ジム・クラークのことを、一晩考えて、ある映画(アカデミー賞をいくつかとった名作のひとつ)を思い出した。
それは、シドニー・ポアチティエ主演、『夜の大捜査線』。
ポアティエ扮する主人公は、南部の田舎町の駅で乗り継ぎの電車を待っていた。偶然、近くで殺人事件が起き、その地の保安官は頑迷な白人優越主義者だった。それで、駅にいたポアティエを浮浪者として逮捕し、殺人事件の犯人にしようとした。ところが、ポアティエにはアリバイがあり、そのうえ、彼は、シカゴの敏腕刑事 plain cloth pliceman だった。(バカな人種の)「ニグロに刑事がいるか」と保安官は豪語、そこでポアティエは、シカゴ警察の上司に直接電話、その事実を証明する。保安官は、「野蛮な人種」の黒人が警官であること、さらには田舎警官の自分より遙かに高給取りだということに強い反感を憶えた。
話が妙な展開をするのは、それから後。シカゴの上司は、市民生活の保護に努めている同志として「捜査に協力すること」をポアティエに命じた。これで、田舎者の白人優越主義者でまぬけな保安官と黒人の敏腕刑事の「ドタバタ劇」が始まる。
当初、保安官は、もちろん、「野蛮な人種」の「協力」を拒否した。ところがところが、殺害された人物は地域の富豪、その奥さんは北部出身の「セレブ」だった(この時代設定で北部出身の富豪となると、それは「リベラル」を意味する)。
しかも、ポワティエ扮する刑事は、シカゴの都市で鍛えられた敏腕を発揮、初期捜査での不備を指摘し、それを補うために次から次へと対策を立てていく。それを目の当たりにした夫人は、ポワティエが捜査に協力、否、指揮することを強く望む。地域の名士の奥さんの望みだから、保安官は断れない。ドタバタ劇は続かざるをえない。そうしたところ、やがて、保安官は、「ニグロ」の刑事から、捜査の技術をいうものを「学ぶ」という経験をしていく。
結局、そのふたりの努力あって、事件は解決する。
その間、ふたりは自分の生い立ちを話し合い、ひとりの人として触れあうときが何度もあった。それで、ふたりがわかったことは、両者とも貧しい家に生まれながら、世の中を少しでも良くしようと警察官になったということ。このときにこころは通じ合った。
だが、映画ではずっと罵りあう。つまりお互いが自分の感情に素直になれなかったのだ。保安官は「ニグロは大嫌いだ」と言って憚らないし、ポワティエはこんな田舎者の人種主義者 bigot の近くにはもういたくない、という感情を露骨に表す。
それでも、最後にふたりが素直になるときがある。それは、ポワティエがシカゴに帰るために駅のプラットフォームに立ったとき。ポワティエを駅まで送ってきた保安官は思わずこう訊いた。「次、この街を通りかかるのはいつだい?、そのときは連絡してくれ」。
さて、ポワティエは何と答えたか…。とても心温まる会話が交わされる。そのときのふたりの表情がたまらない。
ちなみにこの映画のテーマソングを歌っているのは、御大レイ・チャールズ。是非、一度観てほしい。世の中捨てたものじゃない。