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2005年11月 アーカイブ

2005年11月04日

「ブッシュが最も恐れた小学生」がテレビに毎週出演!

20051104mcgruder.jpg「ブッシュが最も恐れた小学生」が、今週末よりアメリカのケーブルテレビに毎週登場する。番組のタイトルは『ブーンドックス』。

日本でも翻訳出版されている「漫画」ゆえに、このタイトルをご存じの方もいるだろう。「ブッシュが最も恐れた小学生」は邦語訳のサブタイトルである。

これは、異常にませた黒人少年ヒューイ・フリーマンとその弟ライリーが繰り広げる、辛辣で愉快な政治的メッセージたっぷりの4コマ漫画。

ヒューイ君の名前は、ブラック・パンサー党の創始者でカリスマ的指導者だったヒューイ・ニュートンに由来し、彼の政治思想は小学生なのになぜかラディカル。60年代のゲトーではなく、21世紀の郊外の中流住宅地にすんでいながらアフロヘア。ライリー君はギャングスタラップが大好き。

作者はアメリカ黒人のアーロン・マグルーダー。シカゴのサウスサイド生まれで、メリーランド大学でアフリカン・アメリカンスタディーズを修めたインテリで、当初は黒人指導者になろうとしたらしい。しかし、「もしそれで成功したら、34歳までに殺されてしまう」と「悟り」、漫画という媒体で「活動」を始めた。当初は大学新聞、その後全米中の新聞に掲載されるようになった漫画だが、邦語訳が出ているとはいえ、そのあまりにもの過激さに掲載を中止したところもある。

さっそく第一回でヒューイ君はこう語るらしい。

「イエス・キリストは黒人だ、ロナルド・レーガンは悪魔、9・11なんて政府の嘘」。

もっともマグルーダーは、いにしえのパンサー党のイデオロギーや古典的ブラック・ナショナリズムだけを吹聴するのではない。かつて彼の漫画は、シカゴに住んでいる人気トークショーの司会者で恰幅の良い黒人女性オプラ・ウィンフィリーから抗議を受け、今回のテレビシリーズではそれが放送できないらしい。テレビ局が、絶大なる人気を誇るこのトークショーのホストを、恐れたのだ。そこで、マグルーダー曰く。

「いやさ、誰だってオプラは怖いよ、そいつが健康ならばね」。

ちなみに、このブログでも紹介したカニエ・ウェストの発言についてはこう語る。

「黒人のことなんて政府はかまっていない、そんなこと、黒人でわかっていなかったら、もうとっくにトラブルに巻き込まれているよ。これで、白人もやっとわかってきただろうね、ジョージ・ブッシュは、フツーの白人のことも気になんかしていなくて、いっそのこと死ねばいいと思っている、てことが」。

さて、ヒューイ君の毒舌は何を引き起こしていくれるだろう。

なお、こんな恐ろしい漫画を配信するのは、何とソニー・ピクチャーズ。

2005年11月05日

パリ北東部郊外の暴動

20051105paris_riot.jpg10月7日よりパリ北東部で始まったアフリカ系の暴動は、ディジョンやマルセイユなど他の都市に飛び火し、この10年間、先進諸国が経験した最大級の都市暴動になった。

きっかけは、「警官による暴力」と「人種別プロファイリング」。2名のアフリカ系青年が、深夜、警官に尾行されていた。そこで身の危険を感じたふたりは、警官の尾行を振り切ろうと走り出し変電所に逃げ込んだところ、感電死してしまった。(これは、ロイター通信や『ニューヨーク・タイムス』が報じたところによる。彼らの死因について、いまのところ確かなところはわかっていない)。

そして、3日にはついに、アフリカ系居住区で評判の悪い店舗を標的にした放火や警官隊に対する狙撃が始まった。

暴動のきっかけになった問題、そしてその経過は、60年代のアメリカの「ロング・ホット・サマー」、さらに記憶に新しいところでは1992年のロサンゼルス暴動と「うり二つ」である。

なお、青年を中心とする暴徒は、フランスで生まれたものが大半である。一部の日本のメディアは、彼ら彼女らを「移民」と形容しているが、これは正確な表現ではない。むしろ、彼ら彼女らを「移民」とみなすそのまなざし自体が、フランスの国是ーー自由、平等、博愛ーーに反するものであり、このような風潮こそが、暴動の根本的原因であると言っても良いだろう。

