今日のエントリーのタイトルは、本日のタイムスのトップ記事の見出しである(ちなみに明け方まで自分の住んでいるレジデンス・ホールの方々と語り合っていたため、新聞を買いに外に出たときには、すでに売り切れていた)。
ここでわたしは、大統領選の中心は経済危機を初めとする国内問題であるというのはまちがいであり、いつのときでもつねに人種であると主張してきた。選挙運動はそう展開しているし、アメリカ大統領選挙の歴史自体がそうであると伝えてきた。
ところが〈人種〉に関する問題に触れるには、それなりの「覚悟」がいる。この問題には、だからこそ、選挙選のテーマとして表立って取り上げられはしなかった。それゆえ日本のメディアは、表面だけをみて勘違いしたのだろう。
バラク・オバマの政治的才覚の極みは、このいつ爆発するかわからない問題の「解決」に拘泥するわけでもなく、そしてまたそれを「回避」するわけでもなく、かくして一見「世渡り上手」に振る舞っているようにいて、実は正面から取り組んでいたところにある。
その結果、「人種の壁」は「破壊」された。
彼の存在自体が象徴するものの意味は、言語をこえたところで、この選挙戦を目にしたものたちのこころに響いたのだ。
アメリカの選挙戦では、テレビなどの放送メディアを駆使した運動を「空中戦」と呼び、運動員を展開させ、遊説を行っていくことを「地上戦」と呼ぶ。ここでも紹介してきたように、地上戦はオバマが圧倒的な「戦力」を駆使した。そこには、ブッシュの8年の政権のあいだにすっかり気恥ずかしくなって言えなくなってしまった理念の復活、「アメリカ民主主義の力」の復活があった。
Are you registered vote? と呼びかける彼ら彼女らの姿は公民権運動家の姿とわたしのこころのなかでは重なった。そして、市民ではないけど、こうこうこういった事由であなたたちのやっていることに関心があるから話を聞けないかと聞くと、みながこう答えてくれた。"Yes, you can"
オバマの選挙戦は、キャンペーンというより、ムーヴメントである。
さて、彼の自伝を読み返していると、改めて気になるセンテンスがあった。次回は、そのセンテンスを、彼の当選がきまった瞬間を振り返りながら、解説してみたい。