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2008年10月 アーカイブ

2008年10月02日

有権者登録について(2)

有権者登録を原則的に実施するのは州政府である。アメリカ合州国は、イギリス帝国に抗して独立を達成した国であることから、建国当初より地方自治の気風が強い。地域の状況は地域の人びとがもっともよく知っているという考えから、有権者登録も州政府が実施することになった。

Michigan-Voting-Registration-Brochure-1.gifしたがって、その細則は州によって異なることになる。奴隷制廃止後の南部は、このアメリカ政治制度の特徴を利用し、元奴隷に対しては(1)識字テストを義務化する、(2)投票税を課す、(3)暴力(州政府はこれを取り締まろうとはしなかった)を行使する等々を通じ、投票権を剥奪してきた。一般的に、この南部の制度は、公民権運動によって破壊され、黒人は投票権を得たと理解されている。

左の画像は、南部ではなく中西部のミシガン州が配布している有権者登録の方法を記したパンフレットだ。現在は、民主共和両党の予備選も公選とみなされ、州が管理することになっている。

そこでまず1頁左の日程のところに着目してもらいたい。有権者登録の締切は、そう、来週の月曜日なのだ。これを過ぎて突然投票したくなっても、投票はできない。

さたにはまた、選挙運動も、実質としてこの日までに票を掘り起こしてしなくてはならない。この日を過ぎた後は、文字通り「無党派層」を争う闘いとなっていく。

さて、この有権者登録の法律、実は2005年以後急速にひろまったある傾向を部分的に映し出したものである(このつづきは次回)

2008年10月03日

バトルグラウンドからの報告(6)──オバマ、ミシガン州を確保

本日、マケイン陣営の本部は、ミシガン州から撤退することを発表した。これは実質として共和党がこの州を民主党に譲ったことを意味し、オバマの選挙団獲得が確実となった。

したがって、ミシガン州はバトルが終わった最初のバトルグラウンドとなったのである。意外とあっさりしていた。ここのところオバマ陣営の優勢が伝えられ、支持率の差が拡大しているとは言われていたものの、それはそれで「アナウンスメント効果」(これについてはいずれここで詳しく説明する)をわたしは怖れていた。

この小連載はこれで終わりとなるが、これまで感じたこと、調べたこと(たとえば有権者登録の問題など)はここに引き続き書き記していく。また、「選挙戦から撤退」ということも、日本の選挙の感覚だとわかり難いと思うので、これもまた日を改めて説明する。

それにしても、これからは共和党の破廉恥な選挙公告を見なくて済むと思ったら、ホッとする。

2008年10月06日

有権者登録運動について(3) ── Operation Registration, Get-Out-the-Vote

20081005_voter_regstration_small_jpgこのサイト運営開始となった最初の記事を見て欲しい。わたしは、その頃、2000年の大統領選挙の際にフロリダ州で大規模な投票妨害が起きたことに対する抗議を記している。

その後の2004年もまた今度は北部のオハイオ州で投票妨害が確認された。それを契機に、投票前に有権者の確認を厳格化することを通じて、選挙の実施をスムーズにしようという理由で選挙法の改正が行われていった。

その代表例的手法が、2005年のジョージア州の州憲法改正を皮切りに次々と可決されていった、投票の際に写真付きIDの提出を求めるというものである。

さて、読者のなかで写真付きIDをもっている者がどれだけいるだろうか?

さらに、ミシガン州の改正された選挙法律は、IDの住所は有権者登録を行った住所と同じでなくてはならない。

もっとも、ミシガン州では、IDをもっていないものでも、有権者当人と同一人物であることの誓約書affidavitを書けば投票をできることになっている。ところが、下の州政府が配布している案内書をみてもらいたい。affidavitに関する説明にはゴシック体の強調も何も施されていなく、5頁目の冒頭にさりげなく書かれているにすぎない。

ところで大統領選挙は11月4日に実施される。この日付をカレンダーで見ていただきたい。何か日本の選挙との違いに気づかれないだろうか?。

そう、この日は平日である。したがって投票するためには、午後8時まで行われている投票場に仕事が終わるとすぐに直行しなくてはならない。

さらにまた、アメリカでは投票所の案内が送付されてくることなどなく、どこで投票すれば良いのかの情報を得るのは市民の「自己責任」とされている。そして、これは日本でも同じだが、投票場を間違えると投票はできない。

こう聞かされるともううんざりする人も少なくはないであろう。アメリカで投票することは日本よりも増して面倒くさい、そう言っても過言ではないであろう。

だからこそ、2大政党は、有権者の動員に必死になるのである。

ひとつ下の記事に、オバマがミシガン州を確保したと書いたが、それはこのような事情の強い影響を受けての判断だ。共和党はミシガン州から運動員の大半を引き揚げた。アメリカの選挙では政党が投票場までの交通手段を提供(この国はおそろしく公共交通機関が脆弱である、ほとんどのところが車がなくては生活できない)することは決して少なくない。運動員が少ないということは、したがって、きわめて不利な状況を生み得る。

さて、今日の記事冒頭の写真は、ミシガン大学のキャンパスの中心で有権者登録を行っている民主党運動員の姿である。わたしは有権者登録を呼びかけているマケイン支持者にはついぞあわなかった。

ちなみに、各州で有権者登録の厳格化に乗り出したのは共和党である。アメリカでIDをもっていない人の推計は11%。この数は決して少なくはない。なぜならば、民主主義の原則は、だれもが一票を行使できるというところにあり、この原則だけは譲ることが許されないからだ。アメリカの人口全体に占める黒人の比率が12%。この12%の権利が否定されることで、どんな暗い歴史が作られたのかを考えてみれば、この問題の大きさもわかるであろう。またここで、奴隷解放によっていったんは投票権を得た黒人男性の権利が剥奪されるとき、「黒人は投票してはならない」という法律が可決されたのではなく、婉曲的表現や暴力によってそうされたのだという歴史的経緯も忘れてはならない。

マケインもペイリンもアメリカ市民のこと、ごく普通のアメリカ人のことを考えていると言っているが、果たして投票率の低下を望んでいる政党の候補がそのようなことを言えるだろうか。