公民権運動が求めたものーー自由ーーが現実にならないとき、「ロング・ホット・サマー」は始まった、その経緯と同じである。

2005年11月06日

ニューヨーク市長選挙迫る

いよいよ7日にニューヨーク市長選挙が迫ってきた。もうテレビ討論会も終わり、実質上の選挙戦が終了した。

もっとも最近の世論調査では、現職で共和党のブルームバーグが、初のプエルトリコ系候補で民主党のフェルナンド・フェレールを、59%対31%の大差でリード。大きな狂いやハプニングがない限り、ほぼ勝敗は決まってしまった。

ラティーノ(ヒスパニック)という「人種」集団は、政治的には多種多様な傾向をもつ(共和党右派のキューバ系、民主党リベラルのチカノ・プエルトリコ系、等々)ので、フェレールが人種意識に訴えることはもとより無理だったのだろう。

さらに興味深いのが黒人票の行方。

なんと1936年以来初めて、共和党支持が上回っているのである。(ブルームバーグ支持51%、フェレール支持42%)。

「警察暴力」や「人種別プロファイリング」を「野放し」にした前職のジュリアーニと異なり、ブルームバーグは共和党のなかでも「中道」に位置していた。それが強い影響をもったのは否めない。しかしそれ以上に、もはや黒人という集団が、内部に多様な差異を抱えるようになってしまったため、共和党保守派流の小さな政府志向を強める人びとが増えてきたのだろう(ライスやパウエルのような人びとが、ここですぐに思い浮かぶ)。

たとえば、ハーレムの目抜きどおり、125丁目の地下鉄駅で、フェレールは、元市長で黒人のデイヴィッド・ディンキンズ、市民活動家アル・シャープトン、黒人女性でブルックリン区長のC・ヴァージニア・フィールズとともに演説を行ったらしいが、立ち止まる人びとは少なく、かえって迷惑と思われたという話が報道されているくらいだ。かつては、白人候補がハーレムを訪れるだけで話題になった。それはもう遠い過去の話になりつつある。

さて、月曜日いかなる結果が出るだろうか。

パリ暴動の報道

はっきり言って、日本のメディアのパリ暴動報道は用語の使い方を間違えている。

暴動しているものを「アフリカ系」と表現したのは、フジテレビのみ。

あとはみな「アフリカ系移民」と形容している。

下に記しているとおり、暴徒化しているものは青年たちであり、彼ら彼女らはフランスで生まれ、フランス市民権をもっているフランス人だ。アンリと同じ、肌の黒いフランス人だ。

彼ら彼女らを「移民」と形容し、そうすることで無意裡にフランス社会から排除してしまう感受性の低いinsensitiveな行為こそが彼ら彼女らを暴徒にしている!

「ロング・ホット・サマー」のときにマルコムXはこう語った。「私はアメリカ人ではない、わたしはアメリカニズムの犠牲となっているアフリカ人だ」。

では、パリの暴徒はこう言うだろう。「わたしは、そうおっしゃる通り移民、フランス人ではない、そうでしょ、わたしはグローバリズムの犠牲となっているアフリカ人だ」。

フランス暴動ーー『ニューヨーク・タイムス』の社説

以下の記事で、フランスの暴徒を「移民」と呼ぶ報道の在り方に疑問を呈したが、アメリカの新聞は、同じ経験があるために、このところをはっきりと理解している。

『ニューヨーク・タイムス』は、11月4日づけの社説でこう論じた。

「フランスは自国の移民制度を誇りに思っており、そしてそれにこだわり続けている。その制度とは、いちどフランスの国に入れば、みんながフランス人になれるのであり、それゆえ病ぢょうであり、云々というものだ。いま現在わかったことは、誰もがみなフランス人になれるというわけではないということだ」。

さらには、暴徒をゴミscumと呼び、弾圧政策を主張し、そうすることでさらに暴動を激化させたーーフランスという国には、このような歴史的事例がたくさんある、その事例とはフランス人が誇りにする「革命」のことだーー内務大臣を批判し、弾圧ではなく、雇用機会、人並みの住宅、教育を「新しい市民」に提供することだ、と論じている。

アメリカはこの論説のことばから学ぶことが多くある。久しぶりに良いものを読んだ。

2005年11月07日

21世紀のマリー・アントワネット?

