10月7日よりパリ北東部で始まったアフリカ系の暴動は、ディジョンやマルセイユなど他の都市に飛び火し、この10年間、先進諸国が経験した最大級の都市暴動になった。
きっかけは、「警官による暴力」と「人種別プロファイリング」。2名のアフリカ系青年が、深夜、警官に尾行されていた。そこで身の危険を感じたふたりは、警官の尾行を振り切ろうと走り出し変電所に逃げ込んだところ、感電死してしまった。(これは、ロイター通信や『ニューヨーク・タイムス』が報じたところによる。彼らの死因について、いまのところ確かなところはわかっていない)。
そして、3日にはついに、アフリカ系居住区で評判の悪い店舗を標的にした放火や警官隊に対する狙撃が始まった。
暴動のきっかけになった問題、そしてその経過は、60年代のアメリカの「ロング・ホット・サマー」、さらに記憶に新しいところでは1992年のロサンゼルス暴動と「うり二つ」である。
なお、青年を中心とする暴徒は、フランスで生まれたものが大半である。一部の日本のメディアは、彼ら彼女らを「移民」と形容しているが、これは正確な表現ではない。むしろ、彼ら彼女らを「移民」とみなすそのまなざし自体が、フランスの国是ーー自由、平等、博愛ーーに反するものであり、このような風潮こそが、暴動の根本的原因であると言っても良いだろう。
公民権運動が求めたものーー自由ーーが現実にならないとき、「ロング・ホット・サマー」は始まった、その経緯と同じである。