昨日、デトロイトのコボ・アリーナでは、Jay-Zが、オバマ応援のために有権者登録を促すコンサートを開き、1万人を動員した。明日、わたしの隣町にオバマ本人が遊説にやってくる。モータウンの故郷、黒人の率が約9割にのぼるデトロイトでラッパーが支援に乗り出せば、製造業の不振に苦しむミシガン州南西部イプスランティ(ミシガン州の失業率は8%強にのぼり、全米平均の3%も高い)の労働者の動員にブルース・スプリングスティーンがやって来る。

そして明日はミシガン州の有権者登録受け付け締切日である。初の「黒人候補」が挑む大統領選挙まで1か月を切った。

次回は、なぜマケインはミシガン州から撤退したのかを、アメリカ大統領選挙の仕組みを解説しつつ解説したい。

2008年10月07日

「オバマ後援会」主催のコンサート(1)

20081006_springsteen_rally_small.jpg隣町のイースタン・ミシガン大学の野球場で開催されたオバマ支援コンサートに行ってきた。来る2月にはスーパーボウルのハーフタイムショウに出演することが決まっているブルース・スプリングスティーンが出演、しかも入場料は無料だ。

右の写真(クリックすると拡大)は、その最寄りのバス停に張られていたビラである。そうこの日、ミシガン州は有権者登録受付の締切を迎えた。もちろんビラを貼っているのはオバマ陣営なのだが、このブログでも何度も述べてきたが、わたしはほんとうにマケインがこのような努力をしているのを見たことがないのである。

スプリングスティーンは黒人アーティストではないではないか、と思われるふしの方もいらっしゃるかも知れないが、わたしは実は高校生の頃より彼の大ファンである。彼は実はブルージーなのだ。かつての白人の強烈なフォーク・ロック・シンガーはブルージーである。公民権運動のテーマソング、「ウィー・シャル・オーヴァーカム」はそのような伝統が息づく、テネシー州のハイランダー・フォークスクールで生まれた。

労働者階級の奥底に深く入っていけば、黒と白の境界は消えていく。

さて、スプリングスティーン曰く。「俺の敵はどうやら退散したそうだが、まだ勝利を当て込んではならない、後はどれだけの人間が選挙当日に票を投じるかが問題だ」。

さて人種の観点から見たこのコンサートの報告はこれから少しずつ行っていく。次にこのコンサートに触れるときには、まずは観客層について思ったことを綴りたい。

2008年10月09日

有権者登録運動について(4) ── Blue States と Red States

さて、このタイトルで前回予告したように、少々堅苦しいがアメリカ大統領選挙の仕組みを紹介しよう。

昨日の大統領候補テレビ公開討論を終えた直後のCNNの調査では、ついにオバマの支持率が54%に達した。しかし、これは大統領選挙に必要な「票」の54%が支持したことを意味しない。

アメリカの大統領選挙は、州ごとに票の集計が行われ、州の第一位の者がその州に人口比に応じて割り当てられた選挙団 electorate を獲得するという仕組みになっている。そのため、人口の少ない州でいくら「強烈に優勢」であっても、大きな州で「僅差で敗北」を続ければ、選挙には負けることになる。したがって、算術的な計算のうえでは、獲得票数で勝っていても、選挙戦略をまちがえれば選挙自体に負けることもあり得るのだ(実際にそのような事態が生じそうになったこともあるーー歴史的事例に関してはヴァージニア大学が運営している Geostat Center の地図がわかりやすい)。

では、この選挙団の獲得数にみる「支持率」も、最近ではネットですぐに見られるようになった。たとえば、Electoral - Vote.com が提供する速報は、歴史的時系列的な地図も簡単に見られ、もっとも親切でわかりやすいものになるである。ちなみにこのサイトはRSSフィードはもとより、 iPhone 用のアプリ(iPod Touch でも動くはず)もあるので便利である。

さて、この地図を、特に南部に着目して、少し前の選挙までさかのぼって見てほしい。

南部とロッキー山脈の諸州では、なんと驚いたことに、1974年の選挙以来一貫して共和党候補が選挙団を獲得している。そしてまた、驚いたことに、ニューイングランドの北東部の州は、入れ代わって民主党が一貫して選挙団を獲得している。

アメリカの報道機関は、このような地図を描くにあたり、民主党が獲得した州を青色、共和党が獲得した州を赤色で塗る。いわゆる「Blue State と Red State の対立」という構図は、このような事情を反映して言われるようになったことである。

そしてここで強調したいのだが、黒人を初めとするマイノリティの権利に敏感(それを遺憾に思う人間は「マイノリティに対して甘い」と言うだろう)だった民主党は、南部の州を「失った」のである。「失った」と言うのは、1968年まで、つまり公民権運動がいちおうの「終結」を迎える年まで、南部は民主党の「牙城」(英語では Solid South と言う)だったからだ(このような事態の転変についての詳細は右の本が詳しい)

なお、いま先ほど放送されていたCNNは、ミシガン州が民主党に傾くのが有力になったので、「オハイオ州とペンシルヴェニア州が鍵を握る」と報道していた。このふたつの州は、上のリンクにみるように、大票田とは言えないものの、キャスティングボートを握るには十分の選挙団をもっている。

マケインがミシガン州から「撤退」したのは、このような事情を考慮してのことである。野球に喩えてみよう。9回まで12対0。そこで抑えのエースを投入する監督もいなければ、さぁ反撃だと怪我で休ませている主力打者を代打に送る監督もいない。ふつうならそのような「余力」は「次の試合」に「温存」させる。それが指揮官というものだ。ここで「最後まで全力でやるのが本来の姿だろう」などと「正論」を言っても通用しない。アメフトに通じている方ならば、最終クォーターを迎えて、もう敵側がどう考えても逆転できないとわかった時分には、たとえゲームが続いていても、スポーツドリンクをヘッドコーチの頭にかける「儀式」が行われているのを観たことがあるだろう。そうこれはプラグマティックな算術の世界なのである。

ここで気づかれた方もいるかもしれない、ヒラリー・クリントンが不評を買いつつも自分こそが electable だと主張し続けたことの根拠には、このような算術があった。スーパーチュースデイ以後のオバマの脅威的な連勝は、実は本選挙になると民主党には勝ち目のない Red State で起きていたのだ。

