さて、昨日の記事では、「黒人」の表象、「黒人」とは何かについて読者に問いかけてみた。ここで、ちょっとした仮想をしてみたい。
来年の大統領選挙で、バラク・オバマが当選し、それと同時に「新しい黒人政治家」の像が日本のメディアに堰を切って氾濫したとしよう。すると日本における一般的「黒人像」のなかで、まったく欠けているものが現れてくることになる。
現在の日本における黒人のイメージは、本サイトの内容からするとかなり逆説的だが、良くも悪くも上のような像であろう。一部にネガティヴな黒人像の受容は日本人に内在的な偏見の顕れだと酷評する人々がいるが、私は、それに対し、ヒップホップに発する黒人像の受容には肯定的・否定的両側面があるという場に立つ。
その上で、敢えて問うてみたい。たとえ、強烈にポジティヴな黒人像ーーたとえば大統領!ーーが流布したとしても、それが黒人の実像を捕らえたことにはならない。さて何が欠けているだろうか?
それは、黒人の中流の姿である。
しかし、公民権運動以後、爆発的増加をしたのが中流の黒人にほかならない。
ところが、中流の黒人の姿は、ニュースの絵にはなりがたい。そこに、日本における黒人の表象が欠く空間が広がる契機がある。しかし、その姿は、アメリカ人一般にとっては慣れ親しんだものになりつつある(たとえば、アメリカ郊外にあるJC Pennyなどを訪れてみると良い)。
人種間の対立とは、ほんとうのところ、より大きな対立のプロクシである。対立の本質は、したがって、「人種」には存在しない。
以前、このサイトの訪問者から「あなたは単なる黒人優越主義者ですか」と告発調の書き込みをBBSにされたことがあった。しかし、本サイトのどこにおいても、私は黒人が「優越」しているという主張を行ったことはない。むしろ、私は「人種」の虚構性を主張しているのに、どうやらその人物にはその意図は通じなかったらしい。たぶん、そのような専断的反論(というかはっきり言ってアラシ)をする人間の人種像は、真ん中がぽっかり空いて、善悪に引き裂かれたものになっているであろう。