たった今『ニューヨーク・タイムズ』電子版が報じたところによると、ケンタッキー州ジェファソン郡(ルイヴィルを含む都市圏)で行われていた、学校の人種統合を目的とした児童・生徒の割り当て政策に違憲判決がくだった。これは連邦巡回控訴裁判所の判決を覆すものであり、最高裁でその政策に反対していた側が逆転勝利を収めたことになる。
ケンタッキー州は、公立学校における人種隔離を「その政策の本来の性格からして不平等である」と断じたブラウン判決(1954年)年の際に、そのような政策を行っていたところのひとつであり、その後、隔離撤廃 desegregation 政策を実施することを法廷から命じられていた。そこでは、当然、児童・生徒の学校割り当てにあたっては人種を考慮せざるを得なくなる。
そしてその後高まった公民権運動などの影響(キング牧師の実弟はルイヴィルで牧師をしていたし、ここは何よりもモハメド・アリの故郷として有名である)の結果、過去の人種隔離政策が導いた人種間格差を解消することに積極的に乗り出していた。最初は裁判所に命令されたものであったが、裁判所の監視下から離れても、その政策を継続してきた。なぜならば、人種間格差がまだ残っていたからであり、そのようななかで人種を考慮しない政策を実施すると、再び公立学校が人種隔離されてしまうからである。
しかし、この政策は、「より良い教育」を目指すものに負担を強いることになる。過去の悪政の精算を求められる謂われはない、という反撥が当然でてくる。その結果、同地の白人は教育委員会を相手取り、その政策が「逆差別」にあたるという訴訟を起こした。
そして、原告が勝った…
ブッシュ政権は、なお、「人種的多様性を目指すというのは崇高な目的」ではあるが、政策実施にあたり人種を考慮することは「法のもとの平等」「正当なる手続き」に反するとして、このような白人側の意見を支持している。人種を考慮すればするほど、その目的から遠ざかるという主張である。これは、ある面においては、理路整然とした主張であろう。人種差別をなくするには人種による区別自体をなくすこと、そう主張しているのである。たしかに、人種を政策立案で考慮することは、その存在の重要性を維持・保持するものであり、人種間の区別を強化することになる。この事情は、シェルビー・スティールの『黒い憂鬱』を読めば、明確に理解できる。
問題は、では、人種的に中立な政策を実施すれば「人種的多様性」に近づけるか、ということである。今回の判決は、それができるという判断がくだった、ことになる。
判決は判事のあいだの意見が分かれ、僅差の5対4でくだった。そのなかで多数派に加わった判事アンソニー・ケネディは、「いかなる情況下においても人種を考慮してはならないというという意図であるならば、その意見に私は与しない」という見解を述べている。つまり、是々非々の立場で多数派に加わったのだ。なお、判決を下した首席判事ジョン・ロバーツは「「いかなる情況下においても人種を考慮してはならない」というブッシュ政権の主張と同じ立場にたっている。
1954年のブラウン判決は9対0でくだされた。そのときの首席判事アール・ウォーレンは人種隔離政策が悪政であるということをはっきりと示すには判決は全会一致でなくてはならないと考え、当初は合憲違憲をとっているものを必死で説得した。彼はもともとカリフォルニア州知事を務めた「政治家」であり、舞台裏での説得といった広義の「政治」には長けていたとされる。
今回の判決は、それに対して、5対4。しかしながら、かくも明解に学校行政において人種を考慮することを違憲とした判決がくだったのは初めてのことである。2003年のミシガン大学の訴訟では、人種を考慮すること自体に違憲判決はくだらなかった。「有無をいわせぬ利益」 compelling interests が存在するかぎり、それは許容されるとされ、学生の多様性を保つということは大学や学生にとってはその利益があると判断されたのである。そのときの判決も5対4、今回はその後に判事になったもの──つまりブッシュが任命した判事──が多数派に加わることで勢力が逆転した。
そしてまた多数派違憲のひとりは留保条件をつけてはいても、アメリカがポスト・ブラウンの時代に、ゆっくりとした歩みながら、本格的に足を進めたのはまちがいない。