クリントンが大統領に初当選した1992年の大統領選挙、ヒップホップの歌詞が、人種的・性的に不快な表現を使っているとして選挙戦で決して小さくない問題となった(この模様については右の著書が詳しい)。先のエントリーでも述べたが、近日、その問題がまたかまびすしくなってきている。事の発端は、白人DJが黒人を侮辱する発言を行ったことが原因であったのだが、いつの間にか問題は「ブーメラン」のように飛んできて、黒人ラッパー、特にギャングスタ系が非難・批判の対象となってしまっている。
要は、"nigga"、"ho"、"bitich"という言葉を使うなということだが、それに関して、50セントがこの度反論を行った。決して論理一貫したものではないが、それでもこれはゲトーの市民の感情をある面で物語ったいるように思えるので少し紹介しよう。
彼はこう述べている。
いま起きていることは悲しいことだね。みんなこの国がいま戦争を行っているということを忘れちまっているんじゃないか?。ヒップホップのような音楽での言葉遣いはやたらと問題にして、それが暴力を助長しているなんて言っているが、暴力的な内容の動画には何も言わないじゃないか。だからどうしてもこう考えてしまうんだよ、企業を攻撃することよりも個人を攻撃することの方がずっと簡単なんでそうしているんだって。だから、パラマウントやコロムビアのような映画会社を相手にするんじゃなくて、個人のヒップホップ・アーティストを追っかけ回してているんだってね。
さらに彼はこう続ける。
音楽っていうのは写し絵なんだ、ヒップホップは俺たちが育った壮絶な環境を写し出しているんだ。何ならあんたら赤色を使わずにアメリカの国旗を書いてみなよ、そんなのできないだろ。保守的なアメリカ人のなかには、その育ちやライフスタイルが原因で、ヒップホップが表現しようとしていることがわからない奴らがいる。俺たちが生きてきたリアリティとは無縁だったんでね。それはわかるよ。それで、何で俺がいつも攻撃されるのかもわかる。挑撥的なところがない内容で、ヒップホップの世界で成功するのは難しいもんな。
少しシニカルに聞こえるだろうが、ダブルスタンダードはどこの世界にも存在するだろう。それを非難するのはたやすい。
それでもなお、50セントの発言は、奇妙に、そしてそれでもしっかり正鵠を射たものに私には聞こえる。