&uotヒップ・ホップの歌詞が人種的偏見を助長する言葉を用いることがアメリカで大きな問題になってきていることは、これまでも書いてきた。〈人種〉が関係した社会問題が起きる度に登場する人物が、この問題でも活動を始めている。2004年の大統領選挙に落選すると目されつつも立候補した人物で、National Action Network の会長、アル・シャープトン牧師がその人である。
シャープトンが牧師を務めている教会があるニューヨークを皮切りに、NAN は、「品行方正なヒップホップ促進運動」Decency in Hip Hop Campaign を4月から開始し、この度、NAACPと共同でデトロイトで討論会を開催した。同地の観光名所のひとつ、モータウン・サウンドを「生産」したスタジオ、ヒッツヴィルUSA を訪れて、彼はこう語った。
「1960年代といえば、ジェイムス・ブラウンとモータウンの時代です。しかし、彼らは N-Word を使ったり、女性の人格を貶めるようなことはしなかった」。
さて、果たしてそうでであろうか。いろいろと解釈はあるだろうが、二つほど紹介しよう。
まず、モータウン・サウンドを代表(70年代だが)する名曲、マーヴィン・ゲイの「レッツ・ゲット・イット・オン」
この曲は、当時としては露骨すぎる性的表現が問題となった。メイクラブの歌とも捉えられるが、「女性を性の対象としてしか見ていない」という批判がされても仕方がない。
さらには、ジェイムス・ブラウンから「イッツ・ア・マンズ・ワールド」。
この曲は、「メイル・ショーヴィニズム」の表現として批判され、その批判の先頭に立ったのは、かの「ソウルの女王」「アメリカの和田アキ子」、アレサ・フランクリンである。「あんた、もう一回よく自分がやろうとしていること考えなよ!」とシャウトしているソウルの名曲 "Think"が、その曲だ。
つまり、シャープトンは、60年代の歴史を政治的に利用しているとしか私には判断できない。史実は違うことを語っているのだから。さらに、個人的趣味の問題ではあるが、「品行方正なヒップホップ」というもの自体、そもそもまったくクールに聞こえない。「ディストーションのかかっていないヘヴィメタルギター」のようなものだ、と言えば、私が感じている異和感がよく(?)伝えられるだろうか。
もちろん私もヒップホップの語彙に社会的問題があること、それは認める。しかし、シャープトン型の運動がポジティヴな変化に繋がるとは思えないのだ。私にはマスターPの努力の方がよほど真摯に見える。
なお、シャープトンがデトロイトで会合を開いたのと同じ日、デトロイト市議会議員クワメ・ケニヤッタと、ヒップホップグループ Infinity Solutionz がタウン・ミーティングを開催していた。こちらの方は、ラップで歌われている現状を変える方法を討議するものだった、と、『デトロイト・ニュース』紙が伝えている。大切なのはこのような努力だ、と私は思う。