ゴア元民主党大統領候補が、ブッシュ批判を展開した。
いまとなっては、ゴアはかなり昔の政治家だった感がする。しかし、彼が大統領選を戦闘ったのは、わずか6年前。しかも、現実のところ、ブッシュに勝利していた。
したがって、ブッシュが就任したとき、彼の支持基盤はきわめて脆弱なものだった。投票の結果に大きな影響をもったのが連邦最高裁の判決だったことから、「裁判所に指名された史上初の大統領」と揶揄されたこともある。そんな彼の支持を固めてしまったのが、皮肉にも、911テロ。
そんな選挙で敗れたゴアが、キング博士の名前を喚起しながら、ブッシュを批判した。驚いたのはその内容。キングの思想は非暴力、ブッシュは戦争が好きだ、といったものではなかったのだ。キングもかつて政府の違法なスパイ活動の犠牲者であり、ブッシュがやっていることは当時の政権と同じだ、と語ったのだ。
キングやミリタントな黒人活動家が、FBIから監視され、嫌がらせをされ、さらには迫害されたことは現在では異論の余地のない事実である。しかし、そのことに言及し、現政権の批判をすることは、極めて稀なことである。なぜならば、このことは、よくキングの業績に関するパブリック・メモリーから消え去っている時代、体制批判をすることで急進化した1966年以後のキングの姿だからである。
1963年に「私には夢がある」と語ったキングは、ある意味では、「ナイーブ」だった。1967年には、しかし、マルコムXのいう「アメリカの悪夢」を直視したうえで、「わたしにはそれでも夢がある」と語るようになっていった。そのように述べるにあたって、国内の貧困の撲滅より、ベトナムの共産主義者と闘うことに湯水のように税金をつぎ込む政権の批判をするようになっていった。
キングへのFBIの監視は、この時期に急激に強化されている。ゴアは、その時代のキングのイメージを喚起したのだ。
他方、ブッシュは、キング・ホリデイの日、国立公文書館で「奴隷解放宣言」の原典を観に訪れ、「キングの思想はリンカーンのものに拠って立っている」と、あたりさわりのないことを述べた。
正直なところ、リンカーンとキングの思想的類似性がどこにあるのか、私にはさっぱりわからない。リンカーンは、奴隷解放の後、黒人をアフリカに送還しようと考えていたのである。なぜならば、黒人と白人が共の暮らす社会など「夢にさえ」考えられなかったのだから。
キングとリンカーンに関係があるとすれば、それはキングの名演説がリンカーン記念堂で行われたということに過ぎない。
ブッシュの喚起したキングのイメージと、ゴアのそれとには大きな違いがある。そして、この違いは大きい。なぜならば、それはアメリカの60年代、公民権運動をどう解釈するかにかかっており、共産主義との戦いとテロとの戦いを同一視するブッシュの世界秩序解釈・歴史解釈をどう評価するかにかかってくるからである。