下に書いた『ニューヨーク・タイムス』の記事を補完する証言がみつかった。

23歳の北アフリカ「系」フランス人曰く。
「書類のうえではわたしたちはみんな一緒なんです、でももし名前がモハメドだったら、どんなに高い学歴をもっていても、空港で荷物を運ぶ仕事に就くのが良いところなんです」。

現在暴動の最中にあるフランスの都市郊外では、失業率が30%以上に達するという。

そのなか、パリ近郊のオルネー市の助役はこう公言した。
「プレイステーションのゲームをしていればいいのに、本物の警官を攻撃してきているんです」。

30%の失業率といえば、ほぼコミュニティ全体が慢性的失業にあると言っても過言ではない。そのようなコミュニティの家庭「みんな」にプレイステーションがあれば良いのだが…。

フランス大革命を思い出さずにはいられない。有名な逸話だが、パンを求めている群衆にマリー・アントワネットはこう言ったとされている。「あら、パンがなければケーキでも召し上がれ」。

2005年11月08日

ローザ・パークスを讃える日

さて、そろそろ「あなたは暴力を肯定するのか」といった見当違いの反論が来ないように、「建設的」な運動を紹介しよう。(もっとも、かかる類の反論はマルコムXに度重なり投げつけられたものであることを思うと光栄に思うし、本心は、「マルコムの怒れる息子」H・ラップ・ブラウンのように、"Bay Burn!, Burn!"と言いたいところだが…)。

非暴力の運動のシンボル、最近逝去したローザ・パークス、彼女が逮捕され、その後のバスボイコット運動が起きた日が12月1日である。その日を、彼女を讃える日とすることはよくわかる(ありふれたこと…)。

しかし、そのなかから「讃えるならばどうすればパークスの偉業を表現できる」と考える団体が現れた。Troops Out Now!

12月1日に、ウォール街でデモンストレーションをする。それと同時に、デモの要求に同意しているものは、学校・職場でのゼネスト、そしてショッピングのような消費行為も慎むこと」で、支持の意志を表明して欲しいと呼びかけている。

要求項目は以下のとおり
・イラクに展開している部隊を即刻撤退される。
・保険予算、住宅予選、教育予算ではなく、戦争のための予算の削減
・ハリケーン・カトリーナ被災者に対し、合法的で義にかなった救済策
・学校で兵隊を徴募している行為を停止すること
・最低賃金を改めて定め、労働者の組織権を認めること

パークス夫人は、カトリーナの詳細はわからないだろう(彼女は北東部のデトロイトに住んでいた)でも生きていたらきっとこうするだろう。

そしてまた、パークス夫人が火種となった運動のカリスマ的指導者マーティン・ルーサー・キングならば、きっとイラク戦争には「最初から」反対しているに違いない。

国が過った道を進んでいる、これが気づいたときに大声で政府の批判をするのは、とてつもなく熱い愛国心だ。

さぁその愛国心を占めそう。
平和な行動で。

詳細は、http://www.troopsoutnow.org/

2Pac が政府の監視下にいた?

久々に自分の庭、2Pac関連の最新ニュース。

ジョージア州選出の連邦下院議員シンシア・マッキニーが、(1)政府が所有している2Pac関連の情報の公開、(2)国立公文書館に2Pacのレコードコレクションを創設すること、を要求する法案を提出した。

死後10年経ってもまだ続く彼の人気を考えると、(2)はとりわけて説明いらないだろう。興味深いのは(1)の方である。

マッキニーは、2Pacが銃殺されたとき、政府が監視下に置いていたと考えているらしい。これまでも2Pacの殺害については政府陰謀説が浮上したことがあるが、真相究明に連邦議会議員が動いたのはこれが初めてだ。

ところで、彼の母、Afeni Shakurは、ブラック・パンサー党員だったことで有名である。さらには、Afeniの場合は、「黒人急進派を懐柔させるか、さもなくば抹殺する」ことを目的とした悪名高いFBIの監視監督弾圧作戦COINTELPROの標的となり、冤罪に問われた。(COINTELPROやAfeni冤罪事件の詳細は、筆者のサイトの業績のコーナーで論じています)。

