昨年の5月にここのブログで紹介した若手の「黒人」政治家の名、バラク・オバマはもはや日本でも広く人びとが知ることとなった。予備選が今後行われる州からみて、大きな勝負は3月初頭のテキサス州とオハイオ州のみ、ここでヒラリー・クリントンが大差をつけて勝利をおさめない限り、最終的な勝負は8月25日から28日にかけてデンヴァーで開催される民主党大会に持ち込まれることになる。しかも、オバマが僅差でリードを保ったまま、ということになる。
今年が始まった頃、長引くイラク戦争、アメリカ経済に急に立ち込めた暗雲などを鑑み、それを40年前、キングやロバート・ケネディが暗殺され、シカゴ民主党大会では警官隊とデモ隊の激しい衝突が起きた「1968年の再来」と言い始めるものもいた。そのような記事を『ニューズウィーク』で読んだとき、正直言って、根拠が希薄であれば、「歴史は繰り返す」という面白みも何にもない常套句に頼ったチープな記事、と思ったものだ。ところが、全国大会まで大統領候補が決まらないとなると、これは「1968年以来初」の事態ということになる。そしてもっと古い話を紐解けば、黒人が先か女性が先かでアメリカ政治が動く(少なくとも「沸く」)のは解放奴隷を含めた黒人男性に選挙権が賦与された1868年以来、ちょうど100年ぶりだ。
ヒラリー・クリントンはこの選挙戦をよくhistoricといって形容するが、それはあながち悪い表現ではない。すでに民主党大統領候補は黒人か女性かがなることになった。これは10年前にはまったく想像できなかったことだ。
またまた正直なところを言えば、わたしはバラク・オバマの政治姿勢を評価しつつも、ここまで闘えるとは思っていなかった。アメリカの報道を追っていれば自然とそのような結論に至ったし、黒人が二大政党の大統領候補になることを現実のものとして想定できたアメリカ研究者は極めて少ないと思う。なぜならば、広く日本でも報道されているように、アフリカ人を父にもつ「だけ」のオバマに黒人票が期待できるのか疑問に思う向きは強くいたし、2007年10月14日の記事で述べているように、「大物」の黒人政治家や公民権運動のベテランたちはヒラリー・クリントンを支持するか、少なくともオバマとは距離を保っていたのだ。彼に当初期待された支持層は、40代以下の若年層、高学歴の男性、それぐらいだった。1月のアイオワ州党員集会での勝利も、「まぁそんなこともあるだろう、でもスーパーチューズデイまでには…」と思わせるだけに留まった。つまりほんとうに正直言って、わたしはまったく「黒人」候補の支持層の拡がりを予見できなかったのだ。歴史をみつめる研究者が下手に未来予想などするものではない、だからまちがえても当然、そんな言い訳でもしたくなる。
さてその流れが一気に変わったのは、いま改めて思うに、そしてこの時点で明示しておきたいことに、サウス・キャロライナ州の予備選だったように思う。1月26日に行われたこの予備選では、オバマが黒人票の驚異的な81%を獲得して勝利した。この光景はあるシーンのフラッシュバックだった。サウス・キャロライナで圧勝してその後の選挙戦に勢いをつけた「黒人」候補はバラク・オバマが最初ではない。1984年に「旋風」を巻き起こした、若かりしき頃のジェシー・ジャクソンもそうだった。そしてそのときのジャクソンも、コレッタ・スコット・キング夫人やアンドリュー・ヤングを初めとする公民権運動ベテランたちが支持を拒むなかで孤独な闘いを続け、選挙戦が終わる頃には「新しいタイプ」の「黒人政治家」と呼ばれたことがあった。オバマとジャクソンはサウスサイド・シカゴという場で「すれ違って」いる。当初オバマを単なるエリートと見なしていたジャクソンにオバマ支持を迫ったのは、未だ同地との縁が切っても切り離せない(現職の下院議員)であるジェシー・ジャクソン・ジュニアだ。なおビル・クリントンは、http://blogs.abcnews.com/politicalpunch/2008/01/bubba-obama-is.html「ジェシー・ジャクソンは84年と88年にサウス・キャロライナで勝利し健闘しましたが、結果は…」と彼を揶揄する発言を行った。これはヒラリー・クリントンの選挙戦にマイナスに働いただろう。黒人票はもともとヒラリー・クリントンのものだったのに、その離反を招くことにつながるからだ。
