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ニューオーリンズ復興の姿その1

ニューオーリンズの老舗の新聞 New Orleans Times Picayune が伝えたところによると、ニューオーリンズの公安を維持している「当局」ーー誰の命令で動いているのかは定かでないーーは、自分の家に帰ろうとする住民を追い返したという。あれだけ市民団体が警告し、監視しているのにもかかわらず、追い返されたのはアフリカン・アメリカン。

さらに、彼ら彼女らは、そもそも避難するときから、想像を絶する経験をしている。彼ら彼女らが避難に応じたのはニューオーリンズが浸水してから後。そこで、「黒人が市内で暴れている」という報道を聞き、彼ら彼女らがミシシッピ川にかかっている橋を渡ろうとすると、橋の向こうの自治体(Grentaとジェファーソン郡保安部)は威嚇の銃を発砲し、渡河を妨害した。

そして、今度は市内に帰れない。なぜならば「どうせ帰ってもやるのは盗みだけ」という風評がたってるから。

そこで、元ブラック・パンサー党ニューオーリンズ支部の創設者の一人で、いまも市民活動を続けているMalik Rahimを中心に抗議デモが組織された。ミシシッピ川にかかった橋を渡るデモである。

公民権運動史に親しんだものにとって「橋」と聞けば、すぐに思い浮かぶところがある。セルマ闘争のときに、マーティン・ルーサー・キングの団体、SCLCが組織したデモ隊が渡ろうとし、アラバマ州兵に凄まじい暴力で弾圧された光景の場、エドモンド・ペッタス橋である。現在、そこは、アラバマ州の史跡に指定されている。

今回の元ブラック・パンサー党員が組織したデモ隊は、40年前のエドモンド・ペッタス橋を渡ったものたちと同じく、公民権運動を鼓舞した運動歌「我ら打ち勝たん」を歌った。パンサー主義と非暴力は、約40年を経たのちに、ミシシッピ川の上でひとつになった。

このデモ隊を、ニューオーリンズ当局は、そのまま通り過ごさせたらしい。報道によると「セルマのようなことになるのを避けるため」。

悪名ばかり高くなっている50 Centは、最近こう述べた。Any publicty is good publicity。公民権運動が成功した理由のひとつは、メディアを大々的に動員できたからである。それを巧く回避されては、「何が起きているのか」は伝わらない。(最近、日本の報道で、「カタリーナその後」を伝えているところがあるだろうか?)。

さて、では、毎日々々、ニューオーリンズで何が起きているのかを伝えてくれるブログを、これからこのテーマをとりあげる度に伝えて行こう。

まずは、こうしている本日、南部屈指の大学、ノース・カロライナ大学チャペルヒル校で、戦略会議を開いている団体のサイトを紹介する。

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2005年11月10日 16:43に投稿されたエントリーのページです。

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