5月6日づけの『ワシントン・ポスト』紙によると、1961年に行われた運動、「フリーダム・ライド」の参加者たちの「同窓会」が開催され、運動参加者たちが当時の体験談を語ったパネルの模様を伝えている。この記事は、その後「黒人指導者」や政治家として運動家としてのキャリアを進んでいったものたちと較べた上で、この会合に集まった人びとのことを、「褒め称えが足らない英雄たち」"Unsung Heroes"と形容している。わたしも、ここ数年間、幾度かこのような運動家たちの「同窓会」に参加する機会を得、そこでさまざまな人びとに出会ってきたが、アメリカ史上最大級の大衆運動である公民権運動の支柱になったものたちは、まさにこのよう"Unsung Heroes"たちに他ならない。
この記事が、そのような「英雄たち」の中でも、光をあてているのが、南部生まれの白人たちである。公民権運動といって多くの人びとが連想する光景は、非暴力デモ隊に襲いかかる警察犬や高圧放水である。そこでは黒人と白人は対立するもの、憎しみあっていたものとして描かれている。しかし、運動の現実は、それとは大きく異なった。
それは、60年代前半期の非暴力運動にかぎられたことではない。たとえば、しばしばブラック・ナショナリスト団体として形容されることが多いブラック・パンサー党にしてみても、彼ら彼女らの周りにはニューレフトの白人活動家がいつも存在していたし、そもそも同党の結党メンバーのひとりは、リチャード・アオキという日系人である。
60年代の運動の力学は、保守対リベラル、白人対黒人、南部対北部といった対項では把握することはまったく不可能であるし、これまでの研究のなかでも、アオキの件を除けば、このような事実はもちろん触れられてきている。しかし、やはりなぜか研究者はこの対項を知らず知らずのうちに用いてしまう傾向がある。この領域の研究にに必要なのは、そうならない別種のボキャブラリーであろう。