バトルグラウンドからの報告(18) ── Are You Ready for Change?
オバマの言う「チェンジ」と旧来の「チェンジ」の相違を語る前に、いささか頭の体操をしてみたい。
前回ここで紹介した政治学者が、そのとき、このようなことを述べた。「〈黒人〉と言われている集団の具体的な像は、社会的、政治的に決定されるものであって、生物学的・生理学的な根拠はどこにもない」。
これは、いわゆる「社会構築主義」の教科書的定義にすぎない。ところが、オバマの選挙戦を語る際に、彼女が使った以下のような比喩は、この一年間の間におきた現象をよく物語っていると思われる。
これを読んでいる方、「リンゴ」を思い浮かべてください。そのなかで「赤いリンゴ」を思い浮かべた人はどれくらいいるだろうか。また「青いリンゴ」を思い浮かべた人はどれくらいいるだろうか。はたまた、「銀色の背景に白く浮かぶリンゴ」、つまりアップル社のロゴを思い浮かべた人はどれくらいいるだろうか。彼女がいうには、オバマは、この最後のリンゴに喩えられるというのである。
とはいえ、これは何もアップル社を宣伝してのことではない。その言わんとすることはこういうことだ。
オバマは旧来の人種政治の枠組みでは捉えられない新たな現象であり、1960年代以前、公民権運動以前には存在しえなかった「黒人」が政治の最前線に登場してきたことを意味する。
さて、オバマの支持層のひとつが18歳から29歳までの青年層。年配の方のなかに、上にあげた三つ目のリンゴをイメージする人びとは少ないであろう。なぜならば「オバマ」は新しい「現象」なのだから…
そのオバマの「新奇さ」は「人種」だけに留まるものではない。
彼は「これまでの二大政党の候補のなかではもっとも薄い履歴書の持ち主」と呼ばれているし、実際にそうだ。だから共和党は彼の「経験不足」の攻撃にやっきになり、5500人の人口しかなくても市長を経験したことのあるペイリンの方が大統領として資質を備えていると豪語したのだ。
9月の共和党大会で演説を行ったルドルフ・ジュリアーニ前ニューヨーク市長は、そのようなオバマの経歴をきわめて陰湿な形で揶揄した。オバマに言及し、彼の経歴「コミュニティ・オーガナイザー」を紹介するときに、露骨に皮肉を込めて吹き出してみたのである。
ところでしかし、実際のところ、「コミュニティ・オーガナイザー」が大統領になるというのは大変なことだ。邦語がある彼の伝記の訳語ではこのことばに日本語があてがわれていないが、敢えてその仕事の内実から意訳すると、それは「市民団体職員」になるであろう。この経歴の持ち主は日本国首相にもなれないかもしれない。さらにこれに「大学教授」というのが加われば、それは、自民党や民主党というより、むしろ社民党の議員の響きがある。
ずいぶんと前置きが長くなったが、本題の「チェンジ」の内実に迫ろう。
アメリカ政界に必要なのは「変革」である、そのようなことぐらい、実は、政治家なら2006年中間選挙の共和党の惨敗を見て誰もが理解していた。だから、ブッシュ政権と距離をもつことが必須となったのだし、マケインが候補指名受諾演説で「ワシントンには変化が来ている」と言ったのもそのためだ。現状維持では選挙に勝つことはできない。
正直のところを言って、わたしは、そのような状況のなかで大統領予備選が始まったとき、当初のところヒラリー・クリントンを心情的に応援していた。なぜならば、オバマの今回の選挙戦は2012年か2016年を見据えての「予行演習」であり、クリントンならば共和党保守派に互するに十分の政治力をもっていると思ったからだ。そしておそらく、そのような見解は、少なくとも3月まではリベラル派の意見の体勢であっただろう。またこれははっきりと言えることだが、黒人研究に従事している人間のなかで、現在の状況を「予測」したと豪語する者がいるとすれば、それは、その人物がひどい日和見主義者か、ろくすっぽ研究を行っていなかったからである。過去の出来事を振り返れば、大統領はおろか、大統領候補にすらなるのは無理だと思うのが自然だからだ。
したがって、もうすでに政策の面ではともかく、政治の面ではアメリカでは「変革」が起きたのだ。
つまり、オバマの言う「チェンジ」とは、狭義に解釈して、「政権交代」と理解するべきではないのだ。9月に共和党も「チェンジ」をスローガンにしてからは、共和党の「チェンジ」と自分の「チェンジ」を差異化するために、彼はしばしばこう言っている。
We need a fundamental change in our policy, in our politics.
ポイントは最後の方だ。彼は政治を考える方法、政治行動のあり方、それを根本的に変える必要があると言っているのだ。
これは時と場合により、こうも響く。「アメリカの政治制度は人種主義によってゆがめられてきた、その政治のあり方を変えましょう」。以前、彼は怒りを表現しない「黒人政治家」であり、そうするには理由があるということは述べてみた。その議論に今回の議論をつなげると、こうなる。彼はこう訴えているのだ。
人種主義を超克した新たな「アメリカ政治」をつくろう、そのリード役をわたしに任せてほしい、わたしは過去のことで怒ったりはしないから、一緒にその変革への一歩を踏み出そうではないか。
もちろんこれは美辞麗句である。他面、人種主義や偏見といったものは、どす黒い情念だ。
しかしだからこそ、アメリカの有権者はこう問われているのだ。「あなたには勇気がありますか?」。だからオバマは、政治集会の際に、こんな常套句を使っている。
Are you ready for change?
こう説明するともはや明らかだろう。少し注意して彼の演説に耳を傾けてみれば、彼がこの言葉に冠詞をつけていないのがわかる。これを「政権交代への準備はできているか」と取ってはまったく真意を外している。政権交代が頻繁におきるアメリカ政治にあっては、もはやそれは問われるものですらない。彼は、変革には痛みや怖れが伴う、そんな変革への心構えはできているのか?、とアジっているのである。
〈アメリカ〉は、この選択を迫られ、恐怖と希望の狭間で震えている。
インターネットの活用や、それを通じた政治寄金の集め方など、オバマの選挙戦術は、アメリカ政治に大きな変革をもたらした。そしてここ最近、このブログで報じてきたように、1988年の大統領選挙以後、邪険な力を思う存分発揮してきた誹謗中傷公告がバックファイアするにつれ、アメリカの大統領選挙のあり方に今後大きな変貌が生じる可能性も出てきた。
この白熱した選挙戦の結果、ミシガン州での有権者登録者の率は有権者総数の98%に達したという脅威的な数値の報道もなされている(おそらく10月中旬に二大政党が選挙運動を止めたミシガンがこうならば、他州の状況も同じであろう)。
さて今回はチェンジについて述べてきたが、実のところ、書きながらも、どうまとめて良いのか不安であった。いまのわたしは、これを書き終えて、若干見通しができたところにいる。「変革」について述べた次は、では、彼が継承した「遺産」について述べてみよう。