このことを鑑みると、シンシア・マッキニーは、COINTELPROのような作戦がその後も継続しており、きっと政府は何らかの秘密を握っているに違いない、と思っていると考えられる。その実、彼女には、2002年にも、同じくCOINTELPROの標的となっており、FBIから様々な嫌がらせを受けていたマーティン・ルーサー・キングに関する秘密書類の即時公開を求める法案を提出した議員活動歴がある(ちなみにその法案は、可決されなかった)。

これはブラック・パンサー党研究者の会合で、パンサー党員の法廷闘争に弁護士として加わった人から聞いたことであるが、COINTELOPRO関連の書類の公開を情報公開法に則って要求しても、望みのものを手にいれるのに最低10年はかかるらしい。しかも今や、情報公開の原則を踏みにじる愛国者法が存在し、かつては非合法だと宣せられたCOINTELPROと同様のことーー罪を犯していないものの生活を監視することーーはやりたい放題の情況にある。

このような事情を考えると、マッキニーの法案はおそらく可決されないであろう。それがいかに「真実」を知るのに重要であろうとも。

そしてまた、このような情況が存在するかぎり、ことあるごとに政府の陰謀説が流布するーーたとえば、政府は、ニューオーリンズの観光地区を守るために、第9区近くの河岸壁を爆破したーーことは避けられない。

マーティン・ルーサー・キングの夫人、コレッタ・スコット・キングは、このような歴史の闇を照らしだすために、関係者の特赦を前提にした調査の実施を主張している。これは、南アのマンデラ政権が行ったこと、真実究明委員会の審議にヒントを得たものだ。アメリカにも確かに真実究明委員会が必要である。それはキング暗殺、パンサー党の弾圧の過程を確実に明らかにしてくれるだろうし、さらには2Pacの殺害をも照らしだすかもしれない。

2005年11月09日

ローザ・パークス葬儀の陰で

20051109delores_tucker.jpgミセス・ローザ・パークスが逝去したのが10月25日。その陰で、公民権運動への貢献においては決して彼女に「劣って」いない女性がこの世を去っていた。その黒人女性の名前はミセス・C・デロレス・タッカー。

死亡したのは10月12日。葬儀にはアル・ゴア元副大統領(2000年大統領選挙の本当の勝者で真実の大統領)も出席している。彼女の死去は、しかし、ミセス・パークスの本葬が終わるまで公にされなかった。理由は明かされていない。

投票権法制定へ巨大な世論を動員したセルマ闘争のとき、マーティン・ルーサー・キングのすぐ横に並んで行進したのが彼女。その後、彼女は、黒人女性、否、黒人の政治家がまだ少なかった時代の1971年、ペンシルヴェニア州州政府の閣僚を務めた。投票権法の精神を生かすため、郵便による有権者登録を可能にし、21歳だった選挙権を18歳にした。そして全米黒人向上協会(NAACP)の理事も務めた。

しかし、1992年、彼女の名前は、汚れたものになってしまった。2Pacら、ギャングスタ・ラップの歌詞に抗議し、それを弾圧する運動を、「ドラッグとの戦争」の指揮官として全米の刑務所服役者数ーー人口に不釣り合いな割合が黒人ーーを一挙に引き上げたウィリアム・ベネットと組んでしまったのだ。

その後、彼女は、タイム・ワーナーの株式を、株主総会で発言権が得られるまで買い、総会の場で経営陣に同社が発売しているラップの歌詞、なかでもその露骨に卑猥な箇所を読み上げるように迫った。(なお、経営陣は彼女の要求を無視し、逆に彼女を告訴した)。

また2PacがNAACPの「イメージ向上貢献章」にノミネートされたとき、彼女はかつて理事を務め、100万ドル以上の私財を寄付したこの歴史ある人権団体の大会でピケを貼った。

2Pacも黙っていなかった。とても彼らしいことではあるが、歌詞で露骨に彼女を揶揄したのだ。その後、両者の対立は、彼の死後も、彼女が2Pacの遺産相続人を名誉毀損・冒涜罪で訴えるに至る。

