デフ・ジャム・レコードの創設者のラッセル・シモンズが、ニューアーク市から表彰されることになった。
2004年大統領選挙の際、シモンズは、反ブッシュ票の掘り起こしのために、Hip-Hop Summit Action Network (HSAN)という組織を結成した。彼の意に反してブッシュは当選したが、HSANはその後も社会福祉の分野で活動を続け、今回はその功績が認められるかたちとなった。
しかしながら、幾分この表彰には政治的思惑が見え隠れし、それは今日のブラック・アメリカの政治的行き詰まりを物語っているように思える。
ニューアーク市は、過去30年以上にわたり、黒人のシャープ・ジェイムスが市長を務めてきた。彼が市政で頭角を現したのは1967年の暴動の直後。現在に至るまでに、同市の経済的基盤は大混乱に陥った。企業が次から次へと「逃げて」いったのである。この情況は、そう、まさにニューアーク暴動の直後に暴動の炎に包まれたデトロイトとまったく同じである。そして、黒人の市長が、市の社会経済的環境の荒廃を止められなかったのも同じだ。
もちろん経済環境の悪化はジェイムス市長に一義的責任があるものではない。ところが、これまたデトロイトと同じく、彼の市政は汚職が絶えたことがない。にもかわわらず、彼はいまだ市庁舎にいる。強烈な利益誘導型のボス政治体勢を築き、反対派を徹底的に潰してきたからだ。市長が州議会議員を兼ねる同地の特殊な政治構造もまた、ボス支配を支えている。
そのような彼が初めて本格的対抗馬を迎えたのが2002年の選挙だった。イェール大学のMBAを持つ黒人青年実業家がボスに挑み、30年あまりも無風選挙だった同地の市長選が沸いた。
このとき、旧来の公民権世代はジェイムス市長を支持、年が若くなるにつれて対抗馬の支持率が高くなる傾向があった。今年、同じ構図で「再戦」が行われる。
今回、シモンズは福祉活動を讃えられて表彰されることになったのだが、もともとHSANは政治組織である。つまり、前回の選挙で見られた黒人青年層のある種の離反を食い止めるためのジェイムス陣営の選挙戦略とも考えられるのだ。
ほんの15年ほど前は、黒人候補が白人現職に挑むという光景が都市選挙で多く見られた構図だった。ところが、近年は、黒人対黒人、黒人対ラティーノ、黒人・ラティーノ連合対白人、白人・黒人連合対ラティーノという具合に、都市政治は複雑さを極めている。
これはブラック・アメリカの変貌を物語るとともに、70年代・80年代に流行していた「アイデンティティの政治学」がもはや退潮ーーすくなくともかつてほど単純ではないーーにあることを示している。
その潮の流れのなかに、ヒップ・ホップ界のサクセスストーリーの主人公ラッセル・シモンズは、謀ってか謀らずか、身を投じることになった。