1967年3月のデトロイト、アルバート・クラーグという名の牧師が、聖母マリアやアフリカ人、イエスを革命家と説く特異なキリスト教の一派を立ち上げた。クラーグ師は、その後、デトロイトのローカルな政治で大きな影響力を持つようになる。
実は、このアメリカではレイバー・デイの3連休になった週末、67年の暴動の中心地からわずか数ブロックのところ、旧モータウン本社から通りを4つ隔てたところにある彼の教会の礼拝に参加してきた。右の写真は、その教会の入り口の看板である(拡大写真はここ)。
クラーグ師は既に鬼籍に入っており、今はその後継者が牧師を務めている。教会のディーコンの人びとに、近年の活動を伺ってみると、サウス・カロライナで農場を運営し始めるなど、それはネイション・オヴ・イスラームのものに酷似していた(ネイション・オヴ・イスラームもデトロイトが発祥の地である)。
説教は、それでも旧約聖書のなかの寓話の引用から始まる。かなりのあいだ、正直言ってつまらなかったのだが、90分くらいにのぼるその説教の3分の1が過ぎた頃だろうか、牧師はブラック・アメリカの現状を語り始めた
彼がまず最初に指摘したこと、それは拙稿でも論じており、このブログでも紹介している事実、15から29歳までの黒人青年が異常な率(20%以上!)で刑務所にいるか、仮保釈の身かで、刑務制度の下で暮らしているということであった。
教会一杯につめかけた会衆をふと見回せば、奇妙なことに気づいた。いや、上記の事実をふまえると奇妙なことでも何でもない、年配の会衆はいわゆる公民権・ブラックパワー運動世代、下の世代はまだGrade SchoolかMiddle Schoolの子供たちか幼児、そのあいだの世代(つまりヒップ・ホップ世代)が少ない。牧師は、そのあいだの世代に手をさしのべるように、社会の規範のなかに戻すように、と必死になって、汗だくになって説いていた。
そこには、峻厳な現実と、運動が胚胎した「夢」とが存在していた、そう感じた(なお、このリサーチの詳細は近々学術論文、もしくは学会報告として公表の予定)。