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バラク・オバマが目指す政治(1) ── A Dream from My Father とつなげてみよう

では、バラク・オバマの勝利演説を少しずつ解説してみよう。

と言っても、その前にまず整理しておきたいことがある。以前にここでも書いた彼の言うチェンジとは何かという問題、それを改めて彼の発言に即して整理してみたい。わたしは前のエントリーで、彼が政策 policy の変化だけではなく、「政治のあり方 politics の変化」を主張していることに着目してみた。それを今回は敷衍してみたい。なぜならば、それがわかる部分をよく見てみると、勝利宣言直後にわたしが書いた「キングの遺言の受け手」であるというところもさらに鮮明にわかってくるからだ。

1995年に著された彼の自伝 A Dream from My Father の 2004 年増補版のあとがきにオバマは、既存の政治、いまある政治を批判し、こう記している。少し長くなるが、彼の政治観を物語る重要なところなので丁寧に訳してみよう。

「もちろん、毎日仕事をすることで精一杯のおびただしい数のアメリカ人たちが語らなくてはならない、いまひとつの物語が存在している。そのなかには、職に就いているものもいれば、求職活動中のものもいるし、事業を始めたばかりのものもいるだろう。面倒をみなくてはならない年頃の子供がいるために仕事を抱えて家に帰らねばならないものもいるし、高騰するガソリン価格のために請求書と格闘しているものもいるし、さらには裁判所が破産を宣告した保険会社の年金に加入していたためにそれを受け取る権利を失ってしまったものもいるだろう。人びとは将来について思いをはせるとき、希望と恐怖を交互に経験する。人生は矛盾と不確実さに満ちあふれている。そして、彼ら彼女らが日々経験し続けているものについて政治がほとんど何も語らないため ── そして、彼ら彼女ら自身も、政治は使命感とは関係のないビジネスであり、ディベートと呼ばれているものでさえ実は大仕掛けの見せ物にすぎないと考えているため ── に、彼ら彼女らは内側を向き、喧噪、怒り、終わりのないおしゃべり、これらみんなから遠ざかってしまっている。
「このようなアメリカ人を真に代弁する政府には、いままでとは異なった政治が必要である。そのような政治は人びとの現実の生活を映し出す必要がある。それは予め包装紙に包まれたもの、つまり棚から下ろせば事足りるといったものではないはずなのだ。それは、われわれアメリカ人の最良の伝統からもう一度構築されなくてはならないものだし、われわれの過去の暗い部分も責任をもって物語らなくてはならないのである。そもそも党派にわかれて人びとがたたかいにあけくれ、小さなな集団に分かれたって憎しみ会っているいまこの場所へ、どうして辿りついてしまったのかを理解しなくてはならないのである。そして、それでも、どれだけの差異がわれわれのあいだにあろうとも、それより多くのものをわれわれは共有しているのだということを忘れてはならないのである ── たがいが一緒に抱く希望、たがいが一緒に抱く夢、決して絶ち切ることのできない紐帯、それを忘れてはならないのである。

さてどうだろう。日本政治を物語るときに流行したことばでいうと、彼はこのときからまった「ぶれて」いない。むしろ、この思いひとつで大統領選に勝ったと言っても良い。

それでも後の議論を明確にするために、いくつかのキーワードを解説しよう。

1.「そもそも党派にわかれて人びとがたたかいにあけくれ、小さなな集団に分かれたって憎しみ会っているいまこの場所」

彼はここで、通常は状況と思われるところを、はっきりと空間概念「場所」に置き換えている。これは、まるで勝利宣言のWe will get there というのをすでに準備しているかのようだ。

実のところ、勝利宣言のなかにある"I have never been more hopeful than I am tonight that we will get there"というパートを彼が流暢に言い放ったとき、あまりにもそれが流暢だったがゆえに周囲のムードが一変したものの、その真の意味については共通理解はなかった。自分がそのときいた場所(ミシガン大学)でもそうだったし、YouTubeにある録画画像にあるグラント公園の様子もそうだ。人びとがはっきりとわかったのは、彼が We as a people と口にした瞬間だった。そして周囲は絶叫する人もいれば、絶叫が終わったあとにその意味を聞いて絶叫する人も現れ、とんでもない状況になった。

これからだ、単なる選挙政治の散文的結果が、「独裁制からの解放」を祝うかのような祝典に変化していったのは。Diagと呼ばれるミシガン大学セントラルキャンパスの中心ではドラムが鳴り響き、あたりは解放感に包まれていった。

いまわたしは「解放感」ということばを使った。しかし実のところ、このことばの意味を知っていたわけではない。わたしはこのときにこのことばの内実を「経験」した。

さて、"We as a people get there"、このことばは、先に述べたキングの演説を彷彿させるとともに、アメリカ合衆国憲法の最初の文言を思わせる。さてオバマが何と書いているだろうか? 上をよく読んでほしい。「われわれアメリカ人の最良の伝統」と言っているではないか。そしてこれは、勝利宣言の冒頭のきわめて大胆な文言へと接続されている。

ここで、この箇所は「公民権運動のことじゃないの、それをこのブログが指摘しなくてどうするの?」と思われる方もいるかもしれない。もっともな指摘。確かにこの箇所は公民権運動「も」指示している。しかし、公民権運動が根本のところで依拠したのは建国の理念であり、合衆国憲法であった。この辺りのつながりに関しては、公民権運動の「参加目撃者」であるハワード・ジンが著した横の著書が詳しい。

2.二つめはかなりわかりやすい。「われわれの過去の暗い部分」。これは、明示的には人種主義の歴史のことであると考えてまちがいない。しかし、バラク・オバマの政治手腕の妙技は、これをはっきりと言わないところにある。言わないことを通じ、「たがいが一緒に抱く希望、たがいが一緒に抱く夢、決して絶ち切ることのできない紐帯」を際だたそうとしているのである。

初回の今回はいささか長くなった。次回からは小出しに短くする。

なお、"A Dream from My Father"は、〈人種〉の憂鬱とそれを超克することの歓喜とが瞬時に入れ替わる「名著」だと思う。その文学的トーンはデュボイスの『黒人のたましい』に似ている。

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2008年11月14日 13:15に投稿されたエントリーのページです。

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