『ワシントン・ポスト』が報じるところによると、1960年代の南部で黒人を殺害した白人優越主義者がまた起訴されたらしい。今度のケースは、1964年5月2日(ミシシッピで最大級の公民権運動が開始される夏の直前)に起きた黒人2名の拉致殺害事件であり、当時は、起訴されなかったものである。
この殺害に関与したものはミシシッピ州メドヴィル近辺で活動していたKKKのメンバーたちであり、1966年に下院非米活動委員会に召喚されて証言を求められたのであるが、そのときには「自己に不利益な証言の強制」を禁じた憲法修正第5条に則り証言を拒否していた(同時代のミシシッピ州における極右組織の活動については、右の日本人研究者による著作が詳しい)。
しかし今度の証言は、殺人事件を裁く法廷で行われることになった。そして、このときのKKKのひとりのメンバーが法廷取引を行い検察側の証人として、実際に殺害を行ったものに対して証言することになった。この証言を行ったものは、KKKには「闘うクリスチャンの誓い」というのがあり、それは外部のいかなるものに対しても、組織のことを漏らさないということであった。
snitchということばで警察の捜査に協力することを拒むヒップホップのサブカルチャーが批判されることがある(日本語に翻訳するとsnitchは「ちくる」だろうか?)。また国際テロリスト組織やマフィアの「掟」も悪名高い。どうやら、しかし、そのような文化は、ある特定の文化に固有のものではなく、普遍的にみられるものだと考えた方が良いであろう。
ちなみに、被告人はすでに71歳。有罪が確定すると、最大で終身刑に服さねばならなくなる。
このところ、同様な事件での連邦司法省の「活躍」には目を見張るものがある。しかしながら、それを別の視点から見ると、60年代の訴追がいかに「おざなり」のものであったのかもわかるのである。なぜならば起訴し有罪を勝ち取る十分な証拠があったのだから。いまの司法省の活躍をみるにつけ、私には、何故、この1964年を境に黒人青年たちが急進化していったのか、アメリカン・リベラリズムに「幻滅」を感じたのかが改めてわかってきた。ここでの正義もあまりにも訪れるのが遅すぎた。そういうとあまりにも斜に構えすぎだろうか…。