4月22日、ニューオーリンズ市長選挙の民主党予備選挙が開催される。圧倒的多数が民主党員である同地においては、これが実質上の選挙に等しい。
ハリケーンが堤防を破壊して以後、地方都市の市長としては類稀なメディアの関心を集めていたネーギン市長が、ここで苦境に立たされている。黒人の多くが同日までにニューオーリンズに帰ってこれないというのもその苦境の一因ではあるが、実は、ブラック・アメリカの現況を物語る人種関係の変化が、そのもっとも大きな原因になっている。ネーギン市長は、黒人市民の離反に苦しむことになりそうなのだ。
1978年以来、同市はずっと黒人を市長に選出してきた。ところが、今回、その1978年に市長を務めていた白人の息子、ミッチ・ランドリューに期待が集まっている。その彼に期待を寄せているのは白人だけでなく、黒人もそうなのだ。
彼は州議会議員として政治界での実績もあり、1980年代南部ルイジアナでKKKのデイヴィッド・デュークの任期が高まったとき、デュークの政治姿勢を非難した数少ない白人政治家のひとりである。そしてまた、黒人有権者からの得票率も極めて高い。(また彼の姉は、現職の上院議員であり、その選出にあたっては黒人のあいだでの支持が極めて重要であった)。
さらにはまた、ニューオーリンズ市の黒人政治家たちも、ネーギン市長よりもランドリューに期待を寄せているようである。もとより、ネーギン市長は、新しいタイプの黒人政治家だった。黒人政治家の多くは、教会や公民権団体に地歩を置くものが圧倒的に多いのであるが、ネーギン市長は、ケーブルテレビのCEO、黒人「実業界」の代表として政治界入りした人物である。
ここまで書いてくると、この情況を、「人種」のみの分析項で語ることの困難さが際だってきた。他の記事でも書いているが、「黒人」のなかの差異が近年ますます際だつようになり、「人種」だけで「黒人」を語れないというアイロニカルな情況が生まれているのである。(否、アメリカ社会は、つねにそうだったのかもしれない)。