1990年代よりブラック・コミュニティの懸案のひとつであった、国立のアフリカン・アメリカン・ミュージアムの建設地が決まった。
首都ワシントンにあるワシントン記念堂の北東、5エーカーの土地が建設予定地になった。この決定の過程には、しかし、先日ここで紹介したキング・ホリデイに似た構図の政治対立があった。
同ミュージアムの建設に反対したのは、90年代の共和党保守派の代表格二人。ひとりは上院外交委員長を務めたノース・カロライナのタバコ王、ジェシー・ヘルムス。もう一人は、ジョージ・H・W・ブッシュ、現大統領の父親である。
ジェシー・ヘルムスは、アフリカン・アメリカンに「だけ」、特別の施設を建設することは、「逆差別」だとする論陣を張った。パパ・ブッシュは、コストがかかりすぎる、と語った(つい最近、そういえば、現大統領もコストを口にしていた…)。
ところが、特定の民族に対するものならば、ホロコースト・ミュージアムというものが、ホロコーストがアメリカで起きたことではないにもかかわらず、その時点ですでに存在していた。そしてもちろん、パパ・ブッシュも、軍事費には湯水のように税金を費やした。
幸運にもその後、クリントン政権期にミュージアム建設が決定されたのだが、ここで問題は建設場所の選定になった。建設推進派は、アメリカの歴史を語るのにふさわしい場所、つまりワシントンのモール内部に建設することを望んだ。反対派は、ここに至って、モールの景観を破壊する、と環境問題を引っ張り出してきた。
よって、建設を推進してきたアフリカン・アメリカンが今回「勝利」したことになる。
だが、そう断ずるのは早計に過ぎる。ブッシュ政権はマイノリティを象徴的に利用するのに長けている。実質的にはマイノリティを切り捨て、目立つ一部をさらに誇示させるのが得意だ。
大統領は、一般教書演説の冒頭で、コレッタ・スコット・キングの逝去にあたり、キング家ならびに国民に弔意を表し、「キング夫妻の非暴力の運動の尊さ」を語った。その直後の10分間、彼は「自由のための戦争」を断乎として推進すると宣言した。キングがこう語ったとき「戦争」は比喩なのだが、ブッシュのそれは、もちろん、文字通りの戦争である。
彼のスピーチライターは矛盾に気がつかないのだろうか。それとも、わたしたちはすでにオーウェル的世界に住んで久しく、これは単なる「ダブル・トーク」に過ぎないのだろうか。