ところで、CNNと違った観点から、わたしはこの選挙がほんとうに Change を意味するならば、それはくどいようだが(結果はともかくも)ミシガン州の投票「動向」と、ヴァージニア州やノース・キャロライナ州などのバトルグラウンドとなっている南部の州が重要な意味をもつと思っている。では次回のこのエントリー題での記事はこの点について詳述しよう。

2008年10月11日

バトルグラウンドからの報告(7) ── ついに身体を腐食し始めた人種主義の毒

わたしがお世話になっている研究所の人と選挙の話をしていて、こんなことを言う人がいた。「民主党も共和党も直接に人種を問題にすることを必死になって避けている、だけどこの選挙の争点のひとつは間違いなく人種だ、必死になって避けているがゆえに、返って危険な状況が生まれている」。

ちょっとわかりにくい話ではあるが、少しそこのところを最近の展開をふまえて解説したい。

CNNの看板番組 Anderson Cooper 360 が報じ、今日もLarry King Live が詳述しているところによると、ミネソタ州でのマケインを支援するタウンミーティングでこんなやりとりがあったらしい。

白人女性:「わたしはオバマを信頼しません。彼について書かれているものを読んだんですが、彼はアラブ人ではないですか」

マケイン:「いえ、そんなことはありません。彼は家族を大切にする立派な人物です。わたしはただ根本的政策で違う意見をもっているだけなのです。この違いこそが選挙運動で大切なのです」

次には男性が「わたしはもうオバマが怖いんです、怖くて仕方がありません」。

映像を見ると、マケインはそうとう慌てている。「何も怖いなんて…。怖くなんかありません」とやみくもに否定するだけ。

第2回の討論会が終わって以後、共和党は新たなオバマ攻撃材料を選挙戦に持ち込んできた。バカらしいことではあるが、それはオバマの名前。彼の名前をミドルネームまで正確に綴ると、それはバラク・フセイン・オバマになる。共和党幹部は、このフセインというところを殊更強調する選挙演説を行ったり、サラ・ペイリンに至っては「テロリストとねんごろになっている」"pal around a terrorist"(これはオバマの支持者のなかに、60年代の連続爆弾犯の過激派がいるのを揶揄したもの)とまで述べてきた。下にあるクワミ・キルパトリックとの関係をやり玉にあげる公告と良い、遠回りのメッセージとして、「こいつはまっとうなアメリカ人なら信頼するはずがない「人種」に属している」と言い続けてきたのである。

ところが、「上品になったアメリカ」では、人種主義に訴えることを直截な表現で公共の場で行ってはならない。なぜならば、そうすることで離反する人びとが着実に増えているからだ。

世は「ブラッドレー効果」の時代。この時代にあっては、世論調査の調査員に対して対面を取り繕う層(英語でswing vote、敢えて訳せば「無党派層」になろうか)に訴えてこそ意味がある。しかし、無党派層はこれでは離反する。なぜならば、彼ら彼女らは世論調査の調査員に対しても「本性」を見せることができない人びとだからだ。

したがって、人種主義に訴える共和党に戦略は、「わかるひとにはわかる」形、「コード化されたことば」coded wordを使ってこそ、最大の効果があがる。直截で赤裸々な人種主義はリスクが高いのだ。クスリはリスク…

ところがミネソタの女性は、直截に言ってしまった。こまったのがマケイン。ここで

「はい、そうですアラブは信用なりませんし、怖いんです」

と言えばどうなるであろう。

イラク戦争の最大の支持勢力はサウジ・アラビアやアラブ首長国連邦。アメリカはそもそも湾岸戦争のときに、クウェートを救うために戦争を率いた。大統領候補が「アラブは信用ならない」と言ってしまったら、これは「アメリカの国益」にも大きな悪影響を与える。

それを民主党が見逃すはずがない。ああ、しまった、大統領候補討論会もまだ一回残っている。

しかし、共和党は、この女性が勘違いしてもおかしくないような運動を展開してきたのである。その「毒」が早くまわり始めてしまった。それで共和党自身が「解毒」に必死だ。この「毒」は、「共和党に一票」分だけ効いてくれば良かったのだ。しかし、どうやら悪辣な公告の度が過ぎたようである(『ニューヨーク・タイムズ』論説文のマケイン批判を参照)。

さてもう一度

「民主党も共和党も直接に人種を問題にすることを必死になって避けている、だけどこの選挙の争点のひとつは間違いなく人種だ、必死になって避けているがゆえに、返って危険な状況が生まれている」

2008年10月12日

バトルグラウンドからの報告(8) ── ジャッキー・ロビンソンとバラク・オバマ

英語で play hardball という慣用句がある。文字通りだと、「硬式で試合をする」だが、これは「激しくやりあう」という意を持つ。

日本であまりにも一般化したスポーツだけにわかり難いが、野球は危険なスポーツである。いわゆるアメリカの4大球技(ベースボール、フットボール、バスケットボール、アイスホッケー)のなかで考えても危ない部類に入るだろう。よく「野球をやっていた」と言う人がいるが、そのなかで「公式野球」をやった人はあまり多くはいないはずだ。何はともあれ、石のようなボールが当たると痛い。

そして野球というスポーツは、痛いときに痛いやつはたいていひとりだ。

体が接触するプレーだと、相手に怪我をさせるようなことをした場合、そのプレーの激しさで自分も傷つく危険がある。だからハードなプレーには自ずとブレーキが働く。しかし、野球はちがう。ピッチャーが遠くからバッターの頭を狙えば良い。

1947年、ブルックリン・ドジャースのプレーヤーとして、黒人として初めてのメジャーリーガーになったジャッキー・ロビンソンは、その選手生命のなかで、何度も文字通り生命を狙われた。黒人が「でしゃばる」ことを良く思わない投手から、フラッシュボールどころか、頭めがけて何度も何度も何度もボールを投げられたのである。

現在なら、そんなことがあれば、乱闘試合になる。しかし、ジャッキー・ロビンソンは、ひたすら耐えた。そもそもロビンソンを「抜擢」してくれたドジャースのオーナ−、ブランチ・リッキーとの約束が「反撃しないこと」「かっとならないこと」であったし、当時の時代状況からして、反撃したりすれば、ロビンソンは非難の嵐に巻き込まれたであろう。だから耐えに耐えに耐えに耐えた。それは己の生命すらも危うくすることだった。

