久しぶりにシカゴの新聞に、ブラック・パンサー党、そしてそのシカゴ支部議長、フレッド・ハンプトンーー創設者ヒューイ・ニュートンと並ぶカリスマ的指導者ーーが登場した。
ハーレムやロサンゼルスのサウス・セントラルとならぶ黒人居住地区、シカゴ・サウスサイド第2区選出の市会議員、マデリーン・ヘイスコックがこの度、かつてフレッド・ハンプトンが住み、60年代後半には多くのパンサー党支部のなかでも最大級の勢力を持った同市の支部本部として使われたアパートのある通りを、「フレッド・ハンプトン議長通り」にするという議案を議会に提出した。これが、大きな波紋を呼んでいる。
まず大きな反論の声を上げたのは、警察官の労働組合。
ブラック・パンサー党は、そもそも「自衛のためのブラック・パンサー党 the Black Panther Party for Self-Defense」と名乗り、警官が黒人市民に加える不当な暴力ーー1990年のロドニーキング事件を思い浮かべてほしいーーを「武装」という手段で「自衛」するのを目的として創設された。黒いベレー、上下黒のレザージャケット、脇に抱えたショットガンの姿は、多くの者を惹きつけた。しかし、それは、警察官にしてみれば、強烈な憎悪と恐怖の的になった。
したがって、彼ら彼女らにとっては、未だにブラック・パンサー党といえば、「政治を盾に使ってはいたが、ほんとうの姿はギャング」に過ぎない。このイメージはいまも存在しているし、また、ブラック・パンサー党の活動が「犯罪」と見なされることを多く含んでいたことを考えると、ある意味においては正鵠を射た見解かもしれない。
他方、暴動のみならず、警官さえ敵であった(である)黒人コミュニティからしてみれば、ブラック・パンサー党の活動は単にギャングの行動として片付けられるものではない。貧困家庭のために無料の朝食を配布、警官から過度の暴行を受けたものを裁判で弁護、そして何よりも「政治家された勇気」を与えたのである。つまり、この点からみれば、ブラック・パンサー党とは「ギャングだったものたちがしっかりと目的を持ち、政治化した団体」ということになる。
簡単に言えば、こうだ。ブラック・パンサー党の史的意味は、警官にとっては「しょせんギャング」、黒人コミュニティ(パンサー用語で言えば、ブラック・ゲトー)の住民にしてみれば「それでも革命的政治組織」。ハンプトンの同志で、現在はシカゴ地区選出の連邦下院議員をしているボビー・ラッシュはこう語っている。パンサー党は「黒人コミュニティの丸腰の個人を勝手気ままに殺害する警察に対する自己防衛、それを象徴しているのです」。
フレッド・ハンプトンのアパートは、実は、パンサーをめぐる解釈学のもっとも熱い場である。60年代後半、FBIは、黒人の政治活動家の私生活を監視し、私生活を破壊することで運動を破壊しようとした。今日、そのCOINTELPROと呼ばれる作戦の資料の多くが公開されている。ハンプトンは、そのCOINTELPROのもっとも悪名高い作戦の一つで殺害された。ベッドに寝ているところを襲撃され、殺害されたのである。(この作戦の指揮官であったクック郡地方検事は、その後起訴され、職を追われることになった。筆者は、この事件の関係者に直接インタービューしたことがあるーー詳細は筆者のウェブサイトを参照)。そのような場に焦点が当たったのだから、論争を呼ぶのも無理はない。
シカゴ市会には、議員たちが、自分の地盤の名士の名前を土地の名前にすることで、象徴的に政治力を誇示してきた歴史がある。これは、そのような政治行為ーーもっと言えば、選挙対策ーーのひとつとも考えられ、ヘイスコックがパンサー党の大義や活動を深く理解し支持しているということを必ずしも意味しないだろう。しかし、これだけは確かである、パンサー党の史的意義を論じようとすると、それは必ず政治化する。
ちなみに、『プレイボーイ』誌の創刊者、ヒュー・へフナーの名前を土地の名前になりそうになったが、当然、女性運動から猛烈に反対されて実現しなかった。パンサー党の意味がひとによって大きく異なる、それはこのケースと同じである。
この意味対立・価値対立の本質を見極め、対立の彼方に史的意義をみなくてはならない。ギャングか革命的政治組織か、それは永遠に決まり得ないだろう。