序盤で「テロとの戦争」を支持したヒラリー・クリントンとの立場のちがいを鮮明にするために行った公約でもあろうが、この「反戦姿勢」からすると彼は平和主義の候補ではないかと思われてしまう。しかしそうではなかった。
アメリカでは、国を守るために銃をとることは決して否定されていない。それはこの国の国歌を聞けばよくわかる。フランス国歌と同じく、これは革命戦争に命を賭けた兵士を讃える歌だ。
もちろん、上の写真にあるように、反戦論者がオバマを支持したことは事実だろう。彼の才能のひとつは多くの人に違った意味の魅力でアピールできるというところだ。アメリカで、日本流の平和主義者が選挙に勝つことはまずありえない。だから、「無条件の愛」を説いていたキング博士が大統領選挙に出ても勝てるはずなどなかった。彼の「夢」を叶えるには、ほかの方途が必要だったのだ。
ためん、ペイリンの業績については、????だ。
さて、この次もいささか平たい賛辞が続く。ブログはマイペースに進めて行こう。