1980年の大統領選挙、ミシガン州はその後のアメリカの選挙政治を特徴付けるひとつの「政治集団」を生み出した。レーガン・デモクラットがそれである。
1936年の選挙以来、アメリカの民主党は二つの大きな支柱をもっていた。それは黒人を始めとするマイノリティと労働組合である。ところが、1960年代以後、民主党がマイノリティの権利を擁護する姿勢を強めるなか、白人労働者階級は自分が支持してきた党に「見捨てられた」と感じ始めていった。
それはある意味では自然なことである。経済全体が拡大しない限り、マイノリティの生活が向上することは、彼ら彼女らと階層を接していたものたち(具体的に言うと、白人労働者階級)の間での経済競争の激烈化、いわゆる「パイの分け前争い」につながってしまう。その実、1970年代以後、アメリカ経済は長期の不況に見舞われ、経済の拡大どころではなかったのだ。
この時代を象徴するのが、日本製の自動車の「洪水」のようなアメリカ市場への進出である。ミシガン州は、フォード、GM、クライスラーが本社を抱える場所。この州はかつては「民主主義の兵器廟」(自家用車生産は戦時には簡単に軍用車両生産に切り替えることができる)と呼ばれた世界の自動車工場である。
この時代(第二次大戦期から1970年代まで)の経済体制を、ケインズ主義経済とも言えば、フォーディズム体制とも呼ぶ。フォーディズムの中核には労働組合が存在した。そのなかでも最大の組合が全国自動車労働組合(United Automobile Workers Union、UAW)であり、その本部はミシガン州デトロイトにある。この時期、日本でも、デトロイト発のニュースでアメリカの労働者がトヨタの自動車をハンマーでたたき壊す画像がよく伝えられたし、ビンセント・チンという名前の台湾人が日本人に「間違えられて」殺害されるという悲惨な事件も起きた。
この体制は、白人労働者階級(日本ではより穏便に響く「勤労者世帯」という言葉がなぜか好まれる)とマイノリティが利害の一致を見ている限り維持されるものだった。ところが、1980年、ケインズ主義的な経済政策、いわゆる「大きな政府」を解体することを中核としたロナルド・レーガンが提唱した政策が白人労働者階級に訴求したのである。実際のところ、英語ではただ working class と言うことの方が多いが、通例、ただ単に working class と呼んだ場合、そこに黒人は入らない。これは、正確には「黒人と利害が対立する階級の白人」を意味する「コード化された言葉」coded word のひとつである。そして日本人に向けられた敵意は、もちろん、黒人にも向けられたのだ。
しばしばデトロイト郊外のマコム郡は「レーガン・デモクラットのふるさと」と呼ばれる。
さて、日本でも広く報道された民主党予備選挙、特にその後半になってバラク・オバマは労働者階級に人気がないということが言われてきた。このときに白人労働者階級の支持を得ていたのは、もちろん、ヒラリー・クリントンである。したがって、11月の本選挙での問題は、このクリントン支持層がどう動くかにあった。
ミシガン州でオバマの支持率が高い。これは、では、何を意味するのであろうか?
白人労働者階級から広く支持を集め始めていると見なすのが自然であろう。ここに至ってのオバマへの追い風は、気がついてみれば業界こぞって悪徳高利貸し商法に加担していた未曾有の金融危機から吹いていることも確かである。規制緩和、規制緩和と、政府は小さければ小さいほど良いと唱えてきた政治のツケなのだ。これを何とかするためには、それこそ「根本的な改革」fundamental change が必要である。政治を考える思考自体を変えなくてはならないのだ。
さて、左上の写真は、ブルース・スプリングスティーンが駆けつけたオバマ支援集会の観衆の姿である(画像クリックで拡大)。小さな球場を埋め尽くしたその人びとは白人労働者階級だ。この集会のチケットには所属する組合の名前を記す欄があったが、そこに何らかの名前を書いた人はきっと多い。
1980年代以後の共和党の優勢は白人労働者階級とマイノリティとを敵対させることによって維持されてきた。今回、それが揺らごうとしている。少なくともミシガン州では大きく揺らいでいる。
スプリングスティーンは、下の YouTube ビデオで観られるように、「敵は退散したらしいが、まだ安心するには早いぜ」と語るとともに、これ以後、オハイオ州のコロンバス、ヤングスタウン、ペンシルヴァニア州フィラデルフィアでの集会に参加すると述べている。そう、これまでこのブログを訪問された方はご存じのように、これらはバトルグラウンドだ。
ちなみに彼は一貫して民主党支持であり、2004年にもジョン・ケリーの選挙応援を行った。きわめて「アメリカ的」に思える彼は、しかし、偏狭な「愛国心」のシンボルとして利用されることがある。それを最初に行ったのは、Born in the U.S.A.が大ヒットしていた1980年のロナルド・レーガンである。レーガンの政治利用を聞いた彼は、その後に行ったコンサート会場で、自分の立場を明確にするため、1970年代の鉄鋼不況を綴った名曲、"The River"を、アメリカ労働総同盟・産別会議会長に捧げると語って歌った。
ミシガン州での流れが何らかの意味を持つとすれば、それはこれらの州も「雪崩を打って」民主党陣営に加わるかもしれないということであろう。「レーガン・デモクラットのふるさと」が「本来のふるさと」の民主党に帰ってきたのだから。
本日の朝の時点でのCNNの予測では、マケインが勝利するには、まだ接戦となっている諸州で全勝するしかないらしい。予測は所詮予測だが、わたしがここで述べてきたのはこのような単なる数字上の計算ではなく、バトルグラウンドで感じた観測である。
よく言われているように、バラク・オバマは、これまでの「黒人政治家」とは異なる。ジェシー・ジャクソンにせよ、アル・シャープトンにせよ、かつて大統領予備選に出馬した黒人政治家は、選挙に勝つことではなく、選挙運動を通じて黒人のおかれている環境に対する関心を高めることが目的だった。ところがオバマの場合は、あくまでも勝利が目的である。ミシガン州での選挙戦は、同州の歴史上最大の選挙運動だったと報じられているが、それは勝利を目的にするオバマの選挙運動全体のなかで、この州が占める政治的意義が大きかったからだ(このカッコの部分は、討論会の報道を観たあとに書き足している、オバマはアメリカの経済的苦境を語るのに「デトロイト」という換喩法を用いた)。
さらに、南部ヴァージニア州やノース・キャロライナ州もオバマが逆転しそうになっている。ここはラストベルトと呼ばれる中西部や北東部とは違った意味合いを持つが、その解説は次回に譲りたい。そろそろ大統領候補討論会の時間だ。