さて、サラ・ペイリンが、暴言を吐いてたまらない。ところが、それに対しオバマが反撃すると、上のような公告を流される。

白人に対して黒人は手をあげてはいけない。これはロビンソンが生きていた時代のアメリカの掟だった。

白人女性のことを黒人は語ってはいけない。これは奴隷解放後からいままで生きているアメリカの掟のようだ。一度のペイリンを(正当に)批判し上のような公告を流されて以後、彼はひたすら耐えている。

おそらくリスクは多いのにも関わらず、政治家としての業績は凡庸なペイリンを起用したのは、共和党の戦略的思考による。「「黒人男性」が「白人女性を襲っている」」という構図をコード化した形で描くことにより、サブリミナルな人種主義に訴えかけようとしたのだ。もう一度、リンクを貼った動画が観てほしい。ここに描かれている「絵」は何だろう。

このような「きわどい」選挙戦に立っているオバマの支持者のなかでは、最近は「聡明なすばらしい人だとはわかっていたが、最近になってすごく勇敢 brave な人物なんだというのがわかってきた、普通の人には耐えられないことを耐えている」という人も現れている。

わたしもそう思う。

「黒人初めて」となった人物は、ジャッキー・ロビンソンのような苦しみをみなが経験してきた。いまその溜飲がおろされようとしているのだ。「黒人初のアメリカ合州国大統領」、これが誕生すれば、以後、この国からはロビンソンの苦しみは消える。

ここに「黒人団結票」が存在する理由がある。喧伝されている「ポスト人種」の時代が来るとすれば、それは2008年11月5日だ。

真実を知りたければ ── インターネットではなく、一次史料をみろ

検索エンジンに早く反映されるように、最初にはっきり言っておきます。バラク・オバマはサブプライムローンの発案者ではありません。手近なリサーチをしようと思った方、もっと真実に近づく方法を学びましょう。

この頃、アクセス解析をしていて驚くのだが

・オバマ
・サブプライム
・発案者

でググればこのサイトはかなり上に来る。それも当たり前。これだけの記事を書いていれば、これら3つは「どこか」に潜んでいる。

そしてまた、この検索ワードを入れてやってくる人が多いのだ。どんな発想をしているのか、わたしが知りたいくらいなので、奇特な方は連絡ください。

今回のこのエントリーのタイトルは、ブラック・パワー運動の先頭に立った運動家ストークリー・カーマイケルのことばを引用したものである。そしてこのブログでは、なるべくわたしの発言の根拠となっているソースを、そしてさらにはその発言を吟味するサイトを紹介している。黒人研究者としてではなく、最初に使ったブラウザが Mosaic だった者としても言うが、ネットの検索はこんな形でするものではありません。スペースをあけて知りたいことばをつなげたら正確な情報を得られると思ったら大まちがい。まちがった情報しか得られませんよ。インターネットは確かにきわめて便利なものですが、使い方まちがうと自動車と同じ、とんでもない事故をします。

ネットで情報を検索する前にちょっと「アタマ」を使って考えてください。あのね、「長銀 倒産 責任者」って入れてググれば大量の不良債権を抱えてしまったことの責任者の名前が出てくるか? 

それでわかれば、日米の検察は、「ロス疑惑 真相 犯人」でググるから…

最後にダメを押しておきます。バラク・オバマはサブプライムローンの発案者ではありません。手近なリサーチをしようと思った方、もっと真実に近づく方法を学びましょう。

検索結果から誤解されては困るし、実際、あたかもオバマがサブプライムを発案したといっているかのようにグーグルは抜粋(悪意があるのではなく、機械的に処理しただけだとはわかっていますが…)しているので、敢えてこんなことを書きました。

2008年10月13日

バトルグラウンドからの報告(9) ── 「わたしはオバマが怖いんです」の動画

YouTube に、10月11日に報告した事件の動画がアップロードされている。

これでみてわかるように、マケインは明らかに動揺している。必死に「オバマはアラブ人」という言明を否定していることからわかるように、この人は悪い人ではないようだ。

しかし、少し卑劣な「火遊び」が過ぎた。

再建期の人種暴動も、南部公民権運動の暴力も、政治家が煽りに煽って起きたこと、それをどうやら忘れてしまっていたらしい。

2008年10月15日

バトルグラウンドからの報告(10) ── ミシガン州、当然、オバマがリードを拡大

『デトロイト・ニュース』紙が報道した世論調査によると、10月8日現在、ミシガン州でのオバマのリードはついに二桁台に達した。

オバマ:54%
マケイン:38%
未定;7%

ちなみに前回の調査では

オバマ:48%
マケイン:44%

となっている。ミシガン州からマケイン陣営が撤退したことがはっきりと響いてきている。

しかし、これはまだ「ワイルダー効果」によって本選挙で逆転が起きる可能性が有り。

アメリカ時間の今夜は最後の大統領候補討論会だ。

2008年10月16日

バトルグラウンドからの報告(11) ── オバマ陣営、ミシガン州の余力、他州へ移動

本日『デトロイト・ニュース』紙が報じたところによると、ミシガン州の民主党は、大統領選挙の活動にあたっている運動家の半分を、ほかのバトルグラウンド州に移動する意向らしい。これはこのところの同州でのオバマ有利の報道を受けてのこと。CNNなどはすでにこの州を青色に塗り替えた。

これで焦点となる州は、ほぼ

・フロリダ
・オハイオ
・ペンシルヴァニア
・ヴァージニア

に絞られてきた。さらにはテキサスでの共和党の苦戦も伝えられており、ともすれば大きな「地滑り」が起きる可能性すらできている。

さて、ミシガン州が民主党陣営に入った。これは今後を占う意味できわめて大きな意味をもつ。次回はこのことについて、先日行った民主党の集会を参考に解説してみる。

バトルグラウンドからの報告(12) ── 「オバマ後援会」主催のコンサート(2)

20081015_obama_rally_small.jpg1980年の大統領選挙、ミシガン州はその後のアメリカの選挙政治を特徴付けるひとつの「政治集団」を生み出した。レーガン・デモクラットがそれである。

