学会報告をおこないました
去る9月22日、東北大学で開催された日本アメリカ史学会年次大会にて報告を行いました。
夏のリサーチ、続けてすぐの報告とたてこんでおりましたため、ブログの更新がなかなかできませんでしたが、学会報告のハンドアウト、発表原稿はウェブサイトに掲載しております。
こちらをご参照ください。
なお、発表原稿は読み口調にあわせてつくりましたので、文語としては妙なところに読点がアル可能性があります。何卒ご寛恕ください。
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去る9月22日、東北大学で開催された日本アメリカ史学会年次大会にて報告を行いました。
夏のリサーチ、続けてすぐの報告とたてこんでおりましたため、ブログの更新がなかなかできませんでしたが、学会報告のハンドアウト、発表原稿はウェブサイトに掲載しております。
こちらをご参照ください。
なお、発表原稿は読み口調にあわせてつくりましたので、文語としては妙なところに読点がアル可能性があります。何卒ご寛恕ください。
公民権運動時代のもっともラディカルな団体であり、60年代の諸運動の牽引力であった学生非暴力調整委員会の元議長で、現職下院議員(ジョージア州選出)のジョン・ルイスが、「黒人」のバラク・オバマではなく、ヒラリー・クリントンを支持するとする表明を発表した。ヒラリー・クリントン支持の理由は
・大統領になるだけの政治的経験をもっていること
・すでに世界各国の政界リーダーとの親好があり、友好的外交関係を築く資質を備えていること
これらは、しかし、ヒラリー・クリントン自身が、自分がバラク・オバマに対して優位に立っている点として数々の場で述べていることである。
ジョン・ルイスは、ビル・クリントン前大統領との親好が厚い。ノーベル文学賞を受賞した小説家トニ・モリソンは、クリントン前大統領を「黒人初の大統領」と評したが、いまでもハーレムに事務所本部を構える彼と黒人コミュニティとの絆はやはり強い。
アメリカの住宅融資をめぐる危機が日本の株式市場にも影響を与え始めて数か月たち、日本でもサブプライムローンということばが広がり始めた。このローンは、最初は低率の金利(たとえば初年度4%)で始まった住宅ローンが、数年後には数倍(たとえば3年後18%)に跳ね上がるという融資制度のことを言う。
結果として高利融資になるのだが、その間、債務者がほかの金融機関からより有利な条件で融資をすることで、高利の支払いを回避できる、というのはこのひどい制度を作り出したものの言い分だ。理屈ではこうなる。いまの景気が続けば、きっと住宅価格が上昇する。その3年間の上昇分で、利率の低いローンに乗り換えれば良い。たとえば、日本で日銀がゼロ金利政策を止めたとき、変動金利から固定金利への乗り換えが進んだ。多くの住宅ローンはより有利なローンへの切り替えによって返済されるのであって、その点でいえば、この理屈は「うん、そうなのか」といったところがある。
ところが、サブプライムローンを利用する人びとは、ふつうの金融市場での有利な融資を受ける可能性の低い低所得・貧困層であり、ほとんどの債務者はローンが支払われず、その結果、担保となっている住宅を差し押さえられ、破産する末路に追いやられている。もちろん、いちばん大元の融資者は利益を得るが、よくよく考えてみると、これは巧妙に仕組まれたマルチ商法に近いもの、住宅市場のバブルはいつかははじける。いやはじけ始めた。
ここまでは単なる経済問題。しかし、ハリケーン・カトリーナのときのことを思せる方はすぐわかるように、アメリカで低所得・貧困層といえば、黒人とラティーノが人口比に不釣り合いな割合で含まれることになる。そう、サブプライムローンで苦しんでいるのは、黒人とラティーノなのだ。
「2台の自家用車がある家」、これは戦後直後の日本に紹介された、アメリカの物理的豊かさの象徴、つまりアメリカン・ドリームだった。ところが、この夢を実現できた黒人は少ない。なぜならば黒人に住宅資金が融資されることは、白人に比して、異常に低かったからである。この仕組みをレッドライニングと呼ぶ。簡単に言うとこうだ。ある地域が「地価や住宅価格が低下傾向にある」と判断された場合、その土地や住宅を抵当にした融資に対し厳しい査定を行う。その地域を赤緯線で囲んだことからレッドライニングと呼ばれている。ところが、この「地価や住宅価格が低下傾向にある」地域というのは、ほとんど決まって黒人ゲトーかラティーノのバリオである。経済的なことばで語りつつ人種への言及がまったくなくても、金融という自由市場は人種差別的に機能する(この点については、右の著書が詳しい)。
