「ブログを再開する」とここで宣言しつつ、それでいて一向に更新ができなかった。さて、この間、わたしはデトロイトから州際間フリーウェイで1時間ほどいった街にあるミシガン大学に引っ越した。引っ越し直後、民主共和両党の党大会があり、それをいろいろと考えるなかも、引っ越しに伴う日常生活上のごたごた、さらには入国管理に伴う書類等々のことで忙殺され、今日まで更新が遅れてしまった。申し訳ございません。
今度こそ、本気で再開する。
早速本題に入り、わたしが現在住んでいるミシガン州。ここは今回の大統領選挙での「激戦州」battle ground statesのひとつであり、この州の行方が選挙結果を左右するとも言われているところにあたる。そこにわずか1か月だが、住んで肌身で感じた実感を、伝え始めてみることにする
ところで、ブラッドレー効果という言葉は、日本のマスコミは伝えているだろうか?。ブラッドレー効果とは、1982年のカリフォルニア州知事選挙で起きた現象のことを指し、一般的には世論調査の高い黒人への支持率は「割引」して考えるべきである、ということを意味する。
この年、ロサンジェルス市長を数期務めたトム・ブラッドレーという黒人政治家が、カリフォルニア州知事に立候補した。黒人居住区、もしくはゲトーを地盤に人口統計上の多数派を形成できる都市の選挙、さらには小さな選挙区からなる下院議員とことなり、州全体を選挙区とする連邦上院議員や州知事(ブラッドレー効果はヴァージニア初の黒人州知事、ダグラス・ワイルダーに因んでワイルダー効果と呼ばれることもある)、さらには大統領選挙では白人への訴えかけにいかに成功するかが、黒人候補の当落を決定する要因となる。ロサンジェルス市長を務めたブラッドレーは、市の政治のなかですでに白人からの支持を取り付けており、カリフォルニア州知事になれる有力な候補だと目されていた。そして実際、選挙戦中の世論調査では終始彼の優位が伝えられていた。ところが実際に票を開けてみると、彼はあっさり落選してしまった。つまり世論調査の数字は彼への支持を大げさに伝えていたのだ。
では、なぜこのような現象がおきたのであろうか。その答えは、ポスト公民時代の人種関係の有り様と強い関係がある。公民権運動が、「人種主義は悪」ということ、「人種的偏見をおおやけにするのは恥ずかしいこと」という感覚を拡めることに成功したことと関係があるのだ。なお、1960年代初頭までのアメリカ南部では「黒人は差別されて当然の劣った人種である」と公言してはばからない人物が多くいた。それはこう述べることがむしろ高い識見を持っているとみなされるとんでもない制度が存在していたからである、公民権運動が砕いたのはこの制度だ。公民権運動の勝利後、この様相は一転する。事態はこうなったからだ。
電話での世論調査がこう訊いてきたとする。「あなたは黒人差別をしますか?」。これにいま「はい」と答える人間はよほどどうかしている。本当は差別をしつつも、見知らぬ他人には「いいえ」と答えるのが当たり前だ。あとで「面倒」がおきるのも防げるし。とすると、選挙戦のときに訊かれる質問
「人種がこの選挙に影響を与えると思いますか」。これは困った。黒人ならばこれに「はい」と答えても人種主義者だとは言われない。しかし白人だったらどうだろう。そして電話の声のイントネーションが黒人のように聞こえたときは一体どうする。人種関係だとわかりにくい方がいるかもしれないので、思い切って、ジェンダーで置き換えてみてみよう。女性が電話で訊いてきた。「女性に首相を務める能力があると思いますか?」あなたは女性の電話の声の主に「いやありません」と言えるだろうか。
つまり、1982年の選挙戦で世論調査の対象となった人びとのなかには、「ブラッドレーへの不支持は、〈わたしは破廉恥にも人種主義者です〉と言うに等しいと考えて、彼への支持を世論調査のときに表明したひとが少なからずいたのだ。ところが、選挙を投票するとき、誰もその行為を覗くものはいない。秘密投票は民主主義の大前提だから。
その結果、本選挙での逆転が起きた。少なからずの人が、「黒人知事」の誕生を怖れていたのである。
ミシガン州での最新の世論調査、デトロイトニュースでの調査では43%対42%でオバマがリード(全国では、9月21日のギャラップ調査、49%対45%)。これはブラッドレー効果を考えるとマケインがリードしているに等しい。
わたしの住んでいるアナーバーはフラッグシップ校の所在地であり、大学街のご多分に漏れずリベラルな街で知られている。もとよりここはアメリカの学生団体、SDSの発祥の地だ。わたしの周りには、したがって、マケイン支持者などどこにもいない。デトロイトにリサーチに行っても事情は同じ。日本ならば、ほとんどが自民党支持者のなかでいつもバカにされている社民党支持者がひとりくらいいるものだ。それがそうでない。マケイン=ペイリンの選挙戦は病的なまでに憐れである。そう思えるのもわたしがいる場所が影響しえいるのだろう。わたしがいる場所が、そう思って安全だと言ってくれているのだろう。これはとても不気味である。