1936年の選挙以来、アメリカの民主党は二つの大きな支柱をもっていた。それは黒人を始めとするマイノリティと労働組合である。ところが、1960年代以後、民主党がマイノリティの権利を擁護する姿勢を強めるなか、白人労働者階級は自分が支持してきた党に「見捨てられた」と感じ始めていった。

それはある意味では自然なことである。経済全体が拡大しない限り、マイノリティの生活が向上することは、彼ら彼女らと階層を接していたものたち(具体的に言うと、白人労働者階級)の間での経済競争の激烈化、いわゆる「パイの分け前争い」につながってしまう。その実、1970年代以後、アメリカ経済は長期の不況に見舞われ、経済の拡大どころではなかったのだ。

この時代を象徴するのが、日本製の自動車の「洪水」のようなアメリカ市場への進出である。ミシガン州は、フォード、GM、クライスラーが本社を抱える場所。この州はかつては「民主主義の兵器廟」(自家用車生産は戦時には簡単に軍用車両生産に切り替えることができる)と呼ばれた世界の自動車工場である。

この時代(第二次大戦期から1970年代まで)の経済体制を、ケインズ主義経済とも言えば、フォーディズム体制とも呼ぶ。フォーディズムの中核には労働組合が存在した。そのなかでも最大の組合が全国自動車労働組合(United Automobile Workers Union、UAW)であり、その本部はミシガン州デトロイトにある。この時期、日本でも、デトロイト発のニュースでアメリカの労働者がトヨタの自動車をハンマーでたたき壊す画像がよく伝えられたし、ビンセント・チンという名前の台湾人が日本人に「間違えられて」殺害されるという悲惨な事件も起きた。

この体制は、白人労働者階級(日本ではより穏便に響く「勤労者世帯」という言葉がなぜか好まれる)とマイノリティが利害の一致を見ている限り維持されるものだった。ところが、1980年、ケインズ主義的な経済政策、いわゆる「大きな政府」を解体することを中核としたロナルド・レーガンが提唱した政策が白人労働者階級に訴求したのである。実際のところ、英語ではただ working class と言うことの方が多いが、通例、ただ単に working class と呼んだ場合、そこに黒人は入らない。これは、正確には「黒人と利害が対立する階級の白人」を意味する「コード化された言葉」coded word のひとつである。そして日本人に向けられた敵意は、もちろん、黒人にも向けられたのだ。

しばしばデトロイト郊外のマコム郡は「レーガン・デモクラットのふるさと」と呼ばれる。

さて、日本でも広く報道された民主党予備選挙、特にその後半になってバラク・オバマは労働者階級に人気がないということが言われてきた。このときに白人労働者階級の支持を得ていたのは、もちろん、ヒラリー・クリントンである。したがって、11月の本選挙での問題は、このクリントン支持層がどう動くかにあった。

ミシガン州でオバマの支持率が高い。これは、では、何を意味するのであろうか?

白人労働者階級から広く支持を集め始めていると見なすのが自然であろう。ここに至ってのオバマへの追い風は、気がついてみれば業界こぞって悪徳高利貸し商法に加担していた未曾有の金融危機から吹いていることも確かである。規制緩和、規制緩和と、政府は小さければ小さいほど良いと唱えてきた政治のツケなのだ。これを何とかするためには、それこそ「根本的な改革」fundamental change が必要である。政治を考える思考自体を変えなくてはならないのだ。

さて、左上の写真は、ブルース・スプリングスティーンが駆けつけたオバマ支援集会の観衆の姿である(画像クリックで拡大)。小さな球場を埋め尽くしたその人びとは白人労働者階級だ。この集会のチケットには所属する組合の名前を記す欄があったが、そこに何らかの名前を書いた人はきっと多い。

1980年代以後の共和党の優勢は白人労働者階級とマイノリティとを敵対させることによって維持されてきた。今回、それが揺らごうとしている。少なくともミシガン州では大きく揺らいでいる。

スプリングスティーンは、下の YouTube ビデオで観られるように、「敵は退散したらしいが、まだ安心するには早いぜ」と語るとともに、これ以後、オハイオ州のコロンバス、ヤングスタウン、ペンシルヴァニア州フィラデルフィアでの集会に参加すると述べている。そう、これまでこのブログを訪問された方はご存じのように、これらはバトルグラウンドだ。

ちなみに彼は一貫して民主党支持であり、2004年にもジョン・ケリーの選挙応援を行った。きわめて「アメリカ的」に思える彼は、しかし、偏狭な「愛国心」のシンボルとして利用されることがある。それを最初に行ったのは、Born in the U.S.A.が大ヒットしていた1980年のロナルド・レーガンである。レーガンの政治利用を聞いた彼は、その後に行ったコンサート会場で、自分の立場を明確にするため、1970年代の鉄鋼不況を綴った名曲、"The River"を、アメリカ労働総同盟・産別会議会長に捧げると語って歌った。

ミシガン州での流れが何らかの意味を持つとすれば、それはこれらの州も「雪崩を打って」民主党陣営に加わるかもしれないということであろう。「レーガン・デモクラットのふるさと」が「本来のふるさと」の民主党に帰ってきたのだから。

本日の朝の時点でのCNNの予測では、マケインが勝利するには、まだ接戦となっている諸州で全勝するしかないらしい。予測は所詮予測だが、わたしがここで述べてきたのはこのような単なる数字上の計算ではなく、バトルグラウンドで感じた観測である。

よく言われているように、バラク・オバマは、これまでの「黒人政治家」とは異なる。ジェシー・ジャクソンにせよ、アル・シャープトンにせよ、かつて大統領予備選に出馬した黒人政治家は、選挙に勝つことではなく、選挙運動を通じて黒人のおかれている環境に対する関心を高めることが目的だった。ところがオバマの場合は、あくまでも勝利が目的である。ミシガン州での選挙戦は、同州の歴史上最大の選挙運動だったと報じられているが、それは勝利を目的にするオバマの選挙運動全体のなかで、この州が占める政治的意義が大きかったからだ(このカッコの部分は、討論会の報道を観たあとに書き足している、オバマはアメリカの経済的苦境を語るのに「デトロイト」という換喩法を用いた)。

