1週ほどここに掲載するのが遅れてしまったが、先週末、デトロイトでは、モータウンのガラ・コンサートが開催された。ここのところ毎年開催されているようだが、今年は少し趣きが違う。なぜならば、今年は、モータウンの前身タムラ・レーベルが創設されて50周年にあたり、ガラも50周年と銘打って行われたからだ。
これにあわせて、かつてのモータウン本社、現在のモータウン歴史博物館があるウェスト・グランド・ブールヴァードは、創業社長でモータウンサウンドを創りあげた人物の名前に因んでベリー・ゴーディ・ストリートと名づけられた。
この通りをモータウン博物館を過ぎて西に500メートルほど行けば、マーティン・ルーサーキング公演という小さな公園があり、その公園の角を北に行けばローザ・パークス・ブールヴァードが始まる。つまり、ここには50年代から60年代を突き抜けた黒人社会の息吹が記念されることになったのである。(ちなみに、通りの名前変更は、マーサ・リーヴスの提案によるらしい。わたしは、恥ずかしいことに、彼女がデトロイト市議会議員になっている!とは知っていなかった)。
さすがに今回のガラには「大物」が集まったようだ。なかでも、モータウン・ファンにとって嬉しいのが、ブライアンとエディーのホーランド兄弟が参加したということ。ホーランド兄弟とラモント・ドジャーのHDHトリオこそ、初期のモータウンサウンド(軽妙なタンバリン、ジェイムス・ジェイマソンのテンポが良くてトリッキーなベース、タムの4連頭打ちに、打楽器のように叩かれるピアノ等々)を創りだした人物だが、ゴーディ社長が暴利を貪っているということで裁判となり、両者の間柄は長いあいだ冷え込んでいた(これは右の本が詳しい)。
しかし、何か寂しいところがある。というのも、世界中に中継された25周年のときに較べると、さすがにモータウンサウンドも輝きが鈍くなったか、と思わざるを得ないからだ。というのも、
このガラにはいま現在のアメリカを沸かせているスターが欠如している。
「モータウン、その過去、現在、そして永遠の未来」と題された25周年のコンサートのとき、本来はゴーディを讃えるために開かれた場を席巻したのは、ジャクソン・ファイヴの再結成、久しぶりに横に並んで歌うジャーメインとマイケルの子供のような満面の笑顔だった。そして圧巻は、そのあと、マイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」のパフォーマンス。当時、まだ高校生だったわたしは、そのときの衝撃をいまでも忘れられない。当時のマイケル・ジャクソンは、いま思われているような「変人」ではなく、光輝いていた大スターだった。そのような存在が、モータウンにいなければ、デトロイトにもいない。
このガラの模様を報じるデトロイトの黒人向け新聞『ミシガン・クロニクル』は、「ダイアナ・ロスやそのほかのものたちは定期的に自分の故郷に帰るべきであり、これから続くアニヴァーサリーのイヴェントにも出演するべきである。「家族」はいまだ健在であり、モータウンは本当に「永遠」なもの、それを理解するべきである」と述べている。
これを読んで、わたしの頭のなかには?が浮かばざるを得なかった。
ガラのチケットは350ドルから1000ドルという破格の値段。とてもではないが、簡単に払える額ではない。さらにまた、ゴーディも、スモーキー・ロビンソンも、いまやロサンゼルスに移り住んでいる。これはデトロイト市が全米でも貧困者の率が高い都市であるということ、そのうえ人口の9割が黒人であるということ、それを考えると、とてもこの会社がむかしながらの「家族」であるとは思えないし、彼らの存在はデトロイト市民にとって近しいものではない(もちろん、マーサ・リーヴスのような人びとがいることもまた事実ではあるが…)。
モータウン博物館のウェブサイト、いきなり流れてくるのはジャクソン・ファイブの"I Want You Back" 。しかし、サビの"I Want You Back!"というところにいくまでにサウンドは終わる。これは実に良くできた話である。アイロニカルではあるが…。
デトロイト市の歴史研究で第一人者の歴史家は「70年代、最悪の都市と呼ばれていたところには、デトロイトはもちろんだが、ボストンも入っていた、ところがボストンは90年代に復活を遂げた。歴史が教えることは、誰も将来を予測できる人間はいないということ、デトロイトもいつかつての光を取り戻すかわからない」と言っている。そう信じたい(より正確には、あのサウンドを生み出したコミュニティ、それが戻ることを祈りたい)。