人によっては、高利の融資を利用するのは、その人物の経済観念がまちがっているからであると言うだろう。しかし、黒人・ラティーノは、利用したくてサブプライムローンを利用しているのではない。これを利用しないと、夢が実現できないから、それに賭けざるを得なかった、もしくはそう強いられたのである。
この先週の土曜日、ニューオーリンズのあるルイジアナ州で知事選挙が行われた。その勝者は州知事としてはアメリカ史上初となるインディアン・アメリカン。通例、アメリカと言い、続けてインディアンというと同地の先住民を指す。一時期、その呼称は勘違いしたコロンブスの無知を表すものであり、アメリカ先住民を侮辱するという一方的主張を行うものがいたが、実のところ、インディアンはアメリカ先住民自らが使う自称にもなっており、侮蔑的意味合いはないと考えるのが一般的である。
しかし、そのインディアンは「インド系」の意味だった。ここのところ、エンジニアリングや医療、IT技術において世界的プレゼンスを増大しているあの南アジアの大国のことである。
ところで、若い頃のデンゼル・ワシントンが主演した映画に『ミシシッピ・マサラ』というとても興味深いものがある。設定は、ミシシッピ、同地で生まれ育った黒人男性がインド人の女性と恋に落ちるという話だ。その女性、インド人はインド人であってもアフリカ出身のインド人、帝国イギリスの政策によって19世紀に現在のウガンダに移住し、ウガンダの軍事政権が「インド人追放政策」をとったためにアメリカに移民してきたという家系の出身である。さらには舞台の設定はミシシッピ、それは「人種差別がもっとも厳しいところ」を表象する。
当然、女性の両親は、両者の交際に反対どころか驚愕した。人種的偏見が厳しいこの世界で生きていけるのかという女性の父親に対し、デンゼル・ワシントンは、きっぱりこう応える。「あんた何言っているんだ、俺の生まれ育った場所はミシシッピ」だ。結局、その父親は、むかし政変があるまではアフリカ人の友達が多くいたことなどを思い出し、人間同士の「愛」を再発見する。「マサラ」とは、ご存じの方も多いだろうが、インドの香辛料。この映画では、人間同士のあいだの愛(それは性愛も含む)が抗しがたい魅力をもつことを表象している。
話をもとに戻して、ルイジアナの選挙のこと…
『ニューヨーク・タイムズ』紙に、サブプライムローンが多い場所、人種、抵当となった住宅の差し押さえが起きている場所の地図が掲載された。
前日、このブログで紹介したことは、この地図をみるとグラフィカルにわかる。以下のリンクを参照されたし。ああ、なんとひどい話だろう。
1週ほどここに掲載するのが遅れてしまったが、先週末、デトロイトでは、モータウンのガラ・コンサートが開催された。ここのところ毎年開催されているようだが、今年は少し趣きが違う。なぜならば、今年は、モータウンの前身タムラ・レーベルが創設されて50周年にあたり、ガラも50周年と銘打って行われたからだ。
これにあわせて、かつてのモータウン本社、現在のモータウン歴史博物館があるウェスト・グランド・ブールヴァードは、創業社長でモータウンサウンドを創りあげた人物の名前に因んでベリー・ゴーディ・ストリートと名づけられた。
この通りをモータウン博物館を過ぎて西に500メートルほど行けば、マーティン・ルーサーキング公演という小さな公園があり、その公園の角を北に行けばローザ・パークス・ブールヴァードが始まる。つまり、ここには50年代から60年代を突き抜けた黒人社会の息吹が記念されることになったのである。(ちなみに、通りの名前変更は、マーサ・リーヴスの提案によるらしい。わたしは、恥ずかしいことに、彼女がデトロイト市議会議員になっている!とは知っていなかった)。
さすがに今回のガラには「大物」が集まったようだ。なかでも、モータウン・ファンにとって嬉しいのが、ブライアンとエディーのホーランド兄弟が参加したということ。ホーランド兄弟とラモント・ドジャーのHDHトリオこそ、初期のモータウンサウンド(軽妙なタンバリン、ジェイムス・ジェイマソンのテンポが良くてトリッキーなベース、タムの4連頭打ちに、打楽器のように叩かれるピアノ等々)を創りだした人物だが、ゴーディ社長が暴利を貪っているということで裁判となり、両者の間柄は長いあいだ冷え込んでいた(これは右の本が詳しい)。
しかし、何か寂しいところがある。というのも、世界中に中継された25周年のときに較べると、さすがにモータウンサウンドも輝きが鈍くなったか、と思わざるを得ないからだ。というのも、