さらに、南部ヴァージニア州やノース・キャロライナ州もオバマが逆転しそうになっている。ここはラストベルトと呼ばれる中西部や北東部とは違った意味合いを持つが、その解説は次回に譲りたい。そろそろ大統領候補討論会の時間だ。

2008年10月17日

バトルグラウンドからの報告(13) ── 怒らない「黒人政治家」

マケインは「時には怒りを見せ、また別のときには毅然として」振る舞い、オバマは、マケインからの攻撃をかわすにあたって「時には穏やかに、また別のときには参ったなという表情」をみせた。これは本日の『ニューヨーク・タイムズ』紙の一面に掲載された昨日の大統領候補討論会に関する記事である。

黒人男性が白人女性を攻撃してはいけない、それはタブーを破ったことになる、という切り口から、「黒人初」の人物が追わなくてはならない重責についてつい最近ここで解説してみた。オバマは、感情的になって挑撥するマケインの手口には乗らなかった。黒人は怒ってはならないのである。

抗議運動型の「黒人指導者」、たとえばジェシー・ジャクソンやアル・シャープトンなら事情は別だろう。彼らの選挙戦は勝つことではなく、怒りを表現することに意義があり、その存在は決して軽んじてはならない。彼らのような存在はこれからも必要であろう。ところがオバマは違う。

マジョリティが白人のアメリカにあって、「黒人政治家」が必ず行わなくてはならないことは、「わたしは信頼できる人物である」ということがまず一つ。そしてそれにも勝るとも劣らず重要なのは「わたしは決してあなたに「復讐」はしない」ということを言外に伝えること。

誤解を恐れずに思い切って日本の文脈に置き直して考えてみよう。将来、在日コリアンの首相候補が出てきたとする。その候補が大日本帝国時代の日本のアジア政策をことあるごとに非難したとしよう。それでも結構主張は前向きだ。こんなことを言ったとしよう。「日本はかつての悲劇を乗り越えて、アジアの新しい時代を切り開かなくてはならない」。でも必ずこう言う。「あのときの犯罪行為をわたしは決して忘れません」と怒り猛って語る。さて、市民からこの候補は高い人気を得ることができるだろうか?

20世紀初頭の国際外交や世界秩序が帝国主義的拡張主義を必要としていた、だから日本がやらなければ逆にやられていた。これはいわゆる「自由主義史観」が唱える常套句だ。そしてこのような史観を述べるものはこう言うことがある。「日本がやったことは西欧が奴隷貿易を行ったようなこととはまったく違う、だいたい台湾や韓国には帝国大学を建設したのではないか」。

さて、奴隷制を行った人びとは逃げ場がない。そしてその実、この「犯罪行為」の「言い訳」をするのはたいへんなことだ。奴隷制を正当化する論理がないわけではない。たとえば野蛮なアフリカ人を文明化した、という主張がそうだ。ところが、このような論陣を張る人間は「ナチの亜流」と見なされるのが通常である。ほんとうに奴隷制を行った人びとは逃げ場がないのだ。

そのような歴史的経緯があるなかで「怒り猛った黒人」に票を投じるのは簡単なことではない。もちろん簡単に行える開明的な人物も多いが、大統領選挙を支配するほどそのような開明的な人物は多くはない。

つまり、《過去の歴史的悲劇に罪障感をもちつつもどこかで自分を防御したい人物》が固めた「疑念」と「防御」の腕組みをそっと優しく解いてやらなくてはならないのだ。

おそらくオバマはそれに成功したに違いない。今朝発表されたCNNの予測では、本日投票が行われた場合、オバマが選挙戦を制するらしい。ここまでどちらか一方に選挙戦が傾いたのは今回は初めてだ。

もちろん、これは「本日投票すれば」という仮定条件がついた予測である。まだ投票日まで19日ある。その間、たとえばオサマ・ビン・ラディンをついにアメリカ軍が逮捕したとしよう。このような劇的な事件が起きた場合、一気に形勢が逆転する可能性がある。

『デトロイト・フリー・プレス』紙は、昨日の討論会を報道するにあたり、「討論会第3ラウンド、両者強打の応酬」という大見出しを掲げた。わたしはこれとは違った見方をした。オバマは強打を繰り出していない。マケインの強打をかわしただけだ。

その姿は「時には蝶のように舞い、また別のときにはハチのように刺す」、ミシガン州のどこかにいまは静かに住んでいるあの人物、「もっともグレートなやつ」、モハメド・アリの姿を彷彿させるものだった。

2008年10月20日

バトルグラウンドからの報告(14) ── コリン・パウエルが描いた〈人種〉のサブテクスト

アメリカNBCテレビの日曜日午前中の人気番組 Meet the Press で、コリン・パウエル前国務長官/元統合参謀本部長が「バラク・オバマに投票する」と語ったことは、ネットで見るかぎり、日本にも素早く伝えられているようだ。

だが、日本での報道は、彼がインタビューで語ったことの核心部、もっとも大きな反応を引き起こしている部分を伝えていない。彼は、政策論でオバマが優れているからオバマを支持するなどとは言っていないのだ(YouTube のリンクを参考)。

彼はこのインタビューで、わたしがこのブログで度重なり伝えてきた、共和党のネガティヴ・キャンペーンに対する激しい嫌悪感を示している。そして、肝心の部分は終わりにさしかかったところだ。ここは、以前ここで紹介したミネソタ州でのマケイン集会で起きた事件、オバマはアラブ人だから怖いといった女性の発言を否定し、その上でオバマの人格を賞賛してしまったマケインの行動に表れた「偽善」を実にするどく突いている。

逐語訳はできないが、おおまかに言って彼が言っていることはこうだ。

「オバマ上院議員はムスリムではありません、そうです、それは当たり前のことです、彼はムスリムではない、でもムスリムではないということそれ自体に何の価値があるのですか、アメリカ人のなかにムスリムがいてはいけないのですか、こんなことを見たムスリムのアメリカ人の子供がいったいどんな気持ちになるかわかっているのですか、わたしも「政治」が何だかはわかっていますが、それにしてもマケイン陣営がやっていることは行き過ぎです」。

