今から40年前に制定された投票権法(別名、1966年公民権法)は、19世紀末に選挙権を実質上剥奪されていた南部に住む黒人の投票権を保証し、その後の黒人政治家の成長を促した画期的な立法だとされている。
確かに、1970年代に入ると、州議会や連邦下院において、黒人議員や公職者の数は急増した。しかし、その法律がいま3つの面で、大きな問題に直面している。
まず第一にあげられるのが、過去25年のあいだ、1992年から2000年までの8年間を除き、共和党保守派(レーガン、ジョージ・H・W・ブッシュ、ジョージ・W・ブッシュ)が行政権を握ったため、この法律へのコンプライアンスを監視する機関、連邦司法省公民権委員会の担当部局の人員が激減された。過去9か月をみても、投票権部局の人員は3分の2に人員カットされている。
また、10年毎に行われる連邦下院議員の選挙区改正では、政治的思惑から黒人の政治力のダイリューションを狙った政策が追求されている。一部の選挙区を黒人多数にするーーmanority-majority districtと呼ぶーー一方、それより多くの選挙区で白人過半数を維持する。そして、暗に人種を争点とした選挙戦を繰り広げ、人種のあいだにくさびを打ち、人種対立を煽ることで、南部保守勢力を維持しようという政策が追求され、そしてまたこれが成功している。このような政治的思惑をもった一種のゲリマンダーは、共和党保守政治の土台のひとつとなっている。
つまり、現在の政治的状況下では、同法は、黒人の政治力を保証する力にはなり得ていないのである。
そこに最後の問題が出てきた。同法は時限立法であり、今年がその時効の年にあたる。共和党保守派が連邦政府を主導するなかで、黒人が有利になる選挙区変更は「逆差別」の名のもとに却下され、白人が有利となる政策が追求されているいま、同法の制定によって最初に「恩恵」を受けたベテランの黒人議員から、時効の延長に反対するものが現れてきているのだ。
投票権法が歩んだ道のりは、ポスト公民権運動の時代の隘路を見事に映しだしている。