ニューオリンズの復興に関して久しぶりに書き記しておこう。
ハリケーンの被害自体が人種的に不均等な結果をもたらしたということは現在では広く知られた事実だが、復興後の状況も人種間格差が存在しているようだ。5月初頭に世論調査機関 Kaiser Family Foundation が明らかにしたデータによると、ハリケーンの被害から丸1年が経過した時点での調査で、「生活が破壊されている」と答えた白人が29%であるのに対し、黒人のそれは59%にのぼる。
白人の率が約3割に達しようとしているのも、通常のいわゆる「先進国」での災害を考えるとたいへんな高率だ。そしてこの調査対象のなかには、既にニューオーリンズを「見棄て」てしまい、そのほかの土地に移住したものは含まれてはいない。そのようななか、堤防が決壊したのは政府の責任であるとして損害賠償を求める動きが活性化している。『ワシントン・ポスト』紙によると、政府を訴えた人びとの人数は25万人に達し、請求総額は2780億ドルに達する。(政府がメキシコ湾岸地域の災害復興に充てた予算は1250億ドルであり、それをはるかに上回る)。
自然災害にあたり政府に責任を問うこと、それには多大な法的障害があり、原告が勝訴する確率は決して高くはない。あるものによっては、これは「訴訟社会アメリカの悪の側面だ」と指摘する向きもあるだろうし、私自身、それが「アメリカ的特質」であることに同意はしなくても、方法的・法論的妥当性には疑問を強く感じる。
そこで、とても心が温まるエピソードを紹介することにしよう。
「復興開発」による建築労働者の需要が高まるなか、同地には数多くのメキシコ人労働者がやってくることになった。ところが季節性と循環性が高い建築労働の質上、労働期間は決して長くない。建築事業が終われば、「飯場」もなくなる。そうすると、廃屋となった住宅に「居座る」squwatしかなくなってしまう。当然、ニューオーリンズに在住の人びととの軋轢は増え、対立は高まるし、そもそも「スクワッター」は法律を犯しているために逮捕されてしまうことすらある。
この2月、ニューオーリンズ市郊外のグレトナで、そのような事件が起き、17人のラティーノが挙動不審・浮浪の容疑で逮捕されることになった。頼るあてのない彼らは、しかし、その日のうちに保釈されることになった。もっとも被害の大きかったニューオーリンズの黒人ゲトー、第9区に本拠地がある「ニューオーリンズ生存者の会」 New Orleans Survivors Council という団体に属するメンバーが保釈金を払ったからだ。なおその人物と17人のラティーノとのあいだにそれ以前の親交はなかった。
このニュースを聞いたラティーノの団体、「日雇い労働者の会」 Congreso de Journaleros は、「ニューオーリンズ生存者の会」への感謝の意を表すために、第9区に存在している未だ改築されていない住宅を無償で補修した。そうして、現在、この二つの団体はこうして復興された家で、毎週集会をもっている。
さて、保釈金を支払った奇特な人物の名前は、カーティス・モハメド Curtis Muhamad。なにやら、カーティス・メイフィールドとモハメド・アリの名前が一緒になり、「わくわくさせる」響きがある。実は、この二つの60年代精神の体現者と、カーティス・モハメドの来歴とは無縁ではない。彼は、60年代の公民権団体のなかでももっとも勇猛果敢で急進的だった学生非暴力調整委員会 Student Nonviolent Coordinating Committee (SNCC) のベテラン活動家だった。
SNCC関係の文献ではカーティス・ヘイズ Curtis Hayes と記されているその人物であり、その後、篤信家ムスリムになった活動家だ。Oh, Keep Your Eyes on the Prize , Hold on!。がんばれ、カーティス!。