大胆且つなるべく面白くなるように例えたら、こうなるだろう。

共和党はずっとこう言ってきた。「対抗馬のアタマは薄くなっている」。

そうするとやがて有権者のなかに、「あの候補はハゲでしょう」という人が現れてしまった。

それで共和党選対は否定に必死になる。「いえ、そんなことはぜったいに言っていません。わたしたちはアタマが薄いと言っていただけです。ハゲなんて言ってません。あの候補はハゲではありません、立派な人格者です」。

ハゲはたまらない。なぜなら、こう言われたとたん、《ハゲ=非人格者》というとんでもない等式ができるから。

コリン・パウエル、この人物の識見が高いと思ったのは今回がわたしは実は初めてだ。それにしても、彼が今日行った指摘はすばらしい。誰もこのような視角から論じようとしなかったのだ。アラブ人の気持ちがわからなかったのだ。

ずっとわたしは言ってきた。この選挙のテクストは人種である。それがサブテクストになっている。《黒人/白人》の関係論に拘泥してきたために、わたしはほかの軸が見えなくなってしまっていたようだ。

パウエルがこのことに気づいたのは、彼がさまざまなフィールドで「黒人初」を経験した人物だからだろう。彼を(意識やアイデンティティの面で)黒人だと思ったのもわたしは今日が初めてだ。

しかし誤解のないように断っておくが、それは彼がオバマを支持したからではない。支持するレトリックに彼の黒人性が現れているのだ。

2008年10月22日

バトルグラウンドからの報告(15) ── アナウンスメント効果と民主主義

この前ここで説明したブラッドレー効果と違い、日本の選挙でもしばしば言われることだからご存じの方もきっと多いかもしれない。大統領選挙は、各種の世論調査やわたしが肌で感じたことから考えて、今度は「アナウンスメント効果」を考えなくてはならないところに来たようだ。第3回の討論会後、オバマ陣営は「安心するのはまだ早い」と言っているが、それもこの効果を考えてのことであろう。

アナウンスメント効果とは、世論調査である政治勢力の優勢が伝えられた(アナウンスされた)場合、その優勢の政治勢力とは反対の党に投票したり、もしくは勝利が確実だと当て込んで投票に行かないという動きが現れることを言う。

民主主義とは、実に良くできた制度だ。極端な方向に政治が傾かないようになる動きが組み込まれているのである。ほかに良い制度があると夢見ることはできるだろうが、現実としてわれわれはこの制度以上に優れているものを知らない。

そして、これはまた後日詳述したいが、「民主主義とは衆愚政治だ」と発言したり、「政治を知らない素人とそれを知っているプロとが同じ一票だというのはおかしい」とか述べたり、「民度が低い」などというわけのわからない語彙を駆使したりする人間に限って、民主主義それ自体への理解はきわめてお粗末なものである。彼ら彼女らは、そのような言辞がファッショな政治に利用されるということをまったくわかっていないのだ。民主主義が作り出した自由な言論空間があるからこそ、自分たちの無知ぶりが「商品」として流通できるのにも関わらず、その自分自身が依拠する大枠の世界のことをまったく理解していないのである。

実のところ、黒人研究に従事しているわたしの識見からして、わたしはそのところ(民主主義の価値)を簡明かつ論理的に説明することはできない。そこで民主主義が良い制度だということに疑問を持たれる方は、是非右の書を参考にしてもらいたい。

さて、日本語でいう無党派層、英語でいう independents とは、政治に関心がない層を言うのではなく、強い関心を持つがゆえに特定の党派を支持しない人びとのことを言う。幅広く報道されているように、現代政治を趨勢を決めるのは政党政治ではなく、この層の支持をどのようにして取りつけるかにある。

具体的に言ってこういうことだ。小泉純一郎元首相が「民意に訴えかけた郵政選挙」、知っての通り、自民党が空前の圧勝をした。衆参ともに単独過半数を獲得した自民党の勢いに対し、しかし、その後すぐに脅威論がでてきた。「勝たせすぎはまずい」というのがその論理の骨子である。単独で改憲すらできる勢力になったのだから、そこに脅威を感じてもまちがいではあるまい。

すると、もう同じ候補で投票しましょ、ということになると、違う投票行動をとる人びとがきっと現れてくる。各種世論調査が毎日のように発表される現代政治では、この「もう一度投票しましょ」気分をもつ層をいかに引き込むかが鍵を握るのだ。だから、長い時間がかかってその後の参院選で、そのような人びとは(日本の)民主党に票を投じることになった(「長い時間」をかけないためには、予備選を行うのがいちばんてっとり早い)。

オバマは、民主党予備選以来、実に巧みにこの層を取り込んできた。そもそも当初は「大統領になるのが不可避の候補」 inevitable candidate と呼ばれたヒラリー・クリントンを苦戦に追い込み、そして最終的には撤退させた力はそこにある(大統領を夫に持つがゆえに、民主党員・民主党支持層の支持を獲得するのは当然のことだったから)。

オバマのこの優勢ぶりはアナウンスメント効果を危惧してあまりある。なぜならば、彼の支持層の多くは無党派層だからである。

これまでも述べてきたように、黒人の「団結票」だけでは大統領選挙に勝つことはできない。

ところで、ずっとこのブログのエントリーのカテゴリーが「政治」と「選挙」になってしまった。それでも実のところ、この「歴史的選挙戦」はまだまだ語りつくせていない。それでも投票日まで2週間を切った。そこで、それまであるたけのことを語れるように、「事件」が起きないかぎり、次のテーマを予告したいと思う。

次回は、では、この選挙戦がもつ歴史的意味について語ろう。歴史的と言っても、「史上初」という類のものではない。あとから振り返ったときに、この選挙が歴史の分水嶺になるかもしれない、そんな可能性についてコメントしていきたい。具体的に言うと、次は、現在バトルグラウンドになっているヴァージニアとノース・キャロライナの結果が持つ意味である。それまで時間がある方は、ヴァージニア大学の図書館が提供している大統領選挙結果の地図を、1968年以後の南部の帰趨に着目して見ていて頂ければ幸甚である。

