今回の解説は、オバマ演説の訳から入ろう。
「それは、若い者も老いた者もともに下した答、民主党支持者も共和党支持者も、白人、黒人、ヒスパニック、アジア系、アメリカ先住民(Native American)、同性愛者(gay)、異性愛者(straight)、身体障害者(disabled)、健常者(not disabled)も一緒になって下した答えなのです。そうしてアメリカ人は世界に向かってひとつのメッセージを発しました ── アメリカが個人の寄せ集め、共和党支持者が多い集(red state)と民主党支持者が多い集(blue state)によって分断された政治を単につなぎあわせたものであったことなど一度もなく、われわれはいつの時であっても、ひとつの統一されたアメリカ合衆国だったのです」。
この演説の後半部は、2004年の民主党大会の基調演説を彼が行ってきた主張をそのまま繰り返したものである。アメリカを〈人種〉や政治思想によって分断された国家であるとみなす考え方は、1990年代半ばより広く共有されてきた。ここでオバマは、そのときに広く読まれた著書、アーサー・シュレジンガー・ジュニアのThe Disuniting America をはっきりと意識しつつ、シュレジンガーらの主張を否定し、その勢いを一気にアメリカ愛国主義につなげている(しかしながら、「ケネディ神話」を作り出した人物のひとりであり、それゆえケネディをこよなく愛するこの老歴史家は、オバマ当選を喜んでいると思う、たぶん…)。
さて、前回指摘した「アメリカ大統領選挙戦史上初めてのとんでもないことば」は、すらすらと述べられたこの演説の前半部にある。実は、アメリカ先住民ということば、そして同性愛者ということばが、このような舞台の演説のなかで発せられることはなかった。オバマにこれができたのは、彼が自分が黒人であることをはっきりと意識していたからにほかならない。
しかし、これはよく考えるととんでもないことだ。日本の総理大臣が、「わたしが総理になれたのは、国民の熱烈なる支持があってのことです」と慇懃に礼を述べ、そのあと支持層それぞれに挨拶し始めるとしよう。そのなかに「ゲイ」ということばがでることなどありあり得ない(もちろん、この選挙で、カリフォルニア州の住民投票はゲイから婚姻の権利を剥奪することを是とした。その問題はあまりにも大きいが、実際のところ、このわたしにはそれを論じる力がない)。
選挙結果が世界に知れ渡ったあたりから、アメリカではオバマ当選を祝う各国の姿が報じられた。そのなかには、もちろん彼の父の国、ケニヤの姿もあったが、多くは、香港のイギリス系、フランスやドイツのアラブ系といった、彼と同様ハイブリッドなアイデンティティを抱く人びとの姿だった。日本からの画像は、福井県小浜市の勝手連。それは実に異様だった。
話をもとに戻して、オバマはこれまで大統領選挙で無視されてきた人びとをこうして登場させる一方、ある人物像を退場させた。それは、ジョン・マケイン(わたしが参加した集会で、ブルース・スプリングスティーンは彼のことを「もうすぐ歴史の脚注にしかすぎない存在になる人物」と言ったが、もはやはっきりとその「定位置」を確保してしまった感がある)が、テレビ討論会で突然「テレビの前のジョー、配管工のジョー、わたしはあなたのための政治をしようとしているんです、オバマ上院議員はあなたのような人びとに対し増税を行い、大きな政府をつくろうとしているのです」といったことを述べ立て、周囲をひかせてしまったその「配管工ジョー」である。
このブログの大統領選に関する記事を読まれている方ならお気づきの方も多いはずだ。この「配管工ジョー」は白人、政治思想はレーガンデモクラットである。
政治的言説の舞台から、かくして登場者が入れ替わった。こうしてみるとオバマは、政治舞台の登場者であるというよりも、ここではむしろ演出者である。