そういえば、ミセス・ローザ・パークスも、晩年はアウトキャストやIce Cubeと名誉毀損・冒涜で訴訟を起こしていた。

公民権世代の感性とヒップ・ホップ世代の感性は明らかに異なる。だから「評価」も難しい。(なおこの記事は、彼女たちが闘ってきたものを尊重し、彼女たちには敬称を付けた)。

2005年11月10日

ニューオーリンズ復興の姿その1

ニューオーリンズの老舗の新聞 New Orleans Times Picayune が伝えたところによると、ニューオーリンズの公安を維持している「当局」ーー誰の命令で動いているのかは定かでないーーは、自分の家に帰ろうとする住民を追い返したという。あれだけ市民団体が警告し、監視しているのにもかかわらず、追い返されたのはアフリカン・アメリカン。

さらに、彼ら彼女らは、そもそも避難するときから、想像を絶する経験をしている。彼ら彼女らが避難に応じたのはニューオーリンズが浸水してから後。そこで、「黒人が市内で暴れている」という報道を聞き、彼ら彼女らがミシシッピ川にかかっている橋を渡ろうとすると、橋の向こうの自治体(Grentaとジェファーソン郡保安部)は威嚇の銃を発砲し、渡河を妨害した。

そして、今度は市内に帰れない。なぜならば「どうせ帰ってもやるのは盗みだけ」という風評がたってるから。

そこで、元ブラック・パンサー党ニューオーリンズ支部の創設者の一人で、いまも市民活動を続けているMalik Rahimを中心に抗議デモが組織された。ミシシッピ川にかかった橋を渡るデモである。

公民権運動史に親しんだものにとって「橋」と聞けば、すぐに思い浮かぶところがある。セルマ闘争のときに、マーティン・ルーサー・キングの団体、SCLCが組織したデモ隊が渡ろうとし、アラバマ州兵に凄まじい暴力で弾圧された光景の場、エドモンド・ペッタス橋である。現在、そこは、アラバマ州の史跡に指定されている。

今回の元ブラック・パンサー党員が組織したデモ隊は、40年前のエドモンド・ペッタス橋を渡ったものたちと同じく、公民権運動を鼓舞した運動歌「我ら打ち勝たん」を歌った。パンサー主義と非暴力は、約40年を経たのちに、ミシシッピ川の上でひとつになった。

このデモ隊を、ニューオーリンズ当局は、そのまま通り過ごさせたらしい。報道によると「セルマのようなことになるのを避けるため」。

悪名ばかり高くなっている50 Centは、最近こう述べた。Any publicty is good publicity。公民権運動が成功した理由のひとつは、メディアを大々的に動員できたからである。それを巧く回避されては、「何が起きているのか」は伝わらない。(最近、日本の報道で、「カタリーナその後」を伝えているところがあるだろうか?)。

さて、では、毎日々々、ニューオーリンズで何が起きているのかを伝えてくれるブログを、これからこのテーマをとりあげる度に伝えて行こう。

まずは、こうしている本日、南部屈指の大学、ノース・カロライナ大学チャペルヒル校で、戦略会議を開いている団体のサイトを紹介する。

2005年11月15日

ニューヨーク市長選挙結果

ご存じの方も多いだろうが、ニューヨーク市長選挙では共和党現職のマイケル・ブルームバーグが勝利した。しかも、2位になった民主党フェルナンド・フェレールに得票率で20%もの差をつける圧勝で終わった。

興味深いのが、人種別の投票の動向。3期前のニューヨーク市長選挙で、共和党候補のルドルフ・ジュリアーニは黒人票の約5%しか獲得できなかった。それに対し、今度の選挙では、ある分析結果によると、ブルームバークは、黒人票の半数近くを獲得したという。

さらには、ブルームバーグはプエルトリコ系のフェレールに流れるとみられたラティーノ票の30%も獲得している。

これは選挙前の予想がそのまま当たった形になった。

人種やエスニック集団内部の多様化が進んだため、もはやこれらの人間の属性は政治行動を予測できる決定的な因子にはならなくなっている。

さて、ここで相反する二つの展開が見えてきた。メキシコ湾岸地区のハリケーン被害の際には、世論が人種によってまっぷたつに分かれているのが判明した。今度は、人種が政治行動を決定しないことが判明した。

ここでせめても確実にわかることは、多人種社会のアメリカはいま岐路に立っているということである。

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