オバマとジャクソンは、しかし、アメリカの政治家としてひとつ大きな違いを持っている。ジャクソンの擡頭は、今日では否定的に見る向きが多い。なぜならば、当時の政治的風潮からして黒人が大統領になれるはずもなく、彼の予備選での健闘が民主党員がレーガンを支持する現象、レーガン・デモクラットの擡頭を招いた、そう捉えられている。(黒人が大統領になれるはずもないというのは「アメリカは人種主義国家である」と述べるに等しいが、リアリスティックに言えば、これが正解であろう、黒人の有能な政治家のイメージは、皮肉なことに、コリン・パウエルとコンドリーザ・ライスを国務長官に抜擢したジョージ・W・ブッシュ、カニエ・ウェストの言だと「黒人のことなんてこれっぽっちも考えちゃいない」人間である)。しかし、巷間で報道かまびすしいように、オバマは白人にアピールする。ヴァージニア州の予備選の結果から見るかぎり、南部白人にもアピールする(ヴァージニアの白人男性はヒラリー・クリントンよりオバマを選んだ)。
しかし、これだけ、つまり白人へアピールするという点だけで、彼が民主党予備選のトップを走っているのだろうか?。そうではない。当初彼に対して冷たいと思われていたアフリカン・アメリカンが、しかもこれまでは政治に関心を持たなかったアフリカン・アメリカン、既得権益をもっている黒人政治家とは関係のないアフリカン・アメリカンが動員されているのだ。
オバマを支持するか否かで意見がわれている黒人連邦議会幹部会(CBC)の重鎮でサウス・キャロライナ州選出連邦下院議員のジェイムス・クライバーンは『ワシントン・ポスト』紙に掲載された記事のなかでこう述べている。「これはわたしたち黒人議員にしてみれば感情の問題なんです、公民権運動家だったときから黒人大統領の登場は夢でした、特にシット・インに参加してコロンビアの獄中にいたときがそうです、あのときを思い出すんです」。さらに学生非暴力調整委員会が結成時のリーダーでジョージア州選出連邦下院議員のジョン・ルイスはこんなことまで言っている。「このごろ、公民権運動当時の感覚が、スピリットを呼び覚ます感覚が生まれてきています、オバマ上院議員の選挙戦にはとても強い感銘を受けていますし、彼は日増しに成長しています」。
当初オバマの登場で、やれケネディだ、やれキングだという喩えを使う日本の報道にはわたしは食傷ぎみだった。ところがここのところ尋常ではない「風格」が現れてきた。ルイスはこうも述べている。「アメリカで何かが起きているんです、人びとには覚悟ができています、大きなジャンプをする準備ができているんです」。
さて、来る全国大会でとてつもない重みをもつのが彼らの行動である。これまでそしてこれ以後の予備選や党員集会が決めるのは代議員の拘束配分方法。予備選や党員集会できまった数は全国大会でも変わらない。しかし2000票強の得票で大統領候補指名が確定する選挙において、795名が拘束を受けていない。彼ら彼女らは党大会で自分の自由意思にしたがって投票する。この795名の代議員は、superdelegateと呼ばれ、地方の議員や首長等々の政治的要職にある人びとである。連邦下院議員はこのsuperdelegateになり、そのなかで黒人が占める割合は高い。
ヒラリー・クリントンにもここまで予備選が長引けば「逆転」のチャンスは拡がる。夫である前大統領に政治的恩義を感じているsuperdelegateは少なくないからだ。ところが、ジョン・ルイスは、クリントン支持だったのをひっくり返し、実質上オバマ支持を決めた。なぜならジョージア州予備選でオバマが勝利(しかも開票が始まって1時間2分後に勝利確定の報道がなされる圧勝)したからだ。一方、クライバーンはクリントン支持の立場を変えていない。運動が新たに市民を政治化し、それによって政治が拘束される、これこそアメリカ民主主義がその草創期の時点において夢描いた理想像であった。公民権運動はその理想像を呼び覚ました偉大なアメリカの運動である。さてオバマによって政治化された有権者の意思を政治家が無視できるだろうか?。
おそらく大会が開催される前にほとんどのsuperdelegateは自らの立場を表明するだろう。しかし露骨なプレッシャー合戦になったときには、ほんとうに1968年の民主党大会が再現されるかもしれない。しばらくはsuperdelegateの動きを少しずつ紹介していこうか…。