私がシカゴにいた頃、Ghost of Mississippiという映画が公開された。その映画は、1963年にミシシッピで起きた公民権運動指導者の暗殺事件の犯人を、アレック・ボールドウィン扮する地方検事が歴史家たちとともに特定して起訴、有罪判決を導くというものだった。そして、それは史実に立脚している。
その後、アメリカ中にショックを与えたバーミングハム市の教会爆破事件(3名の少女が犠牲になった)の犯人、そして映画『ミシシッピ・バーニング』のモデルとなった1964年の公民権運動家3名の殺害者等々、1960年に起きた夥しい暴力事件の加害者の訴追が続いている。今度は、1965年投票権法の制定に向けて巨大な圧力を形成することに資した「セルマ=モントゴメリー行進」のきっかけとなった事件、「ジェイムス・リー・ジャクソン殺害事件」の犯人が起訴されることになった。既述の件と同様に、この度も、起訴された人物は、自分が殺害を行ったということを認めている。起訴された人物は、73歳の退役アラバマ州兵。その人物は、さて、どのような主張をしているのだろうか?
その人物は、アラバマ州セルマでの運動が、キング牧師の参加もあってかつてない激しさになるなか、治安維持のため(運動家からすれば、運動弾圧のため)に派遣された州兵だった。デモ隊との激しい衝突のなか、彼はジェイムス・リー・ジャクソンを撃ち殺した。
その人物は、ジャクソンが「銃をつかもうとしたので、自衛として撃ち殺した」、「あのときの感情的な情況下で、もし彼が私の銃を握ったならば、私の方が撃ち殺されていた」と主張してる(写真が示しているのは、この事件の現場ではない、これはこの時の運動の中の一シーンを捉えたものである)。また、彼の弁護人は、このケースはバーミングハム市の教会爆破事件とは異なると主張する。バーミングハムの件で極悪犯罪を犯した人物は、その意図をもって行った、しかし、このケースでは、起訴された人物は州知事によって「派遣された」に過ぎないという論陣を張っている。
私は、実のところ、この弁護人の主張に限定的ながらも同意せざるを得ない。
キング牧師の夫人、コレッタ・スコット・キングが存命中のこと、彼女は、公民権運動時代に起きた「悲劇」を乗り越えて人びとが「和解」するために、「真実委員会」Truth Commissionを設立することを主張していた。なぜならば、キング牧師暗殺事件が、暗い闇のなかに閉ざされ、政府の陰謀説だの、マフィアの陰謀説だの、真実が何だったのかわからなくなっているからである。(逮捕された犯人は、裁判の最終的局面ならびに獄中で、キングを殺害したという自白は嘘であると述べていた。その主張を聞き、キング家は再審を要求したのだが、結局、一度有罪となった「犯人」は獄中で亡くなった)。
Truth Commissionとは、「部族間」で夥しい「政治的暴力」が起きた南アフリカにおいて、ネルソン・マンデラが設立した委員会のことである。この委員会は、アパルトヘイト時代の憎しみを乗り越えることを目的に、真実を語ったものには恩赦を与え、犠牲者と加害者との対話を促し、ポスト・アパルトヘイトの時代の南アの建設を目指したものである。
私は、コレッタ・キングと同じく、通常の刑事裁判ではなく、特別な委員会を設置するべきだと思わざるを得ない。問われているのは人種間憎悪の歴史の重みであり、ひとりまたひとりと「犯人」を追い詰めることでその重みは軽くはならないと感じるからだ。
Ghost of Mississippiの最後のシーン、裁判映画ではよくあることだが、"guilty"という判決がくだったとき、検察官とウーピー・ゴールドバーグ扮する殺害された公民権指導者夫人、裁判所に詰めかけたギャラリーは抱き合って喜んだ。私は、シカゴ・サウスサイドでその映画を観たのだが、オーディエンスのなかからは「笑い声」が聞こえた。その笑い声は、「有罪」と「真実」との懸隔を示すように思える。