暴動から40年目、デトロイトではその惨事を悼むために祈りを捧げる行事が、暴動の起点となった場所で行われた。
その模様を、『デトロイト・フリー・プレス』紙は、「これまでのものとは異なるもの」と報道している。
というのも、行政区画上はデトロイト市とは異なっている郊外の都市の首長がこの祈りに参加したからだ。デトロイト都市圏郊外からの人々の参加と言えば、それは、この地域では「黒人と白人がともに」ということを意味する。インナーシティの人口は約90%が黒人、郊外といえばそのまったく反対の事情が存在している。
かつてデトロイト市郊外の街、ディアボーンの市長、オーヴィル・ハバードは、北部にしては珍しい名だたる人種隔離論者だった。それゆえ彼の名前は、インナー・シティの黒人には人種主義と同義である。しかし、現市長はデトロイト市と友好関係を保つために、この祈りの行事に参加した。その祈りにあたり、デトロイト市長のクワメ・キルパトリックはこう語った。
「我々が一丸となって行動するとミシガンはもっと良いところになります。互いが意地をはって小さな集団になってしまっていては、我々は負け組になってしまうのです。その実、我々は1967年以後、連敗を続けてきました」。
つまり、峻厳な過去を見つめつつ将来を見ようというのだ。
同日、全国自動車労働者組合(UAW)とビッグ・スリーの労使交渉が始まった。何か単なる偶然の一致とは思いたくないさだめを感じる。
さて、かつてジョージ・クリントン(前大統領のことではなく、ファンク・ミュージック界の巨人のひとのことです、念のため…)は、「チョコレート色のインナー・シティとバニラ色の郊外」という表現で、デトロイトやワシントンD・Cが典型ではあるが例外ではない人口分布の現象を歌った。これがアイスクリームなら、一緒に食べる、つまり「統合」された方が良いだろう。おそらくそれは、人びとが生きる社会の理想でもある。ジョージ・クリントンが描いたのもそのような世界に違いない。彼には「国民みんながひとつのノリにあわせて踊ろうぜ」"One Nation Under A Groove"
という名曲もある。
『デトロイト・フリー・プレス』紙は、この祈祷の会が、歴史の逸脱か、将来の像なのか、という問いかけを行っているが、後者にならなくては将来は暗い、それは確かであろう。