2008年10月26日

バトルグラウンドからの報告(16) ── ヴァージニアとノース・キャロライナの帰趨が持つ意味

いよいよ大統領選挙もあと10日を残すばかりとなってきた。ここまでのところオバマの圧倒的有利。その勝利のあとに述べることになると、「後出しジャンケン」に近いものになってしまうので、投票日が来る前に述べなくてはならないことは急いで述べておきたい。次期大統領は、おそらく3名の最高裁判事を指名するといわれている。現在最高裁は保守派に力が傾斜していること、そして判事には任期がないということを考えると、共和党の勝利は今後約20年間の保守政治を意味し、民主党の勝利は保守からリベラルへの潮流の変化を示す。そのことを考えても、今回の選挙が将来にもつ意味は大きい。

そのことを踏まえたうえで、前の予告にしたがって、今回は中西部のバトルグラウンドではなく、南部のヴァージニア州とノース・キャロライナ州が今回の選挙で持つ意味から始めよう。

これまでの大統領選挙の結果を見ればわかる(ヴァージニア大学のサイトのなかにあるこの地図がわかりやすい)ように、1972年のニクソンの強烈な地滑り的圧勝以来ジミー・カーターが勝利者となった1976年を除き、南部は一貫して共和党の「票田」となっている。さらに重要なことに、これら共和党陣営に加わった諸州は、1968年に人種隔離の維持を訴えて民主党から離脱し、独自の選挙戦を展開したジョージ・ウォーレスの票田を継承しているということだ。

つまり、公民権運動を陰から支援し、公民権法制定の原動力となった民主党は南部から「見捨てられ」たのである。ノース・キャロライナ州のジェシー・ヘルムス、サウス・キャロライナのストロム・サーモンド、ジョージア州のニュート・ギングリッジ、ミシシッピ州のトレント・ロットなど共和党保守派は多くこれらの南部から選出されている。

ところでオバマはこれら南部諸州で圧倒的強さを示した(『ニューヨーク・タイムズ』のこの地図をみればよくわかる)。日本でその頃よく語られた表現が「黒人人口が多いこの地域ではオバマ氏の圧勝が予測されます」といったものだった。

しかし、この表現は、大統領選には通用しない。これらの州の多くで民主党は勝利を見込むことがまったくできないのである。その事情は、南部出身であったビル・クリントンでさえ、南部共和党保守派の力を崩すことができなかったことから明らかだ。

ところが南部のなかでもいわゆる「境界州」と呼ばれるヴァージニア、19世紀後半より比較的リベラルなことで知られていたノース・キャロライナは、今回バトルグラウンドとなっている。そしてオバマは、民主党予備選のとき、ヴァージニアでは64%対34%、ノース・キャロライナでは56%対42%という二桁台の差をつけてヒラリー・クリントンに圧勝した。

なぜならば、ヒラリー・クリントンは、これらの州はいずれにせよ本選挙で共和党の票田となるのが確実なため、目立った選挙戦は行わなかったのである。

この民主党予備選の地図と、世論調査の最新動向を横にしてみれば、ヒラリー・クリントンの選挙戦が本選挙をにらんで実に手堅い戦略に依拠していたのがわかる。「共和党支持州 Red State」で確実に勝利をすることでオバマは、ヒラリー・クリントンを追い込んでいったのである。だからこそ、「大統領になるのが不可避の候補」 inevitable candidate を自負していたヒラリー・クリントンは「本選挙で勝てる力をもっているのはわたし」となかなか負けを認めようとしなかった。

しかし、ノース・キャロライナ州は、10月23日の世論調査で、49% 対 46%でオバマが若干の有利、ヴァージニア州に至っては51.5% と 44.0%と、「ワイルダー効果」を踏まえてもオバマが勝てるほどの大差でリードとなっている。つまりヒラリー・クリントンが「諦めていた州」が民主党に傾きつつあるのだ。

ヒラリー・クリントンは、南部で民主党が勝つのは厳しいと目した。ここでもう少し歴史的経緯を踏まえて考えてみよう。南部で民主党が地盤を失ったのは、ほら、公民権法とその後のマイノリティ政策が原因である。そしてクリントンはまだその「失地回復」はできないと考えていた。

ところが「黒人候補」がそれを獲り戻ろうとしているのだ。これは、アメリカの人種関係、そしてそれに多く規定され続けるアメリカの政治の変化を語ってあまりある現象だといえよう。最終的選挙結果がでなければ何ともいえないところではあるが、「アメリカ政治の歴史的変化」が起きる可能性があるのだ。

政治や社会はゆっくりにしか変わらない。それを踏まえるとゆっくり変わっていくところを、政治や社会をみつめるものはじっくりと見なくてはならない。そして、いま、そして、バトル・グラウンドでゆっくとした変化が起きそうなのである。

戦後の大統領選挙で、「地滑り的勝利」 landslide victory と呼ばれた選挙は3回しかない。1964年のジョンソン1972年のニクソン1980年のレーガン、なかでも後の二つは政治は保守へ大きく振れた。現在、民主党の「地滑り」、さらには完勝 sweep という予測がなされているが、もしそれが現実になるとすると、それは大きな歴史的意味をもつことになるであろう。奇しくも共和党候補の出身州は1964年のバリー・ゴールドウォーターと同じ、アリゾナ州である。ひょっとすると、1964年と同じような地図くらいにはなるかもしれない。

2008年10月29日

バトルグラウンドからの報告(17) ── 魅力は、自己規律、知性、前向きなこと

本日、アメリカのネットワークテレビでコメンテーターをしている方の講演を聴き、その後レセプションにお邪魔してきた。その人物(黒人女性)が言うことには、オバマには、三つの類稀な資質があるという。

・自己規律 discipline
・知性 intellect
・前向きなこと optimism

彼女の意見では、1984年と1988年のジェシー・ジャクソンの選挙戦のときと、オバマの表向きの政治的メッセージは同じらしい。

それはチェンジ。

思えば政権政党でない限り、言うことは決まってチェンジ。チェンジは「政権交代」と訳しても良い。つまりアメリカの民主党の主張は日本のそれと大して変わらないのである。そしてまた、政権政党が野党候補の「経験」を問うあたりの構造まで同じだ。

では、オバマは、いったいどこが質的に、幾多あるチェンジと違うのか。次回はこれについて語ろう。

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