去る22日、このブログで伝えた通り、現職のネーギン市長にとってはもっとも手強い相手とみなされる人物、副知事のMitchell J. Landrieuが、4月の市長選挙予備選に立候補することを表明し、ニューオーリンズ市長選はいよいよ本格化してきた。22日の投票で上位2名が本選挙に進むことになる。
にもかかわらず、ニューオーリンズ市当局は、投票資格を持つものを同判断していいのかわからないらしい。人口はハリケーン直撃前の半分以下に減少し、避難した住民は、判明しているだけで48の州に分散している。
また、選挙資格をいかに認定し、限定するのかも問題だ。極端な例を考えるとこのようなこともあり得る。
すでにそれまでの貯蓄や資産を活かし、次ぎの生活の場で新しい生活を始め、もはやニューオーリンズに戻ってくる意志のないものもいる。他方では、未だ地域の安全が確保されていないがゆえに、避難所で生活を送らざるを「得ない」住民たち。居住歴を根拠に選挙資格を包括的に与えるとすると、この両者が有資格者になるだろう。しかし、投票所が市外に設けられない限り、前者はニューオーリンズに「赴いて」票を投じることができるのに対し、後者はそれができない。
「足」がないからだ。
しかし、そもそも後者は「足」がないから避難することができず、被害に遭遇することになった。
もちろんこれは極端な仮定である。しかし、あながちそのようなケースが少ないと断定することはできないし、人口比に不釣り合いな割合で「足」がなかったものは黒人が多かった。
これは前にも指摘したことだが、ハリケーンが人種差別をし、黒人を「狙う」ということはあり得ない。とすると、この災害の政治的社会的結果はいったい何を示すのだろう。天災は人種を区別しないのに、このような事態が起きている、これは明らかに、政治的社会的、そして「歴史的」に起こされた人災である。