ロサンゼルス市の刑務所システムをロックダウンさせたラティーノとアフリカン・アメリカンの衝突は、金曜日になっても収まることなく、間歇的に暴力的事件が起きた。
これで6日間連続であり、その規模において、60年代後半のものに匹敵するものになったといえよう。ただ、この度の暴動はサウスセントラル地区のギャングの抗争が引き金となったものであり、政治的要求を突きつけていた過去のそれとは契機・目的において、大きな相違点が以前残っていると言わねばならない。
来週早々には、チカノ系のロサンゼルス市長が、事態の収拾のため、いくつかの刑務所の視察に実際に赴くことになった。現職市長、Antonio R. Villaraigosaは、チカノ、つまりラティーノであるが、彼の当選にあたってはアフリカン・アメリカンが支持に回ったことが大きく寄与している。つまり、対立を深めるラティーノとアフリカン・アメリカンのあいだに架かった数少ない橋となれる政治家のひとりなのだ。
地道で確実な政治活動を行っていたところ、これがVillaraigosaの強みと言えよう。たとえば、黒人指導者のひとり、アル・シャープトンには、このような事態を収拾することはできそうにない。シャープトンが組織犯罪の問題、ドラッグの問題と格闘していたのも確かならば、その過程で、あのドン・キングや、Cripsのメンバーと親睦を深めてしまったのも確かであるからだ。そのうえ、かつてのヒューイ・ニュートンとはことなり、ギャングたちに、ニュートンが好きだったファノンの言葉を使うと「地に呪われたるもの」たちに、明確な政治社会的目的意識を育むのにも、これまでのところ彼は失敗している。
誤解のないように最後に記しておくが、無駄な暴力的衝突は収まる方が良い。ただ今回の事件が、アメリカに存在するprison-industrial complexの不気味な姿を垣間見させることに成